君の名前が知りたいな



 ありえない内示だった。営業課でもトップクラスの業績を持つ彼をあんな田んぼか畑しかないような僻地に異動させるなんて、これでは事実上の左遷と一緒ではないか。しかしながら一事務職員に社の決定を覆す力などあるわけもなく、けれどもいてもたってもいられなくなった私はまとまった有給を無理に捩じ込んで彼の元まで飛んでいった。
 だって、結婚まで考えていた。彼は少し物怖じしていたようだけど夜の営みには積極的で、直に私の努力が実れば彼だって考えを改め直してくれるはずだった。仕事のことは、いざとなれば私が転籍願を出せばいい。今は傷心であろう彼のそばへ寄り添って慰めたかった。人事課の子から強引に聞き出した彼の新居は、「本当にここが?」と問い質したくなるような粗末なプレハブ小屋だった。もしかして、これまでのことは彼の業績を妬んだ誰かの手の込んだ嫌がらせだったのだろうか。

「ねえ! いるんでしょ!?」

 問いかけた言葉に返る声はなかったが物を蹴倒すような大きな音がした。それで私は確信を抱いて、小屋の引戸を勢いよく開け放つ。私が小屋の中を覗くのと彼の首から血液が噴出するのはほとんど同時だったように思う。

「あーあ、可哀想に。君のねちっこさが、彼をこんなふうにしたんだと思わない?」

 血濡れたボールペンを手にした男はにこやかに言う。

「君が彼を諦めさえすれば、彼はこんな目には遭わなかったんだぜ。君が彼を殺したんだ」
「あ……あ……え……?」
「知ってたけどね、君の執着心の強さは。君のことならほとんどなんでも知ってる。君がカレシのスマホから抜き取ったデータに名前のある女に嫌がらせするのが趣味なのも、夜な夜な安全ピンでゴムに穴開けてたことも、ぜえんぶ。あれさ、取っ替えんの大変なんだから、もうやめてよね。ちなみにゴムは捨てないで取ってあるから安心していいよ。君の努力の結晶だもんね、後で僕と使おうか。
 ―ああ、でも、君の名前だけは知らないんだ。だってホラ、はじめましての自己紹介は君の口から直接聞きたいじゃんか」

 だれなの、このひと。




―――
22/01/17

画:イナリさん
(skeb(イナリさんのユーザーページはこちら)にて依頼しSSのイメージイラストを制作いただきました。ありがとうございました!)



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