プロローグ




昔から兄はなんでも自分の思うとおりにならないとすぐに怒った。



ある時は親から買ってもらったおもちゃが嫌だとか…



またある時は私の誕生日祝いにと買ってくれたケーキの苺の数が多いだと…




そしてある時は…





「ねぇ、そんなんじゃ俺の練習になんないんだけど、
もっと球威のある玉投げてくんなきゃ打てないし。それにコントロールもぐちゃうぐちゃもっとちゃんとしてくれない?」



小学校に入ったときだっただろうか、兄が野球を始めたのをきっかけに学校から帰ったあとなどは兄の所属する野球チームの練習場となる河原で別に好きでもなかった野球の練習を付き合わされるようになった。兄がピッチャーをやりたいときは私はキャッチャーに、またバッティングの練習をやりたいときは私がピッチャーとなってという練習が続いた。ただもちろん兄は片づけを手伝ってはくれるのだけど遅いなどいちいち言葉が後ろから飛んでくる。



こんな感じでほぼ毎日兄のもとで野球をしていたおかげで(と、きっと兄と正反対の性格のせいもあるのだろう)、お年頃という年齢になっても私の周りには女の子なんてもっての他でお友達がなんてものもいることはなく、ただ兄だけがいるのだった。



そんな自己中心的な兄が高校受験を控えたある日、私にこう言った


「俺、稲実で最強のチーム作るから」と。



最初はまたこの人は…なんて突拍子もない事を言い出したのだと思った。



最強のチームがそんなので作れたら苦労はしないのに…なんて私も結構冷めたことを思っていたのに、兄が高校に入って半年後、稲代実業が甲子園に出場したことを知ってようやく兄が言っていた最強のチームというのができたのだと思った。



…同時にこのまま兄の学校に行くのではなく、兄の最強と呼べるチームをつぶしてくれる高校に行きたいと思うのだった。



そして、世間の桜はもう満開を迎えた頃、
私はある高校の門の前にいた。



その高校の名前は----



青道高校



半年間、いろいろな学校のことを調べ、違うブロックに行くことも全国へ行くことも考えたが、それはさすがに親が許さなかったので、同じ校区内で調べた結果、私はこの公庫ならまだ可能性はありそうだと思った。それからは稲実へと進める親、当時の担任を説得し、私は無事に受験を終わらせたのだった。



そして、多分この学校には彼がいるのだろう。



いつの日だったか、高校に入る前に兄が寝言でぼやいてた彼の名前…



ただ、その名前を探したくて、私は今日からこの学校の一員になるのであった。



プロローグ  end

(後悔してもしらないよ、一也)
(…かずやって誰だろう)



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