二次創作 | ナノ



  永久保存



 疲れた。ハンクは、無意識に口から漏れ出そうになったその言葉を飲み込んで、かわりに深いため息を吐いた。今日もまた忙しい一日だった。家に帰り着いたのは夜中だが、帰れただけマシというものだ。
 リビングの床でいびきをかきながら眠っていたスモウが、ソファに座り込む主人の姿をちらりと一瞥して、大きくあくびをした。それにつられて、ハンクも大あくびをひとつ。腕を伸ばすと鈍い音が鳴った。スモウの寝息が聞こえる。
「おつかれさまです、ハンク」
 側にやってきたコナーが朗らかに言う。彼も一日中ハンクと共に走り回り捜査をし、情報収集だの報告書作成及び提出だのとそれはもう忙しくやっていたはずだが、アンドロイドたる彼の表情には疲労の色など欠片も浮かんではいなかった。勿論、彼はハンクのあくびにつられることもない。
 ハンクは少し横にずれて、ソファにコナーが座るスペースを作ってやった。
「お前もお疲れさん」
「僕は大丈夫ですよ。…ありがとうございます」
 コナーは嬉しそうに、にこにこ笑いながらハンクの隣に腰掛けた。二人並んでソファに座り、特に会話をするでもなく。なんとなくテレビを点けても時刻は深夜。ろくな番組もなく、適当なチャンネルで止めた。スモウが眠っているのを気遣ってか、リモコンに触れることもなくコナーが音量を下げる。
 明日も仕事だ。さっさとシャワーでも浴びてとっとと寝るべきだとハンクにも分かってはいたが、どうにも怠くてやる気が起きなかった。テレビに視線を向けているコナーの横顔をなんとなしに眺める。彼のこめかみの、LEDリングの青色がくるっと一回転するのを見た。薄暗いリビングで、テレビの光に照らされて際立つコナーの横顔は美しく整っている。
「あの、ハンク」
「ん、…あぁ、なんだ」
 突然声をかけられてハンクは思わず素っ頓狂な声を出してしまった。横顔を盗み見ていた後ろめたさや気恥ずかしさの所為もあるだろう。
 姿勢良く座ったコナーが、自らの膝を軽く叩いて言った。その目は一心にハンクに注がれている。
「よかったら、膝をお貸ししましょうか?」
「はぁ?」
 何が嬉しくて男の膝枕なんて借りなきゃならないんだ。ハンクは真っ先にそう思ったが、口には出さなかった。目の前の相棒の表情が大真面目だったからだ。
「膝枕というものは、ストレスの大幅な解消に繋がるのでしょう?膝枕に限らず、人肌に接することが」
 一体どこでそんなくだらないことを覚えたんだ、こいつは。
「あー、コナー。気持ちは嬉しいがな、いらねぇよ、そんな…」
 気持ちは嬉しい。これは嘘じゃない。だが、生憎とハンクには男の硬い膝で眠る趣味はないのだ。それならさっさと寝室に行ってベッドに沈む方を選ぶ。…はずなのだが。
「あなたはもうベッドまで行く気力がないほどに疲れているのでしょう?」
 コナーは真剣な顔でそう言って、続けて口を開いた。
「明日も仕事だ。疲労は人間の…、アンドロイドにとっても大敵ですよ。そのせいでもしあなたに何かあったら僕は耐えられない。お願いです、ハンク。僕の膝では人肌とは言えないかもしれませんが、それでも…寝室の冷たい枕よりは少しはマシだと、思います」
「…おいコナー…、あのな…」
 ハンクはなんとか断りの台詞を探して、気まずげに髭を擦ってみせたが、コナーは全くくじけなかった。彼の目は真っ直ぐにハンクを見つめている。あなたが心配なのだと、そう真摯に訴えかけられてしまうと、ハンクはそれを無下にはできなかった。ああ全く、俺はとことんコナーに甘くなってしまったと、内心で自嘲する。
「……」
「ハンク?」
「ああ、くそ。分かった。わかったよ。お前がそんなに言うならお前の膝を借りてやる。後悔しても知らないからな」
「!…はい、どうぞ!」
 途端にぱぁっと目を輝かせるコナーにため息をひとつ返した。
 コナーの行儀よく閉じられた太ももに、ハンクは無心で頭を預けた。ソファに寝転がると大柄なハンクの足ははみ出て、行き場を探すように揺れた。横向きに寝たせいで、ジーンズの硬い布地が頬に触れた。コナーの膝は思いの外、悪くない感触だった。柔らか過ぎず、程よく硬く、ハンクの頭にしっくりと馴染むようだった。ジーンズ越しの肌はほんのりと暖かく、ハンクが昼間に一個だけ食べたドーナツの残り香がほんの一瞬鼻をくすぐった。署に戻る車内で、差し入れに買ったドーナツが大量に詰まった箱を、大事にこの膝に抱えていたせいだろう。移り香は甘く、ほのかにシナモンの香りがした。
 抗いがたい眠気が、ハンクを包み込むようにして襲ってくるのを感じた。うとうとと微睡んでいると、優しい手で促されて寝返りをうった。仰向けになると、ハンクを見下ろすコナーの柔らかな微笑みと目が合った。出会った頃のコナーなら考えられない、慈しみに満ちた瞳を、ぼんやりと見つめ返す。
 コナーの指先がハンクの髪を撫でた。手のひらが肩に触れ、まるで子供を寝かしつけるようにそっと優しくトン、トンと叩かれる。…コナーはいったいどこで、こんな幼子にするようなことを覚えてきたのだろう。そんなことを考えながら、ハンクはいつの間にか、深い眠りに落ちていた。
 安らかな寝息を立て始めたハンクの寝顔を、コナーはただじっと見つめていた。テレビの電源を落とし、静まり返った深夜のリビングで、コナーはハンクの頬を撫でる。閉じたまぶたの丸みを指先でなぞり、胸の鼓動を手のひらで感じている。夢を見ているのだろうか。彼のまぶた、薄い皮膚の下できょろきょろする眼球の動き一つ一つまでをも、コナーは一心に見つめ、その全てを出来うる限りの高画質で記録した。このアンドロイドの一番厳重に守られた記憶メモリの中に、気の抜け切った自分の寝顔が大切に、それはもう大切に保存されている事を、ハンクは知らない。知る由もない。

end


2019/04/05

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