ごろごろがらら
※※※
「うさぎが一羽いなくなったァアアァ!?木下先生なにやってんですか!!」
容赦なくまくし立てたのは六年生の先輩である。雨をびしょびしょの濡れ鼠状態の先輩方は、うさぎの行方不明にショックを受けたようだった。
「ったく!いなくなったのは仕方ねえ!伊賀崎!あと誰だか知んねえけど二年坊主ども手分けしろ!そこの3人は建物ん中!あとは外だ!」
「先輩!二年には危険じゃないですか!」
「んなこと言ってるバヤイじゃねぇだろ竹谷!うさぎ一羽の命ィ掛かってんだ!全員大至急で探せ!見つけたら手拭いで包んで持ってこい!良いな!」
雨や雷の音に負けない勢いで僕たちは「はい!」と声を張り上げた。手分けして散る。
「孫兵!いなくなったうさぎの名前、わかる!?」
「白い毛で赤目のユキコだ!僕はあっちを探す!」
「わかった!」
孫兵と別れ、視界を豪雨に阻まれながらも小さな白い影を探す。僕がうさぎならどこに隠れる?
雨がしのげて、水が来ない建物のなか。作兵衛たちが建物のなかを探してくれているから、忍術学園の長屋のなかを探す必要は無い。
「焔硝蔵も、用具庫も、鍵が掛かってるはずだから入れないし……」
鍵が開いていそうな所を片っ端から見ていくのが良いか。近くの視界に入った建物を目指し、僕は走り出した。
「……!開いてる?」
見えた建物は科目授業で使われる教室があるものだ。基本的に鍵は掛かっていないこの建物の扉は、強風にあおられたのかギィギィと隙間が開いていた。
このくらいならうさぎ一羽入れてもおかしくないかもしれない。
「ユキコ!ユキコー!」
薄暗い建物のなか、白い毛のうさぎの名前を呼びながら当たりを見回す。
「ユキコー!」
ぴちゃ、
水を吸った足袋が水溜まりを踏んだような感触を捕らえた。は、と足元をみれば水溜まりの上に白い毛。
「ユキコ!」
小さな水溜まりは自分の濡れた毛から滴り落ちたものだろうか、その上にぐったりと横になっているユキコに僕は慌ててユキコを抱き上げた。
「ユキコ!ユキコしっかりして、死んじゃ駄目だ!」
じわ、と涙が浮かぶ。びっしょりと濡れたユキコは目を閉じたまま、ぐったりして動かない。
僕は乱暴に懐から手ぬぐいを取り出して、優しくユキコを包んだ。ユキコを包んだ手ぬぐいごとゆっくり懐に仕舞い、外に飛び出す。
「生物委員長ー!竹谷先輩ー!木下先生ー!」
六年生の生物委員長と竹谷先輩、木下先生の名前を雨の轟音にかき消されながらも叫ぶ。
はやく、だれか、僕じゃ救えない。だれか!だれか!
「要ー…!」
「!」
名前を呼ばれて振り向けば、竹谷先輩が遠くからこちらに走ってくるのが見えた。助かった、と走り出す。
「竹谷先輩!ユキコが…!」
しかし、その稲妻はあまりに唐突に、一筋の光となって襲いかかった。
「要!」
鋭い声で名前を呼ばれて、思わず立ち止まる。
それから身のすくむような轟音と視界が真っ白になったのは同時で、気がつけば僕は藍色の忍服に絡め取られるように抱きしめられていた。
「…ッぅぃ…!?」
ピリッと左足に鋭い痛みが走り、なにがなんだかわからないまま、ただ僕は懐のうさぎを庇い続けていた。
「…ッ…大丈夫か!?怪我ないか!?」
「…ぁッ…」
体験したことのない轟音に耳だけでなく、体中がビリビリと震える。僕は震える腕でユキコを包んだ手ぬぐいを取り出すと、竹谷先輩に突き出した。
「ぅさぎ…をッ…」
「…ッ…馬鹿!」
あれ、なにか間違っただろうか。竹谷先輩はくしゃっと顔を歪めて、僕を軽々と抱き上げた。
「たけゃ先輩…?」
「雷、落ちたんだぞ!?わからなかったか!?」
焦ったような声と揺れる体に、僕を急いでどこに運ぶんだろうとボーっと考える。
「ユキコは…無事ですか…」
「今はユキコどころじゃないだろ!足から出血してるんだぞ!」
「出、血…?」
ああ、そういえば竹谷先輩が近くの木に落ちた雷から僕を守ってくれたんだ。その時、なにか尖ったものが僕の左足をかすめて…
ああ、だめ、ボーっとする
「大丈夫…です、から、ユキコを助けて、」
「大丈夫じゃない!」
「だめです、よ…」
駄目なんです。ユキコが死んじゃったら。
孫兵がまた、孫兵がまた泣いてしまうんです。あいつ、毒虫野郎とか言われて、毒蛇なんか首に巻き付けてるけれど。
優しい、優しい、奴なんです。生き物が死んでしまったら、いつまでもいつまでも、そのお墓の前で手を合わせているんです。
「孫、兵…ユキコ…を…」
「喋るな!」
ああ、左足がベタベタして、だらだらする。雨が冷たい。竹谷先輩はどうして泣きそうな顔をしているんだろう。
※※※
竹谷先輩の後ろ姿を見つけて駆け寄ると、竹谷先輩は僕にユキコを包んだ手ぬぐいを生物委員長に渡すように言付けて、医務室に走って行った。
竹谷先輩、?
どうして要がぐったりと、まるでユキコみたいに?
「でかした孫兵!ユキコのことは俺に任せろ!はやく医務室に行け!」
生物委員長に乱暴に背中を押されて、僕は走り出した。
要、要、
どうして?どうして足からたくさん血が出てるんだ?
どうして?どうして?
近づいてくる医務室の戸。どくんどくんと心臓が鳴る。どうして?どうして?とぐるぐるする頭は、医務室から出てきた竹谷先輩を見た瞬間ピタリと止まった。
「竹谷先輩…」
「孫兵!お前びしょびしょじゃんか!風邪ひくぞ」
竹谷先輩の大きな手が僕を気遣うように頬を包む。その疲れた笑顔に僕はすがりつくように名前を呼んだ。
「竹谷先輩、要は!」
竹谷先輩はびっくりしたように表情を固めて、やがてふっと笑うと医務室を指差した。自然と動き出す僕の足。
「ちゃんと医務室に泊まって良いか聞くんだぞ、孫兵」
※※※
足がだらだらして
べったり、真っ赤で、
それは僕がどこかで無理やり押し込めて消した記憶に近いもので、
なせ消したのにわかるのかと問われれば、それはもともと僕の物だったから。
ああ、怖い。
誰かが僕を傷つけて、泣いている。泣くくらいならやらなきゃ良いのに。
「どうして…」
どうしてだろう。
わかる、わかる、少しずつ少しずつ転生前の記憶が戻ってきている。
生まれた瞬間にあったのは違和感だけだったけれど、少しずつ少しずつ友達の顔や思い出が戻ってくる。
"ああ…ああ…"
ただ、ひとつだけ思い出せない記憶。消してしまった僕の記憶。
真っ赤で体中がだらだらで
寒くて熱くて痛くて悲しくて悲しくて。感覚的には思い出せるのに。それが"なんなの"かはわからない。
ただただ、どうして?と
「要…」
ああ、誰かが僕を呼んでる
「要、要、」
僕、あっちには戻りたくない
「ごめん、ごめんな、僕、」
お願い、たすけて
→
もう少しだけ続きます。
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