地獄門
(side:K)
コンコン、とドアがノックされた。
はい、と返事すると、ジンがゆっくりとドアを開けて入ってきた。
「どうしたんだい、ジン?」
「キョウスケ、虫除けスプレー持ってねぇ?」
蚊に刺されたのか、赤くなった腕をポリポリと掻くジン。あまり掻かない方がいいのだが……注意しても、痒みには勝てないだろう。
「持ってるよ。これから肝試しだからね、刺されるかもしれないから、ちゃんと持ってきた」
「さっすが。悪いけど貸してくんねぇ? 忘れちまったんだ」
ほら、と刺された患部を僕に見せるジン。そこは腫れて赤くなってしまっていた。
「いいよ。はい」
「サンキュー」
スプレーを受け取り、ジンは部屋から出ていこうとする。
恐らく、僕の部屋──といっても、ここはアヤカの別荘なのだが──で、スプレーするのは悪いと思ったのだろう。
「いいよ、ここでしても。……あ、でもひとつ、警告しておくよ」
「え? 何だ?」
僕の言葉を聞き、不安そうな顔をするジン。今既に、肝試しのことが気になって仕方がないのだろう、表情に若干、恐怖が見える。
「暑いだろうけど、長袖着て行った方がいい。あと、短パンもやめておくべきだね。蚊は勿論……マムシが出ないとも限らない」
「マ、マムシ……」
「ここは山だからね」
にこっと笑うと、ジンが引き攣った笑みを浮かべる。
「タオルを首に掛けておくこともおすすめするよ。汗が拭けるし、首を蚊に刺されないようにするために」
「……おう。わかった。……あー」
「……まだ何か?」
ついさっき受け取ったばかりのスプレーのことをすっかり忘れてしまっているのか、ジンは何か言いたげに、入り口で立ち尽くしている。
「早くしないと、肝試しの時間になるよ?」
「……あぁ、わかってる。……あのよ、キョウスケ」
「ん?」
ジンの視線が彷徨う。その顔には、不安と恐怖と……そして、緊張が浮かんでいた。
「……俺、心配なんだ」
「……心配?」
タオルを首に掛け準備万端な僕は、ジンの背を押し、部屋から出る。
耳だけはジンに傾けたまま。
「何が心配なんだい?」
僕にされるがままになっていたジンが、小さな声で答える。
「……無事に、肝試しを終えることができるかどうか……心配っつーか、不安なんだ」
「──怖いのかい?」
その時の僕の声は、自分でも驚くほど低かった。ジンの肩がピクリと反応する。
「……お前は、怖くねぇの?」
ジンは振り向かない。僕からは彼の表情は見えなかったが、恐らく青ざめているのだろうな、とボンヤリ考える。
「なぁ、どうなんだよ!?」
声を荒らげ、拳を握る。が、こちらを向くということはしなかった。
──何をそんなに怖がっている?
俯いてしまったジンが何だか可哀相に思えてきて、僕は彼の肩を優しく叩き、
「怖くないよ? 僕がいるんだから、安心しなよ」
と、囁くように告げた。
「皆、懐中電灯は持ったかしら?」
別荘の玄関前。
着替えを済ました全員が揃っている。皆、長袖長ズボンだったが、ケンジだけはタンクトップに短パンという出で立ちだった。
「持ったよ。これ、電池入ってるよね?」
アヤカが配った懐中電灯が点くかどうか確かめるマイコ。スイッチを入れると、ぱっと明るい光が地面を照らした。
「あ、点いた」
「当然よ。セバスチャンがこの日のために、新しく買ってきてくれたものだもの」
暗がりの中、アヤカが妖艶に笑う。それは美しかったが、暗闇のせいかほんの少し、不気味にも見えた。
「でも、怖いなぁ……不安だよ、あたし」
「大丈夫よ。頼もしい男が三人もいるのよ?」
くすくす笑うアヤカ。
マイコは僕、ケンジ、ジンの順にそれぞれの顔を見た。僕とケンジの時は普通の顔だったが、ジンを見た時だけ、眉を顰めた。
「キョウスケらはともかく、ジンはヘタレっぽいよね……」
「コラ、聞こえてんぞマイコ!」
わしゃわしゃとマイコの髪を引っ掻き回すジン。マイコも嫌がる素振りを見せてはいるが、お陰で緊張は解れたようだった。
ジンも、いつもの彼に戻っていた。
「なぁ、行かねぇの?」
真っ黒な扇子で扇ぎながら、ケンジが口を開いた。
「その廃寺がどこにあるのか知らねぇけどよ、さっさと行って戻ってこようぜ」
「……そうね、行きましょう?」
面倒くさそうなケンジ。そんなケンジを、じとっとした目で見詰めるアヤカ。
「さ、マイコとジンも喧嘩はやめて。行きましょう。少し歩くから、早く行かないと遅くなっちゃうわ」
「夜の山道は危ないから、気をつけて行こう」
そう言いながら、アヤカの手を握る。
アヤカは足が悪いから、こういう時心配になる。僕は地面を照らし、ごつごつした石を避けるように彼女を歩かせた。
そんな僕とアヤカが先頭をきって歩くと、その後をジン、マイコ、ケンジがついてきた。
山道は意外にも、楽だった。僕にとっては、だが。
道──といってもコンクリートではない、獣道だ──を歩き、緩やかな坂を登っていく。
ジンとマイコは息切れしていた。ケンジも辛そうではあったが、マイコ達ほどではなかった。
「運動不足かい、マイコ、ジン?」
「うん、そうみたい……」
「くっそ、デスクワーク、ばっかしてるから、だなぁ……」
ジンの言葉は途切れ途切れ。そんな彼を心配したのか、
「少し休みましょうか?」
と、振り返ったアヤカが提案する。
「いや。その必要はないよ」
くいっとアヤカの手を引く。
彼女は僕に引っ張られるがまま、前方に目を向けた。
「──あら、本当。着いたわ」
「やっとかよ!」
汗をダラダラと流したケンジが、嬉しそうに声を上げた。
「はぁ、俺もうヘトヘト」
これからが本番だというのに、ジンはその場に座り込んでしまう。
そんな彼の腕を掴み、
「ほら、立って! 守ってくれるんでしょ!」
とマイコが叱咤する。
「へいへい。……これが廃寺か。なんか……すげーな」
土がついてしまった尻をパンパンと叩き、立ち上がるジンが呆けた顔で呟いた。
「すごいでしょう? 立派な門よね」
この廃寺を建てたのはアヤカではないのだが──何故か、彼女は誇らしげだった。
アヤカの様子に苦笑しながら、僕も廃寺の入り口である、大きな門を見上げた。
「確かに、これはすごいよね」
廃寺の入り口は、高さ三メートルほどある門によって閉ざされていた。
木造であろうその門は、ところどころに傷があり、もう何年も前に造られたものであることを物語っている。
全体的に黒ずんでいて、焦げたような痕まであり──誰かがふざけて部分的に燃やしたのかもしれない──ボロボロだった。
おまけに寺に相応しくない、鬼の顔のような装飾があった。牙を剥き、今にも門から飛び出して襲い掛かってきそうだ。
僕は、まるで地獄の門だ──そう思った。
「これ、開くのか?」
ケンジが門を開けようと、押してみる。が、ギシリと音を立てただけで、開く気配がない。
「……意外と重いぞ、この門」
今度は力を入れて押す。が、僅かに動くのみで、開かなかった。
「くそ、二人ががりでないと無理だな。おいジン、手伝え」
「おう」
呼ばれたジンがずいっと前に出る。そして、右側に立つ。ケンジは左。
「せぇーの!」
声を揃え、門を押す。
ギギィ、と嫌な音を立てて、門が開いた。
「よし、開いた!」
マイコが嬉しそうに飛び跳ねる。これから怖い怖い肝試しの始まりだということを、忘れているかのように。
「これ、二人がかりでないと開閉できなさそうだぜ。女でもいけるだろうが……男手がないと厳しいだろうな」
石で門が閉まらないように支えながら、ジンが言う。
「いいじゃない。もう開けることはないでしょ。肝試しの後に、閉めるだけだし」
怖いから肝試し中は開けっぱなしにしててね、とマイコ。
「……おいおい、逃げる気かぁマイコ?」
挑発しながらマイコを怯えさせようとするジン。懐中電灯を顎の下で点け、にやぁと口を歪めて笑う。
「ちょっと、やめてよジン! せっかく恐怖心が薄れてたのに」
ジンから懐中電灯を奪い、スイッチを消す。一人分の灯りが消え、少し暗くなった。
「マイコ、懐中電灯をジンに返して。暗いわ」
「あ、ごめんねアヤカ」
僕の腕にしがみつき、不安げに瞳を揺らすアヤカ。怖くないよ、という思いを込めて、そっと手を握ってやる。
「さて、肝試しスタートだな。で、どうするんだ? ペアになって進むのか?」
わくわくしているのか、嬉しそうな──否、いやらしい笑みを浮かべたケンジがアヤカに問う。
「……私達が何人かわかってるの、ケンジ? 五人よ、奇数。ペアは作れない」
「二人と三人に分かれるとか?」
だったら三人がいい……と、マイコは言い出しそうだった。
「いいえ、このまま五人で進むわ」
アヤカのその言葉にそれぞれが反応する。
マイコはほっとしたように、ケンジはつまらなさそうに。ジンは平静を装っているが、内心ではほっとしているのだろう。
「ルートは簡単。ここから入って、墓地の中を真っ直ぐ進む。そして本堂まで行き、そこからまた、ここへ戻ってくる。……簡単でしょう?」
「簡単っつーか……つまらなくねぇ?」
あっという間に終わってしまう。そう誰もが思っただろう。
「大丈夫よ。ここ、すごく広いもの。ゆっくり歩いて進んでも……そうね、片道十五分はかかるわ」
「往復で約三十分か。……意外と長いな」
はぁ、と溜息を吐くジン。マイコは息を呑んで、アヤカの話を聞いていた。薄れていたという恐怖心が蘇ってきたのだろうか。
「さ、行こうか」
僕がアヤカの手を引くと、皆が観念したのか、歩を進める。
僕らの足は、門を潜り──恐ろしい廃寺の地についた。
門を潜った後、一度止まり、辺りを見渡す。
廃寺のため、勿論手入れなどされていない。草はあちらこちらに生え、誰かが花火で遊んだのか、使い終えた蝋燭や灰が落ちている。
「きったねぇな。さすが廃寺」
ケンジが灰をぐりぐりと踏みつけ、馬鹿にしたように笑う。
「……人が来ることはあるみたいね。花火で遊んだあとがあるもの」
花火の形跡を見て、人がいた気配を感じたマイコの緊張は、和らいだようだ。
「……あら?」
無言でキョロキョロと廃寺内を見ていたアヤカが、何かに気付いたのか、僕の袖をくいっと引っ張った。
「どうしたんだい、アヤカ?」
「あれ、何かしら?」
アヤカが指差したのは、門から見て左手にある草むらだった。僕はそこを懐中電灯で照らし、アヤカの言う「あれ」を探してみた。別に何も見当たらないが……と思っていた僕は、
「ひぃっ!」
という、マイコの悲鳴に驚いた。
マイコも懐中電灯で草むらを照らしていたようだ。僕よりも先に、アヤカの言う「あれ」を見つけたのかもしれない。
「どうしたんだい、マイコまで……」
「お、おい…キョウスケ」
マイコにしがみ付かれたジンが、震える手でマイコの懐中電灯が照らす箇所を示す。
「見てみろ、あれ!」
「……あれって? ……っ」
言われてそこを素直に見た僕は、思わず息を止めていた。
驚いたからだ。だってそこには……。
土に汚れた子供のマネキンが、不気味に草の上で横たわっていたのだ。
長い金髪を乱すように地面に散らし、手足を放り投げ、青い目を開けたまま、白と黒のドレスを着たそのマネキンは、廃寺にはあまりにも相応しくないものだった。
そして、それはただ横たわっているだけではなかった。
そのマネキンの頭を割るように──斧が、ざっくりと食い込んでいたのである。
あまりの惨状に何も言えないでいる僕らを尻目に、ケンジが楽しそうにヒュウ、と口笛を吹いた。
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