大蜘蛛
(side:M)



 体から熱が奪われたかのようだった。
 寒くて怖くて、カタカタと体中が楽器のように音を出す。
 そのせいで持っていた懐中電灯が手からすり抜け、カランッと音を立てながら地面へと落ちた。
 だけど、目の前にあるものは他の誰かの手によって照らされている。
 まるでそこだけ真昼のように煌々と。
「な、なん……何よ、コレ」
 カラカラに干上がったあたしの口から出た言葉はこれだけ。
 頭は真っ白で、これ以上の言葉が出ない。
 だけど目の前にあるものは、光のない瞳でこちらにいるあたし達を見ている。
 まるで恨みでもあるかのように。
「ただのマネキンだね。でも、この斧は本物だな。誰がこんな事を……」
 凍りついたあたしをよそに、キョウスケは照らし出されているマネキンに近づき、ジッと見つめる。
 観察をしているのか、懐中電灯でマネキンを色々な角度から照らし、斧にもじかに触れた。
 その顔には恐怖と言う表情が一切ない。
「こりゃ、誰かの悪戯か? それとも鬼の仕業か? さすが肝試しに使われるだけあるな」
 ケンジは楽しそうに笑いながら、キョウスケと同じようにマネキンへと近づいた。
 そしてマネキンに懐中電灯を向けると、点けたり消したりして遊んでいる。
 無表情で分析をするキョウスケとは対象的で、この雰囲気を思い切り楽しんでいるのがよく分かる。
「絶対に誰かの悪戯だわ。肝試しのスポットとしてはある種有名だから……。だから大丈夫よ、マイコ」
 震えるあたしの恐怖心を和らげたのはアヤカだった。
 キョウスケやケンジの予想をきっぱりと断言し、あたしの落とした懐中電灯を拾って渡してくれる。
 そして優しくあたしの頭を撫でてくれた。
 大丈夫だと言わんばかりに。
「確かに何処にでもあるようなマネキンだし、アヤカの言う通りだね」
 キョウスケもアヤカの言葉に頷き、マネキンから目を逸らすと、ニッコリと柔らかい笑みでこちらを見た。
 その横でケンジがつまらなそうに舌打ちをしている。
 ケンジにとっては面白くない結論だったのだろう。
 だが、その表情があたしの方を見た瞬間に変わった。
 ニタリと音でも出そうな位口角を上げ、あたしの近くを指差す。
「おいおい、マイコにしがみつかれた相手がそんな顔してどうすんだよ?」
「えっ?」
 あたしはケンジの言葉ですぐにしがみついた相手――ジンの顔を見た。
 今まで自分の恐怖心ばかり先に出ていて、ジンの事なんて全く考えてもいなかったが、その顔を見て溜息すらでそうになった。
 だって、ジンはあたしより真っ青な顔をして、冷や汗をかいていたから……。
 思わず掴んでいた腕を離し、思い切り足を踏みつけてやる。
「ぎゃっ、いってー!!」
 あたしに足を踏んづけられたジンは、大袈裟にジャンプをし、右へ左へと動き回る。
 その姿をケンジが大笑いをしながら指を差した。
「てっめ、何すんだよ、マイコ!!」
「だって、守ってくれるんじゃないの!? こんな事に驚いてこの先どうすんのよ!! ばっかみたい!!」
 足を踏まれて文句を言ったジンだけど、あたしの言葉で二の句が継げなくなったらしい。
 ジッとあたしを睨みつつも口ごもり、最後は肩を落としてしまった。
「まぁまぁ、人間誰しも怖いものはあるんだし、先は長いから仲良くいこうよ」
 あたし達の間に入ったのはキョウスケだ。
 眉尻を下げ、困りつつも優しい口調であたしとジンを宥める。
 その横でアヤカも小さく頷きながら、あたしの手を握ってくれた。
 あったかい手が重なり、少しずつイライラが溶けていく。
 だが、その瞬間、近くからガンガンッと何かがぶつかる音が響いた。
「何だ……って、ケンジ!! お前何してんだよ!?」
 ジンが音の出ている方を振り向いた瞬間、目を見開き、すぐに音を出していた張本人――ケンジの元へと駆け寄った。
 そして、そのままケンジの肩を掴むが、掴まれた本人はジンへ視線を変える事なく、楽しそうに何かを蹴りつけていた。
「怖いならこうすればいいだろ?」
 嬉しそうに笑いながらケンジが蹴っていたもの――それはあのマネキンだ。
 ケンジに蹴られたマネキンは、顔がどんどんと汚れ、へこんでいく。
 手も足もあらぬ方向へと曲がり、一部はちぎれそうだった。
 だが、刺さっている斧が重いせいか、頭だけは固定され、体だけが糸の切れた人形のようにフラリフラリと動く。
 マネキンだと分かっていても、それは気分のいい光景ではない。
 気持ち悪くて胃の中の物が押し上げられてきそうだった。
「ケンジ、そんな事している余裕はないよ。さっきも言ったように、先は長いから進まないとね」
 ケンジの行動を止めたのはジンではなく、キョウスケの言葉だった。
 その言葉を聞いたケンジは、つまらなそうに蹴るのをやめ、生返事だが、キョウスケに対して了承の言葉を返す。
「さすがキョウスケの一声」
 あたしは小さな声でアヤカに呟く。
 するとアヤカは目を細めて微笑むと、視線を先へと向けた。
「ちょっとしたトラブルはあったけど、肝試しらしくなってきたわね。さぁ、先へ進みましょう」
 アヤカは懐中電灯を先へと向けると、ゆっくりと歩き出す。
 キョウスケは急いでアヤカの横へと走り寄ると、その手を取った。
「さーて、次は何に会えるかなぁ?」
 ケンジが意地悪く笑いながらあたしとジンの顔を交互に見た。
 そしてすぐにキョウスケの後ろへと走り、あたし達を置き去りにする。
「ちょ、ちょっと待って!! ほら、行くよ!!」
「あ、お……おう!」
 あたしは慌ててジンの腕を掴むと、キョウスケ達の元へと走った。
 こんな気味の悪い場所で一人置き去りなんて絶対に嫌だ。
 ヘタレでもジンといる方がいいし、それ以上にキョウスケやアヤカがいる方がもっと安心する。
 ケンジも肝試しに関してはそこまで怖くないらしいから、変な事さえしなければ頼もしい。
 さっきの出来事で怖さが和らいだのはあるが、それでも寒気は何故か取れなかった。
 ゾクゾクと骨の芯から放出されているようで、服を着ても、体の表面を擦っても、寒さは残る。
「大丈夫か?」
 そんなあたしにジンは声をかけてきた。
 こういう時、ジンは人の感情に気付くのが鋭い。
 さすが物書きだと尊敬してしまいそうになる。
 ……関係ないかもしれないけれど。
「だ、大丈夫よ。皆がいるし、それによく見れば怖くないもん!」
 あたしはひたすら普通にしようと、いつも通りに声を出し、怖いものなんてないと言い聞かせて辺りを見回す。
 だけど、残念な事に目の前は墓石だらけ。
 何処を向いても壊れた墓石があたしをせせら笑うかのようにそこに突っ立っていた。
 さっきまで伸び放題の草だけが存在する広い敷地だったのに……。
 この変化はあたしの気持ちをへし折るのに十分すぎる程インパクトがあった。
 思わずジンの腕をギュッと力一杯握りしめる。
「いってー! もう少し手加減しろよ!! さっき怖くないって言ったの誰だよ!?」
「ううう、うるさいわね!! ジンが凍り付いて動かなくならないようにわざと握ったのよ、わざと!!」
 あたしは精一杯の嘘を吐いてジンの腕を放し、前を歩いていたアヤカへと思い切り走った。
 こういう時は絶対にアヤカの近くの方がいい。
 アヤカは幽霊が見えるからか、こういう雰囲気をあまり怖がったりしないからだ。
 ジンの文句が後ろから聞こえるが、この際無視を決めこむ。
「マイコ、ジンを置いてきちゃったの? 駄目よ、五人バラバラになったら大変だわ」
 急いでアヤカの横へ並び、何も言わず息を整えているあたしに、アヤカは困ったような顔をした。
 だけど、それを止めるようにキョウスケが首を横に振る。
「大丈夫、ジンもすぐ来るから。それにこっち側の墓地は、数が少ないからすぐに抜けるよ。だから安心して、マイコ」
 キョウスケがふんわりと優しく微笑み、懐中電灯を少し前へ向けた。
 確かにキョウスケの言う通り、懐中電灯が照らしている所は、墓地らしい墓石が見当たらない。
 だけど、あたしはキョウスケの言葉に嫌な予感を感じてしまった。
 物凄く嫌な予感が……。
「あのー、もしかして、行きのルートと帰りのルートって違うの?」
 あたしは恐る恐る嫌な予感を質問として投げつけてみた。
 するとキョウスケとアヤカがお互い顔を見合わせて目を丸くしたかと思うと、二人して面白そうに笑い出した。
「ごめんなさい……マイコ知らなかったのね。実は門から外壁に沿うように、反時計回りで進んでいるの。行きと帰りの道が同じだと面白くないでしょ?」
 アヤカは笑いを堪えるかのように口元に手をやりながら、あたしに説明してくれた。
「ここの廃寺、実は二箇所墓地があって、行きと帰りで両方通れるようにしたんだよ」
「へー、そりゃ楽しみだな」
 キョウスケの分かりやすい説明に、ケンジが楽しそうにニヤニヤと笑いながら頷いた。
 その視線はあたしを思い切り見ている。
 だけどその視線なんて、今のあたしにはどうでもいい。
 まさかルートが違うなんて聞いていなかったから、あたしの緊張が更に高まり、頭が真っ白で、耳に痛い程心臓の音が流れてくる。
「……はぁ。オレ……を、置いて……くなよ」
 そんなあたしの状況など知らないジンが、今になってここに到着した。
 固まりきったあたしを見て、ジンは息を整えながらも首を傾げている。
「あら、墓地を抜けたわ。ちょうど五人揃った所で抜けるなんて、素敵な偶然ね」
 アヤカは嬉しそうにポンと手を叩き、微笑む。
 その言葉にあたしも我に返った。
 慌てて周りを見ると、確かに先程まであったたくさんの墓石があたしの後方にしか存在していない。
 ホッと胸を撫で下ろし、視線を前へと向けると、そこには闇夜に紛れるかのように大きくて黒い物体――本堂が姿を現していた。
「けっこーでっかいな。さすがこれだけの敷地の中にあるって感じで雄大だ……壊れていなければ、だけどな」
 ジンが額に手をかざしながら前に建っている本堂に目を凝らした。
「このお寺はこの地域に一つしかないお寺だったのよ。だからこれだけ大きいの。でも、山奥だし、若者は都会に行ってしまって、どんどんと過疎化が進んだからこんな事になってしまったのよね」
 アヤカは本堂を見ながら、寂しそうにポツリと呟いた。
 あたしもジンにならい、懐中電灯を本堂へと向け、色々な場所を照らした。
 穴だらけの屋根に、壊れ放題の戸。
 中を覗けば畳が所々見えるが、そこにも誰かが来ていたのだろう、お菓子の袋や空き缶が散乱していた。
「廃寺なんかにならなければ、大きくて厳かな雰囲気のある寺だったんだろうな」
 ジンが懐中電灯でくまなく照らし、まるで観察するかのように歩きながらお堂を見ている。
 大きな板間の部屋はおそらく仏様が祀ってあったのだろう。
 大きな囲いと天井から釣り下がっている装飾品が静かにそこに佇んでいた。
 でも、ここにも誰かが入ったらしく、天井から釣り下がっている装飾品は手が届きそうな所までは根こそぎ壊され、落書きがされている。
「きっと金色に輝く仏様が祀ってあったんだろうな。……って、あれ?」
「何、どうしたの?」
 ジンが首を傾げ、元は仏様が祀ってあった場所を注視した。
 そして、懐中電灯をクルクルと回しながら、その場所を照らす。
 すると、懐中電灯に合わせ、時々キラッと何かが光った。
「何だ、アレ?」
 ケンジが照らし出された場所をジッと見つめながら、靴を履いたまま中へと入っていく。
 ケンジが一歩前に進むたびに、板がギギッと嫌な音を立てて入るものを拒んだ。
 だが、そんな事ケンジには関係ないらしい。
 いつも通りの歩きでスタスタと中へ入り、途中、抜けてしまった床に足を取られそうになりつつも、すぐに回避して、キラキラと光っている所まで楽しそうに進んでいく。
「ケンジ、大丈夫かい? 何か見つけたのか?」
 そんなケンジを心配してか、キョウスケがケンジの近くへと歩く。
 キョウスケも同じように普段と変わらない歩きをしているのだが、キョウスケの場合、元々音を立てないように指導を受けていたのか、全くと言っていいほど音が出なかった。
 まるで忍者のようだ。
 キョウスケとケンジは二人でその場に立つが、何も言わない。
 懐中電灯をクルクルと回し、キラキラと光る物体をジッと見つめている。
 その様子があまりにも只ならぬ雰囲気で、恐怖心よりも先に気になってしまい、あたしは知らずに中へと足を踏み出してしまった。
 ギシギシとなく床に気を付けながら体重移動をする。
 そして何とか二人の横へ辿り着いた時、ケンジがポツリと言葉をこぼした。
「なぁ、キョウスケ。これって蜘蛛の巣か?」
「えっ?」
 ケンジの言葉に反応したのはあたしだった。
 ケンジがジトッとあたしを睨むのがよく分かる。
 あたしになんて聞いていないって思っているんだろう。
 慌ててあたしは視線を前へ向け、持っていた懐中電灯をゆっくりと移動させた。
 キラキラと光る物体――それはケンジの言う通り、細い蜘蛛の巣のようだった。
 天井や床からピッと伸び、綺麗な六角形を描いている。
「まさか、大きな人食い蜘蛛が住んでいる……とか?」
「ぎゃっ!! やめてよ、そういう冗談!!」
 ケンジの冗談ともとれない恐ろしい言葉に、あたしは思わず怒鳴ってしまった。
 ケンジはあたしの表情を見て思い切りケラケラと笑っている。
 しまった、遊ばれたようだ。
「だけどこの糸、色がおかしくないか? それに何だかドロドロしているように見えるんだが……」
 そう言ってあたしの横に並んだのはジンだった。
 いつの間にかここにきたらしい。
 手を伸ばし、糸に触れようとする。
 だが、それはキョウスケによって阻まれてしまった。
「ジン、危ないよ。これ、恐らくピアノ線だ」
 キョウスケはジンの手を優しく下ろさせると、自分の人差し指を出し、蜘蛛の糸にゆっくりと触れ、ジンの言っていたおかしな色を静かに指の腹ですくう。
 そしてそれをあたし達の前へと見せてくれた。
「これ、赤いな……もしかして、血?」
 キョウスケの指を見て、ジンがポツリと呟いた。
 ジンの懐中電灯に照らされたキョウスケの指は、赤々と光り、そしてその赤はドロリとキョウスケの指を伝う。
 指を伝った赤い物体は、音も出さずに床へと小さな赤い染みをつけた。
 それはまるでキョウスケが手を怪我したかのようで、体から一気に血の気が引いていく。
 その光景をアヤカが見ていたら、おそらく泣きながら治療をしようと騒ぐだろう。
 だが、そのアヤカは段差に手間取っているのか、この場所から離れた所でこちらを見ている。
 その表情はよく見えないが、月の明かりがアヤカを照らし、何処か不気味に見える。
 どうしてだろう……?
 アヤカがそこに立っているだけなのに。
 ああ、そうだ、アヤカに聞いた怪談話のせいだ。
 あのお話の中に出てきた女性と、その女性が流す血で作られた蜘蛛の巣と、今、目の前にある光景を同一だとあたしが錯覚を起こしたからだ。
 だからアヤカすら不気味に見えてしまったのだ。
 あたしはブンブンと頭を大きく振り、違うと言い聞かせた。
 違う、違う。
 何度も言い聞かせて頭を麻痺させる。
 だけど、どうしても消えない。
 あたしは思わずアヤカを見た。
 するとよく見えない筈のアヤカの表情が一瞬見えた気がした。
 ニコリとこちらの様子を見て微笑んでいるようにみえた……気がする。



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