傘をどうぞ




雨が降ると思い出す。
傘を忘れて走ったあの日のこと。
私を追いかけてくれた福富くんは傘を私に握らせると、一度だけ頷いて来た道を引き返して行った。
その日まで、ただのクラスメイトだったはずなのに。
私はそんな風に思えなくなってしまった。
雨に濡れた福富くんはいつにも増してかっこ良くて、凛々しくて。
そんな人がなぜ私に。
そんな疑問が浮かんでは消え、視界に入るたびにまた浮上する。
気がつけば私は福富くんを目で追ってしまっていた。




そんなある日、また雨が降った。
傘嫌いの私はまた傘を忘れていた。
朝は降ってなかったし、予報も曇だったはずなのに。
梅雨という季節は、どうも苦手だ。
小雨のうちに走ろうか。
そう思って一歩を踏み出すと、ふいに肩を捕まえた。
振り返れば鮮やかな金髪が目に入る。

「福富、くん。」
「これを使え。」

差し出されたのはあの日と同じ、黒い傘。
端に白いラインが入っていてシックなそれは福富くんによく似合う。

「でもそれじゃ、福富くんが濡れちゃうから……。」
「気にするな、使え。」
「でもっ」

"どうして優しくしてくれるの"なんて怖くて聞けない。
うつむく私に福富くんは小さくため息をついた。

「俺の地味な傘では気に入らないか。」
「っそんなことない!そういうのじゃないんだよ、ほんとに。」
「ならば使え。女性が体を冷やすものじゃない。」

そう言って半ば強引に渡された傘。
ちらりと福富くんを見ると、一度だけ大きく頷いた。

「じゃぁ、借りるね?ありがとう。」
「気にするな。気をつけてな。」
「うん、また明日ね。」

福富くんが少しだけ笑った気がした。




翌日、福富くんが学校を休んだ。
気になって新開くんに聞くと、風邪を引いてしまったらしい。
絶対私のせいだ……。
私が傘を借りてしまったから。
自転車部の大事な時期、大事な体なのに。
私はいてもたってもいられなくて、放課後男子寮へ走った。




いざ男子寮へきたものの、ここは女子は入れない。
お見舞い、と思って買ってきたスポドリがぬるくなりそうで焦る私の肩を叩いたのは荒北くんだった。

「ナニしてんのォ?」
「あ、福富くんが風邪引いたって聞いてお見舞いに……でも入れないから、これ渡してくれる?」
「アー……。」

荒北くんは何かを察したのか、私を手招きすると裏口へ案内してくれた。
そこはこの時間、換気のために空けているのだという。
私はそこからこっそり入らせてもらい、福富くんの部屋まで案内してもらった。
部屋の前まで来ると、荒北くんは自分の部屋に行くといってどこかへ行ってしまった。
私は意を決してドアをノックした。
咳き込みながらも"はい"という律儀な声が聞こえる。

「小鳥遊です。お見舞いに来たんだけど……。」

そう言うと、ドアの向こうでバタバタと慌ただしい音がしてカチャリとドアが開けられた。
冷えピタを張った福富くんが赤い顔をしてそこに立っていて、申し訳なさがこみ上げてくる。

「ご、ごめんね。いきなりきて。あの」
「とりあえず入れ。」

言葉を遮った福富くんに手を引かれ、私は福富くんの部屋にお邪魔した。
綺麗に整頓された、質素な部屋はとても福富くんらしい。
福富くんは私を座らせると正面に腰を下ろした。

「あ、あのね。昨日は傘ありがとう。そのせいで風邪ひいちゃったのかと思って、これお見舞い……。」
「すまない。小鳥遊のせいじゃないから気にするな。」

福富くんスポドリを受け取るとまた少しだけ笑った。
その顔は私の胸を高鳴らせた。
今なら、聞けるかもしれない。
二人きりのこの空間を利用して、私は福富くんに質問した。

「あのね、どうして傘を貸してくれたの?」
「小鳥遊が傘を持っていなかったからだが。」
「えっと、私じゃなくても貸してくれた?」

その問いに福富くんは手を顎に当てて少し考えていた。
そっとあげた視線が私と合って、ドキリとする。

「小鳥遊だから貸したんだ。」

その言葉は私を勘違いさせてしまうものだと、福富くんは気づいているのだろうか。
風邪っぽいせいかいつもより饒舌な福富くんを問い詰めるように、私は質問を重ねてしまった。

「私じゃなかったら?」
「貸してないかもしれないな。」
「私が特別ってこと?」
「そうだな。」
「どうして私は特別なの?」
「好きだからだ。」

真顔でそう答えた福富くんに、私の思考は停止する。
あれ、こってもしかして。
勘違いじゃなかったのかな。期待して良かったのかな。
どんどん鼓動は早くなって、顔が熱くてたまらない。
そんな私を見て福富くんがハッとしたように言葉を重ねた。

「いや、その……きちんと言葉にしたことがなかったんだが、俺は小鳥遊が」
「私も好きだよ。」

慌てる福富くんを落ち着かせるため、私はできるだけゆっくりとそう答えた。
福富くんがまた少しだけ笑った。
熱のせいか赤かった顔は、先ほどよりも赤みを帯びている。
もっとたくさん聞きたいことはあるけど、無理はさせられない。
私はいろんな思いを飲み込んで、福富くんを見つめた。
今は視線だけでも思いが伝わる気がする。
窓の外はまた雨が降っていて、しとしとと音を立てている。
雨が降る度にきっとまた思い出す。
傘を貸してくれた福富くんと、始まったばかりのこの思い。
いつまでも色褪せそうにないこの気持ちは、あなたがくれたものだから。



story.top
Top




人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -