殺人鬼
(side:?)



 燃え盛る鬼──否、友だった男から逃げるようにして、マイコ達は扉の前に戻ってきた。
 皆、どうやって戻ってきたのかわからない……といった表情をしている。
 鬼から目を離せず、じっと崖下を見詰めていたマイコを引っ張ってきたジンが、重い溜息を吐いた。
「……おい、皆。大丈夫か?」
 しっかりせねば、そう思ったのだろう。ジンはマイコ、ケンジ、アヤカの顔を順番に見やる。
 マイコは目を見開いたまま、地を見詰め。
 アヤカはずっと「キョウスケ」と呟き続けており。
 ケンジはさすがに衝撃を受けたのか、いつものニヤニヤ顔を浮かべてはいなかった。
「オレは平気だ。自分で言うのも何だが、ちょっとショックは受けたけどな。女共は?」
「……おいマイコ。しっかりしろ。放心するな」
「あ……え?」
 ジンが肩を掴んで揺さぶると、マイコの目がぱっと生気を取り戻す。が、すぐにその目には涙が浮かぶ。
「ジン……どうしようどうしよう、鬼が……違う、キョウスケが……」
 そこまで言ってマイコは燃え死んだ男の恋人──アヤカに視線を移す。
「アヤカ……」
「……スケ……キョウスケ……どこにいるの……キョウスケ」
 ぶつぶつと男の名を呼び続けながら視線を彷徨わせる美しい女性は、この恐ろしい廃寺に溶け込んでしまいそうなほど、不気味だった。
「どうしよう、アヤカが……」
「今はショックで混乱してるだけかもしれない。まずはここから出て、別荘に戻る。それからセバスチャンに相談しよう」
 再び、扉と対峙するジン。扉はそんな彼を馬鹿にするかのように、悠々と聳え立っていた。
「でもどうすんだよ!? 何やっても開かなかったじゃねぇか!」
 ケンジが唾を飛ばす勢いで捲くし立てる。尤もな意見にマイコも頷いた。
「そうだよ、ジン。何やっても開かないよ。もう夜明けを待って……そうだ、朝になればセバスチャンがおかしいと思って、助けを呼んでくれるかも!」
 希望がある──そう感じたマイコの声が幾分明るくなる。
「そうかもしれないが……だが、外からも開かなかったらどうする? セバスチャンが助けを呼んでくれたとしても、どのくらいかかるかわからない。それに、夜明けまでまだ数時間ある」
 そう言いながらアヤカを見る。うわ言を繰り返すアヤカをこのまま放置しておいたら──どうなるかわからない、それを危惧しているのだろう。
「それから、早くキョウスケを……崖下から拾ってやりたいしな……」
 僅かに目に涙を溜めながら、ジンがそう呟くと、マイコとケンジの顔も曇る。
「……やっぱり、肝試しなんかやめておけばよかった」
 マイコがわっと顔を手で覆い隠し、泣く。
「こんなこと、面白がってしたから……ここに眠る霊たちが怒ったのよ。荒されると思い込んで、祟ろうとしてるのよ。怖い怖い怖い。あたし怖い……!」
 手を退け、血走った目を見せるマイコ。そんな彼女を見て、背筋がぞくりとでもしたのか、ジンとケンジが顔を青くした。
「お、落ち着け。な、マイコ。これは祟りじゃない。きっと誰か別の人間がいて、俺達を嵌めようとしたんだ」
「誰かって誰よ! そんな人間いるの? ここに!? だったら連れてきて、今すぐ連れてきてさっさと殺しちゃってよぉ!」
「……マイコ!」
 ぱしん、と乾いた音が響く。
 ジンがマイコの頬を打ったのだ。
「……痛い」
「いい加減にしろ。怖いのはわかる。が……殺すなんて言うな。そんなことしたら、キョウスケを殺した奴と同じ、クズになっちまうんだぞ」
 幼い子を諭すように告げ、ジンはマイコの頭を撫でた。
「……そ、そうだね。あたし達が……人殺しになんて、なる必要ないよね」
 叩かれた頬を擦りながら、マイコが小声で謝る。ジンは満足げに頷くと、ケンジを見、
「扉を何とかして開けるぞ」
 と決意新たに宣言した。
「つったって、どうすんだよ。何やっても開かない、壁だって崩れてない! 飛び越えようにも壁は高すぎる! んな密室からどうやって出られるんだよ、あぁ!?」
 ケンジが自棄になり、怒鳴り散らす。
「壁に穴がないか探せ! 人一人通り抜けられるような穴だ。扉付近だけじゃなく、廃寺全体でだ。それがなかったら、最悪……崖下から別荘へ戻る道がないか、探す」
 危険を伴う──それは重々承知しているのだろう、ジンは苦しげな顔でそう告げた。
「けどよ、お嬢様は無理だろ! こんな状態だし、足だって悪い。崖下なんてもってのほかだ。無理だ無理だ無理だ、無理なんだよっ!」
 青筋を浮かべ、ジンの胸倉を掴むケンジ。喧嘩になりそうな、一触即発な空気。
 そんな空気を破ったのは、意外にもアヤカだった。
「……平気よ。私なら大丈夫……」
 ふふ、と笑いながら言葉を紡ぐアヤカに、皆の視線が集中する。
「アヤカ……大丈夫なの? その……」
 マイコが汗を一筋、流しながら訊ねる。するとアヤカは妖艶に微笑み、
「大丈夫よ? 私は……生きてここから出るわ。キョウスケをあんな目に遭わせた奴を見つけて、グチャグチャにするまでは、死なないわ」
 にこっと笑う。それを見たジンは複雑そうに頭を掻く。
「……意外だな。お前なら、ここに残って犯人を殺すって言うんじゃないかって、思ってた」
「ふふ、そんなこと、キョウスケは望まないと思ったの。彼ならきっと私に、ここから無事に脱出してほしい……そう思うだろうって」
 アヤカの想いの強さに、ジンは頼もしさを感じた。
「……なら、話は早いな。皆で協力して出られるところを探そう。アヤカとマイコは崖の傍には寄るなよ。そこは俺達で探る。だから壁の穴をひたすら探してくれ」
「わかった!」
 マイコはがばりと立ち上がると、ゆっくりと立ったアヤカの手をそっと引いた。
「アヤカ、あたしと手を繋ごう。ちょっとは安心するでしょ?」
「あら、それはマイコの方じゃない? 怖いんでしょ」
「そ、そんなことないよ! もう怖くないし!」
 微笑ましい言葉を交わしながら、マイコ達は再び壁伝いに歩き始めた。
「よしケンジ、俺達は崖を見に行こう。危ないから気を付けてな」
「……チッ」
 懐中電灯で足元を照らしながら慎重に進む。不服そうなケンジは、少し大きな石を思い切り蹴飛ばした。

「滑るなよケンジ」
「わかってらぁ!」
 じゃりじゃりと音を立てながら、小石の多い崖付近を歩く男二人。
 ジンはアヤカが落下したところを、ケンジはそこから少し離れた、木々の少ない場所から、道になりそうなところを探す。
「獣道でも何でもいい。とにかく歩けそうなところを探そう。アヤカは……俺かお前が背負ってやればいい」
「……足手まといな女だぜ」
 ジンに聞こえないようにするためか、小声で言うケンジ。ジンが「何か言ったか?」と訊くが、ケンジはそれを無視した。
 慎重に崖を下りていく。
 途中、ガサリという草の揺れる大きな音と、「おっと」というジンの声が響き、ケンジは思わずビクリと肩を震わせた。
「どうした、ジン?」
「ちょっと滑った。大丈夫だ」
 懐中電灯の光が空を照らそうと伸びる。さすがに一人では、下りながら下を照らすことができないのだ。
「……一人ずつ下りればよかったな」
 ジンのその独り言に、ケンジは盛大な舌打ちをした。
「畜生、何でこんな目に……」
 ジンが先ほどの独り言っきり喋らなくなってしまったので、ケンジはその静寂に耐えられず、胸の内に溜まった不満を一人、呟き始める。
 体だけ崖を下りることに集中させ、恐らくは、頭の中に幼馴染み達の姿を思い浮かべながら。
「あいつらと関わってちゃロクなことにならねぇ……別荘にいた時は幼馴染みもいいかもって思ったが……くそっ」
 ぶつぶつと呟くその嫌悪に満ちた言葉は、決して誰にも聞こえないような小ささではない。
 時折、小石を踏む音が聴覚を邪魔するものの、少し離れた場所にいるジンにも、もしかしたら聞こえているかもしれなかった。
 が、構わず話し続けるケンジ。
「昔っからそうだ……あのお嬢様はキョウスケにべったりで……あいつに何かあるとすぐ狂ったように取り乱す……おまけに弱ぇし。
 マイコは喚く上に役立たずだし、ジンはキョウスケがいなくなると急に偉そうになりやがる。……くそ、だんだん腹が立ってきやがった」
 すとん、と崖下に足を着ける。そうして辺りを見渡すが、大きな石や木、その枝が邪魔をして、とても歩けるようなところは見つからなかった。
 いや、ケンジやジン、マイコなら問題はないだろう。アヤカだ。彼女を背負ってここを歩くのは無理だ──ケンジはそう判断したのだろう、また舌打ちをして頭を掻いた。
「歩けるとこなんてねぇし……やっぱり夜明けまで待つしかない……チッ、あの忌々しい扉! ここから出たら燃やしてやる!」
 そう言って傍に生えた細い木をガツンと蹴る。ガサガサと葉が揺れ、何枚か落ちた。
「…………」
 その様子を見て、ケンジがはっとする。何かに気付いたのだろうか。
「……そうだ!」
 勢いよく振り返り、崖を上り始めるケンジ。
 自分が上る音以外にも何か──同じように誰かが崖を上っているような、そんな気配がしたので、ケンジはジンも上がってきているんだ──と気付いたのだろう、声を掛ける。
「おい、ジン!」
「何だ?」
 上りきり、ジンがいる崖を覗き込む。そこにはやはり、上がろうとしているジンの姿があった。少々、上るのが遅い。
「お前、もうちょっと体鍛えろよな。……って、そんなことはどうでもいい。見つけたんだよ、ここから出る方法を!」
「何だって!?」
 ようやく崖から這い上がると、ジンは顔を輝かせながら身を乗り出した。
「どうやって、どうやって出るんだよ!?」
「落ち着け、簡単だから。でも、オレとお前が気張らなきゃなんねぇけど」
 ニヤリと笑って、ジンの肩に手を添える。勿体ぶったケンジの物言いに、ジンはそわそわする。
「あぁ、俺なら頑張れる。で、どうするんだ?」
「あの扉をぶっ壊すんだよ。あのマネキンの頭に食い込んでた斧を使ってな」
「あっ……そうか!」
 どうしてそんな簡単なことに気付かなかったのだろう──とでも言いたげに、ジンは頭を抱えた。
 あの扉は分厚いが、木造。男二人で交代しながら休みなしに斧で叩けば、いつか穴が空く。
「最悪、夜明けまで掛かっちまう可能性はあるけどよ、一番手っ取り早いだろ? こんな危ねぇとこ、ウロウロしなくて済むしよ。それに、キョウスケ殺した誰かがいた場合、その斧で身を守ればいい」
「あぁ。そうと決まれば早速──」
「ジン、お前は女共呼んでこい。オレは斧を取りに行く」
「わかった。任せる!」
 どこにそんな元気が残っていたのか──ジンは猛ダッシュでアヤカ達を探しに向かった。
 ケンジはそれを冷めた目で見届けてから、ゆっくりと不気味なあのマネキンの元へ向かう。
「ったく……とんだ目に遭ったぜ」
 ジャリ、ジャリ──と足音が鳴る。それが自分のものだけじゃないような気がして、自然と足が速まる。
「……ハハ、オレ、ビビッてんのかな」
 だんだんと速くなる足。ケンジのサンダルの足音が刻むテンポが細かく、速くなっていく。
「……くそっ、くそっ!」
 走る。走って出た汗と冷や汗が混じり、顔にいくつもの筋が出来る。それを腕で拭いながら、ようやくケンジはマネキンの倒れる場所に辿り着いた。
 これでやっと──といった表情を浮かべそうになって、ぴたと止まる。
「な、何で……何でだよ」
 フラフラとマネキンに歩み寄るケンジ。その腕はぶらんと垂れ、絶望を語っているように見えた。
「何で、何で斧がなくなってるんだよぉ!?」
 ──そう、マネキンの頭から、斧がなくなっていたのだ。
「誰も触ってねぇだろ、何で、何でだよ。……まさか、キョウスケを殺した犯人が……」
 髪をグシャグシャと掻き、声を震わせる。その後ろ姿は見ていてどこか痛々しく、それでいて滑稽だった。
「……やっぱり、誰かいるんだ。オレ達以外の人間が、いや……殺人鬼が……」
 マイコのようなことを言い出し、呻くケンジ。しばらく頭を抱えたまま唸っていたが、それがぴたりと止んだ。
「……殺人鬼め。どこにいやがる。このままオレ達を皆殺しにするつもりなら……こっちから先に殺ってやるよ!」
 顔を夜空に向け吠えると、ケンジはばっと振り返った。
 その形相はまさに鬼。怒り狂った鬼だった。
 が、その鬼の顔は一瞬で消えた。
 振り返ったまま、時間が止まったかのように動きを止めたのだ。そして口をぱくぱくと開け閉めしながら、ゆっくりと右手を上げて──。
「な、何で……?」
 背後にいた鬼を指差そうとした手は、小刻みに震えていて。
 顔は真っ青になって、喉から漏れる息がヒューヒューと音を立てる。

 ──それが何だか可哀相に見えて、僕は、思い切り斧を横に薙ぎ、ケンジの首を一瞬で切り落とした。



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