祝事の慣習



 お外のベンチで楽しげに雑談する男らのうちのひとりと視線がかち合った瞬間にゼレボが脳内に響いた警鐘に逆らって取って返そうとする足を止めたのは、ひとえに彼を彼足らしめる善性が咎めたためだった。目が合ったのに挨拶もなく素知らぬ顔で立ち去るのは大変な無礼だし、相手も気分が良くないはずだ。そうやって踵を返す理由が自分自身の勝手な事情のみだと言うなら、なおさら、と思っちゃった。良い子なので。

「おっ、ゼレボ〜! いいところに!」
「やっほ〜、ゼレボさん。ちょっと俺たちと親睦を深め合わない?」

 にこにこ笑って大きく手を振るプーロウノとピステイオに、ゼレボはため息を飲み込んでしゃーなしに歩み寄った。
 ゼレボはふたりのことが嫌いなわけではない。むしろプーロウノに対しては好感を抱いているし、いいお友達だった。彼はゼレボの尊敬するサゴノ総隊長の義弟とも言える男で、何より彼自身がびっくりするくらいめちゃくちゃ良い奴なので仲良くならないほうが無理だった。この男を嫌うのはよっぽど心がひねくれている奴だけだろう。
 問題はピステイオのほうだ。ピステイオも悪人ではない。ただ、真面目なゼレボとおちゃらけたピステイオとでは人格的な相性がちょっぴり悪かった。一般的に見ればゼレボもピステイオも(もちろんプーロウノも)善人の括りに入れられる。だからこれは本当にちょっとした噛み合わせ≠フ問題だった。
 物静かなゼレボは、根明ふたりの勢いに飲まれがちになりながら訊く。

「……なにをしているんです、こんな道端で」
「あっ、ベンチ座るか? 俺、端に詰めっからさ、」
「じゃあ、俺も端に詰めるから、」
「なぜ中央を空けるんですか。ちょっと、やめてください、おい引っ張るな!」

 問いには答えず、頼んでもねーのにふたり掛けのベンチのど真ん中にスペースを空けてぐいぐい腕を引いてくるふたりに根負けしたゼレボは、袖や裾を引かれるまま僅かなスペースに尻をぎゅむぎゅむ詰め込んだ。温もったベンチとべったりくっついた両脇の男共の二の腕と太腿の熱がむさ苦しい。

「そういや暇だった? 引き留めちまって大丈夫だったか?」
「先に聞け。別に用事はありませんが」
「よかった」
「それで? 親睦を深め合うというのは?」
「特に案はないんだけど。お話しながら日向ぼっこしてたら、ちょうどゼレボさんが通りかかったから。今日いい天気であったかいよね」
「温かいを通り越して汗ばんできたんですが」

 冗談抜きで。白いシャツの襟元をくつろげてぱたぱたと風を送り込むゼレボのつるつるおでこには汗が煌めいている。
 ユマニル生まれユマニル育ちとは言いつつも生粋のメンジェゴの血を引く彼はどちらかといえば寒さよりも暑さに強いのだが、基礎代謝も新陳代謝もぎゅんぎゅんに高まった育ち盛りの男子の肉体にみぢっとサンドされてはその特質も役立たない。ゼレボ自身も代謝が良いので余計に。密着した腕のあたりのシャツの布地がじんわり湿度を増してきて普通に気持ち悪い。
 「ところでさっきの話の続きなんだけど、」などと言いながらプーロウノがゼレボたちのほうへさらにぢっと身を寄せる。パーソナルスペースの感覚がちり紙よりもぺらんぺらんな彼は、会話の際にずんずんずんずん迫ってくる無意識下の困った癖があった。ゼレボは王都の外に繋がる大門でプーロウノに捕まった際、この悪癖に巻き込まれて後ろ歩きのまま自室まで帰っていった経験があるのでよく知っていた。

「ユマニルって―みんながみんなってわけじゃないけど、―誕生日のときは聖堂とか教会に行ってお祝いしてもらったり、家族みんなでご馳走食ったりすんの」

 ついさっき合流したばかりのゼレボにその経緯が知れるわけもないが、どうやら誕生日について話していたらしい。多分、口ぶりから察するに国ごとの特色の差を話の種にしようとしていたのだろう。そこでようやく、彼はプーロウノが彼を見て「いいところに」と口走った理由がわかった。
 プーロウノは生粋のユマニル族。ピステイオは、本人はユマニル王国民を自称するもののどこからどう見てもアロスィーユ族で、ゼレボは生まれも育ちもユマニルではあるが、その実両親は雑じり気ひとつないメンジェゴ族だ。この三人はこういう話をするには頼りなくも、急造にしてはうってつけの取り合わせと傍目には見えたことだろう。
 ただ、言葉通り渦中に引きずり込まれたゼレボだけは「正気か?」という眼差しをふたり―特にプーロウノに対して重点的に向けた。

「ユマニルのご馳走って、なに食べるの?」

 と、プーロウノの発言に対して自称ユマニル族のピステイオが興味津々に訊ねる。常日頃から自身を純然たるユマニル族と言い張ってやまないピステイオの言動の矛盾に気付かないのか興味がないのか、プーロウノはご馳走の数々を思い浮かべるように喉の奥で唸り声を上げながら瞳を右斜め上へと動かした。

「色々? それぞれ家の好みによって違うんじゃねーかな。……あ! でも、あれはどこの家も絶対出てくる」
「なに?」
「……赤インゲンの入ったスープでしょう。"女神オート=ミヌゥの瞳"と呼ばれる赤インゲンは、祝い事には定番の食材ですから」
「へ〜、ゼレボさん、物知りだね」
「まあ……、俺も一応ユマニル育ちですし」

 素直に感心するピステイオだが、ゼレボが博識なのではなく単純にピステイオが周囲に対して無関心すぎるだけだ。ユマニル族を名乗るくせして、ちょっとした知識とか風習への不慣れさを繕いもしないそういうちぐはぐさが、ゼレボにとっては不思議でならなかったし、少し怖かった。誰しも得体の知れない獣の尾は踏みたがらないものである。

「アロスィーユは? なにかするのか?」

 ユマニルの話題がひと段落ついたと見えたか、当然のようにピステイオへ無邪気な顔を向けるプーロウノに、ゼレボは息を詰まらせた。ゼレボにもう少しでも理性がなければ、善き友人であるプーロウノの横っ面をグーでぶん殴ってこれ以上の失言を封じ込めていたはずだが、生憎彼には良識があったのでそのような暴挙には至らなかった。
 顔色を窺うようにピステイオを凝視するゼレボに気づいてかおらずか、彼は実にあっけらかんとして答える。

「アロスィーユ族はね、先祖代々がみんなして埋まってる丘があるんだけど、そこに生えてる花で自分をいっぱいに飾り立てて、アニク=イーユ―アロスィーユの女神様のことね。―に祝福を授けてもらいにいくんだよね」
「えっ、アロスィーユって土葬? 俺、そういう知識あるわけじゃねーけど、墓場の土って病気にならねえ? 花とか育つの?」
「俺も知らないけど、アロスィーユの死体って栄養あるらしいよ。アロスィーユでは『土が痩せたら男とか殺して埋めといたら?』みたいな格言っぽいのある」
「すげー物騒なわりに適当な格言だな」
「まあ、俺、ユマニル族だからあんま詳しく知らないんだけどね」
「いやあ、ピステイオくん、めちゃくちゃ物知りだと思うぜ」
「それほどでもぉ」

 もうゼレボの情緒は一瞬たりとも安定しない。ふたりの男に挟まれたまま無言で耳を傾けるゼレボは、言うなれば彼らが地雷原でタップダンスしながら本当に奇跡的に爆破スイッチを回避しているのをはらはらしながら見ている気分に陥っていた。しかも片一方の全身にはダイナマイトが巻き付けられているのだから、堪ったもんじゃない。プーロウノが下手を打てば傍らで静観するゼレボ諸共吹っ飛ぶ。

―め、メンジェゴ族は、」
「うん?」
「うん」

 顔面を青黒くして黙り込むゼレボを挟みながらなおも会話を続けようとするふたりの言葉の間隙を縫うようにして、彼は口を開く。両端の男共が話を聞く体勢になったのを見て、ゼレボはようやく少しだけ呼吸が楽になった。

「実は、メンジェゴ族は生誕日を祝う慣習がないんです」
「マジで!?」
「マジです。俺も家族内で誕生日を祝った記憶はありません」
「えーっ! 歳忘れねえ?」
「忘れるので、一定の年齢までいくとみんな『永遠の十六歳』とかを自称し始めるんです」
「メンジェゴ族って、そんな若さに未練たらたらなオバサンみたいなこと言い始めるの?」
「ヤバ(笑)」
「ヤバくない」


―――
21/05/09
 加筆修正 21/05/28


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