浚い風

さらさらとした風は僕たちの汗をいつの間にか乾かして、髪の間をするするすり抜けて行った。それに目を細めてから、七松先輩が消えていった方を眺める。


「七松先輩、帰ってきませんね……」


「どこかで迷子になったんじゃねーかな」


「三之助が言っちゃった!」


「もう日も暮れますね」


金吾くんも眉をさげて見えなくなっていく夕日を不安そうに見つめる。そして腕を組んで考え込んでいる滝夜叉丸先輩に挙手した。


「探しに行ってあげた方がいいんじゃ!」


「うーんしかしな……」


「もしかしたら怪我して動けないのかも……どどどうしよう」


「四郎兵衛、落ち着きなさい」


あわわわと手をぱたぱた振って慌て出す四郎兵衛の頭に手をおいて落ち着かせ、滝夜叉丸先輩は眉をよせたまま目をとじた。策を考えているのだろう。


「七松先輩が迷子だなんて、やっぱりなにかあったのかな」


「あー……んーどうだろな。遠くまで行ってるだけかもだしな」


「滝夜叉丸先輩、下級生だけでも先に返した方が良いのではないでしょうか」


僕が挙手してあげた意見に滝夜叉丸先輩は目をあけて頷いた。


「そうだな。そうした方がいいかもしれない」


「僕らなら大丈夫ですっ!ね、時友先輩っ」


「そうですぅ!僕たちも七松先輩が心配ですから!」


「でもなぁ、日が落ちてしまったら危険だし。山賊なんかに襲われたら……」


「滝夜叉丸先輩ぃっ。僕らこれでも忍者のたまごですから!」


「そうです!時友先輩のおっしゃる通りです!」


「うーんそれはまぁ……」


二人して滝夜叉丸先輩の忍び服をつかみ、じぃっと先輩を見上げて訴えた。


「…………仕方ない。みんなで七松先輩を探しにいこう」


「「はぁい!」」


「誰か連絡係に残った方がいいんじゃあ。俺残ります?」


「あ、三之助残ってくれたらすっごく楽だね」


「え、なにどういう意味?」


「そのまんま受け取ってくれて構わないよ」


「じゃあ連絡係にしろと三之助残りなさい。日が落ちきったらそれまでに七松先輩か私たちが戻っても、戻らなくても忍術学園に帰ること!わかったな」


その指示を聞いた瞬間に三之助の腕をマッハで握った四郎兵衛に思わず苦笑して、僕は金吾くんの頭に手を置く。


「金吾くん、もう走れる?」


「はい!」


「よし、私とお前たちで手分けするぞ」


「滝夜叉丸先輩お一人では大変ではないですか?」


「案ずることはない要。なにを隠そうこの私は平滝夜叉丸!忍術学園一の戦輪のっ…」


「行ってらっしゃーい」


「なぜ押す三之助!」


「日ぃ暮れますよ先輩ー」


「くっ……仕方ない。ではまたな!」


「行こうか金吾くん」


「はい!」



※※※


七松小平太は木々を駈けていた。身体中をすり抜けて翔ていく翔ていく風に、自分までも風になってしまったような気がして頬がゆるむ。


「いけいけどんどーん!」


気持ちよく張り上げた声でさえ、風にさらわれて弾けて消えていく。自分の感覚すべてが翔んでいく。


「さぁはやく帰らないとみんな心配する!いけいけどんどーん!」


木々をすり抜けて駈けて翔て。我が愛しの後輩たちのもとへ。


山賊たちが不穏な動きをしているだなんて気がつきもせずに。ただただ風を切り裂き突き抜けてゆく感覚が気持ちがよくて。


七松小平太は木々駈けていた。



※※※


2つのことが起きた。
2つのとても、悪いことが起きた。


1つ、それは残されたものたちから始まった。


「なぁ、しろべー」


「どうしました?次屋先輩」


「やー……暇じゃない?」


「……あっち向いてホイしますか?」


「なにそれかわいい」


やっぱり俺も行くって言えば良かったかなぁと両足を投げ出す三之助から視線をはずし、四郎兵衛は黒が濃くなっていく空を不安げに眺めた。


七松先輩、大丈夫かなぁ。


「大丈夫だよ」


「!」


見透かされた気持ちに三之助の手が優しく乗る。


「あの七松先輩だぞ。大丈夫大丈夫。すぐ帰ってくるさ」


「……そーですねっ」


へへっと笑う四郎兵衛に三之助もにっと笑い返す。やっぱりあっち向いてホイするかとじゃんけんを始めた二人の耳に、足音がかすめた。


「!ななま……」


「ほーこんなとこに餓鬼がいやがんぜ」


「おーおー駄目でちゅよーこんな薄暗くなる時間帯に子供だけで」


自分たちの背後をとったのは、敬愛する先輩でも、先輩を探しに行った同級生でもなかった。下卑た笑みを浮かべ、体つきのがっしりした男と目が合い、三之助はバネのように立ち上がって四郎兵衛の腕を引く。


「わっ!?」


「しろっ走れ!」


片腕で四郎兵衛の体を放るように投げ、男たちから距離を取らせる。四郎兵衛はつんのめりながらも足を踏ん張り、三之助の名前を呼んだ。


「次屋先輩っ」


「行け!」


懐にあった手裏剣を構える三之助に、四郎兵衛は狼狽えながらも踵を返そうとした。しかし。


「おーっと動くなぁ」


「っ!?」


「しろ!」


いつの間にか男の1人に後ろをとられた四郎兵衛が首元に刃物を当てられ、動きを止められてしまった。人質をとられた三之助も同時に動きを止める。


「卑怯だぞ!」


「卑怯ぉ?おーおー褒め言葉だ。なぁ?」


男の言葉に、周りの男たちがゲラゲラと品のないの笑い声を上げる。四郎兵衛が涙を浮かべて震えているのをみて、三之助は下唇を噛んだ。


相手は複数。あいつの気を逸らしてその四郎兵衛を。ああでも。


「次屋先輩……」


失敗したら。四郎兵衛が。


「おうおう。いい子にしな。余興にゃ丁度いい。おら、この餓鬼傷つけたくないならその危ねえもん、捨てな」


「……っ」


悔しい。でも、四郎兵衛を傷つけたりしたらきっと、もっと。手裏剣が手から滑り落ちる。


ひとつの悪いこと。
残された者たちは、悪い山賊に捕まってしまいました。


そして。


もう1つの悪いこと。


「あっ金吾くんそこ」


「わあっ!?」


指示が追いつかず、金吾は足を縄にすくわれて宙を舞った。あちゃーという表情で、要がクナイを取り出す。


「ごめんね金吾くん!大丈夫?」


「ふぁあい……全っ然大丈夫ですぅ……」


「今切るから……」


「!要先輩!」


ぶら下がった状態で要の背後が見えていた金吾の目は、こちらに棒を振り上げるガタイの良い男の姿が見えていた。


「え?」


ひゅう、と風の切られる音と、なにかがへこむようなぼこり、という打撲音。金吾から悲鳴が上がる。


「っ要先輩!要せんぱぁい!」


どさりと人形のように倒れる自分の先輩の姿に、間抜けにぶら下がってなにも出来ない自分に、嫌な汗が吹き出して心臓がはやくなる。


「あ…あ……先輩……?」


「ウサギでも掛かったかと思ったが。とんでも面白れぇもんが掛かってんじゃねぇのぉ」


「お前ぇ!!要先輩に!!要先輩に!!」


目の前の男に飛びかかるような勢いで、バタバタと暴れるがぐるぐると体が回るだけで、ぎちぎちと縄が足に食い込むだけで。


先輩は目を覚まさない。


「いいねぇ。使えそうなのは生かしといて、あとは余興にでも。頭ぁ下衆なの好きだからなぁ」


動かなくなった要の頭を転がし顔を覗き見て、男は下卑た笑みを浮かべる。


「へーえ、可愛い顔だなぁ。女みてぇだ」


「止めろ!!先輩に触るな!!」


「あー!?うるせぇ!」


あ、と思ったときにはもう遅く。世界が激しくゆれてぶれて、激痛と共にぐにゃりと歪んだ。


「な、なまつ……せんぱい……」


悪いことが起きた。
2つの悪いことが起きていた。


ようやく舞い戻った名前を呼ばれたその人は、みんながいたはずの場所に残された手裏剣に静かに息を飲む。


「三之助……?」


踵を返してまた森へ身を踊らせる。走る走る走る。鼻になにかをかすめる。赤。赤い、嗅ぎ慣れた。血の匂い。


「……」


木にぶら下がった縄と、少しだけ赤く濡れた周りの草。ああ、ああ、ああ、ああ。


「四郎兵衛?金吾?」


なにが、


「三之助?要?」


なにがあった。


「滝夜叉丸」


探さなくては。
七松小平太の目に、鋭い刃が灯る。人を殺すことを、戦場を写し慣れた、忍びの目に。





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