まだら愛憎模様



◎友人リクエスト品
◎「できればハツラツなタイプの弟と気難し気な兄で、コミュニティの頂点に立つのが上手な愛され弟が気難しいけど自分にはないものを持っている兄にマウント取りたい話」
◎マウント要素はほんのり





 なんとなーく、ほんとになんとなくなんだけど。昔からちょっぴり肌で感じていた。

 うちの父ちゃんと母ちゃんってちょっとだけ兄ちゃんに当たりが強くて、ちょっとだけ俺に甘くない? って。

 今でも強烈に覚えてる。当時中学一年生だった兄ちゃんが期末テストで五教科総合450点越えの成績表を持って帰ってきて、小学三年生の俺が苦手な算数のテストで85点と書かれた用紙を持って帰ってきたときのこと。ふたりは兄ちゃんの成績が中間テストの頃よりも落ちていることをちくりと責めたのに、俺のことは大袈裟に褒めてご褒美として夕飯時には家族の誰より大きなハンバーグを与えた。

 俺でさえちょっと気まずかった。無邪気に喜ぶことなんてとてもじゃないができなくて、なんか違うんじゃない? ってちょっと思った。
 だから俺と一緒の食卓について俺よりも小さなハンバーグを無言でつついてた兄ちゃんはもっとやるせなかったと思う。

 それから俺は意識的に兄ちゃんに懐くようにした。俺よりも頭がよくて背が高くてカッコいい兄ちゃんのことは元々好きだったけど、好きだって思う気持ちよりももっとずっとべったり甘えつくようにした。
 テストの日は例外としてふたりは俺の目の前ではあんまり兄ちゃんを叱らないから、兄ちゃんが家にいるときは膝に乗ったり腰にしがみついたりしてほとんど一緒にいるようにした。
 父ちゃんと母ちゃんが休みの日に俺だけを買い物に連れ出そうとすると「兄ちゃんも一緒じゃなきゃ嫌だ」と駄々をこねて、兄ちゃんの欲しがるようなものが売っていないキッズ売り場よりもメンズファッションとか文房具店に興味を示した。
 そんなことを繰り返しているうちに、ふたりの兄ちゃんに対する態度は昔よりかあからさまじゃなくなってった。それでも兄ちゃんが家で居心地が悪そうにしているのは変わんなかったから、多分俺の目の届かないところではなにかがあったんだろう。

 そんな日常の中で、兄ちゃんはたまに俺をぎゅうっと抱き締めた。
 なにも言わずに俺の髪の中に高い鼻を埋めて、俺を閉じ込めた。その時間にこれといった区切りはない。ほんの一瞬強く抱かれることもあれば、一時間でも二時間でもふたりの体温を馴染ませるようにくっついていたこともあった。
 嫌だと言えば、きっと兄ちゃんはやめてくれただろう。
 でも俺は一度もそんなことは言わなかったし、素振りさえ見せなかった。実際、嫌じゃなかったから。長い腕と固い胸の間にぎゅうぎゅうに挟み込まれるのはそりゃあもちろん息苦しかったけど、むしろ少しだけ嬉しくもあった。
 普段はつんとしてて無愛想で内も外も岩みたいに硬そうな兄ちゃんは、そうやって俺を抱きしめているときだけはいつもとちょっと様子が違った。俺がこの世でひとっつかぎりの頼りなんだと言わんばかりで、弱々しい様子だった。
 俺はそれが可愛くって、愛おしくって、どうしようもなくって。

 俺が兄ちゃんを支えてあげられてるんだって、本当にそう信じてた。俺が家族を正しい形に整えられてるんだって、本当にそう思ったから。

―あまり他人様のご家庭を悪くは言いたくないけど……、あなたとご家族は少し距離を置いたほうがいいんじゃない?」

 だから、それはちょっと違うくね? って。



 兄ちゃん、大学一年生。俺、中学二年生。ふたりとも夏休みの期間。
 ふらりと立ち寄った駅前ビルに入ったカフェで兄ちゃんとその彼女の姿を見つけたのは偶然だ。本当は話を盗み聞きしてやろうとかいう意図もなくって。高校在学中にはもう付き合い始めていた彼女らしいのにいつまでも紹介してくれない兄ちゃんをびっくりさせてやろうと忍び寄ってったところに、彼女のそんな声が飛び込んできた。
 それで俺はつい足をくるっと後ろへ向けて、ちょうどふたりのいる席からは観葉植物の影に隠れて見えなくなるすぐ近くの椅子に座った。不思議な気持ちだった。怒りとか緊張とかそういう単純な不快感ではなくて、初めて目にした動物の習性を確かめるような心持ちで俺は耳をそばだてていた。

「家族だから気が合うとか、家族だから一緒にいなきゃいけないとかって、全部思い込みよ」

 ストローで氷をカラコロ混ぜる音に混じって、彼女の静かな声が告げる。背もでかけりゃ葉っぱもでかいパキラの影で息を潜めながら覗き見した彼女は綺麗な顔をしている。兄ちゃんのほうはといえば少し丸めた背中しか見えなくて、どんな表情をしているかはわからない。

「別にね、絶縁しろって言ってるんじゃないのよ」
「わかってる、それは」
「そう? ……ただ、あなたたち家族は距離を置くことでまた見えてくるものもあるんじゃないかって、そう思うだけ。少なくともあなた、実家にいるの辛そうだし」

 考え込んでいた様子の兄ちゃんは、それでもしばらくやり取りするうちにとうとう決心を固めたらしい。「こう見えてあなたよりもひとり暮らしの先輩だから、なんでも頼って」と頼もしく笑う彼女の話を色々と聞きながら、その数日後には本当に家を出ていった。
 俺には、なにも言わずに。



 兄ちゃんは昔から無愛想だ。反面弟の俺はというと、自分で言うのもなんだけど生来愛想がいい。「お兄さんがお腹の中に置いてきた笑顔を弟くんが全部背負って出たのね」とからかわれたこともあるくらいだ。世間一般的に可愛いと称されるような顔立ちなのもあって、俺は人と仲良くなるのが物凄く得意だった。

 街中で兄ちゃんの彼女ことおねーさんの姿を見つけたのは、今度こそ偶然じゃなかった。
 写真を見せられでもしていたのかどうやら俺の顔を知っていたらしいおねーさんは最初こそ身構えていたけど、俺がにこにこしながら「いつも兄ちゃんがお世話になってます!」なんて馬鹿みたいに深々と頭を下げたらすぐに絆されてくれた。
 いつもそうだった。生真面目過ぎてクラスに馴染めない委員長さんも内気で周囲に溶け込めないオタクくんも、俺のことだけはすぐに好きになってくれる。
 学校で一番可愛いって噂されてるアイドルみたいな後輩の女の子もみんなから頼られる生徒会長のカッコいい先輩も、俺のことが一番好きだよってみんなに内緒で教えてくれて、自分以外とそんなに仲良くしないでってほんの小さな子みたいにむくれる。
 昔からそうだった。みんな俺ばかり好きになってくれて、俺の傍にいられる兄ちゃんを煙たがった。

「ごめんね、なんだか意地悪するみたいになって。そんなつもりじゃなかったんだけど……」
「んーん、そりゃ兄ちゃんに全然会えなかったり、おねーさんのこと紹介してもらえなかったりしたのはちょっと寂しかったけど。でも今こうやっておねーさんが俺と仲良くしてくれるから、もういいんだ!」
「弟くんって良い子ね。知ってると思うけど、お兄さんはすっごく無愛想なの。悪い人じゃないんだけどね。でも、君とは大違い」

 ああ、俺と兄ちゃんを比べるこの言い分、母ちゃんにすっごくよく似てる。

 背後で塗装の剥げかけた重たそうな金属製のドアが開く音がして、それから間を置かずに荷物がどさっと落ちる音がした。おねーさんとふたりして振り返るとそこには兄ちゃんが立っていて、こんな夏場だってのに紙みたいな顔色でこっちを見ていた。

「あ、兄ちゃん! お帰りなさーい!」
「……どうして、ここにいるんだ」

 兄ちゃんは最初言葉も出ないみたいだった。なにも言わずにうろうろと俺とおねーさんを見比べて、それから小さな声でやっとそれだけ絞り出した。

「事後承諾でごめんなさい、私が連れてきたの。弟くんとだけは少し話をしたほうがいいんじゃないかと思って」
「君が……?」

 俺が答えるよりも早く、彼女さんが俺たちの間に割り込むみたいに身を乗り出して言う。

「俺が兄ちゃんにしばらく会えてなくて寂しいって言ったら、合鍵もらってるから、一緒に連れてってあげる≠チて」
「…………」
「でも、ごめんね。急に押しかけて。もしかして兄ちゃん、俺とは会いたくなかった?」

 隣にぴったり寄り添ってくれてるおねーさんのフレアスカートの裾を掴みながら、俺は兄ちゃんに訊ねた。おねーさんはそんな俺を慰めるように、優しく肩を抱き寄せてくれる。
 兄ちゃんはおねーさんのすべすべの手の行く先を黙って見ていた。酷い裏切りを受けたような顔だった。

 変な沈黙が、俺たちを毛布みたいにくるむ。

「……なあ、悪いけど、帰ってくれ。弟とふたりで話がしたいんだ」
「でも、」

 すうっと大きく息を吸う音。人が大声を出す前の予兆。

―帰ってくれ!!」

 聞いたこともないくらい、兄ちゃんにしては大きな声だった。それはおねーさんも同じだったらしくて、びくっと身体を震わせてから心配そうに俺を見た。俺をひとりで残していくのを少し不安に思ったんだろう。

「……話し合いの機会を、くれたんだよな? ふたりきりでしっかり話したいから、今日のところは帰ってくれないか」

 怒りを抑えているようにも泣くのを堪えているようにも聞こえる震え声で、兄ちゃんはさっき自分が入ってきたばかりの玄関ドアを指さして言った。そこまで言われるとおねーさんも引き下がるしかないと思ったのか、「なにかあったら連絡してね」と俺の頭を撫でて名残惜しそうに帰っていった。

 おねーさんの足音がもうしなくなっても突っ立ったままの兄ちゃんに、いい加減座ればいいのになんて思いながら話しかける。

「彼女さん、優しいね。おうちデートの日だったって聞いてたよ。邪魔しちゃってごめんねって、後で謝っとかないとだね」

 話がしたいなんて言ったわりに、兄ちゃんはなんにも答えてくれない。ただすっかり力が抜けきったように床にへたり込むから、俺はいそいそとその懐に潜り込んだ。
 俺たちが生まれ育った家でのルーティーン。なにを話すでもなく、兄ちゃんのひび割れた心を俺の体温で埋めるだけのささやかな触れ合い。ぺたっと兄ちゃんの胸に頬を預けたその視界の端で、長い腕が戦慄わななくように宙を掻いて結局俺の背中に着地していく。

―どうして来たんだよ。彼女まで俺から取っていこうっていうのか?」

 背骨が軋むほどの力を込められて俺は思わず空咳を漏らす。言葉こそここへ来たことを責めるような響きを持っていたけど、兄ちゃんはそれ以上に俺を離すまいと力強く抱擁した。

「なあ、ようやく気付いたんだよ。お前と一緒にいると、惨めになるって。お前さえいなければあの人たちにとって―誰にとっても、自分がお前よりも価値のない存在だって気付けずにいられるのに……! お前が、お前がいるから!!」

 腕と胸の間でぷちゃっと潰された顔が痛くて、むぐむぐと身動ぎしながらなんとか顎を広い肩の上へ乗せる。兄ちゃんの太い首筋には汗が伝ってきらきらとしていたけど、やっぱりいつまでも血の気が失せたように白い。

「でも俺がいなくちゃ、父ちゃんも母ちゃんも兄ちゃんに少しも優しくなんてしてくんなかったじゃん」

 俺を締めるように巻きつく腕の力がはっと緩む。俺は目の前にある柔らかそうな耳たぶを見つめながら、なんとか腕を伸ばして兄ちゃんの背中に手のひらを当てた。

「みんなが大好きな俺に大好きって言われてみんなの輪に入れてもらえるより、なんにも知らないまま気付けないままでみんなに爪弾きにされて生きてくほうが、兄ちゃんはマシだったってこと?」

 いつまで経っても人肌以下の温もりしか伝わってこない背中をゆっくりゆっくり、宥めるように何度も撫でる。すると兄ちゃんは震えながらさっきまで以上に俺を強く抱いた。耳元で聞こえる呼吸は荒い。圧し殺しきれない嗚咽をどうにか抑えたくて、犬が唸るみたいにぐうぐう言いながら俺の頭のてっぺんに顔を擦り寄せるのが凄く可愛かった。

「あんねぇ、兄ちゃん。ここまで俺をつけ上がらせたのは、兄ちゃんだよ?」

 兄ちゃんが俺に頼ってばっかで、俺がいないと息もできないような顔して生きてたから、俺、兄ちゃんのことなんでもかんでも好きにできるような気になっちゃったんだよ。
 それでも俺が悪いの? 本当に全部俺がいけなかったの?

「ね、大丈夫だよ。知ってるでしょ、俺は馬鹿だけど、人付き合いなら誰とでもうまくやっていけるもん。見たでしょ? おねーさんも、もう俺のこと大好きなんだよ」

 強く抱き締められても嫌がらない。いつまでも抱き締められても嫌がらない。だって俺たち、ずっとそうして生きてきた。これからだってそうだ。

「ふたりだけの兄弟じゃん。これからも、ずーっと仲良くしていこうね」

 ずっと、ずうっと、一生一緒だよ、兄ちゃん。


―――
22/08/27


素敵お題サイト様よりタイトルお借りしました。


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