鈍感



始めは大学から近くて安いアパートなんて天国だと思っていた。
授業が終わればすぐに帰れるし、もし休講になったとしてもそれほど無駄足感もない。
だけどそれは大学が始まって数か月だけだった。
大学に近いということは、それだけ同期たちが来る回数も多かった。
自然と飾りだった小物は減り、どんどんと機能的な質素な部屋に変わっていった。
荒北と出会ったのは、そんな生活にも慣れた2回生になったころだった。



荒北とは講義がかぶりまくっていてよく顔を合わせた。
忘れ物が多い荒北はよく私にペンやら消しゴムやらを借りにきたせいで、いつの間にか仲良くなっていた。
口は悪いが根が悪いわけじゃなかったのもあって、遊ぶことも多くなっていった。
最初は出かけたりもしたが、最近はもっぱら私の部屋でレポートを書いたりダラダラと過ごすことが多い。
おかげで私の部屋には荒北の私物がどんどん増え、いつぞやはお土産だとかでヘンテコな貯金箱を玄関に設置された。
そんな荒北は私の話をいつも興味なさげに聞く癖に、小さいことまできっちり覚えていていつも驚かされる。
その日も、私が忘れていた話を振られた。

「小鳥遊チャン、今日泊まり行くからァ。」
「はぁ?何、急に。」
「まぁた忘れたのかよ。前に言ったろ。」

そう言って先週の話を始める。
そういえば、今日部活で打ち上げがあるから泊めてくれとか言ってたっけ…?
荒北とは宅飲みもしていたし、泊めるのは初めてではない。
忘れていたとはいえ、あまりにも急だなと思うとため息が漏れた。

「なに、何か予定でもあったわけェ?」
「いや、別にないけどさぁ。」
「んじゃいいじゃねェか。」
「終電で帰ればいいじゃん。」
「明日1限から一緒じゃねェか。起こして俺もつれてってよ。」

口を尖らせる荒北はやけに子どもっぽくて笑えてくる。
でも面と向かって笑うと怒るので、言葉で誤魔化すことにした。

「しょうがないなー。その代り、帰りにアイス買ってきてよ。ハーゲンのコンビニ限定が出てるからー。」
「チッ。わざと高ェアイス選ぶんじゃねェよ。」

そういってコツンと軽く拳骨を食らう。

「一宿一飯の恩義って言葉知らないの?」
「んじゃ朝飯期待してっからァ。」

アイスは買ってってやるよ、そう付け加える荒北は意地悪そうに笑う。
しまった、一飯ということは朝ごはんを作らなくてはいけないのか。
墓穴を掘ったと思いつつも、荒北を見送って買い出しにいくことにした。



夕飯もお風呂も終えて、荒北が置いていった自転車雑誌を手にとった。
荒北と出会うまで存在すら知らなかったそのスポーツは、私にとって未知の存在だ。
それでも、嬉しそうに自転車の話をする荒北を見ているのが好きだった。
その時だけはキラキラとした目で、感情が豊かになるから。
一緒に楽しめたらいいのに、そう思って開いた雑誌には専門用語が多くて困った。

「荒北がいてくれたら良かったのに。」

そう呟くと、携帯が鳴った。
ディスプレイにある荒北の文字を見て、エスパーかよと思いつつ電話に出た。

「もしもーし?」
「あ、すいません。俺後輩の城田って言うんですけど、今ちょっと困ったことになってまして。」

城田君の話によると、どうやら荒北は酔い潰れたらしい。
家に帰そうにも荒北の家は距離があるし、本人が私の家に行くと言って聞かない。
でも場所がわからないし、荒北は説明できるレベルじゃない。
だからどうにかしてくれ、と。

「アホ北め…。」
「すいません、俺らじゃ手に負えなくて。」
「あー、いいよ。城田君が悪いわけじゃないし。ごめん悪いんだけど、住所言うからメモ取ってくれる?タクシーぶちこんで住所伝えてくれたらこっちで引き取るから。」
「助かります、お願いします。」

電話を切って時計を見ると、まだ9時半だ。
荒北は強くはないが、弱くもないはずだった。
一体どんな飲み方をしたんだろう。
少しだけ心配になった。



しばらくすると携帯が鳴り、ディスプレイを見ると荒北の文字が。
玄関を出ると、タクシーが止まっていた。
運転手さんに料金を払いお礼を言って荒北を降ろすと、座り込んでしまった。
私一人でこの男を運べるはずもなく、仕方なく運転手さんに手伝ってもらい玄関まで運び入れた。

「荒北ー、ついたよー。靴脱いで、水飲める?」
「ヤダ。」
「はぁ?早く靴脱げってば。」
「雛美チャンが脱がしてよ。」

どうして荒北は飲むと必ず下の名前で呼ぶのだろう。
酔っているかどうかの判断はしやすいが、なんだか気恥ずかしい気もする。
くだらないことで甘えたがるのも酔った特徴の一つだった。
靴のままであがられるのは困るので仕方なく脱がせてやると、満足そうに笑う。

「アンガトネェ。」
「はいはい、どういたしまして。ほら、中はいるよ。」
「立てねェ。」
「もー、飲みすぎでしょ。」

立ち上がらせて手を引くと、やっと大人しくついてきた。
荒北が持ち込んだ専用ソファ……通称人をダメにするソファに転がすと、うつ伏せのまま沈んでいく。
慌てて抱きかかえると、プハッと息をしながらヘラヘラ笑っていた。

「死ぬかと思ったァ。」
「いや、私の部屋ではやめてよ。」
「雛美チャンの部屋じゃなかったらいいわけェ?」
「別にそういう意味じゃないけどさぁ。ほら、ちゃんと座って。」
「ヤダ。ここがいーのォ。」

そう言いながら私の太ももにスリスリしている。
ずりずりと滑って行ったかと思えば、膝枕状態になっていた。
これでは水を取りに行くことすら出来ない。
私はペチペチと荒北の肩を叩いた。

「ヤダじゃないから。ほら、お水とってくるから大人しく座ってなってば。」
「雛美チャン。」
「なによ。」
「スキ。」
「はいはい、ありがとね。私も好きだよ、だから早く」

どいて、そう言おうとした口は塞がれた。
気がつけば荒北の顔が目の前にあり、手は私の後頭部をおさえている。
荒北とアルコールの混じった匂いがする。
数秒経ってやっとキスされていることを理解できた。
そして荒北はそっと離れて、満足そうに笑っている。
その顔に無性に腹が立った。

「ふざけんな!酔っててもやっていいことと悪いことがあるでしょ!」
「俺そんなに酔ってねェよ。」
「アホか!人にキスしといて酔ってないとかお前はキス魔か!」
「雛美チャンにしかしねェよ。」
「ふざけんな!ファ、ファーストキスだったのに……!」

自分で言ってから自覚した。
ファーストキスだった、特別なものだと思っていた。
なのに、相手が荒北なことよりも酔っていることに苛立っていた。

「ンなこと知ってンよ。」
「じゃぁなんでっ。嫌がらせか!」
「……それマジで言ってンのォ?」

荒北は座り直して、頭をガリガリと乱暴にかいた。
動作を見ていても酔っているようにはあまり見えない。
先ほどまでの荒北は一体なんだったのだろう。

「初めてこの家で宅飲みした日、覚えてねェの?」
「ハァ?覚えてる、けど……。」

少し曖昧になった記憶をたどる。
あの日は確か講義が終わってからレポートのためにうちにきて、遅くなったけどレポートがお互い終わった祝いに少し飲もうってことで飲み過ぎて……私が潰れた日だ。

「雛美チャン、潰れると記憶失くすタイプゥ?」
「お、覚えてるよ?……多分。」

だんだん声が小さくなった。
本当は後半覚えていないからだ。
いつもチューハイばかりだったのに、安売りだからと買った日本酒に手を出したあたりからは朝まで記憶がない。

「ウソつくんじゃねェよ。」

そう言って手を掴まれた。

「お前、嘘つく時ぜってぇ指こすり合わせるのな。」
「あっ……。」

無意識のうちに、私は親指と人差し指を合わせていた。
荒北には言ったことはなかったはずなのに、気付いてたんだ。
うなだれる私の手を離すと、荒北はまた頭をかいた。
大きなため息を一つついて、私を見据える荒北の目はとても真剣で、私は目を逸らすことができなかった。

「雛美チャン。」
「な、なに?」
「俺と付き合って。」

突然のことに頭が着いていかず、しゃべろうにも言葉にならない。
まるで鯉のように口をパクパクしていると、荒北は悲しそうに笑った。

「ハッ、初めて聞きましたみてェな顔してんじゃねぇよ。これ二回目だっつの。」
「えっ?どういう、こと?」
「宅飲みした日ィ。全く同じこと言ってオッケーもらってんだけどォ。」
「あの、それってつまり……。」
「付き合ってるつもりだったの、俺だけかよ。」

水もらうわ、そう言って立ち上がった荒北はキッチンへ行ってしまった。
私は何も答えることができずにただ俯いていた。
私たちは、付き合っていた?
初めて宅飲みしたのはいつだっけ。4ヶ月前くらい?
荒北と遊ぶことはあっても、キスは愚か手を繋ぐことすらしていないのに。
週に何度も泊まった時だって何もなかった。
意味がわからず頭の中がグルグルする。
ポロポロと流れる涙の意味もわからない、泣きたいのは荒北の方じゃないか。
私は何をやっているんだろう。
そう考えていると、頭にひんやりとしたものが当たる。
顔を上げると、荒北が私の頭に水のペットボトルを乗せていた。

「ま、とりあえず飲めばァ。」
「あり、がと。」
「ウン、まぁ雛美チャンが買ったやつだけどォ。」

そう言って笑う荒北はやはり元気がない。
顔を洗ったのか、前髪が少し濡れている。
荒北はソファに座って、水を飲んでいた。
そしてふと思い出す。
私があれを切らすことなんてないはずなのに。

「冷蔵庫にベプシ、あったでしょ?」
「今はこれでいんだよ。」
「荒北がくるから買ったのに。」
「知ってる。」
「飲めばいいのに。」
「雛美チャン、今それより聞きたいことあるンじゃナァイ?」

また泣いてしまいそうで、沈黙が怖くて。
でも聞くのはもっと怖くて、それを荒北は見抜いている。
お互いわかっている、確かめなければいけないこと。

「ちゃんと答えてやっから泣くなってェ。」

そう言われてから、自分がまた泣いていることに気づいた。
頭をポンポンと撫でられて、余計に溢れてくる。

「雛美。」
「ひゃ、ひゃい……。」
「怒ってねェから泣くなよ。」

そう言って笑う荒北は、やっぱり悲しそうだ。
もっと悲しませることになったとしても、私はきちんと話さなければならない。
それが荒北に対する誠意だと思うから。
服の袖で涙を拭って、深呼吸する。

「荒北。」
「おう。」
「いつから、私のこと……?」
「一年の春。」
「……へ?」

私が荒北と出会ったのは二回生になってからのはず。
わけかわからない、それは顔にも出ていたのだろう。
荒北がプッと吹き出した。

「雛美チャンは気づいてねぇけど、何回かすれ違ってンだよ。」
「そりゃ同じ大学ならすれ違いもするだろうけどさ、でもそれじゃ」
「接点なんてねェよ。だから二回生になった時に絡みに行ったンだろーが。」
「絡み?」
「普通あんなに忘れ物するワケねぇだろバァカ。」

言いかけた言葉も遮られ、さも当然かのように荒北は言い切る。
確かに不自然なほど、最初の荒北は忘れ物が多かった。
でも仲良くなるにつれて、減って行った。
単純に慣れみたいなものかと思っていたけどそうではなかったらしい。

「で?他にはねぇの。」
「あ、うん。その……荒北からすれば付き合ってたはずなのに、なんで、その」
「ハッキリ言えよ、めんどくせェ。」
「な、なんで4ヶ月も何もなかったの?」
「大事にしてちゃ悪ィかよ。」

顔を真っ赤にしながら、また頭をガシガシかいた。

「アァーもうめんどくせェ!お前普通に話せよ!俺に気つかうとか雛美チャンらしくないんじゃナァイ!?」
「ハァ?私どんなキャラだよ!気ぐらい使うわ!」
「ハッ、らしくなったじゃナァイ。」

売り言葉に買い言葉、思わず言い返してしまった。
でも荒北は少し嬉しそうに笑った。
それを見て、体が少し解れた。

「だいたい、荒北。手すら繋がないとか小学生かよ。」
「ふざけんな、お前いつも右に荷物持ってんじゃねェか。」
「そういえば。じゃぁ荷物持ってくれるとか。」
「前に断られたんだけどォ?」

そういえば荒北はいつも私の右側を歩いてくれていた。
荷物も昔断ったような気がする……?
あれ、これもしかして私が全部悪い??

「……ごめんなさい。」
「わかればイーヨ。」
「最後に一つだけ。なんでさっきキスしたの。」
「欲しくなっちまったから。」
「欲しい?」
「雛美チャンの全部俺のモンにしたくなった、って言えばわかるゥ?」

そう言って意地悪そうに笑う。
なんなんだこの男は。
優しくしてみたり、意地悪してみたり、それに振り回されているのに嫌な気もしない私も、全てがわからない。
私がまた口をパクパクしていると、荒北が口を開いた。

「俺も聞いてイイ?」
「なに?」
「雛美チャン俺のことどー思ってンのォ?」
「いいやつだと思ってるよ?」
「ンなこと聞いてんじゃねぇよ、バァカ。」

荒北はため息をついた。
私だって、そういうことではないことくらいわかっている。
でも、きちんと考えたことがないからうまく言葉にできない。
黙っていると荒北に質問責めにされた。

「何でいつも冷蔵庫にベプシ入ってんのォ?」
「荒北が飲むから。」
「飯がいつも俺の好きなもんばっかなのはァ?」
「荒北の好みを知ってるから?」
「バイトの休みを俺の部活の休みと揃えてんのはァ?」
「荒北がくると思って。」
「他のやつでも同じことすんのかよ。」
「しない、かな。めんどくさいし。」
「俺はめんどくさくないワケぇ?」
「うん、荒北だし。」
「……俺、自惚れてイイ?」

そう言って荒北はニヤリと笑う。
私は何のことだかわからずに首を傾げた。

「他のやつのために出来て、俺にできないことってあんのォ?」
「なぞなぞ?」
「ちげぇーし。雛美チャン鈍すぎじゃナァイ?」
「荒北が遠回しすぎなんだよ!」
「俺にキスされてどー思った?」
「ムカついた。」
「何で。」
「酒臭かったから。」
「そんだけェ?」
「だってファーストキスが酒臭いとか!ムカつくじゃん!」
「もし酒臭くなかったらァ?」
「酒臭くなかったら別に……ん?あれ?」

嫌だったわけじゃない、むしろ雰囲気が良ければドキドキとかしたかもしれない。
荒北の顔はまぁ、好きな方だ。
体も細い割にしっかりしてて、特に鎖骨のあたりはいいなと思うことがある。
性格は悪くない、というか価値観とか考え方とか似てるところが多いから相性がいいんだと思ってた。
そこまで考えて、顔が熱くなるのを感じた。
荒北と目が合うと、ニヤリと笑った。

「な、なに。」
「別にィ?」
「荒北のくせに!」

ニヤニヤと笑い続ける荒北は意地悪だ。
私すら気づいていなかったこの気持ちに、いつから気づいていたのだろう。

「と、とりあえず!今まで付き合ってたのとかノーカンだからね!そんなつもりじゃなかったし!」
「いいぜ、今まではノーカンな。」
「やけにあっさり認めるじゃん。」
「今まで、だからなァ?」
「なっ……。」
「雛美チャン、俺と付き合って。」

荒北は意地悪だ。
私が断れないことも知っててこんなことを言うんだ。
だから、その意地悪な顔が嫌いじゃないことは言ってあげない。
そしてせめてもの仕返しを。

「いいよ、その代わりに。」
「ナァニ?」
「キスは4ヶ月後までお預けね。」
「ハァ?お前それマジで言ってんのォ?」
「乙女のファーストキスをお酒の味にした罪は重いんだよ、バーカ!」

荒北は舌打ちをしたかと思ったら、またニヤニヤと笑い始めた。
ヤバい、なんかわかんないけどヤバい気がする。
身構えた瞬間、荒北に抱きしめられた。

「キスは、だろォ?」

そう言って笑う彼に、私は勝てる気がしなかった。


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