死人魂
(side:K)



「きっとその蜘蛛の巣は……ここに伝わるあの怪談に関係あるのよ」
 僕らが赤い蜘蛛の巣らしきものを探っていると、ぽつり、とアヤカの口からか細い声が零れた。
「……え?」
 マイコが真っ青な顔をし、アヤカをゆっくりと見やる。
 アヤカはマイコを見返し、ふわりと笑った。さっきの言葉とはあまりにも不釣合いな笑み。
「アヤカ? 何を言い出すの?」
「だってそう考えるのが普通でしょ? あの怪談に出てくる女性の血……その蜘蛛の巣に伝っているのは彼女の血!」
 くすくすと忍び笑う。そんなアヤカを呆然と見詰める僕ら。どこか恐ろしいためか、口を出し辛く──何も言えず、アヤカの地を這うような声で紡がれる身も凍るような言葉に、ただひたすら耳を傾け続けた。
「恨めしや、憎らしや! 見よ、この滴る血、千切れた肉、崩れた顔を! よくも私をこんな姿にしたな! 許さぬ! この私をこんな目に遭わせた──贄にしようとした愚かなる者たちよ! この蜘蛛の巣に掛かれ。さすれば私が食ろうてやる!」
「……やだ、もうやだぁ!」
 両手を広げ、何かにとり憑かれたかのように、高らかに笑う。異常だった。そんな彼女を見て泣きそうになっているのはマイコだ。
 僕は呆然とする頭を叱咤し、笑い続けるアヤカを止めようとした。このまま放っておけば、女性二人が壊れてしまいそうだ──と思ったのだ、が。
「なーんて、ね。……怖かったかしら?」
 ぴたりと笑うのを止め、今度は悪戯っぽく舌を出し、微笑む。
「……え?」
「……アヤカ?」
 涙を浮かべていたマイコと、アヤカを止めようとしていた僕から、マヌケな声が出た。
 そんな僕らを見たアヤカは、楽しそうにしている。
「ごめんなさい、やりすぎたかしら? ちょっと驚かそうと思っただけなんだけど」
 からからと笑うアヤカは、いつもの彼女だった。どうやら本当に驚かそうとしただけのようだ。
「も、もう……! ひどいアヤカ! あたし……本当にっ……」
「ったく、冗談キツイぜお嬢様よぉ」
 ケンジは舌打ちし、忌々しげに呟いた。が、その表情には僅かな安堵が見える。
 ジンはというと、ついていけなかったのか、ぽかんと口を開けたまま突っ立っていた。
「ふふ。ごめんなさい。でも、盛り上がったでしょう?」
「……アヤカのは、冗談に思えないんだよ」
 つん、と鼻を指で突いてやると、アヤカははにかんだ。
「キョウスケも驚いたのね。ふふ、何だか嬉しいわ」
「おいおい」
 全く懲りていないのか、アヤカは僕の腕に細い腕を巻きつけ、嬉しそうに言った。
「さぁ、帰り道へと参りましょう。帰りはちょっと足場が悪いから、気をつけて」
「君が一番気をつけなきゃダメだよ。さ、手を……」
 すっと掌を差し出すと、当たり前のように白い手が重なった。その手は温かい。ちゃんと生きている、何者にもとり憑かれてなどいない──そう確信できる体温。
「──さぁ、行こう」
 僕らは蜘蛛の巣に背を向け、肝試しの続きをするために──別荘へと帰るために、歩き始めた。

「うぉっ!」
 先程のアヤカの見事な芝居からずっと口を閉ざしていたジンが、転びそうになって声を上げた。
 どうやら石に躓いたらしい。
「大丈夫かい? ジン」
 振り返って彼に声を掛けると、ジンは苦笑して手を挙げた。
「大丈夫だ。……かなりビビッたけど」
 胸を撫で下ろしながらジンはほっとした笑みを浮かべた。微かに顔が青ざめて見えるのは、きっと気のせいではないだろう。
「もう、びっくりさせないでよ」
 ジンの隣を歩いていたマイコも、ジンが転びそうになって驚いたのだろうか。ジンの頬を抓って、思い切り引っ張っていた。
「しょうがねぇだろ! ここ、ゴツゴツした石が多いから、躓きやすいんだよ」
「ジンが不注意すぎるんじゃない? ジン以外は誰も転びそうになってないもの」
 ほら、と前方を歩く僕とアヤカ、そしてケンジを懐中電灯で示しながら言うマイコ。ジンはぐっと言葉に詰る。そうしているうちに僕らと二人の距離は、どんどん開いていく……。
 そして、とうとう話し声が小さくしか聞こえないほど、距離が開いてしまった。こちらからは姿も見えないほどに。
「……お、お前が俺にくっついてるから歩きにくいんだよ」
「ちょっと! あたしのせいにするの? ひどいよ」
 微かに聞こえてくる会話から、喧嘩になりそうだ──と感じた僕は、アヤカにちょっと待ってて、と合図し、言い争いを始めた二人の傍に駆け寄った。
「大体なぁ、お前は怖がりすぎるんだよ。マネキンとか、変な蜘蛛の巣はあったが、あれは人為的なものであって、変なものじゃないんだ」
「た、確かにそうかもしれないけど! それでも怖いんだもん! それにジンだって怖がってたでしょ!」
「二人共、落ち着いて」
 間に入って止めようとするが、ジンとマイコの目には、僕は映っていないようだ。
「俺がいつ怖がったよ!」
「マネキン見た時、真っ青だったでしょ。あたしより怖がってた! このヘタレ!」
 ぎゃあぎゃあと悪口の応酬が続く。肝試しの怖い雰囲気はどこへいったのか──いつもの、日常の空気が辺りを包んだ。
 それにホッとしていないと言えば嘘になる。
 だが、今は肝試し中だ──明るい雰囲気も好きだが、今はこの恐怖を味わうべきだ──この肝試しに張り切って参加しているアヤカは、そう思っているに違いない。
「ほらほら、喧嘩はストップ。肝試し中なんだよ。今はこの恐怖を楽しもうじゃないか」
 僕ができるだけ優しくそう言うと、二人は揃って不安げな顔をした。思わず笑ってしまいそうになる。
「……キョウスケはいいよね。怖がりじゃなくて」
「そうかい? 僕も怖いけどなぁ」
「嘘吐け。マネキンの時も蜘蛛の巣の時も冷静だったじゃねぇか」
 ジンの言葉にうんうんと頷くマイコ。
 さっきまで喧嘩していたとは思えないほど息が合っているし、考えが似ている。やはりこの二人は相性がいいのだろう。
「そうかなぁ。怖かったよ?」
「いや。怖がってねぇよ。……なんか、悔しいな」
「だよね……キョウスケの怖がってるところとか、取り乱してるところを見てみたいかも」
「おいおい、勘弁してくれよ」
 だんだん悪戯っぽくなっていくジンとマイコ。
 僕はもしかしたらこの肝試し中に、この二人に何か仕掛けられるかもな──と邪推した。
「キョウスケは何を怖がるかなーっと!」
 険悪な空気が消えた途端、いつもの調子を取り戻したジン。それはマイコも同様、少し余裕のある表情に戻っていた。
「なぁ、何が怖いと思う?」
 安堵した僕は、少し先で待つアヤカの元へ帰ろうとしたが、ジンの質問に足止めされた。
「うーん、そうだね……さっきのふたつは君が言った通り人為的なもので、過去ここで肝試しした人達の仕掛けだろう──そう考えればあまり怖くない。……だから、そうでないもの──例えば、人魂とか見えたら怖いかもしれないね」
 僕は、冗談交じりで答えた。決して、人魂が見たいと言ったわけではない。
「──きゃあああ!!」
「…………!?」
 ……そんなくだらない冗談を言っていた直後に聞こえたアヤカの悲鳴の原因を知った時、僕は、アヤカからほんの少しでも離れてしまったことを後悔した。
「どうした!? ……アヤカは!?」
 慌てて僕らは、先を行っていたアヤカとケンジの元へ向かった。が、アヤカとケンジが待っているであろう場所には、ケンジしかいない。
「おいケンジ! アヤカどこに行ったんだ!」
 ジンがケンジに食って掛かる。そんな暇があったら捜してくれ──そう思いながら僕は、懐中電灯で辺りを照らし、アヤカを捜す。
「そ、それが……」
 掴み掛かられたケンジの顔色は少し悪い。……嫌な予感がする。
「ジン、落ち着いて。ケンジ。何があったんだい?」
 ざわざわと押し寄せる不安を抑え込み、僕は冷静さを装ってケンジに訊く。
「……ひ、火の玉」
「は?」
「火の玉が、浮いてた。四つだ。……しかも、本物みたいだった!」
 青ざめたケンジの顔を見る限り、彼が嘘を吐いているとは思えない。が……火の玉とは。ありえないだろう。
「どんな火の玉だったんだ?」
 懐中電灯で辺りを照らしながらジンが問う。そうこうしている間も、僕はアヤカの姿を捜していた。
「あ、青白い火だった。オレもアヤカも、びっくりして……そ、それで」
「青白い火の玉……もしかして、人魂か?」
 さすがホラー作家といったところか、ジンは冷静に推理する。
「そ、そうだよ。ありゃ人魂だ」
 頭を抱え、唸るケンジ。よほどリアルだったのだろう、心底驚愕しているようだった。
「……人魂であれ何であれ……ケンジ。アヤカは? アヤカはどうしたんだ?」
「あ、あぁ……アヤカは……人魂にかなりビビッたみたいでよ……そこ。その斜面を滑り落ちちまったみてぇだ」
 ケンジの指差す暗闇を照らす。そこは急斜面になっていて、落ちたら最後、落下は免れないであろうことが見てわかった。
「何てこった……」
 ジンも僕に続いて斜面を覗き込む。僕はいてもたってもいられなくなって、懐中電灯を斜面の下に向かって照らし、
「アヤカ、無事か!? 無事なら返事を──そうだ、懐中電灯を点けてくれ!」
 と叫んだ。
 最悪、打ち所が悪くて意識を失っているかもしれない。
 そう考えると、背筋がぞくっとした。
「アヤカ!」
 もう一度、大声で名前を呼んだ。すると、下からチカチカと灯りが見え始めた。
「……スケ、キョウスケ!」
 小さいながらも、アヤカの声も聞こえる。どうやら無事のようだ。
「よかった、アヤカ! ……すぐそっちに行く!」
 アヤカは足が悪い。自力でこの斜面を上ることは不可能だろう。僕は斜面下にいるアヤカを迎えに行くべく、そっと足を斜面に乗せる。
「キョウスケ、気をつけて!」
 ジンの背に隠れていたマイコが心配そうに声を上げる。僕は少し微笑んで頷いてみせると、ゆっくりと斜面を下りていった。
「──大丈夫かい?」
「……えぇ。膝と腕を擦り剥いたけど、頭は打ってないわ。平気よ」
 アヤカの元へ辿り着いた僕は、細い体を抱き寄せ、囁くように訊いた。そんな僕に甘えるように擦り寄ってきたアヤカは、安堵したのか、落ち着いた声で答える。
「それにしても……こんな場所があったんなんてね。やはり、足元には気をつけなきゃ駄目だね」
 アヤカの滑った斜面は相当急で、今、僕らがいる下からでは上の様子が全くわからない。見えないのだ。
「……罰が当たったのかしらね」
「……え? 今、何て?」
 ぽつり、と零した言葉。それはどこか自分を責めるような──自虐的なものに聞こえ、僕は思わず聞き返していた。
「ほら、私……さっき、マイコを怖がらせちゃったでしょう? ちょっとやりすぎたかな、って自分でも思ってるし……きっとあの人魂も、『調子に乗るな』って、幽霊が怒ったんだわ」
「…………」
 どうやら人魂が出たというのは本当らしい。ケンジならともかく、アヤカが嘘を吐くわけがない。
「それに、こんな馬鹿なことして……神様が『やめなさい』って言ってるのかもしれないわ。……だからかしら、こんなに……不安なのは。すごく、嫌な予感がするのは……」
 それだけ言って俯くアヤカ。そんな彼女の細い肩を掴み、優しく囁く。
「……アヤカ。君は……後悔してるのかい?」
「…………」
 僕の言葉に、一瞬目を見開いた──が、すぐに伏せ、ゆるゆると首を横に振った。
「そう。ならいいじゃないか。君には、僕がついてるんだ。大丈夫だよ……さぁ、もうすぐ肝試しも終わるよ。行こう」
 僕が安心させるように言うと、アヤカはようやく、立ち上がろうとした。擦り剥いた膝から血が流れる。
「さぁ、上ろう……と、言いたいところだけど……ここを……君を抱えたまま上るのは……僕一人では無理だ」
「そんな、どうするの?」
 実際、一人でアヤカを背負い、斜面を上るつもりだった。が、思っていたより下から見る斜面は急で……一人で行くには厳しい。
 僕が両手を使えば上がれなくはない──かもしれない。が、腕を怪我したアヤカに、僕にしがみつく力があるかと訊かれれば、答えは否、だった。
 誰か呼ぶしかない。それも男手。……ジンかケンジを──どちらかというと、ケンジがいいだろう。
 彼の方が、体格がいいのだ。
「助けを呼ぼう。……ケンジ!」
 大きな声で呼ぶと、ケンジの金髪がちらりと見えた。
「どうした!? 無事か!?」
 珍しく心配そうな声が返ってくる。アヤカの傍にいながら彼女を守れなかったことを、少し後ろめたく思っているのかもしれない。
「無事だ! でも、ここを上れないんだ。悪いけど、下りて手伝ってくれ!」
 答えは返ってこなかったが、僕の申し出を受けたらしく、ケンジはすぐ下りてきてくれた。
 時間をかけながらも、協力して三人共に斜面を上ったその瞬間、目にしたのは、真っ青な顔のマイコと、それを心配そうに見詰めるジンだった。
「アヤカ……!」
 上ってきた僕らを見た途端、マイコの表情が安堵に変わる。が、その足は覚束無く、どうしてか、肩で息をしているマイコはとても辛そう──苦しそうでもある──だった。
「マイコ! ……どうしたの? 苦しいの? 具合が悪いの!?」
 自分の怪我もそっちのけで、アヤカがマイコを抱き締める。マイコは首を振るだけで何も言わない。
 代わりにジンが、
「お前らが上ってる間にさ、人魂が見えたんだよ。それでマイコ、ビビッちまって。パニックになって泣き喚いたから、宥めてたんだよ」
 説明する。
 ……そんな彼も、汗びっしょりだった。必死にマイコを宥めてくれたのだろう。
「ごめんね、マイコ……私のせいで」
「……アヤカのせいじゃないよ。ごめんね、あたしも……心配かけて。アヤカも無事でよかった」
 ぐす、と鼻を啜る音。泣いているらしいマイコの目元は赤かった。
「でもね、あたし……もう、ホントに……帰りたい。別荘に帰りたいの」
「……そうよね。行きましょう。出口はもう、すぐそこだしね」
 この廃寺の地図は、僕とアヤカの頭の中にしっかりと刻まれている。何度も何度も見て、迷わないようにしっかりと記憶したのだ。
 だから、アヤカの言うことは正しいのだろう。もうすぐ、肝試しが終わる。
「……マイコ、私と手を繋いでおきましょう。……ね?」
「……うん」
 きゅっと白い手が結ばれる。そんな穏やかな女性二人を見て、僕ら男性陣は何だかほっとした。
 が、その安心はほんの一瞬で消え去った。
「……どうして……」
 溜息のような、絶望を感じさせる声で呟き、座り込んだのはマイコ。
「何で……」
 混乱しているのが手に取るようにわかるのはジン。
「……おい、ここ……閉めてなかったよな?」
 不思議に思いながらも、やはりどこか楽しそうにしているのは、ケンジ。
「……一体、どうして……」
 きゅっと僕の服を掴み、恐怖に顔を歪めているアヤカ。そしてその彼女の肩を抱きながら、ただじっと、閉じられた扉──閉めなかったはずの入り口の扉が閉まっている──のを見ているのは、僕。
 その時僕は、地獄に置き去りにされたような──そんな気分だった。



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