人喰鬼
(side:M)
シンと辺りから音が消えた。
さっきまで鳴いていた虫達の声が、あたし達の絶望を感じたかのように、ピタッと鳴くのを止めたのだ。
ヒュウウッと風の寂しい声があたしの耳をかすめる。
目の前に聳え立つ大きな門。
それは入る前に石で固定して、閉まらないようにしていた。
その行動もきちんとこの目で確かめていた。
だけど今、あたし達の目の前にある門はガッチリとしまっている。
まるで最初から開いていなかったかのように。
あたし達をこの世界から追い出すかのように――。
怖い――でも、不思議と声以上に心は絶望を感じる程の恐怖はなかった。
だって……。
「閉まってんなら、開ければいいんじゃねーの? ほらジン、二人で門を押すぞ!」
「えっ、お、おう……」
楽しそうにニヤニヤ笑っているケンジの言葉に、ジンは驚いた表情で門へと近づいていった。
そう、閉まった門は、また開ければいい。
二人掛かりで開けた門なのだから、また同じように二人掛かりで開ければいいんだ。
「せぇーの!」
ケンジの声に合わせ、ジンも反対の扉を押す。
だけど、門はピクリとも動かない。
二人の足元の土だけが、どんどんと削れていくだけだ。
「ちょ……全く動かないぞ!? どうなっているんだ!!」
ケンジが驚きつつも、思い切り扉を叩いた。
さっきから二人で同じ行動を繰り返しているのに、門は全く開かない。
それどころか、ケンジの叩いた音すら吸収して、ふてぶてしくドンッとその場に居座っている。
「今度は引いてみようか? 僕が代わるよ」
キョウスケがケンジの肩を軽く叩き、門へと歩いて行く。
それを無言でジンが追いかけ、二人で何度かやってみたが、やはり門は微動だにしない。
「な……なんで!? なんで開かないの!!」
あたしは思わずその場に座り込んだまま叫んだ。
だって、さっきまで開いた筈の門が――二人で開閉できる筈の門が、全く動かないのだから。
これが夢なら覚めてほしい。
こんな所で一生を過ごすなんて考えたくない!!
「マイコ、落ち着いて」
アヤカがあたしに近づき、優しく抱きしめてくれる。
アヤカから、ほんの少し土の匂いがした。
さっき落ちた時についちゃったんだろう。
「そうだね、冷静になろう。これだけ大きな廃寺だから、絶対に何処かの壁は崩れて、外に出る道がある筈だ。それを探してみよう」
キョウスケもあたしの方を見て優しく微笑む。
その額には丸い汗が数滴ついていた。
あまり疲れた表情を見せないキョウスケだけど、やっぱり疲れているんだ。
皆が冷静になって頑張っているのに、あたしだけ一人パニックになっていた事に気付き、情けなくなってくる。
「とりあえず壁伝いにグルリと歩いてみるか?」
「そうだな。でも、アヤカの落ちた場所は後回しにしよう。また誰かが落ちて、骨折でもしたら大変だからな」
楽しそうにニヤニヤと笑うケンジに対して、真面目に答えるジン。
二人とも、絶望というより、希望の表情をしている。
「マイコ、一緒に行きましょう?」
アヤカがあたしに手を差し出してくる。
白くて長くて、折れそうな位細い手を。
「うん」
あたしはその手に掴まり、立ち上がった。
そうだ、ここから抜け出さないといけないんだ。
こんな所で立ち止まっていちゃ駄目なんだ。
パンパンと服についた土を払い落とし、門から離れる。
だけど、ある地点であたしはふと門を振り返った。
そこにはやはり入った時と同じように、鬼の彫刻が深々と彫られている。
ここから逃がすものか――そう言っているかのように、口の端を吊り上げ、こちらを見つめていた。
「廃寺にしては、壁がしっかりしているなぁ。崩れている所なんてあるのかよ?」
ケンジが歩きながらブツクサと文句を言っている。
さっきから壁伝いに歩いてはいるのだが、ケンジの言う通り、壊れたり崩れたりしている壁が全くないのだ。
つるつるで綺麗な白壁が、ずっとずっと見えない暗闇の先まで続いている。
「この壁、結構頑丈だよな。何かで壊すとか難しそうだ」
ジンは壁を叩き、耳を当ててその音を聞いている。
「そんな事して、壁の厚みがわかるの?」
あたしはジンのしている行動が奇妙に見えて、同じように壁に耳を当て、叩いてみる。
だけど、コツコツと固い音が聞こえるだけで、他には何も分からない。
「ジンって適当だよね。みっともないから止めたら?」
あたしがジンの背中を叩こうと、手を挙げた瞬間、ジンの表情の変化に気付き、思わずその手を止めた。
「おいおい、どうしたんだ……よ」
ジンとあたしをからかいにきたケンジが、面白そうにこちらを見たが、そのケンジでさえもジンと同じように表情を強張らせる。
目を見開き、一点を集中し、固まってしまったのだ。
「あ、あれ……」
アヤカは小さな声で呟き、震える右手である方向を指差した。
その白くて細い指を追い、その先を見ると――そこには青白い何かが浮かんでいた。
「人……魂!!」
あたしはそれを見た瞬間、思わず言葉を発していた。
すると、青白い光はあたしの声に気付いたのか、上下に大きく揺れると、かなりの速さであたし達から逃げるように飛んでいく。
「ちょ、ちょっと待てよ!!」
逃げる人魂――それを面白いと感じたのか、ケンジがニヤリと口の端を吊り上げ、追いかけようとする。
だけど、その肩を思い切りキョウスケが掴んだ。
その強さはかなりのものらしく、ケンジの体がキョウスケの元まで戻される位で、それを見たあたし達は皆、目を丸くした。
だって、いつものキョウスケを知っている人には考えられない行動だったから。
誰よりも優しくて、常に受け止めるような雰囲気を持つキョウスケが、あんなに強引な行動を起こした――それは天地がひっくり返るほどの事で、人魂の恐怖すら忘れさせる位強烈だった。
キョウスケは驚いてポカンと口を開けているケンジから手を離すと、小さく息を吐く。
「僕が追いかけて、真相を確かめる。もしかすると、門を閉めた犯人が悪戯をしているのかもしれないからね。ケンジ達はここに残って、何かあったら隠れてくれないか?」
キョウスケの慎重に語られる言葉は、ここにいるあたし達しか聞こえない位の小ささだったが、よく耳に通った。
そのキョウスケの言葉で、あたし達は我に返った。
そうだ、あれが人魂なのかは判定できない。
もしかすると、誰かが遠くで操っているだけの可能性だってある。
もしそうだったら、ケンジが行けば確実に次の罠にはまるだろう。
ここは絶対に冷静なキョウスケが行くのが妥当だ。
あたしやジンはキョウスケの提案にコクンと頷いたが、ケンジはふてくされ、アヤカはとても心配そうな表情をしている。
だが、それをよく分かっているのか、キョウスケはフワリといつもの優しい笑みを浮かべた。
「ケンジ、何かあったら君が先導してくれ。君の行動力はこの中で一番だからね。アヤカ、大丈夫だよ。僕は何があっても君の元に戻るから」
キョウスケの力強い言葉に、アヤカは不安そうに瞳を揺らしながらも、最後は小さく頷いた。
ケンジもキョウスケの言葉に気をよくしたのか、ニヤリと笑い、任せろといわんばかりに親指を突き立てる。
「じゃ、行ってくる。マイコ、アヤカを頼む!!」
全ての言葉を言わんとする前に、キョウスケは人魂が消えた方向へ走っていった。
キョウスケの出す足音がどんどんと暗闇に呑まれ、吸収され、最後は聞こえなくなる。
まるでキョウスケが暗闇に食べられてしまったかのようだ。
「……キョウスケ」
アヤカが小さく呟く声は、風にさらわれ、消えてしまう。
あたしは思わずアヤカの両手を握り、大丈夫だと祈りをこめた。
だって、これはただの肝試しだ。
だから大丈夫な筈なんだ……。
でも、突然その祈りを消し去るような強い風が吹き、思わず目を瞑る。
ゴオオオッと強い風が砂塵を巻き上げ――そして、希望を打ち砕くような声が響いた。
「ウワアァァァァァァァァァ!!」
耳をつんざくような痛々しい悲鳴が、風の音を超えてあたし達の耳に届いた。
しかも、キョウスケが消えた方向から……。
「な、何だ……今の?」
ジンが瞑っていた目を開き、キョウスケの消えた方向を見た。
ケンジも無言のまま、でも驚いた表情を隠しもせず、ジンと同じ方向を見ている。
先程の断末魔の悲鳴。
あれは、誰もが口に出さないが、予想している名前は皆同じだろう。
「……キョウスケ……キョウスケの、こ……え」
そんな緊迫した雰囲気を切り裂いたのは、アヤカの言葉だった。
あたしの握った手からスルンと自分の手を放すと、その場に崩れ落ちる。
目は見開いたまま、ジワジワと涙が溜まっていく。
ああ、やっぱりそうなんだ……。
あれはキョウスケの声だったんだ。
キョウスケに一番近いアヤカが判断したのだ。
間違いだって思いたくても、もう認定されてしまったのだ。
「きょ……きょう、すけ。きょうすけ……キョウスケー!!」
呆然とその場に座り込んでいたアヤカが、突然大声を発した。
そして、声と同時にその場に立つと、悪い足を引きずりながらも走り出そうとする。
「ま、待って、アヤカッ!!」
あたしはすぐにアヤカを捕まえようとするが、それより先にアヤカは走り出してしまった。
あたしの手は宙ぶらりんでその場にとどまる。
アヤカがキョウスケと同じく、どんどんと闇へと呑み込まれ、見えなくなる。
「何してんだよ、マイコ! 追いかけるぞ!!」
ボーっとしているあたしを怒鳴ったのはケンジだ。
ケンジはチッと小さく舌打ちをすると、アヤカの消えた方向へと走っていく。
「ほら、早く行くぞ! 今ならアヤカを止められる」
ジンに背中を叩かれ、あたしはハッとした。
あたしはキョウスケにアヤカを頼まれたのだ。
アヤカを守るのはあたしなんだ。
あたしはジンの顔を見ると、大きく頷いた。
するとジンも小さく頷き、それが合図となって、二人同時に地面を蹴り、走り出す。
「アヤカッ!!」
意外だった。
あんなに足の遅いアヤカだから、すぐに捕まえられると思っていたのに、どんなに走ってもアヤカは姿を現さなかった。
それ所か、ケンジでさえも見つからない。
目が慣れているとは言え、今は夜だ。
昼間ほど周りがよく見える訳じゃない。
そのせいで周りを確認しながら少しだけスピードを落として走っているのが、二人を見つけられない原因なのだろう。
だが、がむしゃらに走れば、アヤカだけでなく、ケンジだって見失いかねない。
それを避けるにはこの方法しかないのだ。
「おい、あそこ!!」
あたしより少し前を走るジンが、前方を指差しながら大声を上げた。
あたしはその方向へ目だけ動かし、ジンの指差したものを捉える。
そこには遠くだが、大声で何かを叫んで暴れているアヤカと、それを取り押さえているケンジの姿があった。
「アヤカ!!」
あたしは二人の姿を見つけた途端、声を上げてジンを抜かした。
だが、二人はあたしの声なんて聞こえていないのか、こちらを振り向いてはくれない。
それ所か、二人に近づく度に、痛い位、二人の金切り声が耳に響いてくる。
「イヤー!! 放してっ、キョウスケがっ!!」
「やめろっ、お前が行ってどうなるんだよ!!」
ケンジがアヤカの右腕を握り、必死でその場から遠ざけようとしている。
今の状況はかなりヤバイのだろう。
あたしはアヤカを止めようと、ケンジの横に並び、反対の腕を取ろうとした。
だけど、それより先に、違うのものが目に入った。
真っ赤で煌々とした明るいものが……。
それを見た瞬間、体中の汗が噴き出し、胃の中にあるものが逆流するような、そんな気持ちの悪さが一気に押し寄せ、思わずその場にへたり込んだ。
ありえない、ありえない。
違う、絶対に違う……あれは絶対に違う。
知らずにガタガタと震える体を、自分の両手でギュッと包み込む。
「おい、マイコ……って、あれは?」
あたしの様子がおかしいと感じたのか、ジンはあたしの横へと並んだが、やはりあたしと同じ方向に目がいったようだ。
その光景を見た瞬間、目を大きく見開き、それ以上話そうとしなかった。
ありえない現実。
これは夢だと思いたい。
だけど……。
「放してっ! キョウスケー!!」
アヤカの悲鳴が涙と一緒に辺りに響く。
その声が、現実だと教えている。
あたし達の視線の先――そこは、アヤカが落ちた崖だ。
その崖の下で、赤いものがウロウロと動いている。
いや、ウロウロじゃない。
その赤に悶え苦しみながら、悲鳴をあげ、助けを求めている。
目が痛くなる程の赤。
その赤は、先程見た人魂と同じ、炎だ。
だけど、色も違えば大きさも違う。
その大きさは人並。
いや、あれは人なのだ。
そして、それはおそらくアヤカが叫んだ名前――キョウスケだ。
キョウスケが火だるまになって、崖の下で暴れているのだ。
「ウッ、ウァァァ……ガァッ!! アアアッ!!」
キョウスケが言葉にならない声を上げて、ゴロゴロと転がる。
火を消そうと必死で地面に体をこすり付けているんだろう。
だけど、火の手が強すぎる。
まるでガソリンを頭から被ったかのようで、全く消える気配がない。
その時、風がゴウッと吹き、火の手が一気に上がった。
キョウスケの悲鳴が一層大きくなる。
その声は……もう人ではない。
「うっ、うぷっ」
あたしの鼻に、焦げ臭い匂いが届く。
それが人の焼けた匂いだと体が認知した瞬間、今まで必死になって留めていたものが一気に口から出そうになった。
だが、それを何とか堪え、口を押さえる。
「いやー、キョウスケッ!! きょう、すけっ!! キョウスケー!!」
アヤカが泣きながら半狂乱で叫ぶ。
だが、その声はキョウスケには届かない。
狂ったように火を纏い、そこら中を歩き続け、キョウスケとは考えられない、おぞましい奇声をあげている。
まるであれは鬼だ。
火を纏った鬼だ。
鬼が狂って暴れているのだ。
あの怪談話のように、約束を破った村人達を探しながら――。
「マイコ、ジン、何しているんだっ! アヤカを押さえろ!! オレだけじゃ無理だ!!」
ケンジの怒鳴り声に、あたしはハッとした。
あたしは急いでアヤカの方を見ると、アヤカはケンジの手を振りほどこうと必死になっている。
半狂乱になったアヤカは、いつもより力も出ているらしく、ケンジでさえもその腕を持ち続けるのに精一杯だ。
「アヤカ、駄目だよっ!! あそこにいったら、アヤカまで燃えちゃうっ!!」
あたしは思わずアヤカを抱きしめる。
だけど、あたしの声はアヤカに届いていない。
アヤカは必死になって、あたしの体も引き剥がしにかかる。
その時だ、赤く燃えたあの鬼が、こちらを見たのだ。
あれだけ苦しんでもがいていた鬼が、こちらの様子に気付いたのか、一瞬ピタッと止まり、フラフラとこちらへ歩いてくる。
「い、いやー!! 来るっ!! 来るーっ!!」
あたしはそれを認識した途端、大声で叫んでいた。
背筋が一瞬で凍り、アヤカを抱きしめている筈の手が、いつの間にかしがみついている状態になってしまった。
焦げ臭い匂いがどんどんと近づく。
「お前までとち狂ってどうする!? あれはキョウスケだぞ!!」
ジンにそう言われても、頭が動かない。
だってあれは鬼だ。
赤く燃えた鬼なんだ。
鬼が崖を登ろうと必死で手を動かしている。
鬼が触ったものは、全て赤く燻り、嫌な匂いを発していく。
「このままだと、オレ達もキョウスケと同じ末路を辿るぞっ! ここは逃げるしかない!!」
ケンジは大声でそう言った。
すると、あたしの横にいたアヤカが「うっ」っと小さなうめき声を出して、その場へ寝転んでしまう。
「ケンジ、アヤカにそんな事……」
「仕方ないだろ!! オレがこいつを背負うから、ジンはマイコを何とかしろ!!」
どうやらケンジがアヤカの鳩尾を殴ったらしい。
目を閉じ、気を失ったアヤカをケンジが乱暴に担ぐ。
「行くぞっ!」
ケンジはアヤカを背中におぶったまま、その場から逃げる。
「マイコ、俺達も行くぞっ!」
ジンがあたしの腕を引き上げ、その場に立たせてくれるが、あたしはガクガクと震えた体を上手く支えられない。
それ所か、崖の下で動く鬼から目が離せないのだ。
鬼はこちらを見て、確実に距離をつめてきている。
怖いっ!!
殺される!!
「マイコ!!」
ジンがあたしの腕を持ち、乱暴にその場から引き剥がす。
鬼はあたしの視界から消え、その代わり、大きな金切り声が辺りに響いた。
鬼の咆哮だ。
その言葉は何も分からないが、まるであたし達に恨みでも言っているかのようだった。
置いていくな。
お前達を喰ろうてやる。
そう叫んでいるようだった。
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