鼻孔を擽るのは病院独特の薬品の臭い。視界を埋め尽くすのは眩しいくらいの白。僕の思考を支配するのは、目の前で真っ直ぐ僕を見据えている彼女。その身体には幾箇所にも包帯が巻かれている。彼女の鎖骨辺りに見えたのは、白い肌とは対照的ないくつもの真っ青な痣。何も言葉が出てこなかった。何と言ったらいいのかわからなかった。

「恭弥くん」

ただ呆然と立ち尽くす僕は、静かな病室に響いた彼女の澄んだ声によって漸く現実に引き戻された。彼女の顔を見つめ返せないのは、きっと罪悪感が僕の中で黒く渦巻いているから。彼女が僕を見つめているのが顔を上げなくてもわかる。僕の顔を覗き込んだ彼女はひどく悲しそうな表情だった。

「大丈夫?」

ああ、僕はなんて馬鹿なんだろう。こうなることぐらい簡単に予想はできたはずなのに。僕に敵うはずがない弱い奴らが、僕の近くにいる彼女を狙わないはずがないのに。僕のせいでこんなにも傷付いた彼女に心配までされて、僕は本当に何をやっているのだろう。大切な人ひとりすらまともに護れないなんて、これじゃあ僕の嫌いなそこらに群れる草食動物と同じじゃないか。非力で、脆弱で、なにもできやしない、彼らと。

「恭弥くん、」

彼女の小さな、非力な手がそっと僕の握り拳に重なる。この小さな手がどうしてこんなにも僕を安堵させるのだろう。

「泣かないで」

喉が震えた。彼女があまりにも真摯な表情でさらりとそんなことを言うから。「泣いてないよ」と呟くように答えれば、彼女は少し寂しそうに微笑みながら首を小さく横に振った。

「泣いてるよ」

こんなにも優しくて綺麗な人、きっと世界中どこを探しても他にいないと真剣に思った。僕の僅かに震える握り拳を彼女の小さな両手が優しく包み込む。愛しい愛しい愛しい。愛してるよ。今はそんなことを言えるほどの余裕なんてないけれど。

「ありがとう」と嬉しそうに目を細めて微笑みを零す彼女に、きっと僕は一生敵わない。


手のなかで彼が
愛してるって泣いている


(111010)
へそ
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