あなたが大好きです。
なにかが密集しているところを歩くのが、僕は怖い。だって、密集しているもの全て"黒"だから。
進んでいるのか、戻っているのか、わからなくなる。
「…っ」
いつもはなんでもない小さな森の中が、酷く恐ろしい場所に思えてならない。その先に、僕の希望はあるのだろうか。
怖い、怖い、
「……あいたい」
色を、希望を
僕にくれたあの人に。
森が開ける。眩しい白が僕を迎えて、それを湖だと認識した瞬間。その白に淡く黒が差し込んだ。
会うのも怖いと思っていたはずなのに、僕は叫ぶように名前を呼ぶ。
「要さんっ」
※※※
なんていうか、疲れただけだった。僕は湖をぼんやり眺めながら、自分に赤面する。
なにやってるんだろう、僕。
相変わらずきらきらと太陽の光を反射して静かに輝く小さな湖。それを眺められる位置にあるベンチとその傍のブランコ。なにも変わらない、ただ数馬がいないだけ。
「だいぶ違うけどな、それ」
はぁ、と自傷するため息は僕の疲労を倍増させた。
数馬に会いたい。数馬に会わなければ。数馬に会って、僕の気持ちを伝えなければ。
でも。
「……あー」
数馬は今どこにいるのか。数馬がどのへんに住んでいるのか。数馬の通う学校はどこなのか。僕はなにも知らない。
せめて連絡先くらい…!と思うが、大学生が中学生に連絡先を聞くのは正直どうなんだろう。やっぱり、僕は身を引くべきなんじゃないか。
呼吸が落ち着いた途端、いろんな考えがぐるぐると頭を回った。
でもそんなものは
「要さんっ」
名前を呼ばれただけでいとも簡単に飛んでいってしまう。
「数馬……?」
「要さっ……は、はぁ、っ……」
今度は頭が混乱でぐるぐる回る。何故?時間的にまだ学校のはずなのに。何故、数馬がここに。
そんな思いとは裏腹に、僕は数馬の頬に手を伸ばして、上から視線を合わせる。
「大丈夫、数馬」
「…っぅ……要さん、あの、」
ごめんなさい、と小さく喘ぐように数馬が謝罪を口にした。真っ赤な目に涙が溜まっていく。
「ず、っと、言えなくて、ごめんなさい」
「……ううん、僕も悪かった」
「ちが、僕が言えなくて、!でも、僕!」
数馬は僕に訴えるように、僕の服をくしゃりとつかむ。
「要さんの絵が、好きなのは本当で、!」
胸が詰まる。
またくれた。僕を救ってくれた言葉。
「要さんの絵は、僕にまた色をくれたから!」
「え……僕の絵?」
「初めて絵をみたとき、すごく、感動しました。僕は要さんの絵が好きです。僕のせい、で描くのやめたりしたら、嫌、ぁ、です」
ひっくひっくと嗚咽が漏れて、数馬の服を握る手に力がこもる。
ここまで、ここまでこの子は僕の絵を好きだと言ってくれる。素直に嬉しい、充分だ。
「……やめないよ」
ストンと自分の言葉が自分の芯へ落ちていく。これが、答えか。
「やめないよ。僕も悪かったんだ。数馬が色がわからないからって、なにかが変わるわけじゃない。数馬は数馬だよ。僕の好きな、数馬だ」
「えっ……」
ひくっと喉が鳴って数馬の顔がみるみる赤くなっていく。僕はそれに小さく笑って、しゃがみ込むと数馬の頬を手で挟んだ。
「僕は数馬のことが好き」
「っ……ぇぁ、」
数馬が僕に挟まれている手から逃げるようにもぞもぞと抵抗する。僕はそれを逃がさないように、するりと手を数馬の腕へ移動した。
「数馬、聞いてほしいことがある」
「…?」
きょとんと首をひねる数馬に僕は決めた思いを口にした。
「僕、父さんのところに戻ろうと思うんだ」
「え……」
くしゃり、と数馬の表情が心配に歪められた。僕はそれを微笑んで払う。
「今まで僕が言えなかったこと、全部父さんに言ってみる。それでまた、父さんのところで絵の勉強をするよ」
「要、さん」
「まだまだ父さんにも周りの上の人たちにも適わないけど、それでもやっぱり、僕は絵を描くのが好きなんだ」
「……っ、大丈夫ですよ!要さんの絵は、僕に色をくれたすごく素敵な絵ですから!」
「うん、ありがとう」
数馬の頭をゆるゆると撫でると、数馬は意を決した表情で僕の服をまた掴んだ。
「僕も、」
「え?」
「僕も……要さんのことが、っ、好きです!」
今度は僕が固まる番だった。数馬の頭に手を乗せたまま、顔に熱が集まっていくのがわかる。
「お話、するようになって、要さんのこと、僕」
「数馬」
「……っ、行ってほしく、ないけど」
我が儘は言えない。
下唇を噛んでうつむく数馬の綺麗な藤色の髪に唇を落とす。
「ごめんね、数馬」
「…」
「ごめんね、好きだよ」
いけないとわかっていながらも、僕は軽く数馬に口付けをした。しょっぱい味を舌先に感じて、僕は唇を離すと数馬の目元を拭う。
「好きだよ」
「ぼ、くも、好き、です」
「うん、ありがとう。数馬。たくさんたくさん、ありがとう」
「……っ」
僕の言葉に数馬の咳が切れた。数馬は僕に飛びつくと、声を上げて泣き出す。僕はそれを受け止めて、ずっとずっと数馬の「行かないで」を聞いていた。
数馬と僕が初めて出会ったのも、別れたのも、この公園だった。
僕はこの公園から見える小さな湖が好きで、数馬はそのすぐ側にある青いブランコが好きだった。よくそのブランコに腰掛けながら、僕が絵を描くのを眺めていたように思う。
いつか、またいつか。この公園で同じように。笑いながらスケッチブックをめくれたら。
そんな日がまた来るように。
僕は優しくて幸せな思い出を静かに、胸に仕舞った。
end
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