盲目 -後編-
目が覚めると、目の前に新開くんがいた。
慌てて起き上がると、体中に痛みが走る。
「うっ……。」
「大丈夫か?急に動かない方がいい。」
そう言って支えてくれる手は、いつものあの優しい新開くんのものだ。
眠っている間に体も洗ってくれたらしく、ほのかに石鹸が香る。
抱きかかえるようにして支えられ、体を預けると新開くんが口を開いた。
「その……すまねぇ。」
「なん、で? 私が荒北くんのこと好きなの、一番良く知ってた、よね?」
一つ一つをゆっくり確認するように声にする。
お互い顔を見ることはしない。
見たらきっと泣いてしまうから。
「あぁ、知ってた。けどそれに気づいたのは、俺が雛美を見てたからだ。」
「えっ?」
顔を上げようとすると、新開くんに阻まれる。
そのままそっと頭を撫でられた。
「1年の時、休んだ奴の代わりに委員会に出たことがある。そん時初めて会ったんだ。雛美は覚えちゃいねぇだろうけど、俺はそん時から雛美が好きだった。」
私は覚えていなかった。
その時すでに私の中には荒北くんがいて、他なんて見えていなかった。
何も言えずにいると、新開くんはそのまま続けた。
「雛美が自転車部にくるようになって、俺は浮かれてた。いつも雛美を見てた。でも、雛美はずっと靖友を見てた。」
声色が、悲しいものに変わっていくのが分かった。
少し震えるその声は、時折止まりつつもぽつぽつと話し続けた。
「雛美も、寿一もそうだ。俺が大事にしたいヤツほど、靖友に持ってかれちまう。俺が欲しいもんほど、掠め取られていく。」
否定が、できない。
福富くんが新開くんと同じ中学で、仲が良かったのは知っている。
そして、福富くんが荒北くんを特別視していることも、見ていてわかった。
私は、荒北くんだけを見続けていたから。
彼の周りだけは知っている。
だから私は、彼の周り以外を知らなかった。
「しんか…」
呼びかけて、ハッとした。
新開くんの手に力が入るのがわかる。
「ごめんな、本当はこんなことするつもりじゃなかったんだ。ただ靖友が……」
頬に、新開くんの涙が落ちた。
この人はなんて綺麗に泣くんだろう。
「靖友が、雛美のこと、気にしてて。昨日もそうだ、急にアドレス聞いてきたりして。あぁ、また取られるのかって思ったら、俺……。」
涙を拭うこともせず、ただ私を見て話し続けた。
ぽたぽたと落ちる涙がとても綺麗で、でもとても悲しくて。
脆く、今にも崩れ落ちそうなその体がとても愛しく感じた。
だから私は新開くんを抱きしめた。
「隼人、って呼んでもいい?」
「え…?」
「呼び捨てで、隼人って、呼んでもいい?」
小さい子に言い聞かせるように、ゆっくりと復唱した。
新開くんは大きく一度頷いて、涙を拭った。
でもその顔にはまだ困惑が残っている。
隼人には、私がいてあげなければ、なぜかそう感じた。
そして私の中から、荒北くんがいなくなる。
抱きしめて、頭を撫でて、そのあと真っ直ぐ隼人を見据えた。
「私を、隼人の一番にしてくれる?」
「……雛美、それって」
「私我儘だし、性格悪いし、ヤキモチやくし、束縛もする。」
隼人の言葉をさえぎって、私は自分の思いを続けた。
返事は、一番最後でいい。
「隼人も知ってると思うけど、私は一人しか見えない。一人だけを見続ける。だから、隼人にも私だけを見ていてほしい。それでも、私を隼人の一番にしてくれる?」
隼人の目からは、またぽろぽろと涙がこぼれた。
さっきとは違う、悲しみとは違う涙が隼人の頬を伝っていく。
そっと頭を撫でると、隼人は鼻をすすって私に向き直った。
「順番、違っちまったけど……。俺だけの雛美になってほしい。」
「よろこんで。」
少し子どもっぽい笑みを浮かべながら、隼人に抱きしめられた。
暖かくて、大きなその体は私をすっぽりと包みこむ。
隼人は確認するように何度も名前を呼んでくれる。
「雛美……雛美……。」
「なぁに?」
「好きだ。」
そう言って、先ほどよりも強く抱きしめられた。
私も隼人の首に手をまわした。
「私も、隼人が好きだよ。」
そういうと、少し驚いたように体を離されて不安になる。
でも隼人と目が合うと、おでこや鼻にそっとキスされた。
そして少し戸惑う隼人に、私からキスした。
ねぇ隼人。
ずっと私だけを見ていてね。
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