暗に紛れつつ
「ん…?」
一年は組の教科担当である土井半助は、きゃあきゃあと楽しそうな甲高い声に首をかしげて足を止めた。
うちのは組の生徒かと思ったが、意外なことに楽しそうな声を上げて走り回っていたのは、一年ろ組の生徒たちだった。
「ずいぶん楽しそうだなぁ……ん?」
今度はその後ろから追ってきた人物に目を見開く。あの若草色の忍服は三年生の忍たまだ。
「三年い組の一ノ瀬要じゃないか。おーい、一ノ瀬!」
「…はぁっ…えっ…?あ、土井先生」
息を切らせながら駆け寄ってきた一ノ瀬要に、土井半助は苦笑しながら問う。
「こんにちはっ…」
「どうした?そんなに息を切らせて」
「鬼ごっこしてるんですっ…ろ組の子にお願いされちゃって」
えへへ、と照れ笑いを浮かべる一ノ瀬要は実家は旅籠を営んでいる、よく気の回る三年生の生徒だと土井半助は記憶している。
「お前も大変だなぁ。で、一年生は捕まえたのか?」
緩やかに笑いながら言うと、一ノ瀬要は一瞬キョトンと表情を固めて、やがて言葉を濁した。
「えー…えっと…まぁ、はい」
「なんだ、ろ組はすばしっこいか?」
「いや、すばしっこいというかレベルが違いすぎるというか、明らかに向こうは面白がっているだけというか…」
「え?ろ組が?」
今度は土井の方がキョトンとする番だった。一ノ瀬要は教科実技共にバランスの取れた生徒だと聞いている。レベルが違いすぎるというのは、どういうことだ。
「あーまぁ…その…」
「要ー!なにをしてる!俺はこっちだぞー!」
「え…」
「………はーい」
楽しそうな声だが、ろ組の甲高いものとは違う、男の物。一ノ瀬要から視線をその声に移動させると、深い緑の忍服忍たま六年生。食満留三郎が木陰にこちらに手を振っていた。
「今行きます…行きますよ…」
「一ノ瀬…?」
「ぜーったい捕まえますからね!このっ…!待てー!」
やけくそで踵を返す一ノ瀬要に食満留三郎はまた楽しそうな声を上げた。
「みんなー!要が来たぞー!」
「要せんぱーい…!あと残ってるのは、平太と食満先輩だけですよー…!」
「わかった孫次郎!ありがとう…あー!食満先輩、平太を抱えるのは反則じゃないですか!?」
「ははははは」
「爽やかに笑われても!」
「伏木蔵、孫次郎、見に行こ…?」
「食満先輩、全く手加減してないねー…」
「どっちかっていうと足加減じゃない…?」
勝手なこと言いながら要の後を追うろ組三人の会話を聞いて、土井半助は状況を理解すると、1人苦笑した。
「大変だなぁ、一ノ瀬も」
※※※
ざざざざ、と木陰を移動していく食満先輩。どうやらおとりになっているらしいことは、視界の端から逃げていく平太くんによってわかった。
「木陰だけって限定してはいるけど……!」
それにしたってあんなスピードで木陰を移動する食満先輩をどうやって捕まえろというんだ。六年生と三年生。体格差があるし、体力面だって…
そこまで考えて、僕はぶんぶんと首を振った。
「(やる前から諦めるなっての…!この世界の父さんに散々叱られただろ!)」
前の世界の人生で僕はもう
"いろんなことを諦めてきたじゃないか"
僕の力で生死が決まるこの世界で、僕は選択ができる。諦めるな。策はあるはずだ。
「要せんぱーい…!がんばれぇえ…」
怪士丸の声援を受けて、僕は足を止めて考える。食満先輩をどうにかして策に引っかけられないだろうか。
例えば、例えばそう――
※※※
「あれ?」
悠々と木陰を移動していた食満留三郎は、さっきまで無我夢中で自分を追ってきていた後輩がいつの間にかいなくなっていることに気がついて、足を止めた。
「おかしいな、」
振り返って辺りを見回すが、癖っ毛の若草色忍服は見当たらない。先ほど逃がした平太もうまく逃げているのだろうか。
そう思った矢先に甲高い悲鳴が上がった。
「ひゃあああ!?」
「!平太っ」
平太だと判断して、声のした方向へすっ飛んでいく。木の下でぷるぷると震えている平太を見つけた。
「どうした平太!大丈夫か!」
「食満せんぱぁい…」
「どこか怪我したか!?転んだか……」
カサッ
頭上の木の葉がざわめいた。反射で「誰だ!」と声を上げ、落ちていた石を音の元へ投げつける。すると、平太が悲鳴を上げた。
「ひゃっ…!要先輩っ…」
「え?……なるほど、そこにいるのは要か!出て来い!」
瞬間。ぐにゃっと揺れながらなにかが落ちてきた。そこで気がつく。俺、さっきなに投げた?
「ああああ!すまん大丈夫か要!……え」
ぱさっ、と腕に落ちてきたのは要ではなくただの若草色の忍服。忍たまの忍服で上着にあたる服だ。
「あ、あれ?上着?要先輩、木の上に隠れてるって…」
「なに?要はどこに…」
呆然と平太と木の上を見上げた瞬間。ぐんっと腰に重みが纏わりついた。
「食満先輩、捕まえましたー」
「あ」
「ふぇえっ…要先輩どこに居たんですか…!?」
目をぱちくりと瞬かせる平太くんに、僕は苦笑して答える。
「そこの木の陰に隠れてた」
「なるほど。平太とこの上着で二重のおとりだったわけだな」
「へへ、はい」
食満先輩から逃がされた平太くんに協力してもらい、「木の上にいるから」と嘘を言えば降ってきた上着に、平太くんが驚いてそれに食満先輩も混乱する。
敵を騙すにはまず味方から、ということだ。
「うん、なかなかの策だ。はは、引っかかっちまった」
「平太くんの協力が無かったら出来ませんでしたよ。ありがとうね、平太くん」
「えへへ…」
作戦が成功したのが嬉しいのか平太くんも満足そうに笑ってくれた。うん、短時間で考えたにしてはなかなかだぞ僕!
「あー要せんぱーい」
「食満先輩捕まえましたか…?」
「捕まえたよー」
きゃああ、と歓声が上がって逆に食満先輩が苦笑した。
「してやられたなぁ。よし、みんな食堂にいくぞ!」
その言葉にろ組っ子4人は手をつないできゃいきゃいと楽しそうに食堂へ歩き出した。
「はぁー…つかれたー」
「ほら要。そんな格好だと風邪引くぞ」
「あ、すみません。ありがとうございます」
「いや………ん?」
「?」
僕に上着を返そうとした食満先輩の表情が歪んだ。そして食満先輩はあろうことか、僕の黒い前掛けをえぐるようにめくった。
「…!?け、食満先っ…」
「ん?あ、ああ悪い」
悪いと言いながら食満先輩はめくれた前掛けを戻そうしない。ちょっとちょっと待って!僕女の子にもこんなことされたないよ!
「気のせいか…深い傷跡があるように見えたんだが…」
「え?傷跡?」
慌てて自分の上半身を確認してみるが、深い傷跡なんて見当たらない。細かい切り傷やすり傷なんかはたくさんあるが。
「すまん。見間違いだったみたいだな。悪かった」
「…」
「? 要?」
深い、傷跡?
「あ、あの、見えたのってお腹の辺りですか?」
「え?ああ、このちょうど前掛けがズレてた辺り」
「…」
深い傷跡。
待って、待って?
僕、覚えてる。
違う、忘れてる。
その傷跡、たしか、僕は、
「要先輩?」
「!」
は、と我に帰ると僕を心配そうに覗き込んでいたのは怪士丸だった。みれば食満先輩も僕の肩に手をおいて顔を覗き込んでいる。
「あ…な、なんでもないです!ごめんね怪士丸。戻ってきてくれたんだね。さ、いこうか」
「…?」
まだ心配そうに歪んでいる2人の顔を視界にいれないように、僕は怪士丸の手を取って歩き出した。
記憶断片の再生
(僕の前の世界で)(なにかを忘れてきてしまった)
*
要くんのトラウマというか。少しずつ浮かび上がってきてい……るよね?ね?
[ 36/56 ]
[←] [→]
[しおりを挟む]
→TOP
→MAINページへ