君が好きなことだから。
(真波山岳誕生記念)



物心がついたときには、私はいつも絵を描いていた。
病弱だった兄は入退院を繰り返していたから、家族で外出した記憶はあまりない。
でもそれが嫌だったわけじゃない。
いつも家族がそばにいてくれたことが私は何よりうれしかった。
”お兄ちゃんは外に出られない”とわかった時には、寂しくて泣いたこともある。
小さかった私は見た物を全てお兄ちゃんに見せたくてたくさんの絵を描いた。
風景、人物、動物。
私の絵を見るたびに目を輝かせるお兄ちゃんが私は大好きだった。
”人を喜ばせる絵が描きたい”
”人に絵の楽しさを知ってほしい”
その思いから私は教職を選んだ。




箱根学園に赴任して2か月が経った。
週に1〜2回しかない美術の授業は、生徒たちにとっては学業から離れた遊びの場でもあった。
テーマは決めるものの出来る限り自由に伸び伸びとして欲しくて私はあまり細かく口出しすることはしなかった。
そんな私にも1つだけ悩みがあった。
一年生の真波くんのことだ。
授業をサボることが多く、来ていても寝ていることが多い。
もちろん制作が進むわけもなく作品が出来上がるわけでもない。
このままじゃ単位をあげられない。
他の授業でも似たような状況らしく、みんなで頭を抱えていた。




そんなある日帰ろうと校門へ向かうと、後ろから声をかけられた。

「せーんせ!」
「真波くん。」

振り向くと白い自転車に乗った真波くんがこちらに手を振っている。
自転車競技部だったんだ。
真波くんは私に並ぶと自転車を降りた。

「先生どこ行くの?」
「今日はもう帰るところだよ。」
「そうなんだ。じゃぁ家まで送るよ。」

にっこりと笑った彼に他意はないのだろうが、教師が生徒に送られるというのは普通に考えておかしいと思う。
いや、普通に考えなくてもおかしいと思う。

「いやいや、真波くんも部活終わったなら帰りなさい?」
「オレは今から山に行くんだ。」
「山?」
「そう。オレ、山がすごく好きなんだ。」

キラキラした笑顔で山を指さす真波くんは、授業では見たことのない表情で驚いた。
こんな顔もできるんだ。
年相応に子供っぽいその笑顔に私はクスリと笑った。

「そっか、真波くんは山が好きなんだ。私もね、緑が好きで山も好きだよ。」
「先生も?じゃぁ今度一緒に登ろうよ!」

突然の誘いに困惑した。
”好き”と言っても描くのが好きなだけで、自転車で行くわけじゃない。
私はいつも車で行ってしまうのだ。

「ごめんね、私自転車持ってなくて……。いつもは絵を描きにいくから、画材もあるし車なんだ。」
「じゃぁどっちが早くつくか競争だね。」

言った意味が伝わらなかったんだろうか。
にこにこと笑う真波くんの真意がわからずに、私は愛想笑いを浮かべた。
そんな私を見て、真波くんは何かを思いついたようだ。

「そうだ、先生明日暇?」
「明日?一応学校は休みだけど、授業のサンプル作る予定で……。」
「じゃぁ学校にくるってこと?」
「午前中は美術室にいるかな。午後からはドライブでも行こうと思っていたけど。」

ドライブと言うのは建前で、描きたい風景を探しに行くだけだ。
お兄ちゃんの病気はよくなり今は普通に生活していて、もう絵を見せる必要はない。
それでも私の描いた絵をいつも楽しみにしてくれているのもあって、私は絵を描き続けていた。

「じゃぁ明日美術室で待ち合わせしよう!楽しみにしてるから!」
「え、あ、ちょっと!」

声をかけたけど、風のように走り去っていった真波くんには聞こえなかったらしい。
一体あの子はどういう子なんだろう。
私はさらに頭を抱えるのだった。




翌日、約束通り真波くんは美術室にきた。
丁度お昼前で片づけをしていたので、入ってきたのに気付くまで時間がかかってしまった。

「せーんせ!」
「ひゃぁっ!」

後ろから急に声をかけられて振り返ると、真後ろに真波くんが立っていた。
慌てて後ずさる私の腰を掴んで、彼はにっこりと笑う。

「今からドライブ行くんでしょ?」
「え、あ……うん、ご飯食べたら。」
「じゃぁ山に行こうよ、オレと競争ね!」
「え、でも……。」

言葉に詰まる私に眉を下げた真波くんは、その表情とは裏腹に腕に力を込めた。
そのおかげで体がくっつくくらい引き寄せられて、鼓動が早くなる。
いくら相手は生徒とはいえ、男の子相手にこの距離はまずい。
高鳴る鼓動を抑えつつ、私は必死に身を逸らした。

「ま、真波くん近いよ。」
「先生が競争してくれるなら離してあげてもいいよ。」
「でも私車だよ?競争なんて……。」

どれだけ断っても首を縦に振らない真波くんに、私は折れてしまった。
”ご飯を食べたら一緒に山へ行く”という約束をすると、彼はやっと私を解放してくれる。

「先生はお昼何食べるの?」
「お弁当あるから、それ食べるよ。」
「じゃぁオレも一緒に食べていい?」

ここで断って、さっきのように手が伸びてきては困る。
私は仕方なくその誘いを受けた。
にっこりと笑う彼はキラキラと輝いているのに、何を考えているのかさっぱりわからない。
私は真波くんに振り回されっぱなしだった。




今まであまり関わることがなくて、私は真波くんのことを全然知らなかった。
食事中彼の口からはいろんな話が出た。
昔は体が弱かったこと、自転車に出会ったこと、山が好きなこと。
その話はどこかお兄ちゃんを連想させて、親近感が沸く。

「真波くんは山が好きだから、授業にこないの?」
「うーん、まぁそんな感じ。山登ってると、楽しくてつい忘れちゃうんだよね。」

”へへっ”と笑う姿が可愛くて、クスクスと笑ってしまう。

「楽しいことしてると時間忘れちゃうよね、そういうのはよくわかる。」
「ほんと?」
「うん。私もよく時間忘れちゃうんだ。」
「先生は何が好きなの?」
「私はね、絵を描くのが好き。美術の授業をするのも好き。みんなが描く世界を見せてもらうのが好き。だから学校なのについ時間忘れちゃって。」

”だからここにはタイマーがあるんだよ”と言うと、真波くんは目を丸くした。
どうしたのかと思っていると、眉が下がり困った顔になってしまった。

「先生、ごめん。」
「どうしたの?」
「オレ、先生の授業はちゃんと出るよ。」
「それは嬉しいけど、他の授業もちゃんと出ないとダメだよ。」
「うん、でも先生の授業だけはもう絶対休まないから。」

その力強い瞳に、私はただ頷くことしかできない。
そんな私に確認するように、真波くんは問いかけた。

「先生は、授業をするのが好きなんだよね?」
「うん、そうだよ。」
「オレが授業を受けたら嬉しい?」
「そうだね、制作とか頑張ってくれたらもっと嬉しい。」
「じゃぁオレ、先生が喜ぶことたくさんするよ!だからさ。」

にっこりと笑った真波くんの顔が近づいてきて、綺麗な髪がおでこに触れた。
息がかかるほどの至近距離で、彼は私に囁いた。

「もっとたくさん、オレを見てよ。」

まるで吐息でキスされたかのような感覚に、私は慌てて後ずさった。
座っていた椅子が傾き、私の体は宙に投げ出されそうになる。
そんな私の体を真波くんは笑いながら支えた。

「先生、大丈夫?」
「や、ま、真波くんがっ。」
「オレ、何かしたっけ?」

無邪気に笑うその顔に、私はもう何も言えなかった。
もう本当に、この子は何を考えているかわからない。
なのに、どうしてだろう。
ぐいぐいと私の中に入ってきて、どんどんテリトリーを広げていくその存在を私は拒絶することが出来ない。
境遇が兄に似ているから?
にこにこと笑っているから?
懐いてくれたから?
それだけじゃない何かが、私の中を占めていく。
少し深呼吸をしてから椅子に座りなおした私を真波くんが覗き込んできた。

「ねぇ先生。」
「な、何?」
「卒業するまで待っててね。」

にっこり笑った彼の真意を、私は知らない。
それでも私の心を揺さぶるのに十分すぎるその言葉は、私の中で彼の存在を確固たるものにしてしまった。
ねぇ真波くん。
お願いだからこれ以上、私をドキドキさせないで。


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真波くん、お誕生日おめでとう!

(5/29〜6/1までClapに置いていたお話です)


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