例えられない

父の顔も母の顔も消えてしまうくらい、兄二人が嫌いだった。そしてなにより、兄二人に勝つことのできない自分が大嫌いだった。


長、長、
俺ははやく長みたいになりたい。兄たちなんていなくても、1人で生きていくことくらい容易くなりたい。


強く、もっと強く。


思いばかりが先を走って、俺の発展途上の体はついてこない。崖の中腹まで意地で登ったがつるりと足を滑らせた瞬間、がくんと岩につかまっていた両腕の力も抜けた。


落ちる。


「伊吹!」


長の声がする。


痛みが体を打ちつける。


長の声がする。


その声はあまりに近くて、薄く意識の繋がれた俺の視界に顔をぐしゃぐしゃに歪めた長がみえた。体中が痺れるけれど、息ができないほどじゃない。


「おさ……」


長は強い。また俺を助けてくれた。長みたいに。長みたいになりたい。


自分が長の腕のなかにいると安心感を得た途端、落ちるように意識を失った。












「………」


思わず舌打ちする。恥ずかしいことを思い出した。まぁあの3人から逃れられたし、とりあえずしばらくのしつこい勧誘は覚悟した方がいいようだ。


「はぁ」


ため息を吐いてひどく疲れている自分に気がついた。まったくもって気が休まらない場所だと思う。ここは。


そういえば建物はある程度案内をしてもらったが、外はまだだったなと思い立つ。建物にはまだあいつらがいるだろうし、と俺は安易な気持ちで外へ踏み出した。


「いけどーん!!!」


「っ!」


突然あの忌々しい声と共に上空から七松が降ってわいた。腕で身を守るが拳が重い。


「っにすんだ馬鹿野郎!!」


腕を斜めにそらして重みを流す。七松は「わわっ」と体制をくずして、俺から離れた。


「さすが伊吹だ!体調は上々のようだなっ!」


「気分は最悪だ」


「私は伊吹に会えてすごく嬉しいぞ!」


「そうか、失せろ」


「七っ、松、せんぱっ…」


突然聞こえた死にそうな声にギョッと驚いて屋根を見上げる。すると、なんだったか…ああ、紫色だから四年生の生徒が背中に水色、一年生の生徒を背負いながら屋根にしがみついていた。


「いきなりっ、飛び降りないでくだっ……あ゛あぁ三之助そっちじゃない!」


「わわわっ待ってくださぁい次屋先輩!」


なんだ騒がしい。
みれば三年生の生徒が屋根を伝いどこかへ走り出そうとするのを、二年生の生徒がしがみついて必死に止めている。


「そっちじゃないですよぉ!」


「え?あっちが学園だぜ、四郎兵衛」


「学園は目の前ですぅ!」


「いやあっちだろ」


「違いますって!止まってくださいよぉ!」


「俺の勘があっちだって!」


「なによりも役にたたないものは捨ててください!」


じたばたと暴れる生徒2人に、屋根の上なのに危ないと声をかけようとしたまさに瞬間。


「あっ!」


「わぁっ!」


つるり、と三年生の方が足を滑らせ、しがみついていた二年生が巻き込まれて屋根から転げ落ちた。


「危ないっ!」


四年生の悲鳴のような声が飛ぶ。


なんとなく落ちるのが予想できていた俺の体は、七松より速く動いていた。


「ぐっ」


「っ!」


2人の体を乱暴ながら抱き留めて足を踏ん張る。体重も背丈も違う体が落ちてきた衝撃を、意地で受け入れた。


「……はー」


「三之助っ四郎兵衛っ」


四年生が一年生を背負ったまま、真っ青な表情で降りてくる。七松も大丈夫かと駆け寄ってきた。


「うーいってぇ」


「いってぇじゃねぇ!」


「!」


びくっと三年生と二年生の肩が跳ねた。構わず2人を地面に放り投げる。


「屋根の上にいんだ油断すんな!変な怪我して足でも挫いたらどうすんだ!」


「え……」


「えじゃねぇ!歩けなくなったら事だろーが!」


転がした三年生と二年生の前にしゃがみ込み、足首やら腕をつかむ。


「痛いとこねーか」


「いや、しいて言うなら先輩に放り投げられたときに打った腰が痛いっす……」


「ああ?」


「あーイエなんでも!」


「う………」


頬を引きつらせる三年生の横で二年生が表情を泣き顔に歪めた。みるみる大粒の涙があふれだし、ぼとぼとこぼれていく。


「うあぁあん」


「は……」


なぜ泣いているのかわからず、狼狽える俺。なにも間違ったことは言っていないはずだ。なぜ泣く!?


「怖かったぁあ」


「はぁ?」


今更か。と突っ込みたい気持ちを飲み込み、俺はため息をついてとりあえず二年生の頭に手を置く。


「なに言ってんだお前。さっき屋根の上でこいつに飛びついてたくせに」


「うぇ…?」


「度胸があるくせに今さら泣いてんじゃねぇぞ。男がめそめそするな」


ひくっ、と喉が鳴って二年生が泣くのを止めた。と思えば頬に色が浮き、ぽやっとした顔で見つめられた。思わずたじろぐ。


「ほわぁ……」


「な、なんだ」


「かっこいい……」


「は?」


「先輩、王子様みたい」


「!?」


思わず勢いよく二年生から飛び退く。その間もほわんとした表情で俺の手を握り見上げてくる二年生に、ななななと狼狽える。


「王子様先輩、ぼく、時友四郎兵衛っていいます。よろしくお願いします」


「なんだその呼び名は!?」


「すごいぞ伊吹!反射神経がいいんだな!」


「今それどころではない!これをなんとかしろ七松!」


「し、四郎兵衛やめなさい!す、すみません先輩」


四年生の生徒が二年生を引き取ってくれた。その横では三年生が肩をぷるぷる震わせて笑っている。


「お、王子様先輩って……」


「三之助!すみません先輩。うちの後輩が失礼を……」


「あ、ああ気にするな」


というかもうここから離れたい。もう行こうと踵を返そうとするのを七松が肩を抱いて阻止した。


「ありがとうな伊吹!お前はやっぱりいい奴だ!体育委員会に入るべきだぞ!」


「……は」


「なぁ滝夜叉丸!」


「えっ!あ、は、はぁ。まぁたしかに、先輩みたいな素敵な人が……あ、ああいえその!」


顔を真っ赤にした四年生が腕で顔をおおい俯いた。なんなんだこの流れは。


「いや、俺は委員会には入るつもりはない」


「体育委員会は委員会の花形だ!伊吹にぴったりだと思うぞ!」


「聞け」


「王子様先輩、ぼく先輩とならつらいマラソンも頑張ります……!」


「お前も聞け」


きらきらとした瞳でまた二年生に手を握られた。子供にこんな視線を向けられたことのない俺はどうしたらいいのかわからずにただ後ずさる。


わからん、ここの子供は全くもってわけがわからん。


どうして俺を怖がらない。
どうして俺を囲んでいる。


戸惑いながらも二年生をみれば、二年生はきらきらとした瞳で俺を一心に見上げてくる。


「…」


ああ、このくらいの子供はこんな表情もできるのか。


里で俺が受けていたのは、恐怖の表情。大の大人をいとも簡単に伸す俺の腕が、びりびりと耳を痛めつける刃のような俺の声が怖いと。


俺に近づいてくる者はいなかった。


「王子様先輩?」


「……変な子供だ、お前」


「ぼく、四郎兵衛です。変じゃありませんよ!」


「変だよ、四郎兵衛」


名前を呼んでやれば、ほわぁと表情を緩める。わけがわからん。なぜそんな風に笑う。


「伊吹が気に入ったか四郎兵衛!」


「はい七松先輩……王子様先輩は素敵です……」


「やめろ。その呼び方を今すぐやめろ。俺は天城伊吹だ」


「やです。王子様先輩の方が素敵です!」


「……」


「あ、あの天城先輩。私は4年い組の平滝夜叉丸といいます。よろしくお願いいたします」


「あ?ああ……」


「次屋三之助でーす。滝夜叉丸センパイの背中で気絶してるのは、一年の皆本金吾。はいよろしくよろしくー」


四年生の背中にしがみついたまま気絶している一年生の腕を無理やり振らせる三之助にやめろとアイアンクローを決め、俺は覚えた覚えたと自己紹介をあしらう。


「みんなと仲良くなったな伊吹!これはもう体育委員会に入るしかないな!」


「理屈がわからん」


「私は伊吹と一緒に委員会活動がしたいぞ!伊吹がどれほどの腕かとか、なにが好きかとか、伊吹のことは知りたいことだらけだ!」


「ぼくもです…!王子様先輩は朝なんじに起きるんですか…?」


「もっと別に質問あるだろ」


けらけらと笑う次屋に七松も大きく笑った。俺と目が合った平がすみませんねと苦笑する。なんだ、これ。例えるならええと、胸のうちにほどよくぬるくなった緑茶をこぼしたような?温められた布団に入り込んだ瞬間のような?


いい例えが思い浮かばない。


戸惑う俺の心中など知らずに、こいつらは笑っていた。本当に本当に。なんなのだろうこの場所は。


「よーしじゃあランニングだ!行くぞ伊吹!」


「行かねぇ」



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