色をくれた人

僕は、逃げ出したままだった。


「はー……さいあく」


いつもなら、数馬とあの公園で会っている時間。なのに僕は家で冷蔵庫に背を預けていた。


「僕の方がお兄さんなのに、どうしてこう、僕は、」


行動が餓鬼なんだろう。


「……」


ぼんやりと自宅の天井を見上げる。思い浮かぶのは数馬のことばかりで、僕はズクズクと痛む胸にまたため息を零した。


数馬に、僕は嘘をつかせていたんだろうか。


数馬が僕の絵を綺麗だと言ったのは、ぜんぶ。嘘だったんだろうか。


「………あー」


もう、ぐちゃぐちゃだ。


数馬のことを考えるだけで、どうしようもなく、泣きたくなる。



※※※


「数馬?」


「!」


ハッと我に返ると藤内が心配そうな表情で、僕の顔を覗き込んでいた。


「どうした?箸、全然進んでないけど」


「え、あー……」


視線を落とすと申し訳程度に箸のつけられたお弁当が写った。藤内はもう食べ終えて、パックの牛乳をすすっている。


「今日はお弁当の日だから、ハンバーグ入れてもらうって楽しみにしてたのに、ハンバーグ一口も食べてないじゃないか」


「……うん、あはは。ほんとだ。食べなきゃね」


フォークを真っ黒なハンバーグに刺して、一口かじる。真っ黒はハンバーグは優しい味がした。本当はちゃんと、綺麗に焼けてるハンバーグなんだろうな。


「……数馬、なにかあったんじゃないか?」


「えっ?あ、えー?あはは、何でもないよ。元気元気」


「あのなぁ数馬、僕はお前と何年一緒にいると思ってるんだよ」


「えっと……」


「数馬、僕は待ってるからな」


藤内が牛乳のパックのストローを噛み、ちらりと僕に視線を寄越す。



「僕はいつか、お前がちゃんと話してくれるのを待ってる」


「!」


息が止まった。
僕は藤内を見つめてぱちぱちとまばたきする。藤内は素知らぬ顔で話題を無理やり元に戻した。


「で?なにがあったんだ、数馬」


「藤内……」


「ちょっとでも話せば、楽になるし、僕でも力になれることがあるかもしれないしな」


「……うん、僕、」


息を吸って僕は抱えてものを吐き出した。


「僕、要さんに、嫌われちゃった」


途端に涙が視界を歪める。
昨日あれだけ泣いたのに、涙はまだ止まらないのか。


「嘘、ついてて、それは要さんに嫌われたくなくてついてた嘘で、でも、嘘ついたことで、やっぱり要さんに嫌わちゃった」


「……」


「僕、もうあの公園に行けない。要さんに会えない」


「……好きなんだな、要さんのこと」


「っ……うん」


だって、だって、要さんは、僕の世界に色をくれた人だから。



黒、黒、白、黒、白、白


あれは黒で、あれは白。
僕は黒で、空は白で。


僕は生きているんだろうかと、思うようになっていた。だって僕の世界はまるで死んでいる。あの鳥だって、あの花だって。


鏡にうつる白黒の僕だって。
本当は死んでいるんじゃないかって。


「(この公園に、湖なんてあったんだ……)」


でも。


偶然迷い込んだ、見知った公園の奥にあった小さな湖。その近くの、ブランコの傍にあるベンチ。


そのイーゼル(画を描くときに使う三脚のようなもの)に乗ったキャンパスボードを見た瞬間。


「……!」


僕の世界に、一瞬だけ色が戻ったような気がした。


ぶわっと強い風を頬に感じる。ああ、そうだ。思い出した。空は青くて、雲は白くて、きっとあの花は赤くて黄色で、


僕の世界は、白と黒なんかじゃない。


キャンパスボードのなかの湖の画は、青くまるで宝石みたいに輝いて。風によってさわさわと揺れる葉に、僕は木々が青々とそこにいるのを思い出す。


「綺麗」


小さく、そんな声が出た。
胸が震えて頬が熱く高揚する。すごい、色が、色が見える。


「こーら」


「!」


聞こえた声に自分が怒られたのかとびくりと視線を向ける。男の人が小さな女の子を抱きかかえてるところだった。


「柵から乗り出したら危ないよ。落ちたら大変でしょ」


「鳥さん!」


「鳥さんは泳げるけど、君は泳げないでしょ。駄目だよ。お母さんはどこに行ったのかな」


「あっち」


「戻らないと駄目だよ。ほら、飴あげるから」


女の子は飴の包みを握りしめて、母親の呼ぶ元へ走っていく。そして、あのイーゼルの前に座った。


「!」


あの人が。あの人が。


筆に絵の具が乗る。キャンパスボードに色が灯る。ああ、あの花はピンク色なのかな。


ドキドキした。
そう、もしかしたら僕はあの瞬間から、


「好きなんだ」


要さんに恋をしたのかもしれない。

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