※「なんの魔法」の続きのようなもの


檸檬の石鹸、いい匂い。
少し前に兵長から戴いた石鹸は、乾かしつつ大事に大事に使っている。兵長曰く、これはレモングラスの匂いだそう。檸檬よりずっと鮮やかな香りと言っていたけど、私には違いがよくわからない。いい匂いなら、なんでもよいのだ。
夕焼けを見つめながら、すんすんとミケ分隊長のように石鹸をかぐ。胸の奥にすーっと流れる香りにうっとりしてから、外で乾かしていた洗濯物を降ろす。川辺でついうっかり昼寝し過ぎたせいで、洗濯物は少し湿気ていた。だけどほんのりレモングラスの香りがするので、それだけで満足。


「またちんたらやってるのか」
「…へっ、……兵長お疲れさまです!」
「敬礼はいい。早く洗濯物を取り込め」
「は、はい」


何故こんな時間に兵長が。兵長のことだから、朝早くに洗濯してその後は忙しく働いて、ご飯でも食べているような時間じゃないのかな?ぐるぐる考えているのを悟られてしまったのか、壁外調査以外ではわりと暇だ、と仰った。そういうものなのか。
夕方だというのに、兵長は今日も清々しい檸檬の香りがしていた。


「あの石鹸使ったのか」
「はい、とってもいい匂いです!ありがとうございました!」
「そうか」


兵長は気まぐれだ。ふらりと色んな兵士の前に現れては、気にかけてくれる。誰かが猫のようと言っていたのを、思い出した。


「リヴァイ兵長、今お暇ですか?」
「わりと暇だな」
「じゃあちょっとお時間を頂きまして」
「? 何する気だ」
「しゃぼん玉、作れますよ」


綺麗に乾いたレモングラスの石鹸を見せると、兵長は少し眉間に皺を寄せ、また私に視線を戻す。
ちょっと、ちょっとだけ待っててください!と兵長に叫んで、全速力で食堂まで駆ける。必要なものは、コップとストロー。あと砂糖は…さすがに無理だろうな。とにかくそれだけあればいいか。急いで目当てのものを引っ掴んで戻れば、兵長は静かに待っていてくださった。


「お、お待たせしましたリヴァイ兵長…!」
「待ってない。それで?」
「あ、あの、これ…石鹸をこう、削りまして…」


息を調えつつ、調達してきたコップに少しずつ少しずつ、石鹸を削って落としていく。兵長はじいっとコップの奥底を覗いていた。
川の水をすうっと手ですくってコップに入れたら、ストローでぐるぐるかき混ぜる。檸檬の匂いがふよふよ立ちのぼり、水はぷくぷくと泡立った。


「見ててくださいね」
「ああ」


兵長の短い返事だけで嬉しくて、ストローに石鹸水をつける。ふうっと吹いた。


「ありゃ、小さい」
「貸せ」
「あ、はい!」


ぱちんっとすぐはじけてしまった小さなしゃぼん玉に、石鹸が足りないと兵長が言った。確かに薄かったかもなあなんて思っていると、容赦なくがりがり削られてゆく石鹸。お、おお…元は兵長のものだとはいえ、そこまでやるか…!
いびつにすり減る石鹸に、私が打ち震えていると、また新しいのをやる、と言いつつがりがり削るのをやめない兵長。というか、またくれるのか。優しいなあ。


「ほら、もう一度吹け」
「はいっ」


兵長がくるくるかき混ぜた石鹸水。さっきより檸檬の匂いがつーんと香って、ますますいい匂い。
ふう、とできるだけ優しく吹く。ストローの先から、虹の色した綺麗なしゃぼんがふわふわ飛んだ。夕焼けを泳いでゆくのを見て、檸檬の匂いを吸い込みながら、飛び上がりたい気分だ。


「よく飛ぶもんだ」
「お砂糖もないのに、いい感じですねえ」
「砂糖をいれると、何か変わるのか」
「しゃぼん玉を少し、大きく作れます」
「そうか」


もう一度ふうっと吹いたストローから、ふつふつと湧くしゃぼん玉。ふと見た兵長は、いつも通りの仏頂面だ。しゃぼん玉を見つめてはいるものの、表情筋はぴくりとも動かない。少しは楽しんでくれるかなあと思っていたけど、まあしゃぼん玉だものなあ。それでも、ふうふうとしゃぼん玉を飛ばしていると、ぽつりと呟く。


「ナマエ」
「はい、なんでしょう?」
「砂糖も今度、持ってきてやる」


まだ漂うしゃぼん玉を見ている兵長は、どこか夢見心地みたいな言葉を仰ったので、私は何が何やら呆然としてしまう。兵長はそのまま空に視線を漂わせ、くるりと背を見せると宿舎へ戻って行ってしまった。
なにかはじけたような、甘い気分だ。ストローから溢れ出すものは、なんだろう。檸檬の石鹸は、やっぱりいい匂いだった。

神様の庭は広くない
130819


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