どろっぷとらっぷ

 
通い慣れたカフェの一角で、目の前の男の話を聞きながらストローを咥える。いつもの仏頂面はどこへやら、興奮気味に止まらないマシンガントークを繰り広げられ、流石の俺も苦笑いだ。ストローの先を齧りながら相槌を打っていると、不服そうに目を細め睨まれる。

「…おい、聞いているのか高尾」

「ちゃあんと聞ーてるってー。黄瀬君とやっと同じ仕事が出来て嬉しいんでしょ?良かったじゃん。俺も真ちゃんからめちゃくちゃ話聞いてたから本物の黄瀬君がどんな人なのか凄い気になってたし」

「む。嬉しいとは言ってないのだよ。ただ俺はやっとあいつが俳優業にも挑戦する気になったようだから待ちくたびれたと」

「はいはい、そういう事にしておきますよー」

緑間は口をきゅ、と結んだぶすくれた表情で眼鏡のブリッジを上げて顔を逸らした。照れた時の緑間の癖に思わず破顔すると理不尽にも今日のラッキーアイテムらしい巨大ハリセンで殴られた。めちゃくちゃ痛い。

「俺まだ1回も黄瀬君に直接会えた事ないのに、真ちゃんが会う度黄瀬君自慢してくるから旧知の仲みたいに詳しくなっちゃったんだけど。というか真ちゃんの口から黄瀬君以外の話題出たことなくね?息子が可愛くてたまらない父親かってーの」

「そんなに黄瀬の事ばかり話してはいないだろう」

「えっ、無自覚なの…?お父さんこっわ」

「お父さんと呼ぶな」

俺の可愛いジョークを受け流してくれないらしい緑間は再度巨大ハリセンを振り上げたところで動きを止めた。顔の前で両手を交差してガードする気満々だった俺は中々来ない衝撃に首を傾げる。緑間の目線はもう片方の手に握られている携帯に固定されていた。

「…どったの?」

「黄瀬からメールがきたのだよ。今近くにいるからここに来てもいいか、と」

「おおー、現場入りを待たずして俺黄瀬君とやっとご対面出来ちゃう?」

「黄瀬も呼んでいいのか」

「全然オッケーオッケー!寧ろ生黄瀬君に俺も会いたいし!」

「では大丈夫だと返事をするのだよ」

持っていたハリセンを静かに下ろし、携帯を弄り始めた緑間の様子を落ち着かない気持ちで見守る。緑間と知り合ってもう7年になる。同じ時期にデビューした同期の緑間とはこの業界で1番中がいいと自負している。その7年間、会えば毎日のように家が近く幼馴染らしい人気モデルの黄瀬涼太の自慢話を聞かされ続け、今では会ったことのない相手の幼少期の思い出やモデルを始めたキッカケから食の好み、好きなタイプまで事細かに覚えてしまった。けれどモデルと俳優では会う機会に恵まれず、誌面での澄ました表情の黄瀬君しか見た事がなかった。だからとても気になっていたのだ。堅物であまり人を褒めない緑間がここまでべた褒め(本人は否定するが)して認めている黄瀬涼太がどういう人間なのか。

「もう店の前にいるらしい」

「え、まじ?」

「あ!緑間っちー!」

緑間の言葉にドアの方へと視線を向けたところで、丁度店内に入ってきたキラキラしたオーラを背負っている爽やかなイケメンが目に入る。此方に向かって満面の笑顔で手を降っている姿に、緑間が小さくため息をついた。黄瀬君は尻尾があったならブンブンと振っていそうな上機嫌な様子で俺たちの席まで駆け足で近寄ってくる。

「声が大きいのだよ。お前は自分が芸能人だという自覚がないのか」

「ごめんって。最近お互い忙しくて会えてなかったから久しぶりに緑間っちの顔見れて嬉しくてさ。あ、初めまして!高尾和成さん…ですよね?お邪魔しちゃってすみません。いつも緑間っちから話は聞いてました。自慢の友人がいるって」

「えっ真ちゃん俺の事そんな風に話してくれてたの?俺ちょー感激…」

「おい黄瀬。俺はそんな事1度も言ったことなどないのだよ。嘘を吐くな」

「えー?緑間っち語を通訳したらそんな感じじゃないスか」

「緑間っち語とは何なのだよ。通訳が必要な難解な言語を話してなどいない」

「いやー、ギャルゲーも真っ青な純度100%なお手本ツンデレには翻訳が必要でしょ。あいたっ!ちょ、痛いっス緑間っち!無言でハリセンぶん回さないで!」

誌面で見ていたイメージから澄ました猫系男子だと勝手に思っていたが、これはどう見ても犬系だ。わんわんおだ。頭の中で形を作っていた黄瀬涼太イメージ像がガラガラと音を立てて一気に崩れ、すぐさま新たなイメージが作られる。どちらかといえば俺に近いノリで随分と人好きのする可愛らしい笑顔で話すようだ。自分の中の好感度がぐんと上昇した。これは是非とも仲良くなりたい。

「挨拶遅れてごめんね。はじめまして、高尾和成です。真ちゃんとは同期でもう親友って感じだし、年上とか気にせず黄瀬君も良かったら口調崩して話してほしいな」

「あ、じゃあお言葉に甘えて崩させてもらうっスね!緑間っちからめちゃくちゃ高尾さんの話聞いてたから、1度会ってみたかったんスよ。想像してた通り優しそうなイケメンさんで、会えて嬉しいっス!」

「いやあ、イケメンを通り越した美貌の持ち主に褒められると照れますなあ。俺も真ちゃんから毎日のように黄瀬君の自慢話聞かされてたからやっと本人に会えて嬉しいよ!今度のドラマ、よろしくね!」

「こちらこそ!色々勉強させてもらいます!」

握手をしようと片手を差し出せば、嬉しそうに顔を綻ばせ、両手で固く握り返してくれた。

(あらまあ可愛い)

あどけなく愛らしい笑顔にちょっとグッときた。それから黄瀬君も交えた3人でお茶をする事になり、緑間の隣に腰を下ろした黄瀬君がそういえば、と切り出す。

「今回のドラマの主人公役の黒子君、黒バスが初めての仕事らしいスよ。デビューしていきなり主人公に大抜擢されたみたいで、凄い強運の持ち主っスよね。それに俺と緑間っちと同じキセキの世代の主将役の赤司君も初めての仕事みたい。俺も演技は初めてだし監督の挑戦魂凄いよね」

「へえー。そりゃ確かに凄いな。今回の配役、あの細部までこだわりまくる監督が直々に探してオファーしたり、何回もオーディションしたりしたんでしょ?相当なハマり役揃いって事じゃん」

「俺と高尾は監督からオファーを、黄瀬は物凄い剣幕で監督が口説き落としたとマネージャーから聞いたのだよ。確かその黒子と赤司はオーディションで役を勝ち取ったと聞いた」

「あんなに熱烈なオファーは初めてだったっス…。モデル業に専念したいって何回断っても引き下がってくれなくてちょっと怖かった…」

「へえー!それで結局監督の押しに負けちゃった訳だ」

「他のキセキだと紫原も俺達と同じでオファー、青峰と火神はオーディションらしいな」

「詳しいスね。いや、てかそうじゃなくて。今回の役って、キャラに性格とか雰囲気とか話し方とか、かなり似てる芸能人をこだわって抜擢したって言ってたじゃないスか。だからなるべく素のまま演技出来るようにってキャラ名がそのまま俺達の名前な訳だし。で、赤司君なんだけど、2人とも台本読んだ?」

「あー、なるほど。言いたいことは何となく伝わったわ」

「勿論読んだのだよ」

「台本で読んだだけでもかなり貫禄もクセもあるあのキャラをデビューしたての赤司君がやるって事は、赤司君も中々に貫禄のある落ち着いたハイスペックな子って事じゃないスか。確かまだ18歳なのに凄いスよね」

黄瀬君は目をキラキラと輝かせて少し興奮気味に言う。俺も台本を渡された時軽く目を通して、赤司のキャラには驚いた。事前に役に性格やらがかなり似ている人材を選んだと聞いていたから、この強烈なキャラを地でやる人間がいたのか、と。まあ緑間と知り合いでなければ、緑間のキャラにも驚いていただろうけれど、慣れてしまった今では毒されて特に何とも思わなくなってしまった。

「どんな子なんだろ。気になるなあ」

「来週の顔合わせが楽しみだねえ」

「おい黄瀬、そろそろ時間じゃないのか」

「え?あっホントだ」

緑間の言葉に腕時計を確認した黄瀬君がいそいそとハンガーに掛けていた上着を着始める。そして素早く自分の飲み物代を机の上に置くと、身だしなみを整えながら立ち上がった。

「あれ、黄瀬君もう行っちゃうの?」

「これから次の撮影があって。少しでも緑間っちと話したかったから休憩時間にここ寄ったんスよ。今日は高尾さんと話せて嬉しかったです。また来週お会い出来るのを楽しみにしてます!」

「こちらこそ!撮影頑張ってね〜!」

「有難うございます!じゃあまたね、緑間っち!」

「気をつけていくのだよ」

店のドアをくぐるまで愛くるしい笑顔で手を振り続ける黄瀬君に手を振り返す。緑間も「前を見て歩けといつもあれほど…」とか何とかブツブツ言いながらも小さく振り返していた。相変わらずのツンデレっぷりだ。
黄瀬君の姿が見えなくなって、ゴクリと一口ドリンクを飲んで喉を潤してから緑間に向き直る。

「はあ〜、さっすが今をときめく人気モデルだねー。黄瀬君忙しそう」

「ちゃんと休んでいるのか今度問い詰める必要がありそうだな」

「あっはは、お母さんかって。それにしても、想像してたよりもうんと可愛かったなあ黄瀬君。何ていうか構いたくなる感じっていうか庇護欲を擽られる感じっていうか。確かにあのギャップはみんな夢中になっちゃうだろうね」

「………あいつはノンケだぞ」

「あはは〜まだ狙ってる訳じゃないって〜」

「黄瀬は駄目だ。他を当たるのだよ」

「出たお父さん節。真ちゃん黄瀬君のお父さんとお母さんの二役やってんの?モンペ加減やばすぎるでしょ」

からからと笑いながら言う俺を見慣れた顔で睨む緑間。確かに人懐っこそうな性格やあどけなく輝いていた笑顔にちょっとツボにきたりはしたけれど、それはどちらかと言えばイメージしていたものとは正反対だったギャップからくるもので、本当にこの時はまだ恋愛的な意味での好意ではなかった。



*****



撮影も順調に進み、物語の中盤に差し掛かった時にはお互いを「涼ちゃん」「高尾っち」と呼び合う程に親しくなっていた。
そんな時。

「…ねえ、高尾っち、ちょっと相談があるんだけど、今日撮影終わったら暇?」

いつもの元気は何処へやら、妙にソワソワして落ち着かない様子の涼ちゃんが周りを気にしながら話しかけてきた。悪戯がバレた子供が親に怒られるのを怖がっているような、そんな感じだ。

「え、なになに、何でそんなにびくびくしてんの涼ちゃん。これから暇だけど、相談って?真ちゃんもあれ終わったら暇だろうから、誘う?」

セットの中で絶賛撮影中の緑間を指さしてそう問うと、慌ててその手を涼ちゃんに強く握られた。

「あっ、ダメっス!だめだめ!緑間っちには内緒にして!出来れば高尾っちと俺の2人だけがいい!」

「おやおや、涼ちゃんはとうとう親離れの時期かの?」

「もう、そういう冗談は今日はいいから!」

「ごめんごめん。じゃあ真ちゃんには内緒って事で、撮影終わったら裏口に集合でおけ?」

「うん!ありがとう高尾っち!じゃあまた後でね」

少しだけ表情を明るくさせた涼ちゃんは、スタッフに名前を呼ばれて緑間の隣に走っていった。

「相談…相談ね〜。真ちゃんに内緒にしたい相談ってなんだろ。まさか恋愛相談的な?やっと涼ちゃんにも春が?……いや、まさかねえ」

さっきまでの暗い顔から一変、瞬時に自信溢れる黒バスの黄瀬涼太の表情に変わった涼ちゃんは、緑間と交代する形でセットの中に入っていった。
そんな涼ちゃんを見ながら、モヤモヤとしたものが一瞬胸に広がった気がした。



*****



「…あのさ、高尾っちがバイって噂、本当?」

適当な居酒屋に入って開口一番、真剣な顔で迫られた。とりあえずにと頼んだビールを丁度飲もうとジョッキを持ち上げた状態で、5秒ほど固まってしまう。

「え?あ、うん。本当だけど、それがどったの。もしかして相談ってそっち系の話?」

確かに緑間には相談出来ない話って言われてまず最初に恋バナかな、とは思ったけども。ここまで深い話だとは流石に察せなかった。

「うん。…ちょっと前に年下の男の子に、その、告白、されて…」

「勇気あるねー、その子」

「偏見はないけど普通に女性が好きだからごめんねって、断ったんだけど…」

「けど?」

「…全然、諦めてくれなくて…、断られるのは分かってた、好きだと伝えたかった、って…その日からめちゃくちゃアタックしてくるようになって…」

酒のお供に涼ちゃんの話を詳しく聞けば、その年下男子からのアタックが熱烈すぎて困っているらしい。アタックの内容は教えてくれなかったが、真っ赤な顔でアルコールを一気飲みする姿に何となく察しがつく。会う度に甘い台詞で口説かれているのかもしれないし、過度なスキンシップで強引に意識させられているのかもしれない。なんとも積極的で情熱的な相手に好かれてしまったようだ。

「うう〜どうしたら諦めてくれるかなぁ〜」

いつもよりハイスピードにグラスを傾けていた涼ちゃんは等々テーブルに突っ伏してしまった。赤い顔で呂律の回っていない言葉を吐き出しながら、それでも持っている酒を離そうとはしない。

「あーあー、涼ちゃんそれ以上飲むと明日に響くからそろそろお開きにした方がいいって」

「いやっスよ。まだ高尾っちと話したいもん」

「続きはまた明日聞くからさ。そんなに酔ってちゃ頭回らないっしょ。ほら立って立って。送ってくから」

「んん〜いやだってば〜」

子供のように愚図りはじめる涼ちゃんを無理やり立たせて店を出て、予め呼んでおいたタクシーに2人で乗り込む。既に半分寝始めてる涼ちゃんに家の住所を聞いても言葉になっていない単語しか返ってこなくて会話にならず、仕方なく勝手に財布を拝借して中から免許証を取り出して住所を確認した。それを運転手に告げて、肩に寄りかかってきた涼ちゃんに自分のジャケットをかけてあげてから緩やかに走り出した車の窓の外を眺めた。



*****



「涼ちゃん家着いたよ〜。鍵どこにあるの〜?おーい」

「んん〜」

涼ちゃんの住んでいるマンションに着いてタクシーから降りたまではいいものの、セキュリティのしっかりした警備で、鍵がなければエントランスにすら入れない仕様のようだった。涼ちゃんを背におぶっている為に顔は見えないが、いくら揺すってみてもピクリともしない。見事に爆睡中だ。

「涼ちゃーん。ちょっとでいいから起きてってー。鍵どこー?」

「…うー…ポケット、に…」

「え?ポケット?どこのポケットにあんの?」

「ズボン…うしろ…」

「ズボンのうしろ?あ、ほんとだ」

涼ちゃんを一旦下ろして、お尻のポケットに遠慮なく手を突っ込むと指先に触れる硬い感触。取り出してみれば家の鍵のようで、それをエントランスの入り口の横にある機械へ差し込んで免許証に書いてあった部屋番号を押す。重々しく開いた扉の中に、再度涼ちゃんをおぶり直して入っていく。自分より背の高い成人男性を抱えたまま1番上の階まで階段で登っていくのは流石に体力的に無理だ。エントランスで待機していたエレベーターに乗り込んで、やっと涼ちゃんの部屋の前にたどり着く。しかしそこでまた立ち止まる。鍵はエントランスの鍵と一緒に一纏めにしてあったから俺が持ってるけれど、どうやらそれとは別にカードキーも必要なようだ。

「すっげーセキュリティ。涼ちゃん涼ちゃん、部屋のカードキーは?」

「…さいふ」

今度はすぐに返事を返してくれた涼ちゃんのズボンのポケットから財布を取り出して物色する。他のカードと紛れて分かりにくかったが何とかカードキーを探し当てて玄関の扉を開けた。
中に入ってしまえばあとは大体どこも同じ作りをしているから難なく寝室を見つけ出し、全く起きる気配の無い涼ちゃんをゆっくりベッドに横たえる。ジャケットだけシワにならないように脱がせて毛布をかければ、俺の今日のミッションは終わりだろう。

「じゃあ俺帰るね。水とかここに置いておくから後で飲んで」

返事は返ってこないだろうけど一応そう声をかけたら、予想外に少し目を開いて反応した涼ちゃんが弱々しい手で俺の袖を掴んだ。

「…ん〜、……みどりまっちい…」

「お?なーに?真ちゃん呼ぶ?」

小さな声で囁かれてよく聞こえない。何かをボソボソと呟いている口元に顔を近づけて聞き取ろうとしたら、急に涼ちゃんが上半身を起こした。

「うわ?!え、ちょっと涼ちゃん?!」

俺の方に伸びてきた手に咄嗟に反応出来ず、腕を捕まれそのまま涼ちゃんのベッドに引きずりこまれた。どこにそんな力が残っていたのかと驚いている間に、隣に倒れこんだ俺の胸の中に潜ってきた。落ち着く場所を探しているのか暫くもぞもぞしていた涼ちゃんは、俺の首筋に擦り寄るとそこで動きを止めて規則正しい寝息を立て始める。

「えええ〜、寝ちゃった…?どうしたらいいのこれ…」

何とか脱出出来ないかと俺の背中に回されている腕を軽く引っ張ってみたが、絶対離さないとばかりに強くぎゅうぎゅうと抱きしめられていて逃げられそうにない。

「コレなんて拷問だってばよ…俺バイだって言ったんだけどなぁ〜。信用してくれてるのは嬉しいんだけどちょっと複雑…」

引き剥がすのは諦めて、気持ちよさそうに眠っている涼ちゃんの顔にかかっている前髪を軽く払う。アルコールの回った火照った頬と濡れている唇はとても魅惑的だ。薄いシャツの前も胸元までボタンが開かれてはだけている。ゴクリと鳴った自分の喉の音にハッとして、急いで視線を涼ちゃんから逸らした。元々容姿も性格もとても好みだった涼ちゃんが、こんなに無防備な姿で同じベッドの中で擦り寄ってくるだなんて、据え膳にも程がある。

「うーん、生殺しってこういうことだよなあ…
。涼ちゃんは友達、涼ちゃんは友達、涼ちゃんは友達…」

目を固く閉じて、無理矢理脳内で柵を飛び越える羊を数えた。羊は何故か見覚えのある眼鏡をかけていて、こちらを見ながら柵を飛び越える様子は妙な圧力があった。それでもたまにチラつく煩悩に気づかない振りをして、ひたすら丸々として柔らかそうな毛の羊を数えることに集中した。



*****



「高尾っち、高尾っち起きて」

すぐ側から自分を起こす声が聞こえてきてゆっくりと目を覚ます。どうやら羊を数えている内に眠れたようだ。数えた羊の数が千を超えたところ辺りまでは覚えているのだが、詳しい数はやはり覚えていなかった。

「んあ?あー、おはよう〜涼ちゃん。酔い冷めた?」

眠る前までは確か俺の方が涼ちゃんにガッチリと抱きしめられていた気がしたけれど、目を開けて見れば俺の方が涼ちゃんを強く抱き込んでいた。腕解いてほしい、と言いたげな少し困った表情で俺を見上げる涼ちゃんを確認して、パッとすぐに離れる。

「おっと、ごめん寝ぼけてたみたい」

「いや、俺の方こそごめん。多分俺が高尾っちをベッドに引き込んだんだよね」

「え?あ、うん。覚えてるの?」

「覚えてはないんだけど、小さい頃よく一緒に寝てた癖で俺酔うといつも緑間っちを抱き枕にするみたいで…、だから他の人にもやらないように緑間っちのいる酒の席でしか羽目を外さないようにしろって言われてたんだけど…」

相談内容があれだった所為で、シラフではいられなかったんだろう。昨日のハイペースでアルコールを摂取していた涼ちゃんを思い出す。

「多分高尾っちを緑間っちと間違えたんだと思う。迷惑かけちゃって本当にごめんね」

「いーっていーって!俺は全然迷惑だなんて思ってないし!」

申し訳なさそうにしょぼくれている涼ちゃんを改めて見てギクリとした。起きたばかりでまだ眠いのか瞳が少し潤んでいて、一番下のボタンしか付けられていない所為でシャツは片方ずり落ちていて涼ちゃんの白い肩を空気に晒していた。寝てる間に暑くて脱いだのかズボンもベッドの横に落ちていて下着1枚というなんともあられもない姿だ。

(ちょ、やば)

まだまだ健全な男子には目に毒すぎて気づかれないように視線だけ明後日の方向に向ける。

「今日の撮影昼からだったよね?高尾っち風呂先に使っていいよ。俺その間に朝ご飯作っておくから」

「え、いいの?」

「うん。昨日迷惑かけちゃったからお詫びもしたいし。ご飯食べてってよ」

「じゃあお言葉に甘えてご馳走になろうかな。お風呂も先に使わせてもらうね!」

「タオルとか新品の下着とか後で持ってくから」

「はーい」

そそくさと涼ちゃんが指指した部屋の扉を開けて脱衣所に逃げる。洗面器の前で1つ深いため息を吐いてから鏡を見れば、茹でダコのように真っ赤になっている自分の顔。下半身だって確認しなくても健全な男の子の反応をしてる事は分かる。

(はは、童貞かってーの)

情けない自分の顔を両手で軽く叩いてから服を脱ぎ、とぼとぼと風呂場に入って冷水を頭から被る。取り敢えずこの熱を何とかしてから出なければいけないだろう。

(あー、友達…無理かもなあ)



*****



涼ちゃんをこっそり観察してたら相手なんてすぐに分かった。あんなに分かりやすいんじゃ事情を知ってる俺には隠せる訳が無い。

(赤司君、ね)

撮影を重ねてキセキは特別仲が良くなったらしく、休憩中やらオフの日でも一緒に居ることが多くなったようだった。特に火神と俺も混ざった8人で過ごすことが多く、今も撮影の休憩中に俺達は固まってお菓子を摘みながら駄べっていた。涼ちゃんの隣に陣取っている赤司君はことある事にボディタッチやら顔を近付けたりしていて、その度に涼ちゃんは周りに気づかれない程度に動揺していた。確かに話に聞いていた通りに随分と積極的だ。とうとう気恥しさを我慢できなくなったのか緑間と一緒に隅で水分補給をしていた俺のところに涼ちゃんが近寄ってきた。その後ろにはもれなく赤司君もセットだ。

「高尾っちぃ〜!」

ガバリと抱きつかれて、身長差のある所為で俺は涼ちゃんの胸に埋まりながら背中をぽんぽんと撫でてあげた。

「おーよしよし」

「いきなりなんだ黄瀬。暑苦しいのだよ」

「何でもないっスう〜」

泣き真似をしながら冗談めかして言っているが、本当はいっぱいいっぱいなのだろう。さり気なく赤司君との間に俺を盾のように置かれている。正直言えば俺もそこまで赤司君と親しい訳ではないから隣り合わせにされると非常に会話に困るのだが、涼ちゃんの為なら仕方がない。自慢のコミュ力をフル動員して何か話そうかと考えていると、赤司君の方から不意に近づいてきた。

「…高尾さんから涼太と同じ匂いがします」

「え?あー、昨日涼ちゃんの家に泊まったからかな。シャンプーとか色々借りたからその所為だと思う」

「泊まり…」

赤司君が何か言いたげな表情で数秒俺の顔を見つめて、しかしそれ以上何かを言うことはなかった。いつもの何を考えているのか分からない微笑を浮かべたまま黙る赤司君に話しかけるのは何だかやりづらくて、結局俺はいつの間にか楽しそうに話をしていた緑間と涼ちゃんの会話に耳を傾けることにした。



*****



「…なあなあ真ちゃーん」

「なんだ」

「涼ちゃん酔っ払うと毎回真ちゃんを抱き枕にして寝るってほんと?」

「…黄瀬に聞いたのか」

「うん」

「はあ…。本当なのだよ。最初の内は無理矢理にでも引き剥がしていたが、面倒になってもう諦めた」

「…うらやましい」

「羨ましい?それのどこに羨ましがる要素があるのだよ。暑苦しくて敵わん」

「変わってあげたい…」

「………高尾…お前まさか」

「………」

「おいこっちを見ろ」

「……えへ」

「まさかとは思うが、黄瀬に惚れた訳じゃないだろうな?」

「………」

「高尾、黙ってないで何か言え」

「…だって俺真ちゃんに嘘つけないもん」

「……、つまり?」

「………涼ちゃんが…好き、です」

「………………」

「だって仕方ないじゃん!!涼ちゃんめちゃくちゃ可愛いんだもん!!あれは反則っしょ!!」

「開き直るんじゃないのだよ!!」

「お父さんお母さん!!息子さんを俺にください!!!絶対幸せにしますから!!!!」

「絶対にやらん!!!!!!」

「真ちゃんのいけずう!!!!!」

「俺は将来黄瀬の子供に『緑間叔父さん』と呼ばれる日を楽しみにしているんだ!!!!!」

「え?!!?お母さんお父さんだけじゃ飽き足らず爺ちゃんにもなろうとしてんの??!?流石にやべえわ!!!」

「五月蝿いのだよ!!!」



*****



外での撮影中、急な大雨に一時中断となった俺たちは急いで屋根のある建物の下まで走った。
今は帝光中学編の撮影に入っているから俺の出番はないのだけれど、今日はこの後緑間と涼ちゃんとご飯行こうって話になっていたから、1日オフだった俺は2人の撮影が終わるまで見学して待つことにした。

「あー、通り雨ですかねぇ。衣装大丈夫ですか?」

スタッフが天気を伺いながら問うと、避難し終えたキセキの面々がかかった雨を払いながら口々に言う。

「乾かせば大丈夫だと思います」

「だがこうもずぶ濡れでは今日はもう撮影は出来ないのだよ」

「だねー。特にさっちんにジャケット傘代わりに貸した赤ちんと1番遠くにいた黄瀬ちんがびっしょびしょ」

「ごめんね赤司君、ジャケットありがとう!お陰で私はあんまり濡れずに済みました」

「役に立ったのなら良かったよ」

「俺結構やばいっスねー。これ多分下着までぐっしょり」

「俺とテツは屋根が近くにあったからほとんど濡れなかったわ」

メイクさんから人数分のタオルを貰い、バラバラと散っていった皆に一人ひとり手渡した。最後に緑間に渡そうと近づくと、その視線は涼ちゃんに向いていた。

「ほい真ちゃんタオル。涼ちゃんをそんな熱い眼差しで見つめてどしたの」

「あいつは拭く気がないのか。ちょっと行ってくるのだよ」

タオルを肩に掛けて全く拭いていない涼ちゃんは、楽しそうに黒子君と青峰と赤司君と駄弁っていた。そんな4人に近づくと緑間が涼ちゃんの肩からタオルをぶんどってわしゃわしゃと乱暴に拭き始める。

「わっぷ?!ちょ、緑間っちなに?!」

「何じゃないのだよ。少しも拭かないでお前は風邪を引きたいのか。一番ずぶ濡れなんだぞ」

「わ、分かった!自分で拭くから!」

「五月蝿い。大人しくしているのだよ」

擽ったそうにしていた涼ちゃんは暫くして諦めたのか大人しく拭かれることにしたらしい。じっと緑間が拭き終わるのを待っている。一度決めたら頑固な緑間には言っても無駄だと理解しているんだろう。

「…相変わらず、緑間君は黄瀬君のお母さんみたいですね」

「緑間が母親とか考えただけでも寒気がするわ」

「真ちゃんと涼ちゃん家でも何処でもこんなんだから慣れるまでビビるよなあ。俺も最初の頃目の前であーんされた時は4度見くらいしたし」

「えっ、そこまで酷いんですか緑間君のモンペ加減」

「やべえなお前ら」

「あれは黄瀬が酔っ払ってあれ食べたいこれ食べたいと引っ付いて離れなかったからだ。俺の所為ではないのだよ」

「俺そんな事言ってた?!全然覚えてない…」

「ああ、そういえばこの前涼太の家に泊まりに行った時、寝酒だって言ってビール数缶空けたあともそんな感じだったね。酔うと甘えたになるのか」

「うっそ?!赤司っちにも?!当分酒控えようかな…」

「…ん?え?なに、涼ちゃんの家に赤司君泊まったの?」

「あ、うん。この前終電逃しちゃったみたいで、野宿は可哀想だし、未成年だから深夜出歩けないしで、じゃあウチ来る?って誘ったんだよね」

告白された相手を家に泊めるなんて、涼ちゃんの警戒心のなさには呆れてしまう。そういえば最近は前のように赤司君に対しての壁というか妙な間というか、そういうものがなくなってきている気がする。二人の間に何かあったのだろうか。

「へえ〜…」

赤司君を見ると向こうも俺の方を見ていたみたいで、パチリと目のあった赤司君は一瞬だけふふんと得意げにこちらを見た。

(か、可愛くねえ〜!)

髪から滴っていた水滴を全て拭き終わり満足したらしい緑間が軽く涼ちゃんの髪を整えてからタオルを手渡す。

「ありがとう緑間っち」

「ああ」

「ねえみんな〜今日の撮影ここまでだってさ」

おっとりとした声に振り向けば桃井さんと一緒に監督と何やら話していたはずの紫原がいた。どうやら撮影を続けるかどうかを話し合っていたようだ。桃井さんはといえばいつの間にか黒子君の隣に移動している。

「やっぱりスか。じゃあ緑間っち高尾っち、ちょっと早いけどご飯行こ」

「だね〜」

「ちょっと待て、予約時間を早められるか店に電話するのだよ」

各々立ち上がって挨拶をしながら、黒子君と青峰と桃井さん、赤司君と紫原、と示し合わせたようにグループで別れて一緒に帰っていった。

「どう?真ちゃん」

落ち着いている様子から多分大丈夫だったんだろうと察しながら、電話を終えて携帯をポケットに仕舞う緑間に話しかける。

「大丈夫だそうだ」

「良かったあ」

まだ残って機材やらの確認をしているスタッフや監督に挨拶をしてから、俺達もその場をあとにした。



*****



「なんか最近赤司君への警戒心薄くない?」

「へ?」

珍しく他に用事があるらしい緑間が今日は不在で、久しぶりに涼ちゃんの家にお邪魔していた。撮影が押して1日食べる暇がなかったらしく、やっとありつけた食事に涼ちゃんは口いっぱいにサラダを頬張ってリスのようにもぐもぐと口を動かしていた。

「なんの事?」

「告白、されたんでしょ?前はめちゃくちゃ警戒してたのに、最近全然じゃん。家にまで泊めちゃってるし」

「…あー、やっぱり相手が赤司っちだって気づかれてたんスね」

「えっへん!」

カシュ、と子気味のいい音を立てて酒缶の蓋を開ける。そのままごくごくと勢いよく1缶飲み干して、すぐさま2缶めを開けてつまみにと買ってきたチーズやらイカキムチやらの蓋も開けた。涼ちゃんはというと既に3缶めを飲み始めていて顔が既にほんのりと赤くなんだかぽやぽやとしている。

「赤司っちにね、言ったんスよ。積極的すぎてちょっと困るって。赤司っちの事は役者として尊敬してるし好きだけど、前にも言ったとおり俺は普通に女性が好きで赤司っちを好きになる可能性は殆どないから諦めてほしいって」

「ふんふん」

「…そしたら、可能性が0.1%でもあるのなら諦めたくない、涼太を困らせないようにゆっくりアプローチするから好きでいさせてほしい、傍にいさせてほしい、って言われて」

そこで言葉を切った涼ちゃんは、元々赤かった顔を更に赤くさせてふにゃんと締まりのない笑顔を作った。

「…その…、ちょっとだけ、きゅんときちゃって…一生懸命だなあ青春だなあって。それから本当にたまに食事に誘ってくれたりするくらいのスローペースにしてくれて、泊まりに来た時だって特に何もされなかったし」

そう言いながらテーブルを挟んだ向かいにいた涼ちゃんがニコニコと這って俺のすぐ隣に座り直した。もう大分酔っているようで体を左右に揺らしながら着ているシャツのボタンを半分開けている。

「空っぽの胃に真っ先にアルコール流し込んだから酔い回るのかなり早いねえ」

「まだ酔ってないっスよ〜」

「あはは、それ酔ってる人が言う台詞だって〜」

甘ったれた口調につい手が出そうになりながらも、どうにか堪えていつもの笑みを返す。好きな相手にこうも魅力的な姿で遠慮なく近づかれたら誰だって触れたくなってしまう。

「ねえねえ高尾っち」

「んー?」

「同性と付き合った事ある?」

「なかったらバイだなんて公言してないって〜。それがどしたん?」

「…どんな感じなんスか?異性と付き合うのと変わんない?」

「そうだね〜俺はあんま変わんないかなあ。好きだから付き合うんだし」

「…う〜」

俺の方へ倒れてきた涼ちゃんは頭をぐりぐりと擦り付けるようにして唸り始めた。

「…今まで赤司っちの事男だからって理由でよく考えもしないで断ってたけど、最近分かんなくなってきて。俺を好きだって、傍にいられるだけで嬉しいって言う赤司っちの顔、本当に幸せそうなんだもん。高尾っちも性別なんて関係ないみたいだし…、赤司っちと付き合ってみたら俺も好きになれるのかな…」

「…え、涼ちゃんは赤司君とどうなりたいの?」

「どうなりたいんだろ…好きになりたいのかな…それとも、もう好きになってきてるのかな…」

心臓がズキリと傷む。いつの間にそんなに赤司君との距離を縮めていたのか。もしかして俺の知らない涼ちゃんを赤司君は知っていたりするのだろうか。

(いやだ)

涼ちゃんの好きになった相手が女の子だったら真ちゃんと一緒に応援も相談も喜んでした。かなりすっ飛ばせばあの涼ちゃんモンペを宥めながら結婚報告を受けることだって心から喜べた。でも、相手が俺と同じ男であればそれは絶対に無理だ。応援なんか出来ないし、俺でもいいじゃん、なんて思ってしまう。

「んんん頭こんがらがってきたっス。そういえば俺女の子が相手でも今までまともに恋愛してこなかったし考えたって分かるわけなかった」

俺の葛藤になんて気づかない涼ちゃんは猫のように丸まってうんうんと悩んでいる。

「好きってどんな感じ?やっぱりキスしたいって思ったりすることが、好きって事なのかな」

「…キスしたいって思うのもそうだし、触れたいとか、その先もしたいって思うのが好きって事だと思う」

投げ出されていた涼ちゃんの手のひらを軽く持ち上げて自分の手と絡ませる。それをふわふわした様子で楽しげに眺めながらも握り返してくれる。俺の手を握りながら全身で寄りかかって見上げてくる涼ちゃんにくらくらする。

「…あのね、涼ちゃん。好きな相手に無防備に近づかれたり肌を晒されたりするとね、結構キツいんだよ俺らも。我慢するの大変だし、勘違いしそうになるの」

脱力しきっている涼ちゃんの肩を優しく押して、後ろに置いてあったクッションの上に押し倒した。まだ何が起きてるのか理解していなさそうな涼ちゃんの両側に手をついて見下ろせば、ぽかんと口を開けているいつもより幼い姿が目に入る。

「俺も出来れば涼ちゃんとは友達でいてあげたかったしいるつもりだったけど、俺の知らない間にいつの間にか赤司君のものになっちゃうんじゃないかって考えるとめちゃくちゃ怖くて」

「う、え、っ?なに…?」

「相手が女の子だったら全力で応援出来たけど、男じゃ俺でも脈あるんじゃないかって思っちゃうんだよ」

「えっと…それって、どういう…」

スリ、と目の前の朱に染まった頬を撫でるとさすがの涼ちゃんも俺の出す空気の色の変化に気づいたらしい。小さく肩を跳ねさせて困惑げに俺を見る瞳は頼りなくて不安そうで、とても可愛らしい。撫でる手をそのまま晒された鎖骨までなぞれば、んっ、と上擦った声が聞こえてきて、初めて聞く涼ちゃんの甘い声音に一気に体の熱が上昇するのが分かった。

「た、高尾っち…?」

制止の声を無視して涼ちゃんの首元に顔を寄せる。香水なのか本人の匂いなのか、近づくほどに涼ちゃんから香るいい匂いが強くなって堪らない。アルコールの所為で随分と自制が効かなくなっているらしい。気がつけば鎖骨を食むようにして吸い上げていた。

「ちょっ、まって、待って高尾っち!」

舐め上げた肌は甘露のように甘く感じて癖になりそうだ。

「なんで、やだ、ねえ…っ」

俺の胸を押し返す涼ちゃんの力はとても弱々しい。いっそこのまま赤司君に奪われてしまう前に食べてしまおうかとまで考えて、でも泣き出してしまいそうな涼ちゃんの顔を見て、手を止めた。
俺が見たいのは、させたいのはそんな顔じゃないだろう。

「…やーめた」

パッと涼ちゃんから離れて近くに放っていた自分の上着と携帯を引き寄せて帰り支度を始める。
ゆっくりと上半身を起こした涼ちゃんが上着を着始めた俺を見て不思議そうに首を傾げていた。

「…ごめん、俺今日は帰るね!ご飯ご馳走様でした!」

笑顔を作ってそれだけ言って、返事を待たずに涼ちゃんの部屋をさっさと出る。玄関を開けた時に後ろから俺を呼び止める声が聞こえた気がしたけれど、あのまま涼ちゃんの部屋に居たら何をするか自分でも分からなかったから振り返ることはしなかった。エントランスを出てすっかり寒くなった外の空気を深く吸い込む。肺に入ってくる冷えた温度にだんだんと思考も熱も落ち着いてきた。

「あーあ、言っちゃったなあ」

やっと伝えられて胸のつかえが取れたような、言ってしまって後悔しているような。もうとっくに終電は終わってしまったから2駅程歩かなくてはいけないけれど、今は体を動かしていたい気分だから丁度いい。

「もう涼ちゃんと真ちゃんの3人で遊べなくなっちゃうのかなあ」

(てかそれより、あとで真ちゃんに謝らないとなぁ)

あれで緑間が俺達3人の時間を結構楽しんでいる事は伝わっていた。言葉にしないし表情にも出さないツンデレだから分かりにくいけれど、多分俺よりも涼ちゃんよりも3人でいれる時間を大切にしてくれてたと思う。何だかんだ俺たちに甘い親友の顔を思い浮かべて申し訳ない気持ちになる。


帰路を歩く一歩一歩が、とても重く感じた。



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