ざくざく、がりがり、

「あやべ きはちろう先輩?」


「そうなんだよぉ!」


うわぁあんと僕に泣きつく数馬をよしよしと宥めて、涙でぐしゃぐしゃになってしまった顔を手拭いで拭ってあげた。


「僕は知らないなぁ。何年生なの?」


「…二年生」


「あ、ひとつ上なんだね。あやべ先輩。うーん、やっぱり聞いたことないや」


「結構有名だよ、穴掘り小僧って異名がついてるんだから」


「穴掘り小僧?」


「落とし穴を掘るのが好きなんだ。綾部先輩。それに僕たち不運委員会が引っかかっちゃうわけで…」


「それで最近、数馬が泥だらけなんだ」


「うう…」


また涙が出てきた。それをすかさず拭って、誰もいない食堂を見回した。


泣いてる数馬を放っておけなくて、ランチ前の食堂に連れ込んだのだけど。とりあえず数馬にお茶を薦めて落ち着かせた。


「喜八郎の落とし穴はまだ発展途上。土壁が荒いから落ちるときに当たって痛むだろう」


「はい…。腕とか背中とかぶつけちゃう…って、あれ?要?」


「僕じゃないよ…」


「私だ」


振り向けば紫色の制服が立っていた。中在家先輩と同じ四年生だ。


「あの…」


「私は四年い組、立花 仙蔵。訳あって綾部 喜八郎のことをよく知っている。きみは…三反田 数馬に、一ノ瀬 要だな」


「あ、はい」


「立花先輩!綾部先輩に穴掘りをやめるよう言ってください!」


数馬が縋るように言うが、立花先輩は首をすくめて首を振った。


「あれから穴掘りを取り上げるのは、人から飯を取り上げるのと同じだ。三度の飯より、とはよく言ったものだな」


「そんなぁ…」


「よしよし。数馬泣かないで」


「ふむ。そういえば、まだ喜八郎の落とし穴に掛かっていない一年生は君だけだと聞いたな」


「えっ!?」


「そうなんですか!?」


数馬が信じられないといった表情で僕をみる。


「僕なんかもうすぐ二桁いくくらい引っ掛かってるのに…」


「それは…だいぶ引っ掛かってるね…」


みんな引っ掛かったのか…あの2人は大方、迷子してて引っ掛かったんだろう。作兵衛は多分迷子捜索で。孫兵は…ジュンコちゃん絡みと見た。


「なかなか勘が鋭いみたいだな。その調子でがんばれ」


「あ、う…絶対たまたまです…」


軽く頭を撫でられ、先輩に褒められたのが初めてだった僕は顔に熱が集まるのを止められなかった。


「すまないな三反田。喜八郎にはよく言っておく。伊作に診てもらえ」


「は、はい!」


では、と食堂から出て行った立花先輩に僕と数馬は緊張が解けて息を吐いた。


「立花先輩、かっこいいなぁ…僕も今度は落ちないようにがんばろっと」


「数馬のそばにいるときは、僕も一緒にがんばる」


「なんだよそれ」


そこまで回想して、僕は「ふう」と息を吐く。あーあ記録更新中だったのに。


委員会に行こうと走っていた矢先。急にぐにゃりと安定感が無くなった地面。落ちる景色。全身に走る痛み。


「これが落とし穴かぁ」


見事だ、と思った。全然気がつかなかった。土の色だってそこらへんのと全く変わらないように思えた。それに。


「土壁、全然荒くないよ、立花先輩」


固く、つるつるとした土壁。せっかく一本だけクナイを持っているのに、これでは体重を支えられるくらい深く刺すことができない。


一年生とはいえランニングなんかの実技はそれとなく頑張ったつもりだけど、これじゃあお手上げだ。


声を張り上げ助けを呼びたいが、思ったより深い。届くだろうか。


「うーん、困ったなぁ」


今日はせっかく雷蔵先輩と当番の日なのに。ああ、でも雷蔵先輩がいるともれなく鉢屋先輩がついてくるから嬉しさ悲しさ五分五分かもしれない。はぁ。


「おやまぁ、やっとだ」


「え?」


降ってきた声の元を辿れば、紺色。二年生の制服の誰かが僕を見下ろしていた。


「やっと引っ掛かってくれたんだね」


「あ、もしかして綾部 喜八郎先輩ですか?」


「おやまぁ、私を知ってるの?私は君を知ってるけど」


「え?僕をですか?」


「うん。だって君だけ私の落とし穴に引っ掛かってくれないから。頑張ったんだ」


立花先輩に指摘されたところを意識して直して、予行練習もして、と綾部先輩。


「だから嬉しい。ありがとう落ちてくれて」


「えっと…どういたしまして…?」


「うん。引き上げようか?楽しくて、つい深く掘っちゃったの」


「あ、お願いします」


縄を下ろしてもらって、必死にそれにしがみつく。ズルズルとさすが穴掘り小僧。腕っぷしが違う、とか考えながら引き上げられた。


「うわぁ泥だらけだ」


「綾部先輩のせいでしょう…」


「嬉しい」


「嫌がらせですか!」


「次はどんなターコちゃんにしよう。また落ちてね、要」


「謹んでお断りします!」




どうしても要くんを落としたくて頑張った綾部。

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