05

無常の風は時を選ばず



部活を終えて帰ろうと正門を目指していた僕は、目的の場所に一際目立つ金髪を見つけた。周りより頭1つ分程背が高く見目のいい彼は男女問わずに誠凛の生徒達の視線を集めていた。

「黒子っち」

「黄瀬君…?」

3日ぶりに見た黄瀬君は、何処かいつもと違う雰囲気でこちらを見ていた。なんと言えばいいのだろうか。何かを諦めたような、吹っ切れたような、そんな影のある笑みだ。
3日前、周りがすっかり暗くなるまで僕を説得しようとしていた黄瀬君は、頑なに首を縦に振らない僕に別れる間際に言った。「また説得しに会いに来るから」と。その話をしに来たのだろうか。

「ここじゃ目立つから、ちょっと場所変えてもいい?」

「はい」

じゃあこっち来て。そう言って僕の手を掴んで引っ張る黄瀬君が、ニコリと音のしそうな笑顔で歩き出す。貼り付けたような、何の感情も伺えない笑顔。いつもと何処か違う、様子のおかしい黄瀬君に眉が寄る。一体どうしたんだろうか。
手を引かれて辿り着いたのはいつものストバス広場で、誰もいないガラリとしたコートの中で足を止めた。
鮮やかで幻想的なオレンジの夕焼けをバックに黄瀬君が振り返って僕の顔を見つめてくる。黄瀬君の瞳はまるで夕焼けが閉じ込められているようだ。見惚れてしまうほどに美しい彼を見つめ返していると、掴まれたままの右手を強く握られた。

「赤司っちと別れてきた。だから俺と付き合って、黒子っち」

「……、え?」

「恋人になろう?」

自分の顔が混乱に歪むのがわかった。黄瀬君の言葉を理解する脳が一瞬停止して、飲み込むのに時間がかかってしまった。
聞き間違いだろうか?別れてきた、なんてそんな有り得ない台詞が聞こえたなんて。

「お願い、俺と付き合って…?」

けれど動きをとめた僕に繰り返し優しく告げられたのはやはり変わらない台詞で。震える口でそれでもこれだけは問わねばならない。

「…わ、かれてきた、て…どうして…」

「だって赤司っちと付き合ったまま黒子っちとも付き合ったら俺二股になるじゃないスか。そんな最低な事したくないっスもん」

「そういうことを言ってるんじゃないです…っ!何で別れてしまったんですか?!あんなに想いあって、あんなに幸せそうでお似合いな2人だったのに!」

「黒子っち俺の事愛してくれてるんだよね?俺も黒子っち好きっスもん。何も問題はないっスよね」

「まって、待ってください!どうしてそうなるんですか…?!僕は、2人の仲を壊したくて想いを伝えた訳じゃ…!」

思わず叫んだ僕の言葉を、黄瀬君がその口で塞いだ。なんで僕は黄瀬君とキスをしているのか。驚いて言葉を失っている間に離れていった黄瀬君は笑顔をさっぱり無くした真剣な表情で見下ろしてくる。

「黒子っちが身代わりになるのをやめないなら、俺は赤司っちと一緒にはなれない。俺だけ幸せになるなんて、絶対に嫌だ」

そう言いながら弱々しく眉の下がっていく黄瀬君に何も言えなくなる。

「俺といっぱい楽しい事探して、宝物をいっぱい見つけて、未練を沢山作って、それで黒子っちには死にたくないって言ってもらうっスから。絶対に死なせないよ」

「…黄瀬君」

痛いくらいに握られている手に雫が当たる。自分のではないその雫は黄瀬君の瞳から落ちた涙だ。今まで何度も親しい人達の死を見届けるだけだった黄瀬君の気持ちも分からないわけではない。とても辛いのだと分かる。けれどそれでも、また黄瀬君に悲しい思いをさせてしまうとしても、これだけは譲れない。赤司君さえいてくれれば、黄瀬君は立ち止まらずに前を向けるはずなんだ。

「やっぱり駄目です…、黄瀬君は赤司君の隣が1番なんです…」

「じゃあ黒子っちも俺の身代わりになるの、やめてくれる?」

「……それも、出来ません…」

力強く見つめてくる澄んだ琥珀の瞳に耐えられなくなってとうとう目線を外して俯いてしまった。どうしたら分かってくれるのだろう。いや、分かってくれなくてもいい。けれどせめて赤司君だけは。赤司君と一緒にいることだけは諦めないでほしい。黄瀬君を助けられたとしても、2人が幸せでなければ僕の望んだキミの幸せは駄目になってしまう。
黙り込んだ僕に、服の袖で涙を拭った黄瀬君が何かを思い出したようにそういえば、と言った。

「明日の土曜日って空いてる?俺午前の練習終わったら暇してるんだけど」

「僕も練習は午前だけだったと思うので午後でしたら空いてると思いますけど…」

「ほんとっスか?!じゃあデートしようよ黒子っち!」

「え?いやあの、」

「決まりっスね!じゃあ明日15時にまたここ集合で!俺これから仕事あるからもう行かなきゃいけないんスよ。明日楽しみにしてるっス!」

有無を言わさない彼らしくない強引な様子でそれだけ言うと、返事も待たずに手を振りながら走って行ってしまった。
黄瀬君の姿が見えなくなってから、近くにあったベンチに頭を抱えて座り込む。

僕が身代わりをやめないかぎり、黄瀬君は本気で僕と付き合うつもりなんだろう。赤司君とも絶対に一緒になってはくれない。けれど僕が身代わりをやめてしまったら黄瀬君が死んでしまう。どちらになっても最悪の展開だ。赤司君と別れたまま僕が死んだら、きっと黄瀬君の心は死んでしまう。折角助かっても心が死んでしまっては意味がなくなってしまう。だから赤司君とはよりを戻してほしい。2人でなら、どんな悲しみでも困難でも、乗り越えられると思うから。

(…黄瀬君と、キスを、してしまった)

感触を思い出すように自分の唇に触れながら、今更な罪悪感に襲われる。赤司君に合わせる顔がない。

僕はどうしたらいいんだろう。

どうすることが、正解なんだろう。



*****



「黒子っちおはよー!いや、もう3時だしこんにちは…?」

「…おはようございます黄瀬君」

約束の15時より少し前。重い足取りでストバス広場へと赴けば、先に着いていたらしい黄瀬君がキラキラとした笑顔で近づいてきた。当たり前だけど黄瀬君は私服で、制服やジャージ姿ばかり見慣れていたからなんだか新鮮だ。

「黒子っちの私服姿見慣れなさすぎてなんか違和感あるっスね」

「僕も今同じこと考えてました」

「あ、やっぱり?俺たちいっつもバスケバスケだもんねー」

そうからからと笑う黄瀬君はすっかりいつも通りだった。その姿に安心してこっそり息をつく僕の片手を取られ、そのまま歩き出す。

「こっちっスよ」

普通に握るのではなくて、指を絡ませた所謂恋人繋ぎというもので、これで街中を歩くのは流石に焦る。

「えっ、ちょっと黄瀬君、手…!」

「デートなんだしこれくらいいいじゃないスか!」

離してくれる気は全くないらしい。何度か抗議してみたけれど、上手に流されてしまった。
目的地も分からないまま、時折世間話を挟みながら何処かに導かれる。そうして小一時間程かけてやっと辿り着いたのは何故か温水プール施設で、僕が首を傾げている間にあれよあれよと貸出の水着に着替えさせられてしまった。ドーナツ型の浮き輪に寄りかかってぷかぷかと水面に浮かんでいる黄瀬君は楽しそうで、どうやらかなりはしゃいでいるようだ。

「…あの、そろそろ聞いてもいいですか?」

「ん?」

「どうして温水プールなんですか…?」

「昨日スタイリストさんにここのペア無料券貰ったからっスよ!なんでもここのまぜそばが絶品らしくて」

「はあ」

縁に座って水に足だけ入れて意味もなくぷらぷらさせる。暖かな水が心地いい。暫く潜ったり軽く泳いだりして楽しんでいた黄瀬君が濡れた髪をかきあげながら近づいてきて、僕の膝の上に寄りかかって見上げてくる。

「ねえねえ黒子っち!あれやろうよ!」

指さした方へと視線を向ければ、かなり大きなウォータースライダーだった。専用の浮き輪に乗って2人で遊べるらしい。

(…あれは)

丁度スライダーを降りてくる人達を見て戸惑う。カップルのようだが、前に座っている女性を後ろから男性がピッタリと体を密着させて離れないように抱きしめていた。専用の浮き輪もそれ程大きくないようで、必然的に距離が近くなる仕様のようだ。
ただでさえ水着で布面積が殆どないのに、あんなに隙間なく密着されるのは出来れば遠慮したい。

「…いえ、僕はここで見てますから黄瀬君はどうぞ楽しんできてください」

「黒子っちがいないんじゃ楽しめないっスよー!折角来たんだし一緒に楽しもうよ!ね!」

「……えっと」

「もー!」

どうやって断ろうかと考えていると、頬を膨らませた黄瀬君に腕を引っ張られた。周りに掴むものが何も無くて、引っ張られるままにプールの中に全身を浸からせる。黄瀬君が縁から落ちた僕を抱きとめてくれたけれど、そのまま水の中に一緒に引き込まれた。
青く澄んで綺麗な水面の中で、黄瀬君が僕に優しく微笑む。悪戯っぽく笑うその表情に胸がいっぱいになる。水の音以外聞こえない青の世界は黄瀬君と僕しかいないのではないかと錯覚してしまうほどにどこまでも優しい色をしていた。この苦しくて堪らない心の臓は、呼吸が出来ないからなのか、それとも。
黄瀬君が苦しそうに少し眉を寄せて人差し指を上に向けた。そろそろ息が苦しいのだろう。でも僕はもう少しだけこの2人の世界にいたくて、呼吸が出来ないわけではないのに苦しくて辛いばかりの地上に出たくなくて、気づいたら黄瀬君の腰を引き寄せて唇を押し付けていた。驚いて口を開きかけた黄瀬君に深く口付けて、自分の息を吹き込む。とうとう自分からキスをしてしまった。あんなに駄目だと言い聞かせていたのに、全てのしがらみが許されてしまいそうなこの暖かな世界が心地よくて。驚いたのは最初だけで、黄瀬君は嫌がらずに口付けに答えてくれた。背中に回った手に、僕達は本当に想い合っているんじゃないかと勘違いしてしまいそうになる。
ここが水中で良かった。
流れる涙を黄瀬君に見られなくて、良かった。






それは甘い地獄のような偽りの






結局あの後ウォータースライダーにも連れていかれて、閉園時間ギリギリまで手を引かれるままに遊び倒した。半分ずつ食べたまぜそばもとても美味しくて、何だか夢のような数時間で。待ち合わせしたストバス広場に帰ってきて少しだけバスケをして、そろそろ帰ろうと汗を拭えば、黄瀬君も体を動かして乱れた髪や服を整えながら近づいてきた。

「今日はありがとう黒子っち!デート楽しかったっス!明日は撮影あって1日暇がないから、また月曜日、部活終わったら誠凛に迎えに行くね」

「あの…、もしかして毎日誠凛に来る気ですか?」

「え?もちろん。だって俺、いつ最後の日が来るのか分からないから。仕事がある日は難しいかもだけど、基本的には毎日会いに行くつもりっスよ」

「それでは黄瀬君が倒れてしまいます」

「心配してくれてありがとう。でも大丈夫だから。1日でも黒子っちの顔見れない方が落ち着かなくて何にも手がつかなくなるっス」

明日は夜に電話するね!そう微笑んでから、何か言いたげに数秒黙って見つめられた。

「…ねえ、最後の日がいつなのか、教えてくれないスか?」

問いに言葉が詰まる。教えてしまったら、僕が助けようとした時に阻まれてしまうかもしれない。それは駄目だ。

「…ごめんなさい」

「…、黒子っち」

「え?」

名前を呼ばれて顔を上げると、いつの間にか目の前にあった黄瀬君の顔が近づいてきていた。伏せ目がちに僕の目を見ながら逸らさない黄瀬君は何処か寂しそうで。キスをされる。そう分かっていても反応出来なかった。

「き、せく…」

「やっと見つけた」

急に聞こえてきた静かな声と共に、肩に置かれていた黄瀬君の手が離れていく。驚いて見てみれば、そこには久しぶりに見る赤司君の姿。黄瀬君の腕を引いて僕から引き剥がしたようだった。インハイぶりの赤司君は少し息を切らせて張り詰めた様子でこちらを伺っていた。黄瀬君も両目を大きく開いて赤司君を見つめている。

「涼太」

「…あ、かし、ち」

「久しぶりだね、黒子。元気にしてたか?」

「…赤司君」

赤司君のこんな顔は初めて見た。まるで「敵」を見るような、鋭い色を放っている瞳。けれどそれはすぐに逸らされ、怒りを抑えるように軽く頭を振ってから、細められた視線が黄瀬君に向けられた。

「なんで…ここに」

「昨日の電話はどういうことだ?」

視界の端で黄瀬君がギクリと肩を揺らしたのが見えた。気まづそうに地面を見つめて、唇を固く結んでしまう。
もしかして、赤司君と別れたのは昨日の事だったのだろうか。それに赤司君の言葉から察するに、詳しい理由を言わないで別れ話を持ち出したのだろうか。2人を横からただ見つめていると、何も言わない黄瀬君に小さくため息をついた赤司君が僕を見る。

「…黒子、涼太と付き合っているのか?さっき、…キスを、しようとしていたよな」

「え、いやっ、僕達は」

「まだ口説き落としてる途中っス。でも両思いなんだし、もう付き合ってるって言ってもいい気がする」

「黄瀬君!」

自分の喉から悲鳴にも似た声が出る。その声に驚いた2人が僕を見て、言葉を失うのが分かる。ここ最近で、僕の涙腺は随分と緩んでしまったようだ。

「…黄瀬君…やめて、ください…」

黄瀬君のシャツの裾を掴んで、僕の思いが伝わってくれるようにと涙で滲む目で強く2人を見る。

「何度も言ってますが…僕は、黄瀬君と赤司君が一緒に幸せになってくれる事が1番の願いなんです」

「…だからそれは黒子っちの返事次第だって俺も言ってるじゃん」

「…?話が見えないんだが、お前達は何の話をしてるんだ?」

赤司君は1人だけ小さく首を傾げて僕と黄瀬君を交互に見つめる。それに黄瀬君は反応を返そうとは思っていないらしく、視線をさまよわせた後に地面に落ち着いた。

(…黄瀬君、もしかして)

何処かぎこちない黄瀬君の様子に閃いた。これは、赤司君に知られたくない話なのだろう。確かに赤司君にこのことが伝われば、僕と同じように身代わりになってでも黄瀬君を守ろうとするはずだから。
それなら。

「あの、赤司君」

「どうした?」

「…黄瀬君の、事なんですけど」

「黒子っちっ!!!」

今度は黄瀬君の叫びが辺りに響き渡った。伝えようとした僕の口はすぐに伸びてきた黄瀬君の両手で塞がれてしまい、続きを発することが出来ない。

「…黒子っち、やだ」

僕にだけ聞こえる小声で話す黄瀬君の声は面白いくらいに震えていて、僕の口を塞ぐ手も同じくらいに震えていた。見上げれば泣き出しそうに歪めた真っ青な顔。

「い、言わないで…、赤司っちの夢なんて見たら…俺、絶対、…その場で自分の命を諦めるから…」

「!」

それはつまり、自分で自分の命を…。

思わず息を呑む。冗談でも嘘でもない。僕が赤司君に伝えて、もし赤司君が僕と同じで身代わりになってでも助けようとしたら、黄瀬君は本気で自分の命を投げ出してしまうだろう。

「お願い…」

悲痛な表情で僕を見つめる黄瀬君に、コクコクと首を縦に振るしかなかった。改めて黄瀬君にとって赤司君がどれ程大きな存在であるかがわかった。僕の返事を見て少しだけ表情を明るくさせた黄瀬君がやっと手を離してくれる。

「…黒子?」

黄瀬君の肩越しに赤司君を見る。どこか不安そうにこちらを伺っているだけで、僕達に近づく事はしないようだった。

「…赤司君、僕達は付き合っていないです。付き合う気もありません。僕は赤司君と黄瀬君に元の関係に戻ってほしいです」

「…俺は、戻る気はないスからね。黒子っちの側から離れないって決めたんスから」

ぎゅうと強く抱きついて僕の肩に顔を埋める黄瀬君に、赤司君が苦笑しながら僕に視線を寄越す。

「…それなら、また涼太に好きになってもらえるように初めから頑張るよ」

「赤司君…」

「涼太と話せる雰囲気ではないから、今日は帰るよ。また来週会いに来る。お前達も早く帰るんだぞ」

おやすみ、と一言残して、赤司君は1人帰っていってしまった。何処か悲しげなその後ろ姿が見えなくなるまで、ただ見つめることしか出来なかった。顔を埋めて隠したままの黄瀬君はピクリとも動かない。じわりと暖かく濡れる肩に、気付かないふりをした。



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