幼馴染
(side:K)



「ゲームセット! 勝者、マイコ!」
 強い日差しが照りつける中、僕はジンとマイコのテニスの試合で、審判をしていた。
「くっそー、負けた!」
「やったぁ! アヤカ、あたし勝ったよ!」
「おめでとう、マイコ」
 ジンに圧倒的差をつけて勝利したマイコは、嬉しそうにアヤカと手を握り合って喜んでいる。
 流れ落ちる汗も気にならないほど、喜んでいるようだった。そんな彼女に負けたジンは、悔しそうにタオルで顔をごしごしと擦っている。

 温泉へ向かおうとした僕ら男性陣は、いなくなってしまったアヤカとマイコを捜していたため、温泉に入りそびれてしまった。彼女達を見つけた後、改めて温泉に入ろうと再び集まった僕らに、
「ねぇ、温泉入る前に、テニスしない?」
 そう言い出したのはアヤカだ。
 どうせ温泉に入るのなら、汗をかいた後がいいだろう……と、僕らをテニスコートへと誘ったのだ。
 勿論、僕以外のメンバーはラケットなど持ってはいない。だから、セバスチャンに頼んで、人数分のラケットを用意してもらった。
 最初、ぎこちない動きだったマイコは、飲み込みが早かったらしく、試合を開始する頃にはある程度のプレイができるようになっていた。
 ジンは、以前経験したことがあったため、練習をほどほどに切り上げ、余裕の表情でマイコとの試合へと臨んだ。完全に油断していたのだろう、彼はあっさりと敗北してしまったのだった。
「ねぇ、次は誰が試合するの?」
 日傘をくるくる回しながら、テニスのできないアヤカが僕に尋ねる。
「そうだね。ケンジ、どうだい? 僕と試合しないか?」
「……やめとく。お前って完全無欠だろ。勝ち目ねぇし」
 ラケットで肩をトントンと叩きながら、ケンジは木陰に座り込む。そういえば、彼は練習どころかウォーミングアップすらしていない。
 そんな彼を試合に引っ張り出すと、怪我をしてしまうかもしれない……そう思い直し、僕はケンジとの試合を諦めた。
「ねぇ、アヤカ。あたし、お腹空いたなぁ」
 汗をタオルで丁寧に拭っていたマイコが、テニスウェアの上からお腹をさすっている。その細い体からは、今にもお腹の虫の声が聴こえてきそうだ。
「そうね。もうランチの時間にしてもいいわね」
「やったぁ! じゃあ、戻ろうか」
「いいえ」
 別荘に戻ろうとしていたらしいマイコの袖を掴み、アヤカはにっこり微笑んだ。
「セバスチャンがお弁当を作ってくれているの。だから、ランチはピクニックよ」
「セバスチャンが!? やったぁ、セバスチャンの料理、久しぶり!」
 何でもそつなくこなすセバスチャンの料理は美味いと評判だ。僕も彼の料理は、そこらのレストランのシェフのものより好きだった。
「えー、こんな炎天下で食べんのかよ!」
 疲れて座り込んでしまっていたジンが不服そうに言う。彼は暑がりなのか、他の皆以上に汗をかいているようだった。
「いいじゃない。日焼けして男前になれるかもよ?」
 勝者の余裕が見えるマイコが、悪戯っぽい笑みを浮かべながらジンをからかう。
「焼けなくても俺は男前だよ。それより日焼けはよくないんだぞ。シミになるし、最悪皮膚がんにだって……」
「ほらジン、母親みたいなこと言ってないで……お弁当運ぶの手伝ってくれないか?」
「誰が母親だ!」
 僕が話を遮って手招きすると、ジンはツッコミ、そしてぶつぶつ文句を言いながらも、立ち上がってお弁当の入ったバッグを取りに向かう。
「あ、キョウスケ。あたし達も……」
「いいよ。僕とジンで十分だ」
 手伝おうと立ち上がったマイコを右手で制すると、僕はジンを連れて別荘へ向かった。

「……ケンジと何かあったのかい、ジン?」
「……え?」
 別荘へと向かう途中。僕はジンに静かに問い掛けた。
「何でそう思う?」
 眉を顰めてジンが僕に問い返す。僕は苦笑しながら、
「いつもは喧嘩しながらも話す君達が、目も合わそうとしなかったから」
 と答えてやると、ジンは「さすが」と観念したように呟いた。
「よく見てるよな、お前」
「そうだね。……僕も作家になれるかな?」
「おいおい、やめてくれよ。お前みたいにすごい奴が作家になっちまったら、俺がもっと売れなくなる」
 そこで、ジンと僕は顔を見合わせて笑った。僕の冗談がきっかけで、重かった空気が少し、軽くなったような気がした。
「……うん。お前の言う通り、ちょっと、な」
「そっか。……訊かない方がいいかい? 自分の力でケンジと仲直りするかい?」
「訊かないでほしいな。それに、喧嘩ってわけじゃねぇし」
「そう。だったら今まで通り、接してくれよ。じゃないと気まずいからね」
「……あぁ。悪かった。……って、お前の方が母親っぽいじゃねぇか!」
「え? そうかい?」
 とぼけてみせると、ジンはまた楽しそうに笑った。

「ご馳走様でした」
 豪勢なお弁当を食べ終えたマイコが、満足そうに箸を置く。
 その隣ではアヤカが、フキンで口元を丁寧に拭っていた。
「美味しかったよ、アヤカ」
「えぇ。セバスチャンにお礼を言わないとね」
 女性陣は木陰で、男性陣は太陽の真下で、セバスチャンの手製のお弁当を食べていた。それぞれのお弁当が入っている重箱──サンドイッチの入ったバスケットもあった──は、ほぼ空になっている。
 が、ジンとケンジは最後の一口になってしまうまで食べていたいらしく、未だに箸を置かない。
「もー、ジンもケンジも卑しいんだから!」
「だってよ、こんな豪華なメシ、今食っとかないともう二度と食えねぇかもしれないだろ!」
 口の中に食べ物を頬張りながらケンジが言う。行儀悪いわよ、とアヤカが目で訴えている。が、ケンジはその視線に気付かない。
「俺もだ。金がないから……ロクなもん食えないし。だから今回のこの旅行では、腹いっぱい美味しいもの食ってやるって決めてたんだよ」
「もう……ごめんねアヤカ。見苦しい男どもが……」
「いいのよ、マイコ。あなたが気にすることじゃないわ。キョウスケはどう? 食べれたかしら?」
「うん。お腹いっぱい食べさせてもらったよ」
 ケンジとジンがたくさん食べるであろうことは予想がついていたので、僕は予め、自分の食べる分を取り分けていたのだ。
 だから、足りないということはなく……食べたいだけ食べることができた。満足である。
「はー、食った食った!」
「ごちそうさん」
 ようやく食べ終えたのか、ケンジとジンがほぼ同時に箸を置いた。重箱の中身を見てみると、食べ物は欠片ひとつ、残ってはいなかった。
「よく食べたね」
「大の野郎三人分のはずだろ? オレにとっちゃ、少ないくらいだったぜ」
 お茶をぐっと飲み干しながら不満を言うケンジ。が、言葉とは裏腹に、その表情には満足しか映っていない。
「さ! 片付けて戻りましょう。日が暮れてしまう前に、温泉に入りたいわ」
 てきぱきと片付けを始めるアヤカに倣って、僕らも食べ終えて空になった重箱を片付けた。

「男湯はこっちだよ」
 別荘に着いて、着替えの浴衣を準備した後、僕はアヤカの代わりにジンとケンジを男湯まで案内した。
 アヤカはマイコと二人、女湯に行っている。
「なぁ、混浴とかねぇの?」
 ジンが僅かに頬を赤く染めながら言う。スケベなことでも考えているのだろうか、下品な笑みを浮かべている。まぁ、冗談だろうが。
「ないよ。残念ながら」
「ちぇっ」
 わざとらしく拗ねてみせると、ジンは脱衣所に一番乗りし、ぱっぱと服を脱ぎ始めた。
「ケンジも。入らないのかい?」
「……入るよ」
 僕に遅れてケンジも服を脱ぎ始める。ケンジの首に掛かるシルバーのチョーカーが、チャリッと音を立てた。
 その音の直後、カラリと扉の開く音がした。ジンが露天風呂への入り口を開けたのだ。
「おぉ、すっげぇ!」
 扉から、ふわりと湯気が脱衣所に侵入してくる。ケンジも顔を綻ばせ、服を脱ぐスピードを上げた。
「旅館みてぇだな!」
 露天風呂は広く、岩風呂だった。床の石畳は、温泉の湯が溢れ出たのだろうか、しっとりと濡れていた。
 白い湯気は絶え間なく立ち上り、僕らの肌に熱を少しずつ伝えてくる。
 ジンは桶を取ると、体にさっと掛け湯をし、ゆっくりと湯に足を入れた。
「あっちー! でも、気持ちいいぜ! キョウスケもケンジも早く来いよ!」
「おう!」
 さっきまでの気まずい空気はどこへやら、ジンもケンジも嬉しそうにはしゃいでいる。
「泳いだりしないようにね」
「わかってるよ!」
 僕もケンジの次に、露天風呂に浸かった。じんわりと温かな湯に包まれる感覚。
 流した汗が全て流れ、体が浄化されるような気持ちよさだった。
「天気もいいし、最高だな!」
 空を見上げながらジンが盛大に息を吐く。「オヤジかよ」とケンジが呟いた。
「……はー……生き返る」
 ポキポキと肩を鳴らし、ジンがぼそりと独り言を零した。よほど肩が凝っているのか、首を回している。
「肩、凝ってるのかい?」
「あぁ。毎日、パソコンと睨めっこしてっからな」
 ジンは一応作家だ。
 売れないといっても、何も書かずに過ごすわけではないらしい。今はネタがないんだと言って新刊を出さずにいるが、それでも何とかしようとして、毎日パソコンの前で何かしら物語を書いているそうだ。
「スランプだからって書かずにいると、鈍っちまう気がしてよ」
 腕を伸ばし、「うーん」と伸びる。ジンが動く度にお湯がぱしゃりと音を立てた。
「お前さ、作家以外には何にもしてねーの?」
 黙っていたケンジが興味深そうに訊く。自分と同じように、ジンもバイトで生計を立てているんじゃないか……そう思い、気になったのだろう。
「してねぇよ。小説以外の文章書いて、何とか生活してる。……ギリギリだけどな」
 コラム等も書いているらしい。知らなかった。今度チェックしよう──と、僕は一人、心の中で呟いた。
「そうだね。痩せてるし」
 ジンは、筋肉は多少ついてはいるものの、痩せてしまっていた。普段、あまり食べていないのだろう。
 そして、その隣にいるケンジもそうだ。こちらは筋肉すらほとんどついていない。昔は──子供の頃は、この二人は体格のいい男子だったのに。
「あーあ、大人ってしんどいな」
「……同感」
 はぁ、と同時に溜息を吐くジンとケンジ。揉めていたとは思えないほど、息ぴったりである。
 マイコとジンは男女として息が合っているが、友人としてなら、ジンはケンジと相性がいいのかもしれない。
 ……二人の間に何もなかったら、の話だが。
「子供に戻りたい?」
 僕は沈んでしまった二人に向かって問い掛ける。すると二人して、勢いよく頷いてみせた。
「子供って楽だよな」
「働かなくていいしなー。勉強は嫌いだけどな」
 ぱしゃん、と湯を叩くケンジ。跳ねた飛沫が、顔に掛かる。
「……昔もこうやって、アヤカの別荘に来たよね」
 昔の思い出に想いを馳せる。
 子供の頃も、こうやって彼女の別荘に遊びに来たことが何度もあるのだ。
「そうそう。……小学校の高学年の時だったか? ジンが女湯覗こうとしたの」
「げっ! ケンジお前、覚えてんのかよ!」
 顔を真っ赤にして、ジンが慌てる。その様子を見たケンジは、ニヤニヤと面白そうに笑う。
「あの時は面白かったよなー。お前が女湯覗こうとしたらバレて、怒ったマイコの投げた桶が、顔面にヒット!」
「……あれは痛かったな」
 ついさっき桶が当たったかのように、鼻の頭を擦るジン。
「アヤカは何もしなかったけど、カンカンに怒ってたよね。宥めるのが大変だったよ」
「あの時既に、お前らデキてたのか?」
「まさか。小学生だよ? ……まぁ、互いに好き同士だなって、わかってはいたけどね」
 ふふっと笑うと、暑いのか、ジンとケンジが手で仰ぎながら「あっついあっつい」と言っている。
「暑いなら上がるかい?」
「……いや、その『あつい』じゃねーよ。いや、わかんねぇならいいんだ」
「……?」
 何が「あつい」のか僕にはわからなかったが、ジンもケンジも逆上せてしまうようではなかったので、僕はそれ以上何も言わなかった。
「……でも、幼馴染っていいもんだな」
「え?」
 ふと零れたケンジの言葉に、僕とジンは反応する。
「いや、こうやって昔の話してっと、ガキに戻ったみたいでよ。あの頃みたいに……楽しいなぁって、何ていうか……いい気分になれるんだよな、オレ」
 何故か照れくさそうに言ったケンジに、僕とジンは顔を見合わせた。

 温泉から上がり、脱衣所で浴衣に袖を通す。
 浴衣は涼しくて過ごしやすい。それに、アヤカデザインの濃紺の浴衣は美しく、着心地もよかった。
「なぁ、キョウスケ」
 浴衣の帯を締めながら、ジンが僕を見ずに声を掛けてきた。
「何だい?」
「……あのさ。こないだ言ってた……」
「うん?」
 ごにょごにょと言葉を濁すジン。何か言い辛いことなのだろうか、なかなかその先を言おうとしない。
「何だよ、はっきり言えよ」
 浴衣をだらしなく着たケンジが、シルバーのチョーカーを首に掛けながら、横から口を挟む。
「……あのよ、廃寺の……」
「あぁ、昔話──怪談かい?」
 僕があっさりとジンの言おうとしていたことを当てると、ジンはぐっと言葉を飲み込んだ。
 怖いのだろう。怪談が。
「勿論、聞かせてあげるよ。でも、その話をするのは僕じゃない。アヤカだよ」
「アヤカが? ……あいつ、怪談上手そうだよな」
 想像したのか、顔を青ざめるジン。折角、温泉で温まったというのに、顔の赤みは消えてしまっていた。
「やだなー。怖いって、俺」
「ホラー作家の大先生が何言ってんだよ。情けねぇ」
 ジンに同情するように肩の上をポンと叩くケンジだったが、その表情は面白がっているように見えた。
「ディナー中に話してくれるはずだよ。そしてその後は、今日のメインイベント」
 楽しみだね、と微笑みかけてやると、ジンは嫌そうに苦笑した。
「肝試し……か?」
「その通り」
 満面の笑みで肯定してやると、ジンは乾いた笑い声をあげた。

「ディナーはこちらのシェフが作ったものよ」
 今回の旅行のために、アヤカの家から連れてこられた中年のシェフが、無言で僕らに頭を下げた。
 イタリア料理店でよく見る料理が、ずらりとテーブルに並んでいる。
 誰もが食べやすいように、というアヤカの気遣いにより、ディナーはイタリアンだったのだ。
 温泉だし和食にしたらどうだろう、という僕の意見は、「マイコもケンジも、それからあなたも、イタリア料理が一番好きでしょう?」と、花が咲いたような、アヤカ独特の綺麗な笑顔で却下された。
 料理の説明を終えたシェフが姿を消した後、マイコの「セバスチャンの料理じゃないのか」と残念そうに呟く声が聴こえた。マイコとアヤカ以外のメンバーもそう思っていたのか、表情にどこか落胆が見えた。
「明日の朝食はセバスチャンが作ってくれるわよ。シェフは今夜中に帰ってしまうから、ね」
 そう言って、アヤカはマイコに笑いかけた。楽しみね、という声が聴こえてきそうなほど、優しい笑みだった。
 その後はしばらく、フォークと皿が奏でるカチャカチャという音だけが、広い食堂に響いていた。
 皆、多少の疲れがあるのだろう。子供の頃より、体力が落ちてしまっているのかもしれない。
 どこかしんとした、気まずい空気が食堂を覆う。そんな空気の重たい膜を破ったのは、ジンだった。
「なぁ、アヤカ」
「なぁに?」
 フォークを置き、ジンをゆっくりと見返すアヤカ。食べながら話すということを絶対にしないアヤカは、どんなに急いでいたとしても、話をする場合は食べることをやめるのだ。
「キョウスケに聞いたんだけどよ。その、廃寺の」
 途端、マイコがばっと顔を上げる。ジン同様、怖がっている様子の彼女は、上目遣いで泣きそうな、どこか恨めしそうな顔でジンを睨みつけていた。
「あぁ……怪談のことかしら?」
「そう。ディナーん時に、お前が話してくれるって」
 ジンがそう答えると、アヤカは僕に視線を移す。その瞳には、どこか怪しい光が宿っていて、僕の胸を騒がせた。
 アヤカはしばらく僕を見詰めた後、ふっと目を閉じ、笑みを零した。

「わかったわ。話しましょう。長くなると思うから、皆は食べながら聞いてちょうだい」

 アヤカはそう言うと、赤い唇を一舐めしてから、昔話を紡ぎ始めた。



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