信じたいと願う二日目


昼を作ろうと戻ってきた俺が見たのは、あぶなっかしく洗濯物をぐちゃぐちゃに干し、落ちそうになったタオルを掴もうと、自分まで落ちかけている食満さんだった。俺は頭の中が真っ白になって、それから、走って、落ちかけている彼の腰を掴んだ。
あんまりにもヒヤヒヤさせられ、凄く心配したため、俺はつい食満さんを怒鳴ってしまい。彼をとても怯えさせてしまった。
俺の予想に半して、トラウマはかなり根強いらしい。
ごめんなさい。と何回も繰り返す。あの弱い背中を、頭を、ただ、抱きしめて撫でてやりたいと思った。甘やかしたいと思った。
泣かせた自分を、酷く悔やんだ。ごめんと大丈夫を、俺は繰り返し言い聞かせた。

それから数時間後。

俺の腕で、そりゃもう見てるこっちが、可哀想に思えるぐらい泣いた食満さんは、最終的には泣き疲れて俺の腕の中で眠ってしまった。

『…泣き疲れたら寝るとかアンタはガキか』

食満さんが全体重をこっちに乗せてきたので、

『うぉっ!』

流れでズルズルと床に座り込む羽目になり、俺の膝に食満さんが乗り、それを俺がそれを抱きしめるような構図になった。
…人嫌いのこの人が、俺の腕で眠るなんて…。

『少しは信用されたのかな…』

心にふわっと湧き上がる喜びに、いや、でもちょっと待てと自制を掛ける。待て待て、泣かせたのは紛れも無い俺自身だぞ、まだ確信がもてねぇし、喜ぶのはもっと後にしよう。
そう決意し、食満さんの顔を見ると、口半開きで、すやすやと眠っている姿がちょっとマヌケに見えて、俺は思わず笑ってしまった。

『ぶっ…ははは、ほんと、猫みてぇな人だなぁ』

警戒心強くて、すぐ寝て…。
そう思って、食満さんの鼻を軽く摘むと、ぬぅ、ぐにゃ、とか変な擬音が聞こえてきて、ますます笑えた。

『安心しろよな、俺は、アンタの敵じゃねぇんだから』

そうやって、フワフワの猫毛を撫でてやると、その声が聞こえたのかは分からないが、食満さんはどこか、嬉しそうに、むにゃむにゃと笑っていた。俺が見たはじめての彼の笑顔は、やっぱり、

『うん、可愛いじゃねぇか』

何だか慌てて訂正するのを忘れるぐらい可愛かった。とりあえず今は、この人を布団に運んでやらなきゃいけねぇ。

『おやすみ、食満さん』

俺は、あんたの味方でいたいって思うんだよ。




ベランダで洗濯物を干していたはずの俺は何故かいつもの寝室のベットで目が覚めた。

「え…?」

何でベランダにいるのに、部屋に戻ってるんだろう。

「あぁ、夢か…」

夢、俺がベランダで洗濯物干してるのが夢なのか?しかも何か朝ご飯はしっかり食べたよなぁ…・

「夢…夢?」

そこで、俺の記憶が逆戻りした。

『食満、大丈夫だから…』
『俺は敵じゃねぇよ』

「あ…」

その光景が鮮明に思い出され、俺は絶叫した。

「あぁぁぁぁ!!!!!」

あぁぁぁ、バレた。別に隠していた訳じゃないけど、それでも知られたくなかったのが本音だ。
俺のトラウマに見事スイッチをつけてくれた潮江さんが若干憎い。

「うあぁぁ」

後恥ずかし過ぎる。あんなベランダで、わんわん大泣きした挙句に、腕まで借りて爆睡して、しかもその後…恐らくベットまで運んで貰って…。

「…しっ、死にたい…」

今なら羞恥心で死ねるんじゃないか、そんな気がした。そんな俺の一言に、

「おいおい、まだ死ぬなよー?俺、食満さんのことまだ何も知らないからな」
「……あ」

潮江さんが、答えた。

「あ?」
「ぎゃーーー!!」

何でいるんだ!!思わず毛布を被って隠れる俺に、潮江さんは、ズカズカとこちらに近づき、ドスンッと俺の近くに腰を下ろした。

「食満さん」
「…」

何をするんだろう。そう思って、布団の隙間から、おそるおそる潮江さんを窺うと、深く頭を下げられた。

「すいませんでした!!」
「え」

えぇぇ!!急に頭を下げられた俺は、思わず、被っていた毛布を跳ね除けて、慌ててしまう。どこに潮江さんの謝るところがあったんだろうか、さっきのは、俺が心配してくれた彼に勝手にトラウマを重ねて迷惑をかけてしまったのだ。そりゃぁ、見られたくなかったし、ちょっと憎いとか思ったが、どう考えたって、彼がこんな頭を下げるべきではないのだ。

「あっあの」
「恐がらせた。泣かせた。」
「へ?」
「言っておくが、俺が悪くないってのは間違いですからね?俺も注意するならするで言い方ってもんがあったんだから」
「…っ」

俺を真っ直ぐ見つめる潮江さんの目は、ブレない。初めて、こんなに真っ直ぐに彼の顔を見た。
真剣な顔だった。俺を攻めるような目ではなく、非はコチラにあるといった顔だ。
だが、潮江さんが悪くないのが間違いだとしても、俺がそれですんなり納得するはずがない。
こちらこそ『すいません』そう口を開こうとした俺に、潮江さんが、人差し指を前に突き出した。

「!?」
「食満さんからの、ごめんなさい、すいませんはナシ」
「なっ」
「食満さーん」

そう言って、人差し指をチッチと左右に揺らす彼に、なら、俺は何を言えば良いんだ。と反論しようとして、潮江さんは急に間延びした声を出した。

「ここは一つ、ぜーんぶ俺のせいにしましょう?」
「……はぁ?」

急に出されたそんな提案に、思わず、呆れた声が出てしまう。そんな俺に、潮江さんは、どこか、心配気な声を出した。

「食満さん…色々と抱え込みすぎなんだよ、全部自分のせいにしたら疲れちゃいますよ?」
「…」

そう言って彼は、俺に向かって、カラリと笑う。

「落ちそうになったのは俺が食満さんから目を離したから、食満さんが泣き出したのは俺が怒ったから、今食満さんがはずかしいのもぜーんぶ、俺が悪いだろ?な?」
「なって…」

そんなことを言う彼に、俺は唖然として、でも、気付いた事がある。

「あ…」

あれ、恐くない…?
そうか…。彼は、俺を心配してくれているけど、俺の深い部分には触れないように、気をつけてくれているのだ。
ゆっくり、俺って人間と付き合って行こうと思ってくれているのかもしれない。
そうやって一定の距離を保つのに、やっぱり俺を心配しいつもは踏み込まない距離を、あえて、踏み込んで、優しい言葉をかけてくれるのだ。

そう言う人間なのかもしれない。

俺が勝手にそう思ってるだけだけど、潮江さんは今、俺を心配して、昨日だって、今日だって、俺が、恐がらないように距離を保っていてくれたのだ。だけど今、俺が辛いだとうと感じて、あえて、その距離を踏み越えて、俺に近付いて、俺の目を見て、優しい言葉をくれた。

俺は、人間嫌いだけど、人の感情には敏いつもりでいる。そう、だから、俺は、俺の思う潮江さんと言う人間を、信じたいと思ったのだ。あのベランダから落ちそうになった時は、パニックになっていたから、完全に信用出来ないって思った。だけど、俺は、潮江さんの優しさを『信用出来ない自分が嫌』だと思ったのだ。

これは、進歩ではないだろうか?俺が、人嫌いになってから、伊作や家族以外で、初めて、誰かを信用したいと思ったのだ。

「あぁ、そうか…」

そう考えたら、俺は、また目頭が熱くなるのを感じた。

「優しいなぁ…」
「ん?」
「何でも、無い…です」
「は?…って、あぁ!また泣く…」

潮江さんの困ったような、どこか焦ったような声を聞いて、またさらに泣けて来た。
しょうがないじゃないか、泣けるときには沢山泣けって伊作も言ってた。
俺が泣いて、慰めようと腕を伸ばすけど、でも、まだ触れるべきじゃないと思っているのか、腕を出してはひっこめる潮江さんが、ちょっと笑えた。

「ふっ…うぅ…ははっ」
「何笑ってんすか…」

ちょっと、呆れ顔の潮江さんに、流れてくる涙をぬぐいながら、必死に答える。

「な…んでも、ない、です」
「何でもなくないだろーが」
「…なんでも、ないん…です」
「ほら、もー…食満さん」

何で俺は泣きたくなってるんだろうか、悲しいから?辛いから?どうしようもなく心が痛いから?
違うな、これは違う。嬉しいから、心があったかいから、どうしても涙が出るのだ。

「こう言うときは誰のせいにすりゃ良いんだっけ?」

目の前の、この、困った顔をする人が、優しいから泣くのだ。
そう、だから、これは全部、彼が悪い。そう言うことにしておこう。

「潮江さんの…せ…い?」

うん、潮江さんが悪いのだ。

「良く出来ました」

こうやって、潮江さんに全部責任転嫁したのに、彼は満足そうに笑った。
そして俺も、どこか胸のつかえが、取れたような気がした。




そうやって、俺の中で、潮江さんの株が大幅に上がった本日だが、何だか、時計がズレているような気がする。

「…しっ、潮江さん、今何時?」
「えっ…?」

そうやって、潮江さんが見せてくれた時計は、早朝9時でした…。

「え、まさか丸一日、寝てたんですか…!?」
「あ〜…ははは」

笑ってちょっと誤魔化そうとする潮江さんを、ジトーっと睨みつける。が、まぁそこは、どうでも良い。ただ、俺にとっての問題は…

「お風呂入ってない!!」

それから…それから…っ

「顔も洗ってないぃぃぃ!!!!」

どうしよう、嫌だ。キチンと洗顔してない状態見られてたなんて、マジで死にたい。

「え、気にするところ、そこなんでですか!?」
「俺にとっては死活問題なんですぅぅ!!!」
「へー」

そこで、唖然としている潮江さんに、半泣きで食いつくと、なにやら、ほほぉと言う顔をされてしまった。

「なっ、何ですか…」
「いや、食満さんって、初めて会ったときから思ってましたけど、洗顔に凄い気使ってるんですね」

トラウマの名残ですけどね…とはまだ言えないけどな…。

「まぁそこは後で聞けるかなーと期待するとして」
「…」

期待しないで!!って言うかバレてる気がする…うぅ…。

「今は俺に対する恐怖心が少し和らいみたいなのが、嬉しいです」

そうやって、ホワッと、心底嬉しそうに、でもどこか照れたように笑う潮江さんに、思わず言葉が詰まった。
カッコイイと言うよりは、可愛く笑っていたから…。

『何この人…っ』

可愛い、思わず、叫びたくなるのを抑えるぐらい、可愛かった。
潮江さんみたいに、男らしい人に、可愛いって言葉は似合わないかもしれないが、でも、この笑い方は卑怯だ。
そうやってジッと潮江さんの顔を見ていたら、俺いわく、可愛く笑っていた顔が、急に困った顔になった。

「えっと、俺の顔に、何か?」

若干不安そうに聞いてくる潮江さんに、急いで、手を横に振る。

「え、あ、いやいや」
「あ、そうですか、何か、笑うと周りからびっくりした顔されるんですよ…」
「あー…」

多分、潮江さんは普段、眉間の皺凄いし、目付き悪いしで、黙っていると不機嫌な印象を与えるんだろう。
そんなイメージを潮江さんに持っている周りの人は、潮江さんの笑顔を見ると、存外穏やかに笑うからビックリするのだ。
現に…俺がびっくりした。
ところが、困った様子の潮江さんを見るに、相手が良い意味で驚いていることにはまったく気付かず、笑った顔が変な顔だと思われてる。とか思っていそうだ。

「俺の笑顔って、そんな変なんでしょうか?」
「いや…」

だから余計に、あまり笑わないのかも知れない。感情表現が無い訳じゃないけど、潮江さんの笑った顔って、どこか不恰好だなーと思っていたのだ。
なるほど、普通に笑えばあんなに良い笑顔なのに、無理してそれを直そうとしてるから、どこか変に見えるのだ。

「変じゃないです」

…潮江さんって以外に鈍いんだなー、こう言うのって何て言うんだっけ?天然?

「へ、変じゃないですか?」
「はい」

そう安心させるように言うと、潮江さんは、また、ホワッと嬉しそうに笑った。やっぱりそっちの笑顔の方が良いと思う。

「食満さんも」

しかしここで、彼は俺に爆弾を投下する。

「肌、綺麗ですね」
「…」

そうやって、ホワホワと何の他意も無いように笑われて、俺の顔がジワジワと熱を帯びていくのを感じた。
毎日洗顔を続けて来たが、肌が綺麗だと言われたのは初めてで、その純粋な言葉が酷く嬉しい。
嬉しいが…何でこそばゆく、胸の奥がムズムズして、こちらが恥ずかしい気分になっているんだろうか…、

そうか、そうか、この人は…っ。

「てっ…天然タラシ…っ」
「?」
「なっ何でもないです!!ありがとうございます!!かっ顔洗って来ます!!」

どうしよう、潮江さんとは仲良くなっていきたいけど、これからがどうしようもなく不安になってきた。
保て、俺の心臓、そう胸の中で呟きながら、俺は、洗面台に逃げそうになる。
その後ろで潮江さんがクックッと笑いを耐えているのを後ろに感じながら、…いや、やっぱり確信犯?とそろりと後ろを振り返ると、潮江さんは、笑って、いってらっしゃいと手を振った。

うう、やっぱり食えないぞ潮江さん…。


信じたいと願う二日目


俺の信じたいと思える人を、俺は信じることにしようと思う。でも、潮江さんの天然タラシっぷりに、心臓が持つかは保障出来ない。


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