傲慢な優しさはしまいこんで



 言うつもりはなかった。自分だけで決着をつける腹積もりだったのに。
 はっとして手を当てても酒で口が緩んだ事実は変わらない。

「ふーん、代わりにお兄ちゃんがフってきてやろっか?」
「なんでそうなんの?」

 焦燥を覚えるより先に返ってきた言葉は僕の想定の外をいくもので、一周まわって妙に冷静にさせられる。
 ソリュードロは「“なんで”って、それこそなんで?」とでも言いたげに顔をしかめて、ハーブチーズのディップソースをたっぷり纏わせた最後の一枚のクラッカーを荒く噛み砕いた。ボニールはこんなときでも唇を柔く結んで穏やかに微笑んでいるが、僕の目は誤魔化せない。あれは内心「ちょっと面倒臭いなあ」と思っている顔だ。こちらをちらりともせず、おもむろにドライフルーツをつまみ始めた辺り、ボニールも僕の考えていることがわかっているに違いない。仔栗鼠こりすのような顔をして、強かな奴なのだ。
 ……こんなふうに、三つ子ってやつはどうにも厄介で仕方ない。十月十日を文字通り繋がり合って過ごしたせいなのか、それとももっと別の理由からなのか、個々の性質がいかに異なれどどうしてだかその真意を汲み取れてしまう。だからソリュードロが本気でこんな馬鹿げた提案をしているのだということも、僕は否応なしに察してしまった。
 ――何故見ず知らずの女性に愛の告白を受けた弟に代わって自分が断りを入れてくるという発想に至ったかの理由までは、さすがに探れないけれども。

「……脳に回すのはアルコールじゃねーぞ」
「そこまで言う?」

 ふと浮かんだ考えは我ながらいい線をいっていたと思ったが、ソリュードロはクラッカーの塩がついた指を舐めながら心外そうに目を瞬かせた。正気のままの発言であるほうがよっぽど質が悪いだろうが、こいつにとってはどうやら違うらしい。
 じいっと覗き込む眼差しから逃れて、ローテーブルの上の大皿に視線を落とす。ボニールが酒のつまみにと用意してくれたたっぷりのチーズ類やソースの添えられたクラッカー、ジャーキーはもうほとんどソリュードロと僕の腹の中で、今や黒や茶色っぽく萎びたドライフルーツやナッツたちがころころといくらか転がるばかりだ。

「だっておまえ、押しきられたら断れないでしょ」

 振り向いた真横に迫る見馴れすぎた顔に一瞬呼吸を止めた。瞳孔がくっきり際立つ黄金の瞳は僕の全てを見透かしていると確信して疑う様子がない。
 忌々しい面だ。

「……お前には関係ないだろ」

 際限なくぐいぐい近付いてくる顔を押し退けて払う。こいつのパーソナルスペースがとち狂っているのはどうにかならないのか。

「だいたいお前さ、いい歳して僕らにばかりべったりなのもどうかと――
「あのさ、」

 ソリュードロが至って平静なさまで僕の言い逃れを切り落とす。ボニールはそっと目を開いて僕を見た。

「わかってると思うけど、そういう話じゃないかんね」

 常からすればぎょっとするほど穏やかな口振りだった。とても静かに、唯一の兄ソリュードロは僕の逃げ道を埋め立てた。
 半ば呆然とする僕に対して、殊更に軽薄に彼は唇をつり上げてみせる。にやにやと笑うその顔に、しかし表情ほどの楽しげな雰囲気はない。人差し指代わりにぴっと差し向けられた使い古しのコップから酒の飛沫が放たれる。

「フィロちゃ〜ん、こいつは色男の宿命ってやつだぜ。そーだろ、ボニたん」
「そうなのかも?」
「そーなの」

 首を傾いだソリュードロに対して、ボニールまでもがほんのり赤く染まった頬に手をあてながら曖昧に頷きを返す。

「初心だねえ」

 きまりの悪さにほとんど中身のないコップの縁に噛みついた僕を、そいつは憎たらしくせせら笑う。

「そもそも男女のカンケイを必要・不必要なんて味気ない言葉で片付けてんじゃあ、お察しってもんだぜ」
「……偉そうに指南できるほどの経験があるわけでもあるまいに」
「わっはっは、吠えるな吠えるな」
「でも実際に恋人がいたことはないよね、リロくん」
「初恋はもう済ませてますぅ」
「そんなの言ったら僕だって済んでるし」
「低次元の争いだなあ」
「…………」
「…………」

 ナッツをつまみ上げながら落とされた妹の呟きに思わず揃って無言になる。手持ち無沙汰に握ったままのコップを傾けたが、なけなしの中身はついさっきすっかり飲み干してしまっていた。同じくコップを持って酒を飲み下したソリュードロは僕が微妙な顔つきをしているのを見て、片手で酒瓶の蓋をはねた。アルコールが強かに香る果実酒を、彼は惜し気もなく傾ける。

「酌のひとつでもしてやろうね、弟クン」
「兄貴ぶるなよな、ひとつも歳なんか違わないくせに」
「それでもお兄ちゃんだもーん」
「かわいくない」
「は〜ん? お兄ちゃんはかわいいだろ。ねーっ、ボニたん」
「ウーン」
「エッ、お兄ちゃんの硝子製のハートにヒビが入ったよ、今!」
「でもちょっと意外だったなあ」
「聞いてる!!?」

 全てのコップに酒を満たそうとするソリュードロの酌を躱しながら、ボニールが頬杖をつく。ふんわり桃色の目元に長い睫毛の影がかかって、少し眠たげだ。

「私、リロくんはやきもちやいちゃうと思ってたから」

 ほああ、と控えめな欠伸。眦に滲む雫を人差し指で柔らかく拭ったボニールは小さな唇でからかいを添えた笑みを形作る。

「なんでそこでおれなの」

 対してソリュードロはくむっと口をひん曲げて、なんとも言い難い面持ちでいた。――強いてあてはめるとするならば、困っているというのが相応しいかもしれない。

「フィエロも言ったけど、実際ほんとにそういうことになったんなら、おれってなんも関係ねーからね」
「どうかなあ。リロくん、わがままだからなあ」
「んなことないよ。きょうだい離れの準備だってしてるし」
「えっ、なにそれ、知らない。お前、なにしてんの?」

 都合よく矛先が逸れたところで初耳すぎる話題に口を挟む。もう何杯目になるのか、自分のコップに酒を注ぎながらソリュードロが僕をちらりと見た。鼻の頭が酔いでうっすら赤い。

「おまえらの貰い手に渡す取説トリセツ
「お前ってそういうじめじめしたとこあるよな」
「失敬だな」

 不満げに唇を尖らせているがこれが陰湿でないとしたらなんだというのだ。押し付けがましい上に気持ち悪い。

「取り扱い説明書かあ……。なんて書いてあるの?」

 ボニールが薄く頷きながら無駄に話題を広げる。

「それぞれ違うけど……共通してるのは『返品可』とか」
「めちゃくちゃあわよくばを狙ってるじゃねーか」
「縁起でもないなあ」
「……まあまあ、お兄ちゃんよりも今はおまえの話だ」

 旗色の悪さを悟ったか、強引にソリュードロは話の軌道をねじ曲げる。

「はっきり訊くけどさぁ、別にどうしてもその子じゃないといけないわけじゃねーんでしょ?」
「ま……まあ……」
「んじゃ、なんでまたお付き合いしよーとしてんのよ。なに、同情? 可哀想だから?」

 ソリュードロはいつだって歯に衣を着せない。口さがないとまで言える。とうとう言葉が見つからずに黙り込んだ僕を一瞥して、ソリュードロはぐびりと喉を鳴らした。

「お兄ちゃんは別にいーよ、おまえに恋人ができたってさあ」
「ほんとに〜?」
「ちょっ……横槍入れないで、酔ってんでしょ、ボニール。おれはマジでフィエロに恋人ができたっていいもん。いいけどさ、」
「けど?」
「幸せになれないなら、一緒になる意味ないだろ」

 伏し目がちに見つめる揺れる酒の水面には、父さんと母さんが映っているのだろうか。両親が夫婦としての理想の形なのだと恥ずかしげもなく口にするこいつは、案外ロマンチストな面がある。

「ちなみにおれは、どの女の子よりもおまえらのほうがかわいいからダメね」
「聞いてませんけど」

 ソリュードロはそれこそ僕の言葉なんてちっとも耳に入っていない様子で、大きな欠伸をしながら頭をがしがし掻いた。乱れた髪を見かねたボニールが結い紐をほどいて、きゅうきゅうに三つ編みを編んでいく。されるがままのソリュードロは一度だけぎゅっと強く目蓋を閉じて眠気をかろうじて押し潰したようだ。

「ま、お兄ちゃんがこんなに言ったって結局はおまえ次第なんだけどさ。返事、明日なんだっけ?」
「うん、……うんんぅん」
「え? どっち?」
「明日……」

 高く結い上げた髪に頭皮が痛むような気がして、倣うわけではないが揃って髪を下ろして胸の前で束を三つにわける。酔いでもたつく指先を押しとどめたソリュードロが、僕に代わって器用に髪束を操っていく。

「優しくされるほうが、かえって優しくないこともあるんじゃないかな」

 自身の胸の上で動く兄の手から思わず視線が逸れる。とっくに長兄の三つ編みを仕上げ終わった様子のボニールは穏やかに僕を見つめていて、目が合うと眉尻を下げて微笑んだ。

「でも、わかんないな。その子は私じゃないから、酷くても優しくされたいこともあるのかもね。リロくんの言う通りフィロくん次第だと思うよ。どっちに転んだとしてもね」

 手持ち無沙汰なのか、長男の三つ編み尻尾をぽてぽてと弄びながらボニールは小首を傾げる。彼女は柔らかな物言いをするが、決して言葉自体が柔らかいわけではない。ぐうっと言葉に詰まった僕をころころ笑うボニールは、やはり強かな奴なのだから。

「それともやっぱお兄ちゃんが代わりにやる? ナーロからカツラと眼球カバー借りてこよっか?」
「あれ気持ち悪いからやめろ」

 妙にうきうきと自分の鼻先を指差すソリュードロに、いつぞや自分そっくりの男が目の前に立って自分ではあり得ない表情や動きをして見せたのを思い出して腕をさする。あのときほど気味の悪い思いをしたことはない。

「それに……こういうのは自分で答えるから」
「……ふーん」

 目を伏せて低い相槌を寄越すソリュードロが何を思っているのか、僕にはもうわからなかった。
 手慰みがエスカレートして好き勝手に三つ編みを揉みしだき始めたボニールの手を柔く取って、ソリュードロはすっくと立ち上がる。しかしふたりの手は未だしっかり繋がれたままで、ボニールはきょとんと兄を見上げた。

「そろそろ片付けて寝よっか。久々に深酒しちったしね」
「……うん、そうだね。お手伝いしてくれる?」
「えへ、らぶらぶ共同作業だね」
「リロくんはゴミ集めて捨てておいてくれる? 私、お皿洗いしちゃうね」
「あれ? 無視?」

 置いてきぼりの僕を後目に、ふたりはてきぱきと酒盛りの跡を清め始める。遅れて立ち上がったところで、僕に後始末の仕事が与えられることはない。それどころかとっとと風呂に入って寝てしまえとまで言われる。

「だいたい知らなかったとはいえ誘ったおれらも悪ぃけど、こういうことの前日に酒浸りってのもどうかと思うよ」

 ぐうの音も出ない。


――――
19/12/19




 重たい足を引き摺るようにして、ドアを開く。中ではソリュードロとボニールがわざわざ僕の帰りを待ってくれていたようで、異口同音の帰りを歓迎する言葉が妙に沁みる。
 労るように引かれた椅子に遠慮なく腰を下ろして、口を開く。

「あのさ……、美人局つつもたせだった」
「……あ、そぉ……」
「うん……」
「そうかぁ…………」

 表情筋を石のようにして組んだ手に額をあて、ソリュードロは俯く。ボニールはそんなソリュードロと僕を交互に見て曖昧に微笑むと、そのまましらっと部屋を出ていった。どうせ僕はまともにモテないよ……。



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