3.5

無常の風は時を選ばず




side・赤司



俺にとって涼太は自分の身より大切で何よりも優先すべき大事な恋人だ。もし涼太に、赤司の家か黄瀬のどちらかを選んでほしい、と言われたとしても全く躊躇わずに涼太を選ぶ。どこまでも優しく俺を第一に考えてくれる涼太は絶対にそんな事言いはしないだろうけれど、もしそう問われたなら即答する。愛しい恋人を失うくらいなら、家だって血の繋がった肉親さえ迷いなく捨ててしまう事だろう。それほどまでに自分の中で涼太の存在は大きく、隣にいてくれる事が当たり前になっていた。涼太を失ったら、自分はどうなるか分からない。冗談じゃなく死んでしまうだろう。涼太と知り合う前の自分がどうやって生きてきたのかもう全く思い出せない。いくら記憶を振り返ってみても、あの眩しい笑顔がいつも視線の先にいる。

「赤司っちと恋人になれたこと、今でも夢なんじゃないかって思う時ある」

いつだったか。唐突にそう呟いた涼太の声は、どこかいつもと違っていた。返事を期待しての言葉ではないのだろうことは外方を向いたままの涼太を見て分かったが、色のないその声につい反応してしまった。

「どうして?」

「…俺なんかに赤司っちは勿体なさすぎるでしょ。俺なんかが縛っていいような人じゃない。こんな贅沢な夢、期限付きじゃなかったら信じなかった」

「…期限?なんの事だ」

「赤司っちにはもっと素敵で皆から祝福されるようなお似合いな相手が他にいるはずだから。運命の人っていうのかな」

俺の問いには答えずに、独り言のように言葉を吐き出す涼太は相変わらず外方を向いていてこちらを見ようとしなかった。何処か不安定で危ない空気を醸し出す涼太の姿に眉が寄る。

「そんな相手はいないよ。いたとしたら、それは涼太だ。俺は涼太だけしか愛せない。涼太以外は考える事だってしたくない」

強く、はっきりと伝わるように告げる。どうしてそんな事を言うのか。こんなにも涼太を愛してやまないのに。日々想いは積もり積もって、もう引き返すことは出来やしないのに。重く絡みつくそれは、涼太に伝わっていなかったのか。

「……うん。俺だったら、どんなに嬉しかったんだろ」

「涼太、どうしたんだ。何か不安に思う事があるなら言ってくれないか」

涼太の頬に両手を添えて、頑なに合わそうとしなかった視線を強引に交わらせる。息を飲むほどに美しいその顔を見つめ続ければ、目の前の金糸の眉が力なく下がっていく。

「…1つ、聞いていい?」

「ああ」

「もし俺が死んだとして、赤司っちはどうする?」

「涼太。俺はそういう冗談は好かない」

「例えばの話っスよ」

「例え話でも、そんな事考えたくない」

「…赤司っち。お願いだから教えて。もし俺がいなくなったら、赤司っちはちゃんと前を向いて生きていってくれる?俺以外の人と想い合って、幸せになってくれる?」

「……そんなの、無理に決まってる。お前が隣にいない未来なんて、俺には耐えられない。生きる意味が無くなってしまう」

力なく見つめてくる愛しい恋人を強く掻き抱く。腕の中に閉じ込めて置かなければ消えてしまいそうな程に今の涼太は透明で、ここでは無い何処か遠くばかり見つめている姿は空気になって消えてしまいそうだった。涼太の首筋に顔を埋めてその存在を確かめるように抱きしめる力を強めれば、そろりと涼太の腕が宥めるように背中に回される。

「…ごめん。赤司っち、泣かないで」

「…泣いてない」

「変な事聞いてごめんね。もう言わないから」

「…ずっと俺の隣にいてくれ。ただ笑っていてくれるだけでいい。それだけでいいから、それだけで幸せになれるから…1人に、しないでくれ」

「……、俺も、ずっと赤司っちの隣にいたいよ」

俺の肩が暖かいもので濡れる感触に、堪らない気持ちになった。どうして約束してくれないんだ。ずっと一緒にいるよ、と。その一言さえ貰えれば俺は満足するのに。
その日は涼太から離れたくなくて、離れがたくて、ひたすらお互いを求め合った。涼太の熱い素肌に触れているとどうしようもなく安心して、涙が止まらなかった。
この熱を失いたくない。

涼太の見てる先に、離れなければいけない時が来るのだとしたら、どうか俺も一緒に連れて行ってほしい。



********



『赤司くん…っ!きーちゃんが、きーちゃんが事故にあって…!今病院に…っ!』

心臓が止まるかと思った。頭を鈍器で殴られたような衝撃が体を硬直させて、一瞬何も考えられなくなった。真っ白になった頭で、兎に角涼太のところへ行かなくてはとそれだけを考え仕事を放り出して駆け出した。
早く、早く。乗り込んだタクシーの中で震える自身の体を真っ青な顔で見下ろして動かない俺に運転手が心配そうに視線を寄越してくるのが分かった。けれどそれに反応を返す余裕のない俺はただただ祈った。涼太は大丈夫だ。病室の扉を開けたらいつもの柔らかい笑顔で迎えてくれるはずだ。青峰と桃井と、他にもいるだろう皆と一緒に。

心配かけてごめんね、来てくれて嬉しいっス!

そう、笑いかけてくれるはずだ。


搬送された病院に着き、駆け足で受付の女性に涼太のいる部屋を訪ねて、戦慄した。霊安室。病室ではないそこは、名前は聞いたことがあっても実際に入る機会は今までなかった場所だ。その場所に居るということは、つまり。考えたくない答えに辿り着き、目頭が熱くなる。フラフラとふらつく危ない足取りで涼太のいる部屋へと赴き、ゆっくりと扉を開ければ既に俺以外の皆が集まっていた。部屋に散らばるそれぞれが悲痛に顔を歪めていて、啜り泣く声だけが静かに響いていた。その中央に白い布に包まれた体がぽつんと寂しげに、けれど綺麗に置かれている。誰かが捲ったのだろう、眠っているとしか思えない程に綺麗な顔だけが空気に晒されていた。

「……涼太」

「…あか、し、く…」

絞り出すように恋人の名前を呼べば、その声にゆっくりと桃井が顔を上げた。いつもは綺麗に整っている誰が見ても美人だと評するその顔は、可哀想なくらいに崩れていた。目元は真っ赤に腫れ上がり、涙は壊れたように流れ続け、発した声も弱々しい。下がりきった眉でこちらを見つめる桃井に大丈夫だと微笑もうとして失敗し、泣きそうな笑みを向けてから涼太の隣に立ちその頬をゆっくりと撫でた。暖かそうに見える涼太は既に熱を失いいつもの柔らかさもなく冷たいばかりだった。返事が返ってくることを期待して小さく話しかけてみても、閉ざされた唇が開くことはない。
昨日のバスケ大会ではあんなに活発に動き楽しそうに笑顔を振りまいていたのに。二次会でもかつての仲間達に囲まれて幸せそうに笑い合っていたのに。どうして涼太が。どうして涼太なんだ。
とうとう堪えきれずに流した涙が涼太の頬に落ちていく。一度出てしまえば、自分で流れ出る涙を止めることは出来なかった。

それから面会時間が終わるまで、誰一人口を開くことはなかった。



*******



昨夜は少しも眠れず、用意された朝食も喉を通らず殆ど手を付けずに自室に戻った。まだ家を出る時間までかなりあったが、じっとしていると馬鹿な事を考えてしまいそうになり頭を冷やそうと服を着替えて部屋を出る。

「おはようございます」

玄関にたどり着いたところで、後ろから控え目に使用人に声をかけられた。その手には1枚の封筒が乗せられていて、どうやらそれを渡しにきたらしい。

「おはよう。…それは?」

「今朝方届きました。ご友人の黄瀬涼太様から征十郎様宛の手紙のようです」

「りょ、た…?」

目を見開いて固まった俺の手に手紙を握らせてから、使用人は深々と頭を下げて奥へ引っ込んでいった。それを横目に、信じられないものでも見るように視線を手元に落とす。真っ白な封筒の表には赤司征十郎様、裏には黄瀬涼太、と見覚えのある字で書かれていた。それは紛れもなく涼太の字で訳が分からなくなる。震える手で封を切り、中に入っていた1枚の紙を広げる。涼太の字で端から端までびっしりと埋められた手紙は、謝罪で始まっていた。



赤司っちへ

急な手紙ごめんね。他にも伝える方法あったかもしれないけど、時間がなかったから一番に思いついた手紙にしました。この後桃っちと青峰っちと会う約束があるから急いでこれ書いてます。だから言いたいことだけ掻い摘んで書くので文可笑しくなってても笑って見逃してね。
いきなりだけど、赤司っちがこれを読んでいる時、俺はもうこの世に居ないと思います。赤司っちの隣にいれる期間が長くないこと、実は前から知っていました。理由は長くなるから省くけれど、兎に角近々死ぬって事は分かってた。それがこの手紙を書いてる今日だって事はついさっき知ったんだけどね。でもそんな事誰にも相談なんて出来なかったし、心配もかけたくなかったから言わなかった。優しいみんなだから、ちゃんと聞いてくれたと思うけどこれは俺の運命だから。変えることなんて絶対に出来ないから、それならせめて直前まで心配掛けることはしたくなかったんスよ。みんなと、赤司っちと過ごせた毎日は俺の一番の宝物で、幸せな時間を沢山貰えて思ってた程今悲しくないんだ。寧ろ今までを振り返って笑みが溢れてくるくらい。赤司っちを残して先に行っちゃうこと、謝らせて欲しくて筆を取りました。ごめんね。ずっと一緒に居れなくて、ごめんなさい。隣にいられなくてごめんなさい。俺も出来ることなら歳取ってヨボヨボのおじいちゃんになっても赤司っちと一緒に笑っていたかった。出来れば俺が赤司っちを幸せにしたかった。でもそれはどんなに頑張っても無理だから、だからせめて赤司っちには俺以外の誰かと幸せになってほしい。俺のことは時間が経てば忘れられると思うから。俺もだけど、赤司っちもゲイって訳じゃないんだし、可愛くて素敵な奥さんと子供作って、幸せな家庭を築いてほしいな。赤司っちほどのいい男、女の子が放っておかないだろうし大丈夫だろうけど、婚期逃しちゃダメっスからね。俺空から見守ってるから。天寿をまっとうしてからこっちに来てくれなきゃ俺泣くからね!
これでも書きたいこと凄く絞ったんだけど、長くなっちゃった。そろそろ家出る時間だからこのへんで。みんなにも何も言わないで勝手してごめんねって伝えてください。俺と恋人になってくれてありがとう。さよならは言いたくないから代わりに。今までも、これからも、俺はずっと赤司っちが大好きです。愛しています。また来世とかで逢おうね。

黄瀬涼太



最後の方は自分の目から溢れて止まらない涙のせいか、元々滲んでいた文字のせいか読むのに苦労した。どうして相談してくれなかったのかとか、何で死ぬ事が分かっていたのかとか、兎に角聞きたいことが山程ある。けれど、それを聞ける相手は俺を置いて遠くへ行ってしまった。どうせなら、俺も一緒に連れて行って欲しかった。涼太と一緒なら俺は何処へでも着いていくし、どこだって幸せだ。涼太の望む俺の幸せは、涼太にしか叶えられないのに。
涼太からの最初で最後の手紙を胸に抱きながら、玄関先なのにも構わずただひたすら泣いた。



*******



通された部屋で、昨日と変わらず綺麗なままの涼太を静かに眺める。あの手紙を書きながら、きっと涼太も涙を流していたのだろう。手紙の下の方の文字は、殆どが滲んでしまっていた。慌てて拭いたような滲み方をした文字を見ると、不思議と胸に溜まっていた鉛が軽くなるように感じて何度も何度も文字をなぞりながら読み返した。どんな思いで書き終わった手紙をポストに投函したのだろう。涼太も、少しでも長く生きたいと思ってくれていただろうか。
家を出る直前まで泣いていた所為で目がヒリヒリと痛む。この部屋にいる誰もが自分と同じ様な顔で涼太を見ていた。その中で、今にも倒れてしまいそうな程に顔色の悪い黒子が目に入る。そういえば、黒子も涼太の事が好きだったはずだ。本人に確認した事はないけれど、間違いではない自信がある。本人が気づいているかは知らないが、涼太と話をしている時の愛しげに細まる目元や、無意識に目で追っている姿はどう見ても恋をしている男の顔だった。部屋に入り涼太の隣で足を止めてから数分後、またすぐに部屋を出ていってしまった。出ていく直前に見えた黒子の顔や雰囲気は、涼太からの手紙を読む前の自分にとても似ていて、そう思ったら黒子の後を追っていた。
話しかけて振り向いた黒子はやはり疲れた顔をしていて、目元の深いクマから寝ていない事が伺える。どう見ても黒子の方が憔悴しきっているのに、俺を心配して言葉を選んでくれて、昔から全く変わらないなとつい笑みが零れた。普段はズバズバと核心をついてくるどこまでも男前な性格をしているくせに、こういう時は誰よりも親身になって心配してくれる。

「…僕は、2人が大好きだったんです」

「…ああ」

「黄瀬君と赤司君が笑って一緒にいてくれたら、それだけで僕も幸せでした」

「うん」

「…幸せ、だったのに……どうして、それさえ…ぼく、から…」

ああ、本当に。どうしてこんなに優しいのだろうか。優しすぎて逆に心配になってしまう。肩を震わせて涙を流す黒子の背中をゆっくりと撫でる。この小さい背中に俺たちは何度も引っ張られた。挫けて壊れそうな時、その手を掴んで無理やり立たせて、叱咤と共に送り出してくれた。だから今度は、俺の番だ。立ち止まってしまいそうな黒子の手を、もう二度と突き放したりはしない。




「…すみません赤司君、お見苦しいところを…」

暫くして泣き止んだ黒子はどこか気恥しげに頭を下げた。

「いや、全然構わないよ。もう大丈夫か?」

「はい、お陰様で落ち着けました」

「…今度、2人で飲みにでも行こう。お前と恋バナがしてみたい」

「えっ」

俺の言葉に黒子はこれでもかと目を見開いた。口もぽかんと開かれて何とも間抜けな顔だ。悪戯が成功した様にくすくすと笑えば、やっと黒子も笑みを返してくれた。

「赤司君の口から恋バナなんて単語が聞けるなんて思いませんでした。僕たちに一番縁のなさそうな話題です」

「確かにな。そもそもそういう話は涼太と桃井くらいしか進んでしなかったからな」

「ですね」

顔に赤みを取り戻した黒子に安堵してやっと小さく息をつく。それからぽつぽつと他愛ない話を交わしてから黒子を乗ってきた車で家まで届けた。最初は遠慮していたが、もう少し話したいんだと言えば困ったように、でも嬉しさも滲ませた顔で了承してくれた。



俺は涼太の願っている幸せは選べない。死ぬまで1人でいる事だろう。でもそれでも、涼太以外の誰かと過ごす未来より、涼太を思いながら過ごす未来の方が自分には幸せなんだ。涼太の所に行った時、沢山のお土産話を話せるように、これまで向けなかった所まで目を向けて、気になった事には何でも挑戦してみようと思う。黒子たちも誘って色んな場所にも行って。そうすればあっという間に日々なんか過ぎていって、きっとすぐ涼太にも会える。
雲ひとつ無い青空へと視線を上げて、その先にいるだろう涼太へ向けて笑顔を作る。

少し待たせてしまうけれど、涼太が喜んでくれるような話を沢山集めておくから

だからもう少しだけ、見守っていてくれ



隣に寄り添って笑うお前に早く会いたいよ




「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -