その手は嘘を描く

もう何日前になるだろう。


「別れよう」


なんの脈絡もなく、彼女はそう口にした。僕はスケッチブックに置いていた鉛筆をぴたりと止めて、無表情で僕を見下ろす彼女を見上げる。


「……え?」


「別れるの。もう会わない、電話もしない、メールもしない」


「ま、待って?急にどうしたの?」


「急にじゃないわ。前からずっとずっと思ってた。別れた方が良いのよ、私たち」


「僕……なにかした?」


その問いに、彼女は酷くくしゃりと顔を歪めた。


「何もしてない、要は何もしてないわ」


「じゃあ……」


「何も!何もよ!」


亀裂。彼女のなかに溜め込まれていたなにかが、爆発する音がした。


「要は私に、なにも、なにも……!ねぇ要、要は私のこと好き?好きなの?」


ヒステリックに叫ぶ彼女に、僕は悩まなかった。


「好きだよ」


悩まなかったのは、考えていなかったから、だと後に誰かに呆れ気味に言われた。


考えていなかっただなんて、僕は本当に彼女のことが好きだ。好きだよ。


嘘なんかじゃ、ないのに。


「嘘!へらへら笑うのはやめてよ!」


彼女の言葉が、声が目が、鋭くなっていく。


「要は私のことを好きじゃないの、全部全部、嘘なの。自分で自分に嘘ついて、騙してる。ねぇ、ねぇ、どうして気がつかないの」


わかるのよ、要が私に「好き」というたびにその言葉はスカスカで、カラカラで。


と彼女は頭を抱えた。


「私、もう嫌だよ。私は要のことが好きなのに。要は、私のことなんだと思ってるの?」


「好きだよ。本当にそう思ってる。僕は」


「やめて!!」


彼女はもう限界がきているのかもしれなかった。肩に手を置こうとした僕の手を払い、テーブルのスケッチブックを奪い取る。


「要の絵も要も嘘ばっかり!全部全部、愛想笑いを浮かべて!」


、ぁ、、


きゅ、と脳のどこかが縮んで、背中からじわりとなにかが渦巻く。かち、かち、かち、


僕の、世界の時が、止まった。


「嘘吐き!!!!」


"なぁ"


彼女の叫びの向こうに見えフラッシュバックしたのは、絵描きとして尊敬する僕の父の言葉。


"お前の描きたかったのは、本当にこれか?"


「ぁ、……ぁ」


"俺には、お前が俺の真似をしているように見える。もっと自由に描いていいんだ"


"怯えて、嘘を吐くのは"


"駄目だ"






部屋に残ったのはぐしゃぐしゃに破かれたスケッチブックと僕だけで。彼女はいつの間にか、部屋を飛び出してしまっていた。


「知ってるよ」


残された僕は、破かれたスケッチブックに向かってつぶやく。


「僕が嘘吐きだなんて、自分がよくわかってる」


嘘を吐いたりすることや、愛想笑いを浮かべることが苦しくなくなったのはいつからだっただろう。


僕は、父さんみたいな絵描きになりたかった。でも、どんなに頑張っても、父さんにはなれなくて。


父さんにあった"才能"というやつが、僕には無かった。それだけの話。


僕は父さんじゃないのだから、と自由に描く絵は"嘘吐き"と言われてしまった。


「……僕は、」


ぐらぐらと足元が揺れる。真っ暗、真っ暗だ。


好き、絵を描くのは大好き。絵を描いて父さんが褒めてくれるのが、大好き。


なのに、いつから僕の手は、嘘を描くようになったの?












「、あの、要さん!」


「!」


は、と我に返ると、聞き覚えのある声が耳をくすぐった。


さらさらと撫でる風と目の前に広がる、小さな小さな湖。固い尻の感触に、自分はまた湖の前のベンチに座っていたのだと知る。


「数馬くん」


微笑みながら名前を呼べば、数馬くんは少し顔を赤らめて学生服の裾を握った。


「こ、こんにちは!」


「うん、こんにちは。あれ?今日は学校休みなの?」


「あっ、はい。あの、午前中で終わったので」


「そうなんだ」


「す、スケッチブック、見てるんですか?」


「……あ、うん」


数馬くんに指摘されて、自分がスケッチブックを握っていたことを思い出した。思わず苦笑をこぼして「見る?」と数馬くんを僕の隣に座るように促した。


「いいんですか?」


戸惑いと、自惚れだろうか?少し嬉しそうな数馬くんの問いに頷いてスケッチブックを手渡す。


「あんまり期待しないで?」


「えっ!いえ、あの、嬉しいです。見せてもらえるの」


あれれ、可愛いなぁ数馬くん。
僕はくすくすと笑い、ぱらりとスケッチブックをめくり始めた数馬くんから視線を外した。


きらきらと午後の柔らかな光を受けて応える湖に、ただ目を細める。


「数馬くんは、絵を描くのが好き?」


「えっ?あ、僕はうまく描けないですから……」


「そうなの?」


「美術の授業も、あまり得意じゃないです。僕、絵が下手なんです」


照れたように笑う数馬くん。僕は小首をかしげながら、くすぶった違和感を探っていた。


じゃあ何故、数馬くんは僕の絵を?


「あの、要さん」


「ん?」


「えっと……すいません。あの、カルガモの絵……が見当たらなくて」


そう断って告げられた数馬くんの言葉に、僕は少しだけ息を止めた。


カルガモの絵。


「あ……ああ、あの、あの絵は、うっかり濡らしてしまって。捨ててしまったんだ」


破かれたスケッチブックの中。カルガモの絵は、その中だった。


「そうなんですか……勿体無いですね」


しゅんと眉を下げて、少し寂しそうにスケッチブックを眺める。


「要さん、ここでそのカルガモの絵を描いてたことありますよね?それで、僕その絵を見て」


「……」


はにかむように笑顔を浮かべ、嬉しいそうに僕のスケッチブックを触る。数馬くんは僕の絵を好きだって言ってくれた。


「数馬くん」


「はい?」


「昨日は言うの忘れちゃったんだけどさ。今度から、時間合わせない?」


「え?」


「僕が今まで描いた絵、見てほしいんだ」


「本当ですか!?」


「うん。また、このベンチで」





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