人はその感情を何と呼ぶ
突然頭を抱えて叫んだ潮江さんは、バッと俺に向き直ると、土下座しそうな勢いで頭を下げた。

「え!?」
「すいません、俺だけ知ってるなんておかしな話ですもんね!!」

潮江さんは悪くないと言うか、早々に話を切り出せなかった俺が悪いのだが…。
そう思って俺が、いえ…と言いかけた所で、潮江さんは、真剣な顔をして、俺と向き合う。
そうして、大きく息を吸って口を開いたかと思えば。

「改めまして!!」

突然、声を出して、俺に手を差し出した。その突然の行動に、俺は思わず、潮江さんの手を握ってしまう。

「潮江文次郎、23歳、食満さんと同い年です。職業はハウスキーパー大川の職員、特技は家事全般、趣味はスポーツ、獅子座のB型です」
「は…」
「よろしくお願いします!!」
「へ…あ、よろしくお願いします」

潮江さんはそう言うと、彼の手を握った俺の手を、ギュッと握って、軽く振った。そこまでして、俺はようやく、これが握手だと気付いた。人のと手を繋ぐのは、家族意外は初めて、若干緊張する。

「っ」

けれど、繋いだ潮江さんの掌は温かくて、大きくて、ところどころタコがあって、働き者の手をしていた。
それにすこしだけ安心したのだが、敏い彼は、俺のその少しだけ緊張した雰囲気が伝わったのか、直ぐに手をバッと離してしまった。

「あ、すいません、嫌ですよね…」
「あっ…」

そんなこと無かったのに…。手を離されたことが、こんなに寂しいと感じるのも、久々だった。
思わず、名残り惜しい声が出て、慌てて、口を塞いだ。

「?」
「あ、いえ」

それにしても、だ。潮江さんが、同い年だったなんて知らなかった。俺はA型で、潮江さんはB型だから…相性悪いのかな?あぁ、それは嫌だなぁ…。獅子座だって言うから、誕生日は、夏かぁ…うん、ピッタリだ。そこまで、考え、俺はハッと潮江さんを見上げた。潮江さんが、面と向かって自己紹介してくれたのが、凄く嬉しいのに、俺は、潮江さんに絵本渡してプロフィール見て下さい。みたいな逃げ道を作ってしまった気がする…。いや、その方法が悪い、とは、伊作だって潮江さんだって思わないだろうけど、でも、なんだかな…。

「あの、潮江さん」

俺は、潮江さんにも改めて自分自信で自己紹介しなくてはいけない気がした。
最初みたいに怖がってはいない。今度はちゃんと、自分の口で…ちゃんと…。

「はじめまして」

そうして俺は、自分の手を潮江さんに差し出した。

「食満留三郎です、食べて満たすって書きます。潮江さんと同い年の23歳、職業は絵本作家、特技は絵を書くこと、趣味は天体観測、牡羊座のA型です、よ、よろしくお願いします!!」

俺は必死に自分についての紹介を潮江さんにした。すると、潮江さんが目を見開いて固まった。
え…俺何かしました!?

「は…」
「え?」
「ちょ、え」
「?」

急に口元をバッと抑えた潮江さんに、俺はますます不安になってきた。

「お、俺、何かしました?」
「いや、いえ、え、ちが、違うんです」

潮江さんはそう言うと、俺の差し出したままだった手を握って、口元を抑えていた手を下ろした。

「ただ」

するとそこから出て来たのは、俺いわく、可愛くて、穏やかな笑顔の潮江さんだった。

「嬉しくて」

途端、辺りにほんわかとした、暖かい空気が広がったような気がした。潮江さんが優しく笑うと、どうしてこうも周りの雰囲気が変わるんだろう…。俺の尖ってて、人が嫌いだって気持ちも包まれるような気がして、むずがゆい。俺は嬉しいと言う潮江さんの暖かい手をギュッと握り返した。

「嬉しい…ですか?」
「はい」

きっとそれは、普通に、人と笑顔で笑っている人には分からないかも知れない。けど、たったこれだけで、俺の心がどれだけ救われているか、彼は知らないだろう。
俺の、こんな俺の言葉を、自己紹介をしただけけなのに、嬉しいと言ってくれる人がいる。嬉しいと思える人がいる。本当に、些細で、小さくて、けれどもそれが、俺の大きな幸せなのだ。と

「俺も…」

あなたは、知っていますか?

「俺も、嬉しい、です」

その時俺は、嬉しいはずなのに、何故だか涙が出そうで、それを隠した。
泣きたい訳じゃなかったから、自分も笑って、潮江さんに嬉しいのだと言いたかった。

今日、自分から差し出した掌で、掴んだものは、きっと、俺にとって、とても大切で大きいものだったに違いないのだ。


「〜っ…」

そして俺自信が、”伊作との駆けに勝った”のだ。と、気付いたら、俺は…目の前の、この、大きな掌を持つ人物を、優しい人を、何故か無償に抱きしめたくなった。
潮江さんは、伊作じゃなくて、俺が雇うことになるのだ。この人は「俺のハウスキーパー」になるのだ。

「え…?」

…そこまで考え、俺は自分の体に湧き上がった歓喜に疑問を覚えた。え…俺、何言ってるんだ…。

潮江さんが「俺の」なんて…心のどこかで「俺の」ではなくて「俺だけの」なんて俺は思わなかったか?そんな、違う。潮江さんはハウスキーパーで、今までだって、いろんな人の側にいて、それは決して、俺だけのものではないし、俺はもっと純粋に、彼と仲良くなりたいと思ってるはずなのだ。そんな、独占欲みたいな…と言うか、そもそも独占欲と言うのも変な話だろ。何に対しての?あれ、あれ?

「あれ?」


俺はそこで、自分の頭の中が、大混乱していることを理解する。
この感情に似たような感情を、俺は確かに知っているはずで、でも、それはあの時、気付いたときにはボロボロに打ち砕かれて、一生思い出さないと誓ったはずで…。思い出せなくて…。


「食満さん…?」
「はっ…はい?」

潮江さんが心配したような声をして、コチラを窺ってきたので、俺はハッとして、意識を潮江さんに戻す。
考え込んでしまうと、自分のカラに閉じこもってしまうのは、俺の良くないとこだなぁ、と反省。

「あ、すいません、ちょっと考え事を」

心配そうな潮江さんに、俺は、手を振って笑った。俺は本当に潮江さんに心配をかけてばかりだ。

「大丈夫ですか?」
「はい、全然大丈夫ですよ」

そう言って笑うと、潮江さんは、どこかホッとした顔をして、俺の手をジッと見つめた。

「手、繋ぐの、嫌ですか?」
「え?」

どうやら潮江さんは、俺が脳内でぐるぐる考えていたのを、自分が手を繋いだままだから、気持ち悪くなったのでは?と思っているようだ。でも、それ以上に、その言葉は真剣だった。

「ち、違います。潮江さんは大丈夫ですから!!」

違う。潮江さんなら…っていうか、さっき「嫌ですよね」と手を離したときといい、どこまで俺に気使ってくれるんだこの人は。潮江さんがあまりに真剣に聞いてくるから、俺は首をぶんぶん横に振った。

そう、潮江さんなら、大丈夫だから。俺がそう言うと、さっき俺が握り返したように、潮江さんからも握り返して、手を離された。

「じゃぁ…」
「え?」
「何かあったら、手握ってください」
「へ?」

潮江さんの視線はブレず、俺を見つめている。その瞳は、どこか悲しい色を持っていたけれど、綺麗で、俺は目を反らせない。

「食満さんは、無理をすると思うので」
「え」
「無理して一人で泣く前に、ちゃんと、助けて欲しいときは助けてって、教えて下さい」
「…」
「善法寺さんには叶わないかも知れないけれど、俺は…」
「っ」

「助けに行きます」

その優しいけれど悲しい瞳を持つ顔を、どこか泣き出しそうな声を聞いた瞬間、俺の胸がギュッと締め付けられるように痛んだ。嬉しいことを言われている。凄く嬉しいのに、胸が痛くなる感情を理解出来ない。あぁ、待て待て、深いことを考えていたらまた潮江さんが心配するじゃないか、

「潮江さんは、優しいですね」
「優しくなんて…ないですよ」

だから、笑って誤魔化そう。きっと彼にはバレるけれど、彼はまだ、俺の深い部分に、完全には踏み込んではいないから、気を使って言及はしないでくれるはずだ。けれど、そんな俺に気付いているのか、潮江さんの表情はどこか固い。

「いいや、アナタは、俺に良い影響をもたらしてくれるんです」
「…」
「俺はそれに凄く感謝してます。潮江さんと親しくなりたいとも思う」

けれど、けれど…。

「潮江さん…」

彼は、今の言葉で、確かに意味を込めた。潮江さんはあまりにも出来た人だから、俺はそれを忘れかけていた。
恥ずかしい…潮江さんだって一人の生きた人間なのだ。どんなに出来た彼でも、俺に優しい彼であっても、俺が
言葉しなければ伝わらない。

俺が『助けて』と言わない限り、彼は気付けない部分もあるのだ。と、そう言ったのだろう。

でも、

「ごめんなさい」

俺は臆病者だから、まだ、アナタに打ち明ける勇気がないのです。
でも、絶対言うから、だから、まだ、もう少しだけ

「待ってて、下さい」

臆病な俺をどうか許して。

そう言って項垂れた俺を、普段、俺に触れることにとても気を使う潮江さんが抱き締めた。

「いえ、俺こそ急に急いてすいませんでした」

あの日、混乱して、泣き喚く俺を抱き締めた力強い抱き締め方とは違う。壊れ物を扱うような、どこまでも優しい抱きしめ方で、俺は彼に守られているのではなく、俺という、自分でも分かる通りの面倒な存在に、困らされた潮江さんに、泣きつかれている。という気分になり。さらにその状態で、俺に謝るから、俺は申し訳なくて、ますます頭が下がる。潮江さんに、嫌われた…?
それは絶対嫌なのに…。そう考えたら、俺は酷く切なくて、悲しい気持ちになって、涙が出そうだった。

「食満さん、俺、待ちますから…だから」

でも彼はそう言って。俺の背中をゆっくり叩く。ポンポンっと一定のリズムで叩かれて、まるで、嫌わないから大丈夫だと言うように。

「潮江さん…っ」
「暫く肩、貸して下さい」

けれど彼は、俺に対して何か言うこともなく、俺の肩に頭を乗せて、ただ祈るように目を瞑っただけだった。

「ごめ…なさ」
「あー・・・もぉー、大丈夫ですよ、食満さん」

謝る俺に、潮江さんは苦笑して、どこか焦ったように、俺の頭をゆっくり撫でてくれたけれど、彼の顔は良く見えなかった。
結局その日、潮江さんは俺の肩を借り、彼は泣き出すことはなかったけれど、俺はついに、涙腺が緩んでしまい。彼の腕にまたお世話になってしまった。



今日この日、俺は彼の距離がまた縮まった。

いや、むしろ…縮まって「しまった」ような気がして、俺はそれが嬉しいはずなのに、そのことに少し恐怖を感じてしまっている自分がいたことに驚いた。何故恐怖を感じるのか、俺は潮江さんに、あのトラウマに関する全ての話を絶対にする。潮江さんに打ち明ける勇気が出来たら…だが、きっとそれを話たら、優しい彼は、その広い心で、俺を抱き締めて、きっと助けてくれるだろう。そうして助けて貰うことが、俺のトラウマを克服出来る鍵になるかも知れないと、俺はどこかで気付いている。けれど、だから怖い。

伊作でも直すことの出来なかった俺のトラウマを、直すことが出来るかも知れない彼の存在が、俺の心にあっさり踏み込む彼の存在が。

けれど、俺はいつか言わなくてはいけないとのときまでに、勇気と覚悟をつけなくてはいけないのだ。家族ではなく、友人になりたいと思える彼が俺にとって今後、どういう存在になっても、受け入れることが出来るように。彼との関係がどんなものに変化しても、逃げ出したりしないように。

潮江さんに対して…覚えのある感情を思い出すことを恐怖だと思ってしまうコレは、一体何なのだろうか?


人はその感情を何と呼ぶ


俺は、何を思い出せないのか、それはきっと、あの思い出の中のトラウマの少女に、ボロボロに砕かれた、心の角に置いて来た、一生思い出さないと誓った気持ち…人はそれを…

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