02

無常の風は時を選ばず



物音一つしない薄暗い個室で、目の前に横たわる寝ているように綺麗なその頬をゆっくりと撫でる赤司君。もしや暖かいのではないのか。そんな小さな期待はすぐに握りつぶされた。

「...冷たい、な」

「......飲酒運転したトラックが信号無視して…きーちゃんが逃げ遅れた子供を庇ったみたいで......、それで...」

桃井さんは顔を伏せたまま静かな声でそう教えてくれる。表情は見えないが、震える体とぽたぽたと地面に小さな染みを作っている雫で泣いていることがよく分かる。そんな桃井さんの隣では青峰君も手で顔を覆って声なく泣いていた。紫原君は部屋の隅でその巨体を隠すように小さく蹲り、足の間に顔を隠してピクリとも動かない。扉の横では緑間君が静かに腕を組み、しわくちゃな顔を俯かせて立ち尽くしていた。つい先程1番最後にこの部屋に着いた赤司君は、横になって布に包まれた黄瀬君の横で、ポツリポツリと小さく、まるで縋るかのように話しかけていた。眉は苦しげにこれでもかと垂れ下がり目尻に涙も浮かべているのに、その口元は穏やかに弧を描いていて、赤司君らしくないチグハグで思い詰めたような表情がどこか痛々しい。
そんな5人の姿を、僕は涙もなくただどこか遠くから見ている気分だった。

「私が少しでも早く合流していれば、もしかしたらこんな事にはならなかったかもしれないのに...!」

「さつきのせいじゃねえ!」

黄瀬君と青峰君と桃井さんは今日、会う約束があったらしい。初めは桃井さんと黄瀬君だけでショッピングする予定だったのが、珍しく予定の空いたらしい青峰君が2人に加わり出掛ける事になったようだった。しかし待ち合わせ場所にいつまで経っても黄瀬君は現れず、家族ぐるみでも付き合いのあった青峰君が黄瀬君のお母さんから電話で知らせを受けた。

涼太が、車に轢かれて…今病院なの。

ううん、まだ手術中でね。今日は大輝くんとさつきちゃんと会うって楽しそうに話してたから連絡しなきゃと思って。

病院の場所送るから、良かったら来てくれる…?ありがとう、涼太も喜ぶわ。

血相を変えた2人が僕達に連絡しながら急いでタクシーに乗り込み、そして病院に着いた時にはもう黄瀬君は息を引き取っていた。
1番早く病院に着いた僕は、通された部屋で青峰君に肩を抱かれながら泣き崩れている桃井さんと、そんな桃井さんと同じぐらいにぐしゃぐしゃな顔で泣いている青峰君を見てすぐに察してしまった。黄瀬君は死んでしまったのだと。2人の横で白い布をかけられて静かに横たわっているのは黄瀬君なんだと。
そのすぐ後に紫原君と緑間君は二人同時に駆け込んで入ってきた。勢いよく扉を開けて、けれどその勢いは部屋の中央に目を向けてすぐに失われた。目を見開いて、少し固まったあと、よろよろとゆっくり白い布へと近づく。震える手でそっと布を捲ればいつもと変わらない綺麗な寝顔の黄瀬君。

ねえ、うそだよね?寝てるだけなんでしょ?ねえ黄瀬ちん。

…紫原。

ちょっと、いつもの五月蝿いくらいの元気はどうしたの?こんな冗談笑えないし。

紫原。

…早く起きてよ、ねえ!流石に俺怒るよ!ほら、黄瀬ちんってば!!

紫原!もうやめるのだよ!!

ガタガタと黄瀬君を揺らし始めた紫原君を、緑間君が羽交い締めにして止めに入る。
こんな時、何て言ったらいいのだろう。どうすればいいのだろうか。
涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら庇い合う桃井さんと青峰君。信じないと泣き叫び暴れる紫原君と、そんな紫原君を抑えながら自身も辛そうに顔を歪める緑間君。
そこでやっと不思議に思う。何故僕は涙が出てこない。こんなに胸が締め付けられるように痛むのに。こんなに悲しくて悔しくて仕方ないのに。傍にあった鏡を見てみれば、映っているのは悲しみも悔しさも何も感じ取れない僕の顔。
けれど、何故だろう?このぽっかりと穴の空いた感じは。痛む胸の半分を埋めている、謎の感情は。

その日は殆ど言葉を交わすことはなく、それぞれ名残惜しそうに黄瀬君に別れを言い、帰っていった。
家に着いて、何だか重い体を休ませようとご飯も食べずに横になって目を瞑っても、一向に眠れる気配はなかった。妙に頭が冴えて、今思い出すのは辛い黄瀬君の顔ばかり浮かんでくる。記憶の中の黄瀬君は常に笑顔だった。その笑顔に種類はあれど、総じて幸せそうな明るい表情。みんなの輪の中でも一際目を引くその笑顔を、そう言えば僕はいつも眺めていた。目で追っていた。見ているだけでこっちまで暖かい気持ちになれる笑顔を。

「…ふ、」

目が熱い。いつの間にか枕を濡らしていた雫に気づいて驚く。袖でゴシゴシと拭っても、次から次へと溢れて止まってくれない。どうして今更。止まらない涙のせいで、感情まで揺れてくる。病院では顔に出るほど大きく揺れなかったはずなのに、涙も、想いも、止まらなかった。
どうして黄瀬君なんですか。なんでキミが死ななければいけない。最後まで人を助けて逝った彼が、何をしたというのか。昔から、黄瀬君は強かった。真っ直ぐで折れない、いつでも眩しい笑顔だった。みんながバラバラになった時でさえ、信じて信じて、変わらずに1人でみんなを待ち続けてくれた黄瀬君。そんな彼にどれほど救われたことか。僕だけじゃない。青峰君だって、赤司君だって紫原君だって緑間君だって。みんな救われてた。
かえして。黄瀬君を返して。僕達から奪わないで。返して。黄瀬君。きせくん、きせくん。

「…黄瀬君…っ」

もう一度あの笑顔が見たい。大好きな優しい笑顔。声も、仕草も、匂いも、何もかもが優しい黄瀬君に会いたい。大好きだったんだ。お願いだから、僕から黄瀬君を奪わないで。

ああ。そうか。僕は黄瀬君の事が好きだったんだ。愛していたんだ。
病院で泣けなかったのは、心の半分を埋めていた感情は後悔だ。伝えるつもりはなかったけれど、伝えられなかった後悔。何もかもが今更だった。


もう、キミはいない。





代われるのなら、僕がキミの代わりに





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