猫の頬擦り | ナノ


 キスじゃ死ねません[1/2]


俺は最近左手でも飯を食べられるようになったし字も書けるようになった。
『団長、こんなに字下手でしたっけ?』
そう言った奴は日避けのマントの首根っこ掴んでぐーるぐるやって宇宙の彼方に飛ばしたから行方が分からないけど。
ちなみに、
『団長。字の上手い下手はともかくこの字は間違っ…』
別の奴が指摘したその続きはついに分からなかった。だって聞く前に俺の手がそいつの胸元抉って向こう側で、バイバイ、と動いたし。
まったく団長に対して礼儀がなってないな、なんてにこり笑いかければ阿伏兎が泣きそうな顔で、部下への教育痛み入りますね、と言った。どうやら泣くほど嬉しかったらしい。


兎にも角にも、前より器用になったっていう点では俺が毎日してることに無駄なんてないんじゃないかって思うヨ。
この前なんて利き手と同じぐらいの力で敵を倒せたしネ。


「ねェ、雪音知ってる?とにかく、って兎のツノって書くンだ。なんでだか分かる?」
「わ、分かりません。あの神威さん…」
「あ、もしかしてお前、読み書き出来ない?」
「はい…。とても教養なんて身につけさせてはもらえなかったので…」
「ふーん」


しゅん、と落ち込み沈む声を聞くと書類書いてる手からペンなんて投げ出したくなる。まァ阿伏兎が、書類やりゃこの部屋に無条件で居れるぜ?、なんて言ったからとりあえずはいっか。とりあえずは。


「じゃあ俺が教えてあげるヨ」
「え!?そ、そんな…!!団長である神威さんにそんなそんな!!」
「アハハ。そんな、って言い過ぎ」
「いえでも…本当に…。私には分不相応です…」
「でも雪音は覚えたいンだろう?」


ね?、と笑いかける俺に雪音が目を丸くして俺を見つめ返す。うん、悪くない。コイツの目は地球産の他のそれより色素が薄くて俺を見上げるようにして見つめるとその瞳に俺の影がしっかり映る。本当はそんなもんじゃ満足してやりたくなくてジッと見つめて俺の輪郭、表情、雪音が綺麗だって嬉しそうに話した目の色まで見られればいいけどそうやってれば今度は雪音の瞳はまた面白い反応をするんだ。


「神威さん?」


ほら。コレだよコレ。
こんなの他では見たことがない。ある程度の歳になれば興味本位で女を抱いたり殺したり色々な事を試した。鳳仙の旦那も女に執心なのだと聞けば、どんなものかな?、と興味もひとしお湧いたけど誰も彼もまるで物みたいに同じ事しか言わないし穴があればいいかなって感じで面白味なんてなかった。
酒はふわふわする感覚が気持ち良いけど強い奴と戦ってる方がずっと楽しいし気持ち良い。女に対してもそれは同じでますます膨らんだ酒と女なんかに溺れた鳳仙の旦那に対しての蔑視。
陽を拝もうなどと、そんな事を望むようなもんじゃない。

ただ俺は雪音の瞳だったら欲しいと思うや。
太陽よりもずっと面白味がある。
俺だけを見る。
こうしていればじわじわと瞳に涙を浮かべるのが面白いしユラユラと今にも零れるように揺れるのは地球で見た海という大きな水溜まりを思い出す。

丸くなったり見開かれたり強く瞑ったり困ったように下がったり。
俺の一挙手一投足に反応を示すそれはどうしてか心地が良い。
だから離したくない、ってことで俺は左手も使えるようになったってわけだ。


「覚えたいんですけど、まず仕事をしなきゃならなくてですね」
「いいよそんなの。他の使用人にやらせとけば」
「手が足りないと思います」
「うるさいなァ。じゃあトイレの時も離してやらない」
「そ、それは困ります!!」
「ならこれでいいよネ?」
「う……!」


にこり笑いかけて俺の右手と繋がる雪音の手を持ち上げて見せれば雪音は心底困ったように眉を下げるから面白くない。
なんだよ。俺は楽しいのにさ。

ついに、バキッ、とペンを折って、ねェ、と雪音の顔を覗き込みながら問い掛ける。書類の期限があと2時間とか阿伏兎が言ってたよーな気がするけどいいや別に。俺は困らないし。


「雪音はこうしてるの嫌なの?」
「嫌なんてとんでもない!」
「………」


雪音の、こんな表情が嫌になったのはいつからだったか。たぶん一緒に星に降りて鉱物を見て回ってた時にはもう嫌だった。
怯えて瞳を震わす。
病から回復してすぐに俺専属の使用人にして暫く経つけどその目がなくなる事はなくてこうして苛々する。
加えてそうすれば必然と力も増してますます痛そうに歪む雪音の顔は俺が見たいそれとはまったく違うし感情が儘ならなさに捨てたくなってしまう。


「なんでそんな目をするのさ」
「え…」
「そんなに四六時中こうやって俺がお前を捕まえてるのが嫌なの?」
「そ、そんな事…」
「じゃあなに?」
「っ……」


……細いなァ…。なんでこんなに細いンだろう?俺にとって雪音の腕もその辺に落ちてる枯れ枝も同じように細く脆く感じる。
俺の部屋で2人、ずっとこうして雪音がどこかに行かないように捕まえてる俺の手のどちらかは常に塞がってる。だから何をするにも不便のないように左手だって使えるようになったのに雪音はそれのどこが不満なんだよまったく分からない。いくら考えても答えが出て来ないし俺の中にたぶん答えはない。

なんて言えば雪音が喜んで俺の傍にいるのか分からない。だからこうして無理矢理繋ぎ止める。当然雪音も嬉しいのかと思えばそうじゃないのは困りきったこの表情に明白で。
苛々する。
儘ならない。
面倒だ、とても。
でもやっぱり、手放したくない。


「……お前は弱いじゃないか」
「!」
「だから常に見てないとすぐに死にそう」


この前も病で勝手に死のうとしてたし、と継ぐ俺を雪音が真っ直ぐ見つめてる。……やっぱり、俺はお前のその瞳が嫌いじゃないヨ。

手を伸ばす、雪音の瞳に向かって。
俺が指を突き刺せば雪音の瞳は簡単にくり抜けるし俺だけのものになる。


「神威さん?……神威さん、どうしたんですか?」
「!…なにが?」


ことりと雪音が首を傾げた時、俺がやった耳環が揺れた。

雪音は問い掛け返す俺に言おうか言わまいか、悩んでいたようだったけど結局口を開いた。
あ、そういえば。こんな風に俺に真っ直ぐ意見するのは阿伏兎と雪音だけだ。


「なんだかとても…寂しそうに見えたので」
「!」


……やめろヨ。
寂しい?何が?意味が分からない。
ただちょっと見つけた玩具の使い方が分からなくて、だってその玩具は凄く脆いンだ。どうやって壊さずに遊んだからいいのか、それさえ考えるのも煩わしい。

なんだろう。
不思議だけど前にもこんな事があったような気がする。いつだったかなァ…あの時も、こんな気分だったや。
どうやれば。どうすれば?
そんな疑問を解決しようとする俺の思考はすべて無駄だった。
だってほら、この世界は弱肉強食なんだヨ。


この手で触れたものはすべて壊れてしまって、手から零れ落ちる。


「団長!!」
「!」
「あ…っ…ゲホッゴホッ!!」
「……あれ?」
「あれ?、じゃねェよ。このスットコドッコイ!オイ、大丈夫か?」


………あぁ、そうだ。あの時だ。
神楽の兎が死んだのは……そうだった。神楽がやったンじゃない。どうやら目が覚めた時に自分の手の中で冷たくなっていたから自分が押し潰してしまったと勘違いしただけで。

あんまりにも嬉しそうに自分の布団に入れて眠ったアイツの顔がいやに脳裏に張り付いた。なんだよいつもは兄ちゃんがいないと眠れないとかピーピー泣いてたクセに。
そんなに面白いのか、それは。


「ははっ、あの時と同じだ」
「か……神威さん?」
「………」


神楽の小さな手が兎を優しく撫でるように、俺もやってみたつもりだった。けどどうやら勝手が違ったらしくて兎は寝てる神楽の腕に抱かれながらも俺の指に噛み付いた。

その瞬間、俺は今雪音の首を締め上げたと同じように兎を殺したんだ。


「もうおしまい。お前には飽きちゃったヨ、雪音。早く出てって。寝たいし」
「オイ、団長…」
「阿伏兎よろしくー」


蒼白な顔をして涙を浮かべる雪音と怪訝そうな顔をして今にも文句を言ってやろうとばかりに溜め息をついた阿伏兎に背を向けてヒラヒラと手を振る。
間もなく、殺されたくなきゃ出な、と阿伏兎の静かな声さえ神経逆撫でにされちゃうぐらいだからさすが阿伏兎だヨ。正しい判断だ。


「……またか」


俯き見る自分の手がさっきまで雪音の首を締め上げてた。細く柔らかく、やっぱり脆い首だったなァ……。
やっぱり俺にはあんなに脆いものは煩わしくて持てないや。
そうして手放せばもうあんな目で雪音が俺を見るのを見ることもない。


あー気軽になった、とベッドに飛び込み目を瞑る。阿伏兎が前に言った言葉が頭に響いてまた嫌な気持ちになった。


『団長よォ、儘ならなくて面倒で切り捨てた方が楽なのに手放せねェってのは愛おしいという他ねェンだぜ?』



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