がるがるがる

「…!?」


ひゅ、と息が鳴る。なにが起きてる?なにが起きてる?


「要」


ぐわんぐわんと痛む頭にうまく考えがまとまらない。ただ、鉢屋先輩の舌が僕の首を動いている事実がなぞるようにあるだけ。


「…、ぅ…」


舌が僕の左下の鎖骨からえろり、と顎の方へ向かう。それに押し出されるようにやっと声が絞り出された。


「は、っ…ち、や…、」


「…あ」


その声に反応した鉢屋先輩が目を見開いて僕を見る。


「鉢屋せん、ぱい…っ…嫌ですっ…!」


もうほとんど涙声だった。顔が真っ青になった鉢屋先輩の表情が、ぼやけた視界に写る。気がつけば僕の頬をぼろぼろと涙が伝った。


「な、に、なにするんですかっ…!」


「っ…要!すまんっ…なんというかえっと…悪い!」


「信じられません!からかうにも限度というものがあります…!」


「違う!か、からかったとかじゃなく!」


僕の肩を掴もうとする鉢屋先輩に、ぞわりと身の危険を感じて、僕はその腕をするりとかわして出口に飛びついた。


ぼ、ぼ、僕…!
く、く、首、!舐められた?舐められたよ!間違いなく舐められた!!


前の世界でもされたことな、な、な、ないよ!?ないのに!


僕はもう半泣き状態で引き戸を開けて外に飛び出した。








「…それで?」


「だから…こう…ちょっと…ペロッと…」


「…それで?」


「いや、だから…あの…ペロッて…」


「それで?」


「はいすみません」


雷蔵の無表情に完全に言い訳することを諦めた三郎は、正座したまま顔を伏せた。


「ぶひゃっひゃっ!うあーそんなことしたの!?そりゃ泣かれるよ!ひゃっひゃっ」


「勘ちゃん笑い方がどこかの悪代官みたいだぞ」


お腹を押さえながら転げ回る勘右衛門に、こちらも無表情な兵助が冷静に突っ込みをいれた。


うわー怒ってんなこっちも、と兵助を横目でみて、三郎に呆れ顔を戻す。


「三郎、それはなんというか要が不憫でならん…」


「なにも言うなハチ…最初はふざけてただけなんだよ…」


がくん、とうなだれる三郎に雷蔵が少し考えるように小首を傾げて、やがて小さく息を吐いた。


「うん。まぁ、要がケリを付けるでしょう」


「ケリ!?」


「全く、三郎ったら。これに懲りたらあんまり後輩をいじめるんじゃありません」


困ったように眉を下げて雷蔵がそう締めくくった。勘ちゃんもいつの間にか饅頭を全部食べ終えて、撤収作業をしている。


「まぁ、しばらくの威嚇なりなんなりは覚悟だね、三郎」



※※※


「お前は本当に男に好かれるよな」


「ええっ…ちょっとちょっとちょっと…待って待って待って…」


真顔でさらりと受け止め難いことを言う孫兵さんに、手をぶんぶん振りながら待ったをかける。


「もう僕立ち直れない…」


あっちで奪われたことの無い、僕の初めてがここで奪われまくっているこの事実は…!いやそりゃふざけてじゃれ合うことくらいなら、あっちで無かったわけじゃないど、いや…でも…


「ねぇ…?」


「今なんの同意を求めた?」


「すみません、こっちの話です」


「ふーん、まぁ当分は用心するに越したことは無いんじゃないか?」


「うん。しばらく喉元は晒さない」


「…そういう問題じゃないと思うけど」


ジュンコを撫でながら呆れ顔の孫兵に、僕は当分の気の引き締めと警戒を決心した。




※※※


「要…」


「何でしょう鉢屋三郎先輩」


「…(フルネーム)」


フーッと猫が威嚇しているようだ。それに三郎が「おはよう…」とぎこちない挨拶を返して戻ってきた。


「無理!無理!怒ってる!怒ってるよ要!」


「そりゃ怒るだろうよ…」


呆れたように俺が返すと、三郎は大人しく席に座ってもそりもそりと白米を口に入れた。


「どうしよう…話も出来そうにないぞ…」


「気圧されて戻ってきただけじゃないか」


「そーそー。要も子供じゃないんだし、まぁ…事が事だけどちゃんと話して謝れば許してくれるって!」


「勘右衛門、ご飯つぶ飛ばすな」


い組コンビのアドバイスに、三郎はちらりと席について食事を始める要を見た。が、こちらを見ている俺たちに気付いているのは要の周りの首を傾げている三年生たちだけで、要は素知らぬ顔をしているように見えた。


「だから言ったでしょ。しばらくの威嚇なりなんなりは覚悟だって」


「雷蔵さん…僕耐えられません…」


「自業自得です」



「うう…」


「ぶっ…三郎っ…可愛いなっ…ひゃひゃっ…」


「勘右衛門、笑ってやるな」


俺がぺし、と勘右衛門の後頭部を軽く叩くと、勘右衛門は箸を握ったままテーブルにうつ伏せになってぷるぷる震えながら笑っていた。



※※※


「要、鉢屋先輩と喧嘩でもしたの?」


そう切り出したのは眉を下げた数馬だった。僕はちら、と要に視線をよこす。要は笑顔で「そんなことないよ」と返した。


「(怒ってるな…)」


ジュンコを撫でながら、ひそかにため息をつく。ご飯つぶを口の周りにつけたまま、左門が首をひねった。


「鉢屋先輩、なんだか元気なかったな?」


「雷蔵先輩に叱られたんじゃないか?」


味噌汁をすすりながらの藤内の答えに、左門は納得しながら魚の頭をくわえた。


「でもなんかこっちをちらちら見てるぜ?ままままさか俺がなにか鉢屋先輩に不快なこと!けけけ消され」


「ないから落ち着け作兵衛」


「なんでそんな冷静なんだよ三之助!お前のその長身が気に入らないのかもしんねーぞ!」


「それは作兵衛さんじゃないんですかー?」


「っなんだとこのー!」


「はいはいやめてやめて。本当になんでもないよ数馬。大丈夫だから」


「…そう?」


まだ数馬は眉をひそめていたが、要は味噌汁をすすってごまかしているようだった。




もう少し続きます。

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