至福揺れる
ざわざわとざわめく喧騒。教室の隅から隅まで、同級生たちの会話が波打って波打っていく。
そんな中、僕はファイルから一枚の絵を取り出して眺めていた。
可愛らしい苺の絵。
要さんは終始、本当にそれをもらっていくのかと恥ずかしげにしていたけど、僕は頂けるならこれが良いともらったものだ。
「やっぱり、要さんの絵は綺麗」
「数馬?」
「わっ」
びくっと肩を跳ねさせれば、藤内が眉を歪めて僕を覗き込んでいた。
「次、移動だぞ?ぼんやりしてたら遅刻する」
「あっ、ありがとう」
「…ん?これ、数馬が描いたのか?」
藤内が僕の持っていた画用紙を覗き込む。思わずドキリと心臓が跳ね、首を横に振った。
「違うよ、えっと、知り合いの人が描いたものをいただいたんだ」
「へぇー……上手なんだなぁ」
「うん、好きなんだ。この人の描くもの」
「……だから数馬、最近機嫌が良いんだ」
「え?」
「ほら数馬、入学式前に高熱出して倒れて入院して、退院してから学校に来るようになってもなんか辛そうだったから」
藤内が苦笑を浮かべた。
「僕、数馬を元気付けたかったけど、なにも出来なくて、情けないな」
「そんなことないよ!」
びっくりした。まさか藤内がそんなことを思っていてくれたなんて。
「嬉しい、ありがとう藤内」
「うん。数馬が元気になってくれて良かった。すごいんだな、その人」
「……うん、へへ」
そうだよ。要さんは素敵な絵を描く、素敵な人なんだ。
要さんは自分のことを嘘吐きだと言ったけれど、そんなの、絶対にそんなことは無い。僕はそうは思わない。
だって、本当に嘘吐きなのは、僕の方だから。
「……あのね、文化祭、招待状出すつもりなんだ。藤内にも紹介するから!」
「本当?うわ、ちょっと緊張するな」
「数馬ー、藤内ー、なにしてんだ次移動だろー」
三之助に呼ばれ、僕は慌てて教科書を片付けて席を立った。
苺の絵を無くさないように、大事に大事に仕舞って。
※※※
「きゃあ」
「?」
悲鳴が聞こえた気がして、きょろきょろと辺りを見渡す。見れば、道の角からコロコロとグレープフルーツが転がってきていた。
「ん?あ、!大丈夫ですか!」
グレープフルーツを拾い上げ、転がってきた方を視線で辿れば、お婆さんが道に倒れていた。慌てて駆け寄る。
「どうしました?」
「あら……すみません」
顔を上げた上品なお婆さんは、少し恥ずかしそうに苦笑を零した。
「ごめんなさい。たくさん荷物を持っていたものだから、階段を踏み外してしまったの」
「怪我はありませんか?」
「ええ、無いわ。ありがとう」
「しかし、足が痛むでしょう。よろしければ僕が荷物を運びますよ」
「え?まぁまぁ、いいのかしら。悪いわ」
「いえすみません、癖なので」
僕も苦笑をこぼして、散らばっていたフルーツや野菜を拾い上げた。
「じゃあお願いします。そうね、玄関まで」
「はい」
お婆さんに手をかすと、お婆さんはまた申し訳なさそうに立ち上がって、門扉の鍵を回した。そこで、あ、と思う。
「この家……」
「え?」
「あ、いえ、その、お庭……綺麗ですよね。ここ、よく通るので」
「あぁ、思い出した。先週、スケッチブックを持っていた方よね?」
ドキッと心臓が跳ねた。そして思わず狼狽えて「すみません勝手に!」と頭を下げる。
「あらあら良いんですよ。私、ガーデニングが趣味で。絵に描いていただけたなんて嬉しいわ」
「すごく素敵なセンスですよね。思わず立ち止まってスケッチしてしまうくらい」
「お上手ねぇ」
くすくすとお婆さんが門扉を開け、中に入るよう促した。軽く頭を下げてお邪魔する。
ドアを開けて、荷物を置くとお婆さんが手を合わせて提案した。
「良かったら、お庭見ていかないかしら」
「えっ!いいんですか?」
「もちろん。荷物を運んでいただきましたから」
「そんな、大したことじゃ」
「あとお庭も褒めていただいたわ」
「……ぅ」
「さぁさ」
有無言わせない笑みのお婆さんに促され、後をついて行く。
どきん、どきん、と心臓が鳴るのがわかった。初めて、あの公園の湖を見つけたときのようだ。
「どうぞ」
さぁあ、と風が僕を通り越して行った。その風に、ふんわり花の香りが乗る。
「うわぁ……」
目に鮮やかな色とりどりの花が、我ここにありと咲いているのが綺麗だ。あの苺も可愛らしい身を揺らしている。
描きたい。
この全部を。僕の手から、この感覚が溢れ出していくものを。
「勿体無い……うわああなんで僕スケッチブック持って来なかったんだろ……」
「あら、まぁまぁ……ふふ。なら、今度持ってきたらいいわ」
「え?」
「私も絵を見たいもの。よろしかったら、いかがかしら」
「いいんですか!ありがとう御座います!」
やった。きっと数馬も喜ぶ。数馬もきっと、この庭を気に入る。
「………あ」
ふと、視界の端に、その花は映った。
コスモスのような、可愛らしい淡い藤色の花。
「数馬の色だ……」
「?あの花ですか?あれはね、ブルーデイジーという花です」
「ブルーデイジー?」
「ええ、綺麗な紫色でしょう。あ、気に入ったなら差し上げましょうか」
「えっ!」
思いもよらない提案に僕がギョッと目を見開くが、お婆さんはホホホと笑ったまま軒下から小さなプランターとシャベルを取り出した。
「いやっあのっ!いいんです!悪いですよ!」
「でも、気に入ったのでしょう?なら、駄目じゃないわ」
なんと手際良いことか、サッサと土をプランターに入れ、花を移し変えてしまった。
「で、でも……」
「いけないわ。年寄りの好意は受け取らなくては」
にこりとお婆さんが上品に微笑む。僕は眉を下げながら、プランターを受け取った。
「すみません、ありがとう御座います。なにからなにまで」
「いいのよ。久しぶりに若い人とお話し出来て楽しかったわ。またいらしてね」
※※※
僕が歩くたび、ブルーデイジーはゆらゆらと揺れた。数馬の色をしたその花、可憐な花びらを僕の視界にちらつかせる。
「可愛いな」
本当に、数馬みたいだ。
「………花、あげるのって変かな」
いやでも!僕が持ってても枯らしちゃうし!だったら、数馬に喜んでもらえた方が世のため人のためというか!
「明日、数馬来るよな」
ぽつ、とつぶやいた僕に応えるように、ゆらりとブルーデイジーが揺れた。
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