約束してないから
例えるならば彼は雨に似てる。
不意に降り出して、けれど空はどうしてか明るい。見上げてきょとんとする反応を楽しむかのような、そんな風な。
そしてまるで忘れてくれて言わんばかりにあっという間に止んで照らされた陽の温かさにまた空へと蒸発して昇ってしまう。雲に例えるには彼は温か過ぎる。煙に例えるには彼の眼差しは印象を強く残し過ぎる。
それなのに忘れてくれなんて、やっぱり彼は雨。晴れているのに降り出す、天の邪鬼な雨。
突然降り出して私の心を温かさで濡らして、乾かしていくこともなく勝手に去ってしまう。……無責任な雨。
「アンタ、男がいンのか?」
「?…どうして?」
「いや。ふとンな気がしてな」
違ったか?、と何の気無しに聞く黒髪の男になんて答えようかともほんの一瞬だけ悩んだけれど私はすぐに眉を下げて笑い首を縦に振った。
「違いますよ。そもそも彼氏がいたらこんな遅い時間に1人で帰ろうとしないでしょう?」
「それもそうか。悪いな」
「いいえ。ただどうしてそう思ったのかだけ気になります」
「あー…、どう、っつって改めて聞かれっと説明しづれェもんがあるが」
片目を細め難しい顔をする隣を歩く彼が、オイ、と声を掛けてくれなかったら私は仕事終わりの夜11時の暗い夜道を途中寄ったスーパーのビニール袋を手に1人で歩いていたところだろう。
私に何か、男がいる、と思った要因があるのだとしたらそれはとても客観的な意見で面白いなぁ。
そんな風に思うのはたぶん、黒髪の彼が江戸では知らない人がいないほど有名なある職の制服を着ているからだろうと思う。
「真選組っつー職業柄なんだが」
「ええ」
小さく相槌を打ち顎に手を当てる彼に首を傾げ先を促す。
「人を見ることにゃ慣れてるつもりだ。アンタ俺が話し掛けて、家まで荷物を持ってやる代わりに大人しく送られろ、なんて言われても笑ってたろ?」
「お人好しな人なんだな、と」
「そうだよそれだ。普通こんな時間に男に話し掛けられたら身構えちまうもんだ」
「なるほど」
「男慣れしてるように見えたンだよ」
「それってあんまりいい印象じゃありませんね」
「あーそーだな。こんな時間に1人で歩く女は馬鹿としか思えねェ」
「ふふ、正直な人」
「侍が嘘なんざつけるか」
笑う私に、フィッ、と顔を背けた彼の表情は分からないけどずっと買物袋を持ってくれる不器用な優しさを見るにどうやら照れているようで私は暗さに乗じて小さく笑った。
「今笑ったろ?」
「あ、バレちゃいました?」
「あいにく、気配を感じンのも得意でな」
「ごめんなさい。お詫びに質問の答えを」
私のアパートまでの道のりは外灯が少ないんだけど、アパートに差し掛かる曲がり角には申し訳なさ程度の外灯が点いている。
ほわりと照らされる一点に足を止めて明かりの下で彼を改めて見つめるとしばらく目を丸くしていた彼は足を止めた理由を理解してくれたらしく、あぁ、と持ってくれていたビニール袋を渡してくれた。
「彼氏は生まれてこの方いたことはありませんが、1人だけ昔馴染みの男がいますからそのせいかもしれませんね」
「それは彼氏って言わねェのか?」
「さあ?」
「さあ、って…お前な」
「よく分かりません。説明つかない関係は可笑しいですか?」
「……いや。野暮なこと聞いたな」
「いいえ。いつもは1人の道を誰かと歩けて楽しかったです」
ありがとうございました、と続けて頭を下げても目の前の彼が動く気配がなくて頭を上げて首を傾げる。
黒髪の鋭い目をした彼がズボンのポケットに入れていた手を出して頭を掻く。
「……土方だ」
「え?」
「真選組副長、土方十四郎。アンタは?」
「逢坂雪音です」
「そうか。じゃ、逢坂。あんま夜道を1人で歩くなよ」
「はい」
「空返事じゃねェか?それ」
「どうでしょう?」
「チッ。あー…、またな」
「……はい」
そうして向けられた背中は1度も振り返らず来た道を戻っていった。その姿や自ら名乗った彼はとても実直で不器用な人なんだろう。向けられた眼差しと言葉の端々でそんなような事を感じるから。
"またな"、なんてわざわざ言ったりしないもの。
ふぅ、と肩を竦めアパートの階段を上りカバンから取り出した鍵でドアを開ける。あ、またキィッて鳴ってる。やっぱり大家さんに言った方がいいかな?夜帰ってきてこうも鳴るんじゃ迷惑になっちゃうかも……。
そんな事を考えながら脱いだ靴を揃え立ち上がったその時、
「!」
ふわ、と後ろから被さられるように何かに抱き竦められ、ひゅっ、と一瞬息が止まる。けれど取り戻した呼吸で鼻腔に広がった覚えのある香りに、もう…、と力を抜いたんだけれど。
「それ。いつも止めてって言ってるでしょ?」
「いつもやられてンのに慣れねェお前が悪ィ」
「慣れたら慣れたで、つまらない、って言うくせに」
「よく分かってるじゃねェか」
子供なんだから、なんて言ったらどんな反応するかな?
ふふ、と笑いながら彼の腕の中に身体を預ければ難無く受け入れてくれた彼の手が私の顎に触れる。
これもいつもの事だから彼が何を求めているのかは分かる。分かるけど今日は少し意地悪したい気分。
フィッ、と顔を背けて様子を伺えば、オイ、と訝る声。
「分かっててやってンのか?」
「どう思う?」
「……身体、こっち向けろ」
「…先に顔ぐらい見たいなー」
「うるせェ」
そんな風に横暴な物言いだけど私を正面から改めて抱き締めてくれる腕は優しくてちょっとだけ笑った。
いつもと違う私の態度。
"何かあったのか?"
そう聞いてくれれば簡単なのに何も聞かないのはなんとなく理解してくれてるのか、聞く必要もしてくれてるのか、どっちか分からないけどこうされるの…好き。
よく知った彼の手がゆっくり私の背中を撫でてから髪の毛をやんわりと握る。
だいぶ昔になるような気がする、こうして彼が『お前の髪の毛は嫌いじゃねェ』そう言う声に私が真っ赤になって、彼もそれを受けて顔を赤くした時のことが。
顔を上げて彼を見つめるとまだ明かりの点けない部屋の中で一瞬彼の顔にまだ痛々しい包帯のない頃の顔が重なって見えて小さく息を呑んだ。
グッと唇を噛み締める。
私は彼が優しく笑ったり悔しげに顔を歪めたり怒ったり辛そうに目を伏せたり、感情豊かに接してくれた頃を知っていて暗がりの中に溶けるようにして見えなくなった幻影をいつまでも追い掛けていられないのだと知っていてもどうしても引き止めたくなってしまう。
そっ、と左目を覆う包帯に触れると右目が細まる。
「……少し、痩せた?」
「お前がそう感じンならそうじゃねェか?」
「その答え方は狡いよ」
「悔しけりゃやり返しゃいい」
「相変わらず高慢なんだから」
「お前は相変わらず馬鹿だな」
「…うん、知ってるよ」
フッ、と笑った彼が包帯に触れる私の手を捕まえてゆっくり顔を近付けてくるのを受け入れるように目を閉じれば唇が間もなく触れる。
最初は浅く、だんだん深く。
息継ぐ間なんて与えてくれないからただ触れるだけの唇から逃げようとしても腕に抱き竦められて許してもらえない。
こんな時ばかりに見せられる執着心に胸の中が切なくなる。
「馬鹿…っ、晋助の馬鹿」
「………」
そういえば寄ったスーパーのお客様のご意見が貼り出される掲示板に晋助の手配書が貼られてた。この顔にピンときたら100当番。あの写真がどうやって撮られたものかは分からないけど、どうせ撮るならちゃんと撮れ、と言わんばかりに堂々とした写真に眉を下げて笑った。
攘夷戦争に晋助たちが参加するそのずっとずっと前、松陽先生や銀時に会うよりもっと前。晋助とは幼なじみでずっと一緒だった。戦争では役に立たない私は家柄を利用して資金援助という形でしか力になれなかったけれど時々届く晋助からの短い無事を知らせる文に死ぬまでずっと一緒だって疑うこともなかった。
彼があの戦争で何を感じ何を見て何を経験したかも分からない平和な遠い場所で、なんて馬鹿な夢を見ていたんだろう。
戦争が集結すると晋助は文さえくれなくなって江戸に出れば攘夷に身をやつしてるという。銀時やこたには会うことが出来たけど晋助とはずっと連絡も取れなかったのに、ある日突然こんな風にフイッと私の元へ来るようになって、もうどれぐらいが経ったかな。
銀時たちの間にはっきりと出来てしまった軋轢。もう分かり合える希望もない。
子供の頃から変わらないのね、そう笑う私に銀時は困ったように笑って、そんなもんじゃねェよ、と言葉少なめに答えた。
悲しい目だった。
「捕まえる気もないのに手を広げて。私が飛び込めばするりと逃げちゃうんだから」
馬鹿、と繰り返しても今度は私から晋助に口づける。今だけはちゃんと捕まえてくれる晋助の腕が私の背中に周り強い力を込める。
「私、そうこうしている内におばあちゃんになっちゃうよ?晋助いいの?若い内が美味しいって職場の同僚が言ってたよ?」
そう言う私に晋助は、ククッ、と喉を鳴らし愉快そうに笑って、なんだ?、と私の顔を覗き込む。
「喰ってほしいのか?雪音」
「どうせ食べるならおばあちゃんになる前に。旬だもん」
……と、言ってたのは本当は同僚じゃなくて酔っ払った銀時だけど。そうも言えるはずもなく、ちゅ、とまた晋助に口づける。
お願い連れていってよ今日こそ、と。そんな言葉を飲み込むために。
「まだ食べ頃じゃねェよお前は」
「そんな言葉をどっかの童話で聞いたことがある」
「女ってのは空想的なもんが好きだろ」
「それこそ空想だよ。どうするの?もうすぐ三十路なのに誰のお手付きもないだなんて私、職場で絶滅危惧種って呼ばれてるんだよ」
「いいじゃねェか。そういうもんこそ手に入れてェ」
「私、なんだかベーコンかチーズになった気分」
「精々美味くなっとけ」
「知ってる?ベーコンやチーズは他の干渉材料があるから美味しくなるんだよ?スモークしかり適温しかり。今に冒険に出ちゃうから。勇者を探す旅に出ちゃうからね」
「なら心配いらねェな。最終的に俺のとこに来る」
「最終的でいいの?」
「どうせ寄り道なんざしねェからな」
「!……晋助の慢心家」
ばーか、と子供みたいに言う私に怒りもせずに、そーかよ、とやっぱり愉快そうに笑う晋助が私を抱き上げて寝室へ私を連れていく。銀時は晋助を、チビ、なんて言ってるけど私にしたら晋助は全然チビなんかじゃない。
首の後ろに手を回して、ぎゅう、と抱き着いている間にすぐにベッドに着いてそこへ降ろした私を晋助が見下ろす。
いつものこと。
こうして彼を見上げるのも、手を伸ばしても掴まえてもらえないのも、声を掛ける前に背中を向けられてしまうのもいつものこと。
「また来る」
「嘘ついたら今度こそ売り出しちゃうからね。アラサーだから大安売りだからすぐに売れちゃうもん」
「………」
「もしかしたら銀時が買っちゃうかもしれないんだからね?こたは…ないか。人妻好きだもんね」
「………」
「晋助。……晋助?……私ね、晋助と一緒に……」
行く、と言わせてくれないのもいつものこと。
不意に唇を塞がれて、ゆっくり離れながら見つめ交わす目に晋助の想いが見えなくて唇を噛み締めるとそれに優しく触れる晋助はまたすぐに背中を向けて家を出ていってしまう。
「っ……晋助のばーかっ。……大好き」
泣きながら寝て目を覚ますと外が騒がしいことに気付いて支度をしながら首を傾げていれば玄関のインターホンが鳴った。
『真選組だ』
「!……はい?……あ、土方さん…ですよね?」
「…よォ」
「どうされたんですか?なんだか外が騒がしいのは、事件ですか?」
「……昨夜この辺りで攘夷浪士の高杉晋助が目撃されてな。……アンタ、何か知らねェか?」
眉根を寄せて低い真剣な声。
それとなく玄関の中を伺うような目線に本当に小さく息をついた。
昨夜土方さんに会ったのはきっと偶然じゃない。それとなく私を伺っていたに違いない。"またな"と、そう言った彼の言葉を思い出す。
もう晋助の馬鹿!
「そんな危ない人が近くにいるなら尚更彼氏がほしくなっちゃいますね」
「…馴染みの男がいるンじゃなかったのか?」
「さあ?……約束はしていないので。不意に来て何も残さず行ってしまう人だから」
「……随分無責任な野郎だな」
「ええ、そうなんです。雨みたいな、そんな人です」
約束してないから
(繋がってない、なんて思わない。思わないけどやっぱり凄く寂しくて、泣きたくなって悔しいから雨の日は濡れて歩いてやろうと思う)
「銀時ー。私、売り出したらいくらかな?」
「10円」
「ちょっと…消費税込みでんまい棒も買えないんだけど」
「おーそんな。だから簡単に売り出したりすンなよ」
「!」
「惨めになっちまうから」
「……うん。ありがとう銀時」
「別に」
―了―
2015/03/31
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