思いつきでキスするもんじゃない

 前までは一緒の任務に行った時だけキスしてたけど、今は単独だろうが他の呪術師と合同だろうが、任務があった日は必ず傑はわたしとキスする様になった。寮の消灯後、わざわざ女子寮の私の部屋に忍び込んで、傑はキスして帰っていく。
 呪霊を食べた後の口直しの筈だったけど、どうしてこうなったのやら。わたしが合宿免許から帰ってきたあの日から、なんかおかしく感じる。今までずっと、傑も半分お遊びみたいな、戯れみたいな感じでキスしてたのに。欲求不満とかそういうのだろうか。特級術師である傑は私の数倍忙しいのだし、プライベートの時間ってないのかも。


「千里、舌出して」
「傑の口直しなのにわたしが舌出すの?」
「いいからいいから」


 傑の手の定位置も変わった。前までわたしの腰の後ろで手を組んでたのに、今じゃ頭を掻き抱いてくる。彼の大きな手で首筋を触られるたびにゾクゾクして、変な感じになるんだよね。
 とりあえず彼の要望通りべえと舌を出すと、傑の大きな口に食べられてしまう。百戦錬磨なのか知らないが、傑はキスが上手い。わたしがしてたのは彼の口の中の不味いのを舐めとる行為であって、キスじゃないって突きつけられたみたいだった。
 わたしが知ることのなかった気持ちのいい所を彼は触れていくし、反対に彼の気持ちの良いところはここだ、と教えてもくれる。うーん、プロ。


「ん、ん……ぅ」
「きもちい?」
「っん、まって、っふ」


 勢い余ってベッドに押し倒された状態でキスが続く。今日は相当疲れたのかな、と思って背中と頭を撫でてみた。すると余計に舌の動きが激しくなって、口の奥の方まで傑の舌が伸ばされたからたまったもんじゃない。
 気持ちよくて、でも苦しくて。彼の髪の毛を引っ張ってどうにかキスを止めてもらった。傑と違って慣れてないのだからもっと加減してほしい。


「わたし明日早いからもう終わり」
「私はまだ物足りないのだけど……。確か北陸の方だったっけ」
「そう、石川の、ほうのっ、ね、やめてってば」
「ん?」


 喋ってる途中で傑のキスチャレンジが始まってしまった。ちゅうちゅうと唇を吸われるから例の如く指で止めたいのに、いつの間にか両手とも指を絡ませあった状態でベッドに縫い付けられているから止められない。
 だから仕方なく。本当に仕方なく、傑からの軽く触れ合うだけのキスを受け入れた。わざとらしくリップ音を立てられるのは恥ずかしいから嫌だけど、傑が楽しそうにしているし……と自分を納得させる。なんだろうこれ、ちょっと擽ったい。


「ん、満足した。気持ちよかったよ、千里」
「こんなの口直しじゃない……」
「まだ口直しって言うんだね」
「だって口直し……」


 わたしを抱きしめてご満悦な傑をジト目で見上げた。


「でも、よかった」
「何がよかったの?」
「傑が元気になって。ちょっと病んでたじゃん」
「……別に、そんな事はなかったよ」
「見てたら分かるって。一時期全然余裕なかったしさ」


 具体的に言うと護衛任務を失敗してから。悟は気付いてなかったけれど傑は考え込む事が増えたし、集中力がかけてる事が多々あった。まあそのおかげと言ってはなんだけど、傑が闇堕ちする事とか呪霊が馬鹿みたいに不味いって事を思い出せた訳だ。
 でもそれ以上が中々思い出せない。悟が将来変質者ルックになるとか、硝子の目に濃すぎるクマが出来たりだとか、そういうどうでも良すぎる事だけは出てくるのに。傑は胡散臭い宗教家の格好だっけか。


「傑が元気になったのって、ちょっとぐらいはわたしの功績?」
「……うん」
「そっか。よかった」


 少しぐらいは気を紛らわせることが出来てたみたいで嬉しい。……まあ、だからと言って闇堕ち回避できるかはわからないけれど。
 傑が闇堕ち……クソ呪詛師になるのだろうけど、その過程に至るかわたしは思い出せないまま。でもきっと彼の事だから、沢山考えてその結論を出したに違いない。悩んで悩んで悩み抜いた末の答えって、多分中々変えられないだろう。……だったら。

 きっと、わたしじゃ傑を止められないんだろうなあ。悟でも出来なかったんだろうし。

 なーんて思っていたのだが。最近、もしかしたら傑が既に半分ぐらい闇堕ちしてるのかもしれないということに気が付いた。なんだか、アレ? と思うことが増えたのだ。ちょっと物騒な発言だとかもあったし。

 そして、それが顕著になったのがこの前。■■県■■市に呪霊を祓除しに行った彼が、虐待されていた双子の女の子を保護して帰ってきた時だ。あれ以降、傑は偶に任務を拒否する様になった。……例えば、非術師の救助を主にした任務だとか。
 それに、負傷している非術師を見つけても一切救助活動を行わなくなった。か弱い非術師は守るものだと言っていた彼からは想像つかない行動だ。

 急にそんな風に変わってしまった傑に夜蛾先生や悟は大慌てだったけど、硝子はへえ、と淡白な反応をしていた。実に硝子らしい。
 わたしの方も彼が何か悩んだ末に闇堕ちするのは分かっていたから、現状はその途中なんだろうとそこまで驚かなかった。傑はこのまま非術師嫌いが進行してクソ呪詛師になるのかな。嫌いになっちゃったなら仕方ないし、もうどうしようもないんじゃなかろうか。そうなるのは嫌だけど、わたしに傑の考えを変えられるような力があるわけでもない。
 ついでにわたしに対する関わり方もまた変わった。今日も非術師に手を貸さずに任務を終えた傑は、以前の様に夜にわたしの部屋に訪れるのではなく、白昼堂々とわたしのところへとやってきたのだ。そしていつも通りにキスするのかと思えば何故かわたしを胡座を組んだ足の上に乗せ、ベッドの上で後ろから抱え込まれる。今日はそう言う気分なのだろうか。
 お腹に回された腕に指を置いて、わたしをぬいぐるみの様に抱きしめる傑にもたれかかった。改めて抱え込まれると彼の体がすごく大きい事に驚く。腕も太いし胸板も厚い。そもそも抱えられてるのに、見上げた先に顔がある時点で身長差がすごいし。
 そうしていると、わたしが彼の顔を見つめている事に気付いた様で、傑は徐に口を開いた。


「千里は非術師の事嫌い?」
「……んー。そもそも非術師に関して考えた事ないなあ。任務で助けなくちゃならないから助けるだけで、別に……って感じ」
「どっちかって言うと無関心なんだね」
「そうかも。でも駅前のラーメン屋のおじさんは好きだよ。あそこ美味しいし」


 基本的にわたしは自分で手一杯。傑も心配っちゃ心配だけど、特級の彼よりわたしの方が死にやすいに決まってるんだから、非術師だとか呪術師だとかに気を回せないってのが本音だ。少し前に2年の灰原と七海と一緒に向かった任務先でも、ヒヤッとする場面があったし。


「もしラーメン屋のおじさんが呪霊に襲われてたら、わたしは助けるよ。だっておじさんが死んだらあのラーメン食べれなくなっちゃうからさ」
「っはは、食い意地はりすぎ」
「傑だってあのラーメン好きでしょ」
「まあ、うん。……今度食べに行こっか」


 力を持ってるから、ってなんでもかんでも助けなくて良いとわたしは思う。だってわたしたちは神様じゃないんだから。全部救うのは神様にでも任せておいて、守りたいなと思った物だけ守れば良い。ラーメン屋のおじさんとか、近所のコンビニの店員さんとか。


「だから傑も嫌いな非術師を助けなくて良いと思うよ」
「…………千里と灰原達が受けた任務あるでしょ。2級案件じゃなくて1級案件だったやつ」
「話急に変わったじゃん。まあ、でもあれは焦ったなぁ。あの日は調子悪かったから余計に」
「悟がブチ切れて上層部に突撃したんだけど、どうにも悟と私への嫌がらせで千里達に回したみたいなんだよね」


 わたしの術式はピーキーだ。条件が当てはまれば絶大な威力の攻撃を放てるが、そうじゃないとあんまり使えないというポンコツ具合。あの時はどうにか条件をクリアして呪霊を倒せたのだけれど……。準1級のわたしが守るべき後輩を庇いながら祓除するのは本当に骨が折れた。
 多分京都の学長あたりが画策したんだろうな、と口をへの字に曲げる。悟や傑への嫌がらせでわたしがターゲットになるのは分かるけど、本当にやめていただきたい。わたしは死にたくないのだ。


「非術師の猿共も猿共だし、悟曰くの腐ったミカンも腐ってる。やってらんないよ」
「それが呪術師だからねえ」
「うん、だから私も好きにしようと思ってさ」
「非術師は嫌いだから助けない?」
「そ。あんな奴ら無視してやる」


 わたしが見上げるその先で、目の前で死んだって助けてやらない、と傑は穏やかな表情で言い放った。言ってることは物騒なのに、憑き物が落ちた様な顔。吹っ切れたようで何よりだと思うけれど、これは闇堕ちしたってことなのかな。
 しかし前と言ってることは真逆だけれど、呪詛師にはなってない。今どういう状況なんだろうか。傑って結局漫画通りの方向性に突き進んでるの?


「でもラーメン屋のおじさんは助けてあげてよ」
「…………千里ってばそればっかり。ちょっと妬けるな」
「うわ、っ」
「私が居れば十分だろ? 他に君が気にする必要ってある?」


 ぐ、とわたしを抱きしめていた腕に力が入ったかと思えば、視界がぐるりと回ってベッドに押し倒される。あまりにも鮮やかな手口に、ポカンとしてわたしに馬乗りになっている傑を見上げる事しかできない。


「私は千里しか見てないのに、千里は余所見ばっかりなんて狡いだろう」
「え、え? どういう……?」
「ね?」
「いや、ちょっとま、っんぅ」

 
 有無を言わさぬ様に唇が塞がれた。ちょっとだけ苛立っているらしい傑は、いつもよりも些か乱暴に口の中を蹂躙していく。強めに舌を吸って、たまに下唇に歯を立てたり。
 珍しく解かれてる彼の長い髪が顔や首筋に触れて、思わず身を捩った。わたしのその動作を拒絶と受け取り、気に食わなかったのか舌先が軽く噛まれる。ピリッとした痛みに肩が揺れるけど、傑は喉の奥で意地悪そうな声色で嗤うだけでやめてくれない。
 ぐちゅぐちゅと部屋に響く粘着質な音も、少し痛い舌先も、全部が気持ち良さに繋がっていく。ああ困ったな。前まで傑はキスが上手いと思っていたけど、あれで本気じゃなかったらしい。わたしの弱い所……舌の脇ばかり嬲られて、体が弛緩していく。いつもなら手で止められたのに、腕を動かす事すら億劫だ。


「すきだよ、千里」


 漸くキスから解放されて肩で息をするわたしの耳に、聞いた事が無いほどの甘ったるい声が飛び込んできた。思わず飛び出そうになる羞恥の悲鳴を喉の奥で噛み殺し、けれども彼が放った言葉の意味を理解して間抜けな声が出てしまう。今好きって言った……?


「あ、え……すき……?」
「……もしかしてその反応……気付いてなかったの?」
「だっ、だってわたしが傑のこと好きなだけだと思ってたから」
「好きじゃない子とこんなにキスするわけないでしょ……」


 待って欲しい。今前提が崩れた気がする。傑ってわたしの事単に顔が好みの同級生って思ってたんじゃないの……?
 悟は好きじゃない子でも顔が好みだったらキスできるって言ってたし、傑もそうだと思ってたのに…!


「しらない……気付くわけないじゃん……!」
「ええ……好きじゃない子にこれだけ依存すると思ってたの?」
「……傑がわたしの事好きになる理由がわかんないし」
「私としては好きになる理由しか無いよ」


 そう言って近付いてきた傑の顔を、急いで両手で制止した。だ、だめだ、キスできない。
 今まで単にキスしていただけだと思っていたのに、傑がわたしに好意を抱いてると知ってしまったらもう無理だ。今まで気付こうともしていなかった彼の好意に追い詰められる。

 何もかもを本気に受け取ってなかった。前世の記憶があるから、彼がわたしの事を好きになるはずがないって思ってた。だって、夏油傑が本当にわたしに好意を抱くなんてありえないでしょう? だからハナからその選択肢を除外していた。
 なのに、この人が、わたしを。


「わ、顔真っ赤」
「もうキスしないから……!」
「え? 今さら?」


 無理無理無理、恥ずかしい。目の前の男が急に現実味を帯びた所為で、こうして押し倒されてる状況が無理。抱きしめられてるのも無理。恥ずかしすぎる。
 むしろ今までわたしはどうして正気でキスできてたんだろう。


「でもこれからはやだって言っても止めないからね。私は私の好きなようにやるって決めたから、好きな子に好きな事するんだ」
「す、好きな事ってなに……?」
「えっちな事」
「ひえっ」


 耳元で囁くようにそんな事を言われたものだから、頭が爆発するかと思った。恐る恐る見上げた先の傑の目は、こっちが焦げ付く程の熱を孕んでいる。
 それを見た瞬間に、わたしは漸く理解した。これはもう逃げられない、と。



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