馴れ初めは元カレ越し



◎倫理観の欠如




 ほんの気まぐれのつもりだった。
 この間あった休日出勤の振替を急に半休で取らされることになって、かつ休みが不規則な我が恋人は今日一日をずっと録り溜めていたドラマを消化するのに使うと聞いていたから、「じゃあ、会いに行っちゃおっかな!」と俺の中の恋心が囁いた。
 今日が元々休みだという後輩を呼び出して仕事道具だけは自宅まで配達させ、服は仕事着のスーツのままでコンビニに直行。あいつの好きな度数低めのジュースみたいな酒とつまみとそれからお菓子を鼻歌混じりに買って電車に乗って、最寄駅から数分のマンションのとある一室をもらった合鍵で開ける。すると途端響いた女の喘ぎ声に、俺は「あ〜、こりゃ、やられてんな〜」と思った。ルンルン気分は死んだ。

 俺、「昔いた彼女にエグめの浮気されたせいでホモになったんだ」って言ったじゃん。
 「だからお前も浮気したら相手諸共殺すからな」って。
 冗談だと思ってたんかな? だったら悪いけど俺はやると言ったらやる男だぞ。裏切者には死を。やらぬ後悔よりやる後悔。
 手に提げたエコバッグの中身を物色しながら、もしかしてこれ新手の自殺かァ〜? とか考えてみる。それならそれでひとりで海にでも飛び込んでくれたら黄泉への旅路に涙のひとつふたつは添えてやったのに、なんでこんな巻き込み事故みたいなことすんのかね。嫌がらせか?
 それとも俺って気付いてないだけで浮気サレ男特有の空気感みたいなの出てて、それが股緩目またゆるもくビッチ科に属される人類引き寄せてたりする? クソゴミ恒常デバフはさすがに笑えなすぎるぞ。宗教うんえいっていくら御布施なげぜにしたら人生にリセマラ機能搭載してくれんのかな?

「うーむむむむ、これは見るからに殺傷力低め……」

 アルミ缶でぶん殴っても缶がめこめこになるだけで、拳で殴ったほうが早いまである。やわこい素材でパッケージングされたつまみやお菓子なんて言わずもがな。となると漁ってみた限りで凶器になりそうなもの、さっき買ったワインしかないのでは。それかひとまずワインを頭にブチ当ててからベルトで絞めるとか? 好きになった子は甘やかしちゃう系男子代表こと俺は家事代行の一環としてヤツのクローゼットの中身を全て把握しているのでお目当てのものを探り当てるぐらいは造作もないのであーる。
 幸いなことに玄関でお行儀よく爪先を揃えたマット生地のパンプスのヒールは中々高め。こんなスピードの出なさそうな靴なら立ち回りさえ間違わなければ逃がすこともないはず。一撃必殺とまではいかなくとも片一方を行動不能にすればワンチャンある。プライベートな上に得物もない状態で人を殺した経験はないが段々イケる気してきた。とりあえず後輩に「これからオフで元カレと浮気女殺すので後処理お願いします」とトークを送る。秒で「おめでとう!」みたいな謎チョイスのスタンプが返ってきてじわる。
 ヨッシャ、いっちょやってやりますか! とばかりにベッドルームのドアをがちゃっと開けると、俺の恋人とその彼に組み敷かれた見知らぬ女はふたりして大袈裟に震えて俺を見た。シンクロナイズで仲良しアピールですか、ケッ。衆合地獄しゅごうじごくに落ちた後でも果たして呑気にイチャイチャしていられるのか見ものだな。
 腐りながらエコバッグの中のワインを掴み上げたところで、同じくらいガタイのいい男同士を一瞬で恋人だと見抜いたらしい慧眼の彼女は唇を戦慄かせながら呟いた。

「……ふ、フリーだって、言ったじゃん……」

 あ、こっちは被害者のパターンか。手間が省けて助かった。



 さて、俺は有言実行の男。やるといったらやる男。ひとまず状況整理の前にとワインを振り上げると元カレが慌ててごちゃごちゃなにやら言い訳を垂れ始めたが、それに構わず頭をカチ割って抵抗の意思を奪ってから首をベルトできゅっと絞めた。
 それから一時間とちょっと、俺は自分と同じく股緩目またゆるもくビッチ科を引き寄せてしまうタイプらしい間女(仮)の恋愛失敗談を聞かされ続けている。

「このヤリチンとはバーで出会って……」

 何人かの男の話を終えてようやく今現在にまで話が追いつく。目元や頬に張りつくゆるふわのショートボブをうざったそうに何度も払いながら彼女は鼻を啜った。

「カクテル一杯奢ってくれて、話し上手で、」
「うんうん」
「ちょっといいなって思ってたら今彼女いないって言うからその後は……。その日の後にも何回か会って、今日は初めてのおうちデートで……」
「マ、実際彼女はいなかったよな」

 いたの、彼氏だし。合いの手の一環のつもりで入れた軽口は彼女の心を盛大に抉ったらしく、声を上げてわんわんと泣き出した。歴代彼氏の浮気に散々悩まされてきた身としては、自分が浮気女の立場に回ってしまったのが相当にショックだったらしい。両目をこするその手で自分がさっきまで一生懸命なにを押さえていたのかも忘れている様子だ。そのくせ酒の入った缶はしっかり握って離さない。
 意図せず人を泣かせたのは実に久しぶりのことで、一瞬対応に迷った。
 ひとまず慈悲としてベッドの下に潜り込みかけていた濃いブルーをしたブラジャーを手渡す。ただ受け取りはしたものの、彼女はいつまで経ってもブラジャーを握り締めたままで身に着けようとせず、落ちていく大粒の涙がまろい曲線を描くお椀型の乳房を幾度も伝っていく。

「もー、ブラ貸しな〜?」
「うあああん……ズビーッ」
「ティッシュ使えって」

 こうやって泣き出す前まではしっかり胸をブロックしていたのだから羞恥心が欠片もないわけではないだろう。一度厚意で手を差し伸べたからにはと、背中側に回ってホックを手繰ってやる。
 普段使いにしては傷んでいないし、勝負下着かこの日のためにわざわざ下ろしたかのどちらかだろう。そんないじらしい乙女心の象徴みたいな下着をよもや彼氏以外の男の手で着つけられてしまうなんて、きっと身支度を整えていたときの彼女は思いもよらなかったはずだ。うっかり掠めた中指の関節で確かめた彼女の肌は、きんと冷たい。
 同じ男に一杯食わされた身としては深刻な同情を禁じ得ず、俺もちょっとしんみりする。
 可哀想な500円のワインは元カレの御命引換券と化して盛大に割れてしまったので、俺も彼女も傾けているのは俺がコンビニで買ってきた3%の安いジュース酒だ。だというのに一本も飲み切らないうちにこんなにべろんべろんになっちゃう、そこそこ可愛くておっぱいの形が綺麗で頭の悪い女の子。そりゃお持ち帰りもされちゃうし悪い男にも引っかかりやすいよなあ。
 悪いのは酒に弱い人間じゃない、酒に弱い人間が判断能力をぐらぐらにさせてるのをいいことに悪いことを企む輩だ。
 とはいえ、彼女に一分も非がないかと言われれば少し違うかもしれないが――――。


――――尻軽バカ女、」

 と、言ったのは俺ではなく彼女のほうだ。口元に添えられたままの、半分ほど中身の嵩を減らした酒缶が中途半端な反響を生んで彼女の声を妙な調子にする。

「……っていう目、してる」
「……あは。バレた?」
「バレバレ。わかるの、そういうのだけは」

 とりあえずのスマイルを漏らした俺を、涙を吸着させてグロテスクなくらいにきらきらしている茶色のデカ目カラコンがじいっと見る。実際俺が考えたのは「間抜けな子なんだな〜」程度だったが、侮辱と軽蔑の気配を敏感に嗅ぎ取った彼女にしてみればそう変わりないだろう。敢えて薄っぺらな訂正はしなかった。

「だってさ〜、同じくこいつに引っかけられた俺が言っても説得力ないけど、でも真っ当で誠実で浮気しない男がほしいって思ったら、普通そんな出会い方したこいつにはいかんでしょ」
「だってえ、カッコよかったんだもん……」
「確かに顔はいんだよな、こいつ。今はさすがに不細工な金魚みたいなツラになってるけど……」
「金魚…………」

 俺の視線に釣られて元カレの顔を見た彼女は、すぐに顔を伏せて、両膝の上で組んだ腕の中に鼻先を埋めた。肩が震えているし、ちょっと「ひゃあ」とか「ひい」みたいな喉を引き攣らせたような声が聞こえる。笑ってやがるぞ、この女。
 俺がこういうこと言うのほんとにあれなんだけど、さっきまで自分とセックスしてた男の死に顔見てツボれる神経はヤバくない? 俺でさえさすがにガン萎えしてローテンションなのに。
 ぴくりともしない元カレの血塗れの膨れっ面を見下ろして指でつんと突く。俺といいこの女といい、ちょっと人間性が終わってるタイプの人間を引っかけるのはこいつ側の特性だろうか。
 しかし、こいつもこいつで俺にあれだけカマ掘られといてよくぞまともにシモが機能したものだと思う。

――――「俺がいればもうちんちん使わないだろうし、竿取っとく?」
「お前、たまにそういうつまらない冗談言うよな」―――

 ―とは、いつか一緒に過ごした晩にふたりベッドで身体の熱を冷ましながら交わした会話だ。「つまらない冗談だ」とあいつが笑うので俺も一緒になって笑ってやったが、冗談で済ましてやらずに本当に竿ごと去勢してやればよかった。そうすれば浮気の確率を50%ぐらいは減らせたはずなのに。

 全て今更の話だ。死人に去勢は必要ない。

「え〜、どうする? とりあえず憂さ晴らしにこいつ含めた歴代彼氏、全員殺して回ってみる?」

 質の悪い冗談だと思ったのだろう。独特な引き笑いがさっき以上に高く響く。元カレも、俺をブラックジョークの多いふざけた恋人だと思っていた節がある。
 だが生憎、俺は見かけこそへらへらしているが冗談の類いはあまり言わないし、やると言ったらやる男だ。

「そんで全員ぶんの死体埋めてから、その上でセックスしよっか」

 ひくひく言う笑い声がぴたっと止んで、急に部屋が静かになる。

「……嫌がらせ?」
「マ、それもある」

 元カレへの、という言外に含められた主語に頷きを返す。実際のところは意趣返しが四割、まともな女じゃないからこういうまともじゃないナンパのが受けてくれるのかなってのが六割だ。
 倫理観の在庫は今切らしてるから後日発注かけるとして、浮気だけはなにがあってもしないタイプってとこがアピールポイントです、対戦よろしくお願いします。
 疑うようにねめつける彼女の視線を受けてにっこりと笑い返す。元カレほどじゃないけど俺もそう悪い顔はしていないはず。同僚間でも「その顔で綺麗なスーツを着ているとカタギにしか見えなくて便利!」と好評だった。

「……お兄さんって、ホモじゃないの? どっちもいける人?」
「元々性的対象は女だよ。紆余曲折あってこうなってるけど、でも男でも女でも浮気する奴はするよなって今更気付いて、なんかどうでもよくなっちゃった」
「浮気しなきゃ誰でもいいってこと?」
「浮気しなくて俺と感性が合いそうな子なら。真っ当じゃないかもしれないけど、少なくとも恋人には誠実だよ。どーお?」

 そもそも浮気は浮気性な人間ひとりでできるものではない。そういう邪な考えを持つふたりがいて初めて浮気が成立するのだ。それを俺ばかりがひとりで警戒して誠実であろうとすることで未然に防ごうとしていたのがまず馬鹿な話で、本当に浮気を憎んでいるのなら同じく浮気を憎み、浮気をしない人間と手を取り合うより外に道はない。
 それを恋人前の段階からどうやって見抜いていくのかっていうのが中々大変なところなんだけど、今回は悪縁を切り捨てられた上に良縁に恵まれた。

「ね、俺、好きな子には結構尽くすタイプだよ」

 浮気なんかしないで、頭の天辺から爪先の先っちょまで丸ごと俺のものになってくれるっていうならいくらでもさ。
 そう言って血でべたべたさせたまま握った手は振り払われない。頭がイカれてる彼女のほっぺたはゆるふわショートボブごときじゃ隠せないほど真っ赤で、頭がイカれてる俺は一気にご機嫌になった。
 そうと決まればさっさとパンツも服も着せないと。恋人の裸を自分以外に見せびらかす趣味は俺にはないのだ。このままでは昼焼肉を餌に死体処理班として呼びつけた後輩を部屋に上げさせられない。


―――
22/08/31


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