4.5

無常の風は時を選ばず



side・黄瀬



それが予知夢だと理解したのは、小学生の頃。クラスのみんなで大切に世話してた兎が餌をあげようと扉を開けた時に脱走してしまい。急いで追いかけた先で車に轢かれて無残な姿に変わり果てた兎を見つける、夢を見た。朝起きて、嫌な夢を見たと早く忘れてしまおうと思った矢先、数日後に夢の通りになった。担任の先生とクラスのみんなと、動かなくなった兎を丁寧に埋めてあげながら、俺の意識は別のところにあった。夢と寸分たがわず同じ最後。兎が逃げたタイミングも、追いかけた人数も、見つけた場所も、轢いた車も。全てが同じだった。でもその時はまだ俺は小学校に上がったばかりの小さな子供で、深くは考えることが出来なくて結局ただの偶然だろうと思うことにした。

けれどそれから半年後、また嫌な夢を見た。1番仲の良かった友達が階段から落ちる夢。登りきった場所から足を滑らせて頭から落ちていく夢。その夢の中で、俺は友達のすぐ隣にいた。落ちていく友達の腕を掴もうとして、間に合わなかった手が空を切る。階段の一番下で、首が曲がって動かない友達を血の気の引いた顔で見下ろしている、悪夢。飛び起きて瞬間、兎の事を思い出した俺は怖くなって早めに家を出た。学校に着いてすぐに友達を探して、いつもと変わらない元気な姿を見つけて抱きついてしまった。泣きそうな顔で抱きつく俺を、ケタケタと楽しそうに笑いながら抱きしめ返してくれた。学校が終わる頃になっても特に何も無かったから、気が抜けていたんだ。帰ろうとした時に、忘れ物をしたと焦って教室に戻ろうとした友達の後を追って階段を駆け上がった時。そういえばあの夢では、友達も俺も、丁度今みたいにランドセルを背負っていた。階段の窓から差し込む光は、夕方の綺麗なオレンジ色だった。気づいた時にはもう遅かった。友達の短い悲鳴が聞こえて振り向けば、足を滑らせて真っ逆さまに落ちていこうとしている姿。こちらに伸ばされた手を掴もうとすぐに駆け出した。だのに、間に合わなかった俺の手は、空気を掴むばかりで。そのまま夢のとおりに友達は階段下まで落ちていってしまった。震える足で階段を降りて、昨夜見たばかりの姿で動かない友達を見下ろす。名前を呼ぼうとして、掠れた単語しか出てこなかった。何も出来ずに呆然と立ち尽くしていた俺の耳に、バタバタと大人の大きな足音と、担任の先生の声が聞こえてくる。焦りを含んだ声音で俺と友達の名前を呼んで、すぐに救急車を、とか、電話、だとかをもう1人いた先生に向かって叫んでいた。俺は動けなかった。頭が考えることを拒否していた。

それからどうやって自分の家に帰ったかはあまり覚えていない。母だったか、姉だったか、手を引かれながら帰ったような気がする。ベッドの上で毛布に包まりながら考える。流石に理解した。あれはただの悪夢じゃない。予知夢、というものだろうと。最近読んだばかりの漫画が、丁度今の俺と同じ、予知夢が見れる主人公の話だった。その話の中では、主人公が運命に逆らおうと走り回って、見事にみんなを助け出すハッピーエンドだった。もしまたあの悪夢を見たなら、俺も助け出せるだろうか。主人公と同じように懸命に走り回れば、もう誰もいなくならないだろうか。考えながら涙が枯れるほどに泣いた。

でもやっぱり、現実はそんなに優しくなくて。登下校時によく俺を気にかけてくれていた優しい近所のおばさん、悪友だった親戚の子。小学4年生に上がってすぐに2人の悪夢を見て、半年後にその通りになった。おばさんは病気で俺にはどうしようもなかったけれど、親戚の子は事故死だった。だから絶対に助けようと夕方になったら学校の違うその子のところに毎日走った。朝も早起きしてその子を学校まで送ってから自分も登校するようにした。できることは全てやったつもりだった。けれどそこまでやっても、助ける事は出来なかった。俺がその子といられない時に、まるで狙ったかのように事故に巻き込まれてしまった。悔しくて悲しくてやるせなくて。お葬式の間はずっと涙が止まらなかった。もう嫌だった。これ以上親しい人がいなくなるところを見たくなかった。
その晩、追い打ちをかけるように1番上の姉の悪夢を見た。通り魔に胸を刺されて息を引き取る姉の夢。起きてすぐに息の仕方を忘れた。上手く息を吸えなくて、吐けなくて、胸を抑えて倒れたところに、俺を起こしに来た姉が抱き起こしてくれた。俺の状態を一目見て過呼吸だとすぐに察した姉は、乱暴な足取りでキッチンまで駆けて袋を取ってきて、その袋を口に当ててくれた。背中を擦りながら心配そうに声をかけ続けてくれて、苦しさとは別で涙が止まらなくなった。暫くして落ち着いた俺を気遣って学校まで送ってくれた。でも折角遅刻してまで学校まで着いてきてくれたけれど、そこで姉と別れるのが怖くて、家を出てからずっと繋いでいる手を離すことが出来なかった。困ったように何回か頭を撫でてくれたり背中を押してくれたりしたけれど、握る力を強めるばかりで姉を困らせた。最終的に折れたのは姉で、悪戯っ子のような笑顔で「今日は一緒にサボろっか」と手を引かれて公園で1日遊んだ。理由も言わずに姉から離れようとしない俺をデレデレとした顔で撫でまくる姉。一緒に食べた弁当がすごく美味しかったのを今でもよく覚えている。毎日のように1番上の姉にばかり引っ付きたがる俺に家族みんな不思議そうにしていたけれど、当の姉は嬉しそうにしていたので気にしないでくれた。それから2年後。恐れていた日が来てしまった。俺が修学旅行に行っている間に、姉は通り魔に心臓を刃物で刺されて、搬送された病院で息を引き取った。その事を修学旅行の最終日に家族からの電話で知らされて、その場で泣き崩れた。2年間毎日、姉が居なくならないように自分の時間を全て捨ててまで周りを警戒してきた。周りに何を言われようと離れなかった。修学旅行だって、姉に怒られなければ来なかったのに。今日までの頑張りは意味を成すことはなかった。意味は無かったんだ。また俺は、助けることができなかった。

それから予知夢を見ることが怖くなって、眠れなくなってしまった。少し寝ては起き、寝ては起きを繰り返して、その所為でできた目の下の酷いくまをコンシーラーで隠すのが毎朝の日課になった。姉の事を思い出すのが辛くて、暇な時間がなくなるようスカウトされたモデルも始めた。もう、親しい友人を作ることにも、疲れてしまった。

帝光中学校に進学して最初の1年間は特に何事もなくあの悪夢もなりを潜めて平凡に過ごしていた。相変わらず深く眠ることは出来ないままだったけれど、人間関係もモデルの仕事も、浅く広くで上手く愛想笑いを振りまいていた。けど2年に上がって、青峰っちにボールをぶつけられてバスケに出会って、一気に俺の世界はまた鮮やかに色付いた。夢中になれるモノと憧れの人、一方的に親友だと思ってる友人に凄い人達。毎日が楽しくなった。ボールを追いかけてみんなと競い合う毎日は本当に本当に楽しかった。
そしてそれと同じくらいに恐怖も感じていた。また失うことが怖くなる大切な人達ができてしまった。次に予知夢を見るのはいつなのか。そればかり考えて、また、眠れなくなった。



*****



仕事が増えてきていつもに増して睡眠時間が減ってしまって数日。嬉しい事なのだけれども、流石に目の下のくまの酷さをコンシーラーで隠すのが大変になってきた。あまりベタベタと目の周りにだけメイクをしているとマネージャーにも気づかれて怒られそうだ。
昼休みになり、少し仮眠できるかなと昼ご飯も食べずに屋上へ行こうとしていた時。

「黄瀬。少し時間はあるか」

「あ、うん。どうしたんスか?」

珍しく赤司っちから声をかけられた。スタメン入りした初めの頃よりは赤司っちへの苦手意識も薄れてきてはいたけれど、まだ休み時間に楽しく駄べるような間柄ではない。今まで話したことといえば部活の練習メニューの事とか、俺の仕事の事とか、そういう事務的な会話ばかりであるし。それに部活前とか部活中とか部活後とか、話す時はいつも部活の間で、こうして赤司っちが休み時間にわざわざ俺を尋ねてくるのなんて初めてだった。

「お前ちゃんと睡眠は取れているのか?」

「…えっと」

鋭い指摘に思わずギクリと肩が跳ねる。とうとうバレてしまった。よりにもよって赤司っちに。このまま逃げてしまおうか。そう考えて、やめた。そんな事をしたらあとが怖い。

「前から気になっていたが、目の下のそれ、メイクか?くまを隠そうとしているな」

「いやぁー、…あはは…」

「…眠れない訳でもあるのか?」

今度は大袈裟に体ごとビクリと反応してしまった。隠し事や適当にはぐらかすことは結構得意だったはずなのに、この何でも見通すみたいな真っ直ぐすぎる視線が相手だと駄目だった。途端に嘘が付けなくなってしまう。

「…黄瀬、ちょっとこっちにこい」

「え?」

「いいから、ほら」

「分かったっス…?」

有無を言わせない雰囲気で赤司っちが軽く俺の袖を掴んだ。そのままどこかへ引っ張られて、大人しく着いていけばたどり着いたのは見慣れた部室だった。頭の上にクエスチョンマークを沢山浮かべながらも黙って部室に入っていく赤司っちに続く。まさか部室で二人きりのお説教タイムなんじゃないかと内心ビクビクしていると、赤司っちは何食わぬ顔で窓際に置かれている長椅子の上に座りはじめた。それを扉の前で見つめていると、こいこい、と手招きをされる。首を傾げながらも椅子に座っている赤司っちの前に正座をしたら、不満げに眉を寄せられた。

「どうしてお前は地面に正座なんだ」

「だって、これから俺お説教されるんスよね…?」

伏せ目がちにそう問うとますます深く眉間にしわが寄せられて、恐ろしさに腰が引けそうになる。

「隣に座れと言ったんだ。それに怒るためにお前を部室に連れてきたわけじゃないよ」

「違うんスか…?」

おずおずと立ち上がって、赤司っちの隣に腰を下ろす。その様子を満足気に見つめて、何を思ったのか急に赤司っちの腕が俺の後頭部に伸びてきた。いきなりで反応出来ずにいれば、赤司っちの膝の上に俺の頭が乗るように固定される。これは、どこからどう見ても、膝枕、だ。

「女性のように柔らかくはないが、ないよりはマシだろう」

「えっ?!え??!」

「少しでいいから寝ろ。時間になったら俺が起こしてやるから」

急な展開に混乱する俺を置いて、何やら満足顔で少し強引に俺の目が暖かい手で覆われてしまった。しかももう片方の手で優しく頭も撫でられている。一体全体、これはどういうことなのだろうか。たまに赤司っちは不思議な事を言う人だったけれど、ここまで意味が伝わらないのは初めてだ。

「いや、でもこれっ」

「五月蝿い」

「むぐっ?!」

どこから取り出したのか、苺ミルク味の飴玉を問答無用に口に放り込まれた。味を確かめるようにむぐむぐと口を動かし、ちらりと横目で赤司っちを伺えば、見たことの無い、あどけない笑顔でこちらを見つめる瞳と目が合った。その慈愛に満ちた表情に自分の顔が一気に熱を持つのが分かる。どうしてそんな顔で俺の事を見つめているんだろう。どうして、そんなに優しい手つきで頭を撫でていてくれるんだろう。なんで。どうして。赤司っちに気遣ってもらうほどに、俺達は仲が良かっただろうか。そりゃ嫌いでは無かったし、尊敬はしているけれど、お互いにお互いのテリトリーに踏み入らないように注意深く距離を測っていたと記憶してて。というか赤司っちが飴玉を持ち歩くイメージが無さすぎて、ちょっと、いやかなり意外だ。あれ。よく分からなくなってきた。
頭の下にある心地の良い暖かさと、撫でてくれる手のひらの気持ちよさと、口に広がる優しい甘さに、何だか、泣きそうになる。
泣き顔を見られないように赤司っちの太腿にぐりぐりと頭を押し付けたら、撫でる手が強まった気がした。



*****



「―――せ、きせ」

「…う…ん」

「黄瀬、そろそろ起きてくれないか。部活が始まる」

「ぶかっ?!」

聞こえてきた部活という単語に、勢いよく起き上がる。寝惚けて定まらない目を擦って赤司っちを見れば、驚いたように目を見張ってから、優しく微笑まれた。

「おはよう。よく眠れたか?」

「えっ、あっ、お、おはよう、ございます。お陰様でぐっすり…、じゃなくて、その、今何時…?」

「丁度16時だ。もう少しで他のやつらも来る頃だな」

「16時?!」

確か俺が赤司っちと部室に来たのが昼休みで、それが12時だったから今16時って事は…。

顔の熱がさあ、と音を立てて引いていく。俺だけならまだしも赤司っちまで午後の授業を丸々サボらせてしまった。謝って済むことなのだろうか。

「ごごっごめん赤司っち!授業サボらせちゃった…っ!ど、どうしよう、本当にごめんなさい!」

「落ち着け黄瀬。この時間まで起こさなかったのは俺の判断だ。元々部活が始まるまでは寝かそうと思っていたしな」

頭を下げて平謝りする俺に、随分と機嫌の良さそうな声でほら、と赤司っちが手に持っていた物を掲げる。どうやらそれは小説のようで、よく見れば赤司っちの隣に山になって積まれている本の束。この量を一体いつ持ってきたんだろう。それを聞いてみれば、俺を部室に呼ぶ前に暇つぶし用に運んでおいたらしい。この時間まで寝かせてくれる気だったのは本当のようだ。

「でも、俺がサボるのと赤司っちがサボるのじゃ…」

「予め先生にも伝えてあるから何も問題は無いよ。だから本当に気にするな。俺がやりたくてやった事だよ」

そう言われてしまえば、もう何も言えない。口を結んで申し訳なさで泣きそうになっていると、赤司っちは目を細めながら腕を伸ばして俺の目元を優しく撫でた。

「…うん。少しは良くなったかな。仕事も部活もお前にとってどちらも大事なのは分かるが、あまり詰め込みすぎるなよ。無理のしすぎで体を壊しては元も子もない」

「…赤司っち」

「分かったか?」

咄嗟に言葉が出てこなくて必死にコクコクと頷く。それにまた笑みを浮かべて頭を撫でられて、もう、駄目だった。たった数時間で随分と赤司っちの色んな優しい顔を見てしまって、こんなの誰だって絆されてしまう。ズルい。

その後すぐに部室は賑やかになって、結局お礼の1つも言えないまま部活が始まってしまった。ついつい赤司っちを目で追ってしまって、たまに目が合うと一瞬柔らかく微笑んでくれて。完全に、駄目だと思った。いつも通り真剣な顔で他の部員に指示を出したり練習メニューをこなしたりしてて、でも俺が見ている事に気づくと笑いかけてくれる。これに落ちない人がいたら精神病院を薦めてしまう。

それから、赤司っちが気になるようになって、見かけると目で追ってしまうようになった。あれだけで心を奪われてしまうなんて、なんて自分は簡単で単純なんだろうか。たまに自分からまた膝枕をしてほしいと強請ってみれば、あの優しい笑顔で了承してくれる。昼休みだったり部活終わりの放課後だったり、わざわざ俺のために時間を作ってくれる。赤司っちの膝で眠る俺の頭を撫でる心地の良い手のひら。毎回眠る前に決まって苺ミルク味の飴玉をくれた。唯一の、安心出来る時間だった。



*****



「…なんて事も、あったっスよねぇ」

「そうだね」

「あの苺ミルク味の飴、今でも気分が落ち込んだ時とかに食べたくなるんだよね。落ち着けるんスよ」

いきなり話し始めた昔話に、赤司っちはクスクスと楽しそうに聞いていた。

「あれからもう3年、付き合い初めてからは2年、早いスよねぇ」

「そうだね」

「赤司っちから告白された時は俺明日死ぬんじゃないかって思ったもん」

「どうしてそう大袈裟なんだ」

「それぐらい嬉しかったってことっスよ」

去年、俺たちの前で自分で切ってみせた赤司っちの前髪は、すっかり元の長さに戻っていた。頭を撫でるように触り心地抜群のふわふわの前髪を弄っていると、擽ったそうに身を攀じる。

「こら、擽ったいよ涼太」

「俺が薦めたシャンプーとコンディショナー、使ってくれてるんスね」

赤司っちに後ろから抱きついて、髪に顔を埋める。ほんのりと香ってくる優しい匂いに頬が緩んでしまう。

「涼太と同じものだなんて聞いたら、使わない訳ないだろう。でも最近実渕がやたらと頭を撫でてくるようになって少し困ってるんだ」

「あ、だってめちゃくちゃふわふわだもん。これは癖になっちゃうっスよ」

夏休みを利用して、赤司っちが1週間ほど東京に戻ってきていた。インハイでも少し会えたけれど、その時は一応敵同士だったから殆ど話せていない。だからちゃんとこうして赤司っちと会えたのは春振りだ。

「…確かに、触り心地はとても良いね」

俺の横髪を軽く梳いて、目を細めながら見つめられる。

(あ、キス)

赤司っちの視線が持つ熱に気づいて目を瞑れば、触れるだけのキスが数回降ってきた。まるで小動物が戯れてるような可愛い口付けに、ああ、幸せだな、と心底思った。
この時間がずっと続けばいいのに。



*****



気がついたら俺は外にいた。見覚えがあるような、ないような。そんな十字路の真ん中を歩いていて、ヒヤリとした。この不思議な感覚を忘れるわけがない。数年なりを潜めていた、あの悪夢。それを今、また見てるんだ。
自分の意志とは関係なく勝手に動く俺の体。視線を動かすことすらできない。どうにか指先1つでも動かせないかと感覚を研ぎ澄ませていると、すぐ後ろから女性の悲鳴が聞こえてきて、視界がぶれる。
振り向いた俺は、歩道に乗りあげようとしているトラックを見た。そして、歩道には逃げ遅れた小さな男の子。その姿を確認した瞬間、自分の体が風を切るように走り出した。試合中にも出したことのないスピードで駆け寄り、その勢いで男の子を突き飛ばす。間に合ったと安堵したと同時に、自分の体を襲う衝撃。数メートル跳ね飛ばされて地面に転がり、ぼやける視界が傷一つ無い男の子を確認してから世界がブラックアウトした。



*****



声が聞こえる。優しい声。大好きな声。好きで好きでたまらない、少し高い赤司っちの声。

「…、りょうた、涼太」

俺を呼ぶ声にゆっくりと目を開ければ、心配そうに揺れた瞳で俺を見る赤司っちの姿。赤司っちを抱き枕にするみたいに抱き締めて寝たから、少し見上げるようにしてこちらを伺っていた。

「どうしたんだ?大丈夫か」

「…え?」

「苦しそうに涙を流していたから」

自分の頬に触れてみれば確かに涙で濡れていた。目を覚ましても止まらない涙に赤司っちにまで辛そうな顔をさせてしまった。

「怖い…夢を、みちゃっただけ。大丈夫っス。起こしてくれてありがとう」

赤司っちの胸に顔を埋めて背中に回した腕に力を込める。そんな俺の頭を何も聞かずに撫でてくれた。
見えた未来が自分の最後で心底安堵した。生まれて初めて神様に感謝した。赤司っちより先に俺を殺してくれてありがとう。見えた悪夢が赤司っちの最後じゃなくて、本当に良かった。そんなものを見ていたら、俺は多分、壊れてしまっていただろう。赤司っちが生きていてくれて、本当に良かった。

本当に、本当に、良かった。



*****



モデルな事もあって私服には人一倍気を使っていた。最近は仕事で用意された服くらいしか着ることがなくなってきていたけれど、それでもたまに私服を着る機会があれば絶対に着たことのあるコーディネートはしないように気をつけていた。だから、朝起きて、服を選んで、最後に身だしなみを整えようと全身が確認出来る大きい鏡の前に立った時に、気づいてしまった。この服はあの時、夢で見た自分の死んだ場面に着ていた服と全く同じだと。つまり、自分は今日死ぬのだと。
まだ桃っちと青峰っちとの約束には早すぎる時間に家を飛び出した。近所の書店に駆け込んで封筒と便箋をデザインも見ずに手に取る。あとどれぐらい自分には時間が残されてるのだろう。昔はあんなに早く死にたいと思っていた筈なのに、あまりにも赤司っちとの時間が、みんなとの時間が楽しくて、いつの間にか。
目に入った適当な喫茶店の奥の1人がけの席に座って、便箋を1枚取り出した。メールだとすぐに届いてしまうし、他に俺が死んだ後に、俺の気持ちを伝えてくれる方法なんて手紙しか思いつかなかった。ペンを走らせながら走馬灯のように今までの思い出が頭を過ぎっていく。伝えたい事が沢山ありすぎる。赤司っちだけじゃなくてみんなにも手紙を書きたかったけれど、溢れて止まらない涙の所為で視界が霞んで見えなくて、やめた。赤司っちへの手紙も書いた文字の殆どが落ちた涙で滲んでしまった。書き終わった手紙を丁寧に封筒に入れて、確か近くに郵便ポストがあったはずだと周りを探せば、すぐに見つかってくれた。もう少しで桃っちたちとの約束の時間になってしまう。祈るように手紙をポストに投函して、涙を拭って集合場所へ急ごうとした時。
聞こえてきた甲高い悲鳴とクラクションの音に振り返れば、信号無視したトラックがそのまま歩道に突っ込もうとしているところだった。そこに小さな男の子が1人、トラックから目を離せずに立ち尽くしている。あの子は、夢でみた。
気がつけば勝手に足が動いていた。一瞬がスローモーションのように感じて、瞬間思考がクリアになる。
多分、あの男の子を助けずに見捨てれば、俺は助かるだろう。死なずに済むと、根拠の無い自信があった。でもそれでも。例え自分が代わりに死ぬとしても、俺には見捨てるという選択肢は存在しない。今まで死ぬと分かっていたのに助けられなかった人達を思い出す。悔しかった。悲しかった。自分の無力さを恨んだ。だから俺は、助けられる距離にある命は、何がなんでも助けると誓ったんだ。目を開けていられないほどの眩しい光と近づいてくるクラクションの音。届いた小さな体を思い切り突き飛ばす。突き飛ばした先には確か人がいたはずだから、地面に叩きつけられる前に抱きとめて貰えるだろう。最後に1人だけでも助けられて良かった。最後に、みんなとバスケが出来てよかった。キセキのみんなと、同じチームで本当の仲間としてプレーができて、よかった。赤司っちにも、全部は書けなかったけれど、1番伝えたい事は手紙に綴れた。
もう、悔いはない。

強い衝撃を一瞬体に感じて、そこで俺の意識は途切れた。





1つ願いが叶うとしたら、もう一度、




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