03

無常の風は時を選ばず



「黒子」

覇気のない声に振り返れば、優しい顔をした赤司君がいた。その目元は薄らと赤みを帯びていて、多分昨日沢山泣いたのだろうな、と思った。
僕達は今日、黄瀬君の実家に来ていた。昨日いたメンバーと、その他にも海常高校の先輩方など、黄瀬君と親しい人で溢れかえっていた。病院から実家に移動した黄瀬君に改めて会いに来たはずなのに、静かで動かない黄瀬君を見ていると胸が痛くなってきて、結局数分で出てきてしまった。
そんな僕を追いかけるように出てきた赤司君にどうしたのかと問えば、苦笑が返される。

「酷い顔だぞ。ちゃんと寝てるのか?」

「僕は大丈夫です。それより、キミの方こそ大丈夫ですか?」

「ん?」

「…黄瀬君とは恋人関係でしたよね」

「…そうだね」

赤司君は一瞬目をパチりと瞬かせてから、すぐに困ったような笑みを浮かべた。

「知っていたのか。涼太から聞いたのか?あいつはお前には何でも話すからな」

「…いえ。僕は人間観察が趣味なので。2人の間に流れる空気には結構すぐに気づいてました」

「なるほどね」

友情とは少し違う空気を纏う2人に気づいたのは中3の夏の初め頃。その前からどこかソワソワしていた2人が気になり、何となく観察していた折に見てしまった。
その日、忘れ物に気づきまだ正門を出る前だった事もあり、部室に取りに戻った。別に忘れたところで困る物でもなかったのだが、気づいてしまうとほっとけないタチだった僕は早足で先程出たばかりの部室を目指す。けれど既に誰もいなくなっているであろう部室の扉に手をかけた時、中から人の声が聞こえて足を止めた。まだ残っている人がいたのかと、音を立てないように慎重に中を伺った。そこには黄瀬君と赤司君がいて、何かを話しているようだった。同じレギュラーの2人だった事に安心したのと同時に、2人の距離の近さに首をかしげた。隙間なんてない程にピッタリとくっついて、頬をすり寄せるように抱きしめあっている。離れている所為で内容は聞こえないが、時折聞こえるクスクスという笑い声は聞いているこっちが擽ったくなる程に甘かった。ほんのりと頬を染め顔を寄せて笑い合う2人を、何だか見てはいけない気がして。開ける時よりも更に慎重に扉を閉めようとした時。2人の口唇がそっと重なったのを見てしまった。幸い僕がいた事には気づかれなかった様で、音も立てずに急いで部室から離れられた。混乱する頭でも、付き合い始めたんだ、とそれだけははっきり理解した。

「…流石に、これは暫く引きずりそうだ。食事も喉を通らないし、何をしていても涼太の顔が頭から離れなくてね」

「…無理はしないでくださいね。赤司君に何かあったら、天国にいる黄瀬君に僕が怒られそうです」

「はは、いやあいつは黒子にはめっぽう甘いだろう。お前に怒っている涼太は想像出来ないな」

クスクスと笑う赤司君に、僕はそっと息をつく。自分の態度は変ではないか、いつもと同じ様に話せているだろうかと不安だったのだが、赤司君の楽しそうな雰囲気に空気が和らいだ。けれどホッとしたのもつかの間。ふいに笑みを消し、真剣なものに変わった赤司君は、真っ直ぐに僕をその美しい真紅の瞳に映した。

「…俺も、人間観察は得意な方なんだ。なあ黒子、お前も涼太の事が好きだったろう?中学の頃から、今も一途に」

「!」

ビクリと大袈裟に自分の肩が跳ねた。思ってもいなかった指摘に目を見開いて赤司君を凝視してしまう。確かにいつの間にか黄瀬君の事が好きになっていた。自覚したのは最近だったからこの想いがいつから芽生えていたのかは自分自身分かっていなかった。しかし赤司君の目から見れば中学の頃にはもう好意を抱いていたらしい。どう答えたらいいのか分からなくて、何だか友人を裏切ってしまったような罪悪感も湧き上がってきて、思わず視線を逸らしてしまう。ぎゅ、と拳を握り、視線を自分の足元へ下ろす。思い詰めた様子の僕を見て、優しい声に戻った赤司君は宥めるように語りかけてくれる。

「ああ、落ち着いてくれ。別に責めているわけじゃないんだ。一途にずっと変わらない想いを向け続けていた黒子だから、お前の事も心配なんだ」

「…え?」

「好きで、何よりも大切で、愛していた相手が自分の手の届かない場所へ行ってしまった辛さは、俺も今身に染みて分かるからね。こんなにズキズキと痛むんだ。それこそ死んでしまいたいくらいにね」

そっと目を伏せた赤司君は、自身の胸に手を当てる。黄瀬君の事を思い出しているのか、少し苦しげに眉が寄せられた。

「分かるからこそ、心配なんだよ。1人で思い詰めていやしないかって。お前は1人で何でも抱え込むタイプだろう。涼太を愛してる者同士、良かったら慰めあわないか」

悪戯っぽく笑う赤司君に、自分の顔が歪むのが分かった。視界が霞んできて言葉が詰まる。自分のことでいっぱいいっぱいだった自分が恥ずかしい。ポロポロと零れる涙を袖で拭っていると、しわ一つない綺麗なハンカチを手渡される。

「黒子っちを泣かせるなんて、って俺が涼太に怒られそうだな」

「…赤司君。キミは…いえ、…キミ達は本当に…」

くしゃりと笑う赤司君の笑顔は何故だが黄瀬君のそれと重なって見えた。笑い方がとても似ているのだ。けれどそれだけじゃない。それ以外でもつられて笑みが零れてしまう程に似ている。滲み出る優しさや気の使い方がそっくりで、そういえば最近の黄瀬君の言動からも赤司君を思い出すことが多かった。好き合って、求めあって、一緒にいる時間が増えて自然と似てくるなんて、まるで夫婦のようだ。そんな2人が僕は大好きだった。恋のライバルであるはずの赤司君を恨んだり憎んだり嫉妬したりなんて、そんなこと出来ないほどに大好きだった。2人が幸せでいてくれる事が僕の1番の願いだったんだ。

「…僕は、2人が大好きだったんです」

「…ああ」

「黄瀬君と赤司君が笑って一緒にいてくれたら、それだけで僕も幸せでした」

「うん」

「…幸せ、だったのに……どうして、それさえ…ぼく、から…」

その先は言葉にならなかった。
体を震わせながら嗚咽を漏らす僕の背中を優しく摩ってくれる赤司君は何も言わずに隣にいてくれた。その事に更に涙が出てきてしまって泣き止むまで時間がかかってしまった。

今度の休みに飲む約束をして、赤司君の言葉に甘えて家まで車で送ってもらった。自分の部屋に着いた途端に昨日眠れなかった所為か、殆ど気絶する様に深い眠りに落ちた。






人を愛することがこんなに辛いなんて、知りたくなかった






…こ……ち…

くろ…ち…

誰かが僕を呼んでる声が聞こえる。
もう聞ける日はこないと思っていた声が聞こえる。
そんなはずはないのに。

くろこっち

まるで夢みたいに優しいずっと聞いていたいキミの声。
そうか、これは夢なのか。夢ならば、もっと僕を呼んでくれないだろうか。そうしたら、明日からまた前を向いて頑張れる気がする。だから。だからどうか夢みたいな夢をもう少しだけでいいから見させてほしい。
声の聞こえる方へ伸ばす手は、虚しく空を切る。

はずだった。


「―ーー黒子っち!!」

ハッと意識を浮上させると、目の前には眩しいくらいの金色。心配そうに覗き込んでくるその顔を間違えるはずはない。

「…き、せ…くん?」

「黒子っちどうしたの?!大丈夫?!どこか痛い!?」

「…ど…して、夢…?」

慌てる黄瀬君とは対照的に、僕は呆けた顔で目の前の人物を見つめた。サラサラと癖のない金髪、長く特徴的なまつ毛、蜂蜜色の宝石のように美しい瞳、灰色の制服を着こなしたスラリと長く細い身体。誰もが振り返る美貌を持ったその人物は、間違いなく黄瀬君だった。無意識に手を伸ばしてその頬を両手で包む。

「く、黒子っち…?」

「…、ほんもの…?」

存在を確かめるようにするりと頬を撫でると、困惑の滲む顔で首を傾げる黄瀬君。肩、胸、足と一通りペタペタ触る僕を好きにさせている黄瀬君は、ピタリと手を止めた僕に気づいて再度心配そうに顔を覗き込んでくる。触った感触がリアルすぎて、本当にこれは夢なのかと思案する。頬に当たる風の暖かさも、空気の匂いも、耳に届く黄瀬君の声も、全てが本物のようだ。

「黄瀬君、僕を殴ってください」

「はあ?!いきなり何言ってるの黒子っち?!」

「思い切り、僕を吹っ飛ばす勢いで殴ってください」

「いやいやいや、そんな事できる訳ないじゃないスか?!」

「いいから、早く」

「ひぇ?!」

思わずギロりと睨むと、とうとう黄瀬君は涙目で肩を震わせた。可哀想だが、今は説明してる暇がない。真剣な顔で見つめる僕に観念したのか、黄瀬君はそろそろと僕の頬を親指と人差し指で摘んだ。

「よく分かんないけど、これで勘弁してくれないスか…」

そう言ってぎゅっと頬を抓られる。抓られた頬がじんわりと熱を持ち、すぐに離れていく黄瀬君の手を思わず握りしめた。

「…いたい」

じわじわと痛む頬が信じられなくて、黄瀬君の手を、形を確かめるように包み込む。

「そんなに痛かった?!力入れたつもりは無かったんスけどごめん黒子っち!!」

急にあたふたとし始めた黄瀬君に何だと思えば、自分の頬を濡らしているものに気づく。最近泣いてばかりで、涙腺が緩んでしまったのかもしれない。いや、今はそれよりも。

「ゆめ、じゃ、ない…」

感情が高ぶって、目の前の自分より広い胸に飛び込んだ。背中に腕を回して強く抱きしめると、また慌てたように混乱した声が上から降ってくる。それを無視して耳を胸に当てれば、トクトクと心地の良い脈打つ音が聞こえてきた。心臓の鼓動が聞こえる、それはつまり。

「い、き…てる、生きてる…っ」

何が何だか分からない。でも一つだけ確かなのは、今自分の腕の中にいる黄瀬君は生きているという事。それだけで全てがどうでも良くなるほどに嬉しくて、わんわんと泣き出した僕を宥めるように背中をポンポンと優しく摩ってくれる黄瀬君にまた涙がとまらなくなった。



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