死にゆく懐古



 人は誰も一般という枠に嵌められることを嫌うのに、どうしてそこから少しでも逸脱したものを見ると牙を剥くのだろう。
 髪のひと房ひと房から絶え間なく落ちる滴が、この期に及んでタータンチェックのプリーツスカートに染みを作ることはない。頭から汚水をぶちまけられて、立ち上がることも許されず女子トイレの床に蹲る私は、最早人ですらなく生ゴミだった。
 軽薄な喧騒が足音を立てて遠ざかっていく。私を蔑む行為には、何も良心を犠牲にしたり特別の悪心を備えたりする必要はない。彼女たちがその何よりの証明だろう。
 数は強さだ。同調は力だ。一般的な枠の形に合わせて削ぎ落として嵌め込んだ価値観は、おしなべて正義だ。だから私は誰よりも弱くて、邪悪だった。
 氷のように冷えた身体を抱いて、肌にはりついた薄いブラウスの上から二の腕に爪を立てる。こうでもしないと自分というものが細かく砕けてなくなってしまいそうな気がした。温度を奪われた身体では痛覚はすっかり麻痺しきって、じんわりとした鈍い感覚しか得られなかったけれど。
 吐いた息さえ立ち上るような冷気が私を芯まで蝕んでいた。寒くて寒くてたまらなかった。指先の血液の循環はとっくに滞っている。青ざめた指の腹は蝋のようで本当に気持ち悪い。
 いっそのこと、死ねと言うなら殺せばいい。
 便器に頭を沈ませればいい。
 階段で背を蹴落とせばいい。
 窓際で突き飛ばせばいい。
 彫刻刀ひとつでだって、きっと私は殺せるに違いない。
 そうまでしないなら、どうして放っておいてくれない?
 爪が腕に際限なく食い込んでいくような錯覚に陥る。それでも痛みはない。ただ寒い。見下ろす床に規則的に張られたタイルたちの輪郭が滲んでぼやけて、ひとつになっていく。
 ああ、忌々しい。忌々しい。それでも視界にちらつくこの赤い髪!! 切り捨ててくれようか。むしり取ってくれようか。頭をぐしゃぐしゃにかき混ぜた手がそれ以上動くことがないのは、この髪を誰より愛してくれた人の手の温もりが忘れられないからだ。

 ――――――楽子ちゃんの髪、とっても綺麗ねえ。おばあちゃんのお母さんとおんなじ色ね。

 柔らかく髪を擽る指。甘いミルクの香り。穏やかな声音。優しいだけのかつての思い出。でもね、おばあちゃん。あなた以外は誰もそんなふうに思ってくれないみたいなの。


――――
20/04/05



prev | next
TOP > story_TOP > trpg
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -