本名



「ねぇ、セバスチャンって本当はどんな名前なのかな?」
 マイコが突然、セバスチャンの作ったお弁当を見つめながらポツリと呟く。
 空は綺麗な青色で、時折風も吹き、夏だというのに涼しささえ感じるこの場所――別荘に備え付けられているテニスコートの近くで、五人はセバスチャンの作ったお弁当を食べていた。
「セバスチャンの本名?」
 マイコの言葉を聞き、アヤカはゆっくりとした動作で箸をおくと、不思議そうにマイコを見つめる。
 どうやらキョウスケにもマイコの言葉が聞えていたらしく、視線だけマイコの方を向けていた。
 マイコはアヤカの言葉に無言で頷くと、真剣な表情でアヤカの顔を見つめ返す。
「そう、本名。セバスチャンって名前は、ジンがつけたあだ名だけど、それがつくまではアヤカが呼んでいた『じぃや』で、あたし達も呼んでいたでしょ? 考えたら、名字すら知らないんだよね」
 マイコは昔の思い出を懐かしむかのように、アヤカから視線を逸らすと、腕を組み、宙を見上げる。
 空には大きな雲が風によって流されており、とてもゆったりとした時間が流れている事を強調しているようだった。
「そういえばそうだね。僕もセバスチャンの本名は知らないなぁ」
「えっ、キョウスケも!?」
「うん」
 キョウスケの意外な言葉に、マイコは目を見開き、素っ頓狂な声を出して驚いた。
 さすがにキョウスケは知っていると思っていたらしい。
 マイコの声で、必死になってお弁当を食べていたジンやケンジもチラリとマイコを見つめるが、お弁当の魅力の方が遥かに上らしく、すぐに視線をお弁当へと戻した。
「じゃ、じゃあ、アヤカは……」
 マイコは期待を込めた瞳でアヤカを見つめるが、アヤカは困ったように眉尻を下げる。
「私も知らないの。ごめんなさい」
「えええっ、アヤカまで!?」
 マイコはアヤカの言葉に、キョウスケの時以上の声で絶叫した。
 それがあまりにもうるさかったせいで、近くの木に止まっていた鳥が数羽逃げて行き、更にジンが食べようとしていた唐揚げが、ポロリと箸からすり抜けていく。
 相当ショックだったのか、お弁当を食べていた手を休め、マイコをジト目で睨んでいる。
 食べ物の恨みは怖い。
「セバスチャンは元々、お父様の教育係だったの。だから私が産まれる前からお屋敷にいて、その頃はきっとセバスチャンも本名で呼ばれていたと思うわ。でも、私が産まれてからは、小さな私が覚えやすいように『じぃや』になったのよ」
「へー、セバスチャンって、ずっと前からアヤカのお家に仕えてたんだね」
 アヤカの口から紡ぎだされた、セバスチャンの意外な過去にマイコは驚き、そして納得した。
 長年仕えてきたからこそ、あれだけの事が手際よく、そして当たり前のようにできるのだと。
 そして長年仕えてきたからこそ、アヤカの執事になれるのだという事も。
「私、ずっとセバスチャンの事を『じぃや』って呼んでいたから、本名なんて考えた事もなかったわ。一度聞いてみようかしら?」
 アヤカはまるで悪戯っ子のように目を細めてフフッと笑う。
 長い睫毛がふんわりと揺れ、その笑みはとても美しかった。
「じゃあ、セバスチャンに本名を聞く前に、俺達で予想してみないか?」
 いつの間にかジンが右手を挙げ、話に加わりだした。
 先程まで唐揚げで怒り心頭だったのに、好奇心には勝てなかったのだろう。
 目を輝かせ、アヤカの方を見つめている。
 だが、その横ではケンジがいまだにハイエナのようにお弁当を食べ続けていた。
 こちらは話すら聞こえていないらしい。
 そんなケンジの様子を見て、ジンは小さく溜息をつくと、他の四人の顔を見回す。
「面白そうね、皆で考えましょう」
 アヤカが両手をパチンと叩き、嬉しそうに頬を染め、そんなアヤカを見て、キョウスケが愛おしそうに目を細めた。
「まず、さっきのアヤカの話を思い出して……セバスチャンはアヤカの父親の教育係って事は、アヤカの父親より年上って事になるよな?」
 ジンは箸を置き、腕を組むと、まるで推理小説の探偵のように鋭い目つきでアヤカをジッと見つめる。
 だが、している人間が人間なので、二流探偵のようにしか見えない。
 マイコはわざとらしく深いため息をついたが、反対にアヤカは楽しそうな表情で、ジンを見つめていた。
「そうね。でも、教育係とはいっても、セバスチャンはお父様にとって兄のような存在だったみたいよ」
「兄か……そうなると、セバスチャンとアヤカの父親の年齢はさほど変わらないという事か? 年齢はおそらく若くても五十代後半って事になるな」
 ジンはアヤカの言葉を聞いて、考え込むように視線を宙へ泳がせると、小さく唸る。
「でも、見た目だけで判断すると、お爺ちゃんって感じもあるよね。実際は体力も知力も何もかも、私たち以上にあるけど」
「そうだね、マイコの言う通り、見た目は六十代にも七十代にも見えるね。でも、苦労したからこその見た目かもしれないよ?」
 ジンが一人探偵気取りで考えている横で、マイコとキョウスケが互いの意見を話し出す。
 それを聞いていたジンは、視線をスッと二人へと向けると、がっかりした様子で肩を落とした。
「うーん、想像した年齢で、その年代に流行ったであろう名前を探すという作戦はダメか……」
 ボソリと小さく呟くと、ジンは組んでいた腕を離した。
「作戦だったの!? 普通に考えようよ、山田太郎とか」
「普通すぎるだろ!! もう少し捻って坂之上祥太郎とか言うべきだろ!!」
 マイコの言葉に、自分の推理を傷つけられたと思ったのか、ジンは即突っ込みを入れるが、そのとんでもない名前に、キョウスケとアヤカは一瞬だけ目を大きく見開いた。
 だが、すぐに目を細め、クスクスと笑いだす。
「坂之上って……まるで華族みたいだね。セバスチャンが華族なら、アヤカの家に仕える道理がないと思うよ?」
「あら、もしかするとセバスチャンは元華族だったかもしれないわよ? セバスチャンの出生を知っているのは、亡きお祖父様だけですもの」
 二人はジンの考えた名前を否定する訳でもなく、至極真面目な答えを返すが、口元は笑っているので、ジンの考えた名前は絶対にないと思っているのだろう。
 しかし、ジンは咄嗟に考えた名前を少しだけ認められた気がして、気分がいいらしい。
 フンッと鼻を鳴らしている。
「へー、セバスチャンの事は、アヤカのお爺ちゃんしか知らないんだね」
 マイコはアヤカの言葉に反応し、面白そうに目を輝かせ、身を乗り出すと、アヤカはマイコを見つめ、先程の笑みを湛えたまま、小さく頷いた。
 すると、ジンはいきなりビシッとアヤカを指差す。
「それは面白いな!! たとえば祖父の手記みたいなもの残ってないのか?」
「そうね……お祖父様の書斎はそのまま残してあるみたいだし、もしかしたらあるかもしれないわね」
「本当か!? それを見つければ、もしかしたらセバスチャンの出生の秘密が分かるかもしれないぞ!!」
 ジンはアヤカの言葉に、セバスチャンの名前を探す糸口を見つけられ、ニヤリと笑うと、小さくガッツポーズをした。
 その様子を見て、キョウスケとアヤカは苦笑する。
 ジンはまだまだ探偵気取りでいたいのだろう。
 マイコはキョウスケやアヤカ程、人の器が大きくないせいか、ジンが痛い人間にしか見えない。
 何処か憐れむかのようにジンを見つめていたが、それを中断させたのはキョウスケの「あっ!」と言う、何かを思い出したかのような声だった。
 三人の視線が一気にキョウスケへと集まる。
「それは、手記があったらという話だよね? 亡くなった方の部屋に何の繋がりのない僕らが入って、勝手に探していいものか……」
 もう亡くなっているとはいえ、無断で部屋に入るという行為を失礼と感じているのだろう。
 キョウスケは困ったように眉尻を下げ、アヤカを見つめるが、アヤカはそんなキョウスケに優しく微笑む。
「大丈夫よ、お祖父様も許して下さるわ」
 そう言って、視線を横へ移動すると、誰もいない場所を見つめ、もう一度微笑む。
 その姿を見て、ジンとマイコの背筋が凍った。
「……何見てんだ、あれは?」
「……き、気にしちゃダメだよ!!」
 小さな声で話し合う二人など眼中にもないのか、アヤカは満足そうに頷くと、すぐに三人へと視線を戻した。
「さ、お祖父様の許可が出た所で、ランチを再開しましょうか?」
「そうだね、早く食べないと時間だけが過ぎてしまうからね」
 アヤカの言葉に、キョウスケもニッコリ笑って賛同し、再び箸を手に取った。
 ちなみにこの会話に入りもしなかったケンジは、相変わらずがっつくようにして食べており、お弁当箱の底がチラホラと見えかけている。
 それを見て、ジンとマイコはハッと我に返り、皆と同じように箸を手に取って、ランチを再開しようとしたが、何かを思いついたのか、ジンがマイコだけに聞こえるようにポツリと呟く。
「うーん、意外と西園寺門左衛門だったりしてな」
「……絶対にないと思う」
 ジンの考えた名前を即却下し、無視するかのように黙々と食べ始めた。



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