思いつきでキスするもんじゃない




「ねー。傑、こっち向いてよ」


 前世と呼ばれる記憶の中のわたしが好きな漫画だったんだ。だからと言ってその世界で生きたいなんて微塵も考えてなかったし、ましてや過労死の未来が見えている呪術師になんてなりたくなかった。……そう、呪術師に。

 わたしは何故か呪術廻戦というバトル漫画に転生していた。

 でも覚えてる事はあんまりない。両面宿儺の指を食べても正気でいられる器が主人公で、五条悟が最強で教師をしてて、夏油傑が敵で。頭が富士山な敵もいたっけ。小さな頃はもっと覚えていたけれど、この世界にどうにか馴染もうと必死だったわたしは徐々にその記憶を失っていった。だって生きる為に呪霊を祓うので精一杯だったから、他の事に気を使えなかったのだ。

 そんなわたしだけど、隣にいるちょっと落ち込み気味の同級生を見て少し思い出したことがあった。そういえば彼って闇落ちするんだなって。


「うん? どうしたの、千里……っ」


 わたしに呼ばれたからって立ち止まって振り返ってくれた傑の薄い唇に自分の唇をくっつけ、素早く舌を彼の咥内に挿し込む。その瞬間に脳天を突き刺す様な不快な味に思わず顔を顰めそうになるけれど、どうにかこうにか我慢して彼の舌を舐る。

 こんな味なんだ。残滓だけでも吐いちゃいそうなのに、傑はよく飲み込めるよね。これはわたしなら耐えきれないかなぁ。

 そんな事を考えながら、わたしは丁寧に彼の口の中を舌でなぞっていった。舌の脇の奥の方から順に手前に、次いで上顎を舌先で。だけど次の瞬間、正気に戻った傑に肩を掴まれて物凄い力で引き剥がされる。ああ残念。突然キスされて吃驚している間がチャンスだったのに。

 不満に思いつつ、近くにある傑の顔を見つめた。……凄い顔が真っ赤になってる。首まで赤いし。


「せん、千里っ、どうして急に……いや、そうじゃなくて、口を、口を濯がないと」
「ねえ、傑。自分以外にも呪霊が見える人間が居るって知った時、傑はどう思った?」
「千里、今は早く口を、」
「すーぐーるー」


 珍しく切れ長の目をかっ開いて慌てている傑の唇に、今度は人差し指を乗せる。ね、わたしの質問に答えて。


「……嬉しかったよ。私はひとりぼっちじゃないんだなって知れたから」
「同じ視界、同じ世界を生きてるからね。そりゃそうだよ」
「ねえ千里、急にどうしたの?」
「でも傑と同じ"味"を知る人っていないでしょう。視覚を共有できても味覚を共有できないって寂しくない?」


 喋っているうちに肩を掴んでいた傑の力が緩んだ。その隙にもう一度彼の唇に吸い付いて、また舌を口に挿し入れる。流石の傑もわたしが2度もこんな暴挙に出るとは思わなかったみたいで、案外すんなりとキスが出来た。

 傑の分厚い舌にわたしのそれを這わせ、彼に残った呪霊の残滓……不快な味を出来るだけ舐めとっていく。今度は歯の一本一本を確かめる様に。暫くそうやって彼の口の中を舐っていると、今度は傑の方も舌を動かしてくれた。恐る恐るわたしの舌に触れる彼を気遣って、ちょっとだけゆっくり舌を絡ませ合う。

 ちら、と目を開いて彼の様子を伺うと、未だに動揺しているみたいで、瞳が揺れていた。はは、ちょっと可愛いかもしれない。わたしが見ている事に気付いて目を閉じちゃったけど。


「……っん……は、ァ……」
「ふふ……んぅ……」


 徐々に肩に置かれていた手が下がっていき、ちょうど腰の後ろで止まった。でもどうしたらいいのかわからないみたいで、たまに指が震えている。

 そんな彼にはお構いなしにわたしは傑の頬を両手で包み込んで、もっともっとと舌を絡ませた。たまに手を動かして、傑の耳の縁を指でなぞったり、爪でピアスを引っ掻いたり。そしたら視界にある彼の瞼がぴくぴくと動くから、ちょっと嬉しくなる。

 そのままぐちゅぐちゅと淫猥な音を響かせ、傑の口の中の不快な味が無くなるまで舌を絡ませ続けた。


「呪霊の味、わたしも知ったからひとりじゃないよ」


 ちゅ、とリップ音を鳴らして彼とのキスを終える。てらてらと傑の唇が2人の唾液で濡れていてえっちだ。なーんて思ってることがバレたのか、思い切り抱きしめられる。あ、これじゃ顔見れないじゃん。


「……そんな理由でキスしたの? 同級生と」
「大事な理由じゃん。ダメだった?」
「ダメに決まってるだろ。千里、もっと自分を大事にしてくれ」
「この業界にいる時点で自分を大事に出来る訳ないよ」


 わたしの放ったあんまりな正論に、傑は押し黙ってしまった。そりゃそうだ。漫画の通り呪術師の命は軽すぎるんだもの。
 だってわたしたちはいつでも命懸け。明日死んでもおかしくない日々を駆け抜けている。……悟は殺しても死ななそうだけど。


「傑」
「……なんだい」
「呪霊って味ヤバイね。吐くかと思ったもん」
「突然人にキスしておいて吐くかと思ったとか、その言い草はないだろ」
「ふふ、ごめん。でもすごいよ、傑。毎回こんなの飲み込んでさ。えらいねえ。いっつも耐えてんでしょ」
「……ま、あ……そうだけど……」


 まだわたしを抱きしめたままの傑の背中をぽんぽんと叩く。急なことで驚きやら恥ずかしいやらで混乱してるみたいだけど、嫌がってはないらしい。その証拠に、顔を動かして見上げた先にある傑の耳はまだ真っ赤に染まっている。あと、嫌だったら抱きしめないだろうしね。


「今度から口直ししようね」
「……くちなおし」
「わたしは硝子みたいに反転術式ができる訳でも、悟みたいにすごく強い訳じゃないけどさ。こーやって傑に寄り添う事は出来るし」
「その手段がキス?」
「どうせなら気持ちいい方がいいじゃん」


 君の考えてる事がよく分からないよ、と小さく呟いた傑は、ぐりぐりとわたしの肩に額を押し付けた。横目でそれを伺えば、まだまだ赤く染まった頬の傑と目が合う。ちょっと困った風に眉間に皺を寄せてる様にきゅんときてしまった。
 あ、もしかしたらわたしって前世で傑のこと推してたのかも。ずっとかっこいいなあって思ってたし。

 傑を宥める様に一定の感覚で背中を摩っていると、ようやっと落ち着いてきたらしい。わたしの背中に回されていた手の力が緩んで、ゆっくりと彼がわたしから離れていく。


「もう口直しとか言ってキスしないでね。千里にあの味を感じて欲しくない。今回だけだよ」


 恥ずかしそうな顔のまま、真剣な声色で傑がそう言ったけど、わたしは曖昧な表情で微笑むに止まった。嫌に決まってるでしょ、わたしは傑の口直しをするって決めたんだもん。傑の赤くなった顔が可愛かったってのもあるし。
 キスしない、って明言してないもののわたしが何も言わなかったからか、肯定したものと思ったらしい傑が満足そうにひとつ頷いて、わたしから離れていく。やっぱりまだ多少混乱しているみたいだ。普段の傑なら頷くまで自分の意見を言い続けるし、なんなら縛りを課してもおかしくない。ラッキー。


「補助監督さんのとこ行こっか」
「帰りにファミレス寄ろうよ。そういえば私、朝から何も食べてないんだよね」
「じゃあ、あの呪霊が朝ごはんだったんだ」
「やな事言わないでくれ」


 傑が呪霊を食べたし、わたしたちの任務は終了だ。午後に授業もないから、傑の言う通りご飯を食べに行ってもいいかもしれない。
 だから、どこのファミレスにする、って彼を見上げながら尋ねてみた。そしたら極々自然に目線が外されたから思わず笑いそうになっちゃった。傑ってば滅茶苦茶意識してるじゃん。



※※※



「っ、は……まって、千里っ」
「ん、ちゅ……なぁに? 気持ちよくない?」
「そうじゃなく、て……ッ」


 あれからちょっと経ったある日、また2人きりの任務があった。傑も多少警戒してるかもしれないし、とわざと彼の前で鍵を落として、拾ってもらってる隙にキスをする。
 わたしと傑って身長差があるから、傑が油断してないと唇が届きそうにないんだよね。

 前と同じ様に、舌を伸ばして彼の口の中を丹念に舐っていく。相変わらず呪霊のひどい味。これを毎度飲み込んで、飲み込んで、我慢し続けている傑は本当にすごい。
 わたしが止めるつもりがないと気付いてしまった傑は、所在なげに両腕を彷徨わせて、最終的に前みたいにわたしの腰の後ろで手を組んだ。ふふ、なんだかんだ言ってもキスするの嫌じゃないんじゃん。


「千里の事だから言ってもやめないんだろ」
「うん」
「……私も嫌ではないけど……」
「じゃあいいじゃん。ほら続きしよ?」


 ちょっと煽るみたいに、唇を尖らせながら傑の下唇にちゅうと吸い付く。それから舌先を尖らせて唇を突っついた。わたし、傑が割とわたしの顔好きなの知ってるんだから。悟からの情報だから間違いはない。
 そんな風に彼の唇で遊んでいると漸と観念したのか、ぱかりと傑の口が開いた。すかさず舌を挿し入れて彼の舌と絡み合わせる。相変わらずおっきい舌。


「ン……すぐる、もっと舌出して……」
「……ぇ、あ……っん」


 時々漏れ聞こえる彼の甘い声に頬が緩む。遠慮がちに身体に触れてくるのも嬉しかった。もしかしたら前世で推してたかもしれないとか思ってたけど、もしかしたらなんてもんじゃない。わたしずっと前から傑の事が好きだったんだ。そうじゃなきゃキスする訳ないじゃん。顔も好みだし。
 舌を甘噛みしたり、上顎を舐って。彼の口の中に残る不味いモノが無くなるまで、舌を這わせ続けた。わたしより口がおっきいからちょっと疲れちゃうな。

 よし、不味いのが無くなった、と唇を離すとわたしの唇を傑の唇が追いかけてきて、何度か軽く触れてくる。さっきとは逆でわたしの唇に傑が吸い付いて、ぺろりと下唇が舐め上げられた。……傑はもっとキスしたいんだ、なんてちょっと嬉しく思ったけれど心を鬼にして人差し指で彼の唇を押さえた。そのまま顔を離せば、ジト目の不服そうな傑の顔が視界に飛び込んでくる。わ、この表情もかわいい。


「ねえ。ちょっと」
「だーめ。口直しはもう終わり」
「ハァ……? ……意地悪だね」


 不満ですと丸わかりの表情を浮かばせた傑は、わたしをじっと見つめた後に顔を逸らして立ち上がった。ついでにわたしも抱え上げてくれるのだから、なんだかんだ優しいやつだ。
 ……ここでがっついちゃうと、口直しって口実のキスが無くなっちゃうかもしれないから我慢してるんだろうな。わざわざわたしに主導権を握らせたままで居させてくれるなんて、ほんといい奴。


「ご飯行くよ」
「はぁい。傑は何食べたい?」
「駅前のとんこつラーメン」


 それから。

 3回目は傑が呪霊を取り込んだ後、間髪入れずに舌を絡ませた。
 4回目は傑の方が呪霊を取り込んですぐに、わたしに唇を重ねてきた。
 5回目は呪霊を2匹取り込んでいたから、長いキスを2回。

 6回、7回と回数を回数を重ねて、2桁の大台に乗ってからも暫く経てば、わたしも彼も随分慣れてきた。


「ん」
「ちょっと屈んで」


 わたしの前では呪霊を飲み込む時に表情を取り繕わなくなった傑が、顰め面で薄く口を開く。そんな彼の首に腕を回しながら背伸びをして、唇を重ね合わせる。傑の手は相変わらずわたしの腰の後ろで組まれていた。


「ダメでーす」
「……チッ」


 そして恒例になってしまった傑のキスチャレンジ。毎回めげずにバードキスをしてくる彼に絆されそうになるけれど、心を鬼にして指で静止する。推しにこれだけ求められて嬉しくない訳がないが、これは口直しだから。

 それにどのタイミングかは忘れちゃったけど、傑は闇堕ちするんでしょう。対処しようにも詳しいところを覚えてないからどうしようもないし、後戻りできないぐらいに傑を好きになっちゃったら、後々辛いのはわたしだ。
 だから、わたしはこのキスだけで充分。


「ホント、性格悪い」
「傑も割と性格悪いじゃん。クズ2号」
「千里よりはマシだよ」
「えー?」


 性格悪いだなんて心外だなあ。




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