卒業



入学してすぐの頃、自転車競技部とすれ違った。
物凄いスピードで走り去るその姿に私は目を丸くした。
自転車って、あんなに速かったっけ?
それから暫くして、うちが実は強豪校だったと知った。
何度も全国優勝をしていて、とても強いのだと。
ファンも多いと聞いたけど、私にとっては雲の上の人だと思っていた。
共通点もなければ、接点もない。
きっと、関わることなんてないと思っていた。



そんなある日、校舎裏で自転車競技部の人を見かけた。
何度か表彰されているのを見たことがある。
確か……荒北先輩。
寂れた自販機とベンチしかないその場所は、滅多に人が来ないはずだった。
それなのにどうして?
疑問を抱えながらも、私はその場をあとにした。
それからと言うもの、その近くを通るたびに荒北先輩が目に入った。
なんだか気になって、足を運ぶ回数も次第に増えた。
何度か見かけるうちに、そこにいる理由もわかった。
校舎内ではそこでしか炭酸飲料を置いていなかったのだ。
荒北先輩はいつも片手にベプシを持っていて、うたた寝していたり猫と戯れたりしていた。
普段は機嫌が悪そうにしているのに、猫といる時はなんだかとても楽しそうで。
無邪気な子供のような笑顔が覗くたびに、私の胸は跳ねるようだった。



荒北先輩が好きだと気づくのに、そう時間はかからなかった。
だけど私とは住む世界の違う人。
それでも近づきたくて、その自販機でジュースを買ったことがある。
荒北先輩はうたた寝をしていたけど、ガシャンという自販機の音でチラリと視線を向けた。

「す、すみません!」

機嫌の悪そうな目に、思わず謝ってしまった。
そんな私を訝しげな目で暫く見た後、荒北先輩は口を開いた。

「別に謝ることねぇだろ。」
「え、いや……はい……。」
「変なヤツ。」

荒北先輩はハッと笑うと、またゆっくりと目を閉じた。
長い睫毛が太陽に照らされてキラキラ光っている。
近くで見る荒北先輩はいつもより眩しくて、やっぱり手の届かない人なんだと思った。



部活を引退してからは受験のためか、あまりベンチで見かけることもなくなってしまった。
気がつけば季節は巡り、もうすぐ春が来る。
その前に荒北先輩は卒業してしまう。
もう、学校のどこを探しても荒北先輩を見つけることは出来なくなる。
その事実が私の胸をきつく締め付けた。

「荒北、先輩……。」

その名前を口にするだけで、想いが涙になって溢れてくる。
どうしてもっと早く行動出来なかったんだろう。
今更、想いを伝えたって……。
ぐるぐると何度も自己嫌悪してしまう。
それでもこのまま卒業していくのを、ただ見ていることなんて出来ない。
想いが届かなくたっていい。
伝えるだけで十分だ。
卒業式のあとに……
もう会えないなら、最後くらい。
私は伝える決意を固めた。



そうして迎えてしまった卒業式。
滞りなく終わったそれは、時折涙まじりで何とも言えない雰囲気だった。
かく言う私も先輩方がいなくなる不安と祝いたい気持ちと、これから告白する緊張とでよくわからない涙が溢れた。
こんな顔じゃ会えない。
式が終わったあと慌てて身なりを整えたけど、卒業生たちはもういくつかのグループに分かれてしまったあとだった。
当然、荒北先輩も自転車競技部の方々と一緒にいる。
少し赤くなった目元に、泣いていたのがわかる。
胸がぎゅっと締め付けられるようだった。
声を、かけなければ……
そう思えば思うほど、足は動かず声は出ない。
喉がカラカラに乾いていて、何か詰まっているような感覚にすらなる。
周りの子たちは次々と卒業生にプレゼントや花束を渡している。
他の子たちのように、私も……
そう思うのは心ばかりで、結局私は一歩を踏み出すことができなかった。



私は、何一つ出来なかった。
告白はもちろん、声をかけることすら……。
卒業のお祝いだって言えなかった。
自分の不甲斐なさと悔しさで、ボロボロと涙が溢れる。
初めて座ったこのベンチ。
荒北先輩と座ってみたかったな。
ぼんやりそんなことを考えていると、あの猫がやってきた。
猫は私の目をじっと見ると、サッと飛び上がり私の横に座った。

「一緒に、いてくれるの?」

その問いかけに、喉を鳴らして目を細めてくれる。
荒北先輩も、この子を可愛がってたっけ。
そんなことをぼんやり考えながら撫でていると、誰かがこちらに近づいてくる音がした。
慌てて涙を拭い、猫の方に向き直る。
顔を見られないように猫をじっと見つめながら撫でていると、足音は私の前で止まった。
早くジュース買わないかな……。
泣き顔なんて見られなくない。
しかしいくら待っても、その人影は消えない。
どうしたものかと思っていると、あの声が降ってきた。

「なァ。」
「えっ……?」

驚いて顔を上げて、私は言葉を失った。
目の前にいるのは、間違いなく荒北先輩だ。
どうして、なんで。
頭の中が沸騰したような感覚に陥る。

「俺、今日で最後だからァ……」
「……?」

歯切れの悪い言葉に、状況が飲み込めない。
そんな私に舌打ちをすると、荒北先輩はスマホを取り出した。

「アドレス教えてくんねェ?」
「えっ?」
「嫌なのォ?」

少し苛立ったような口調に焦ってしまうけど、断る理由なんてない。
私は慌ててスマホを取り出すと、荒北先輩に差し出した。

「ど、どうぞ……。」
「あんがとネ。」

そう言って荒北先輩は、少し屈んで私のスマホを覗き込んでいる。
スマホを操作しながら、荒北先輩はブツブツと文句を言っている。
しかしどうやら、それは私にではないらしい。

「ったくよォ、回りくどいのは合わねェっつったのに新開のヤロー……」

どういうことかさっぱりわからないけど、聞くこともできない。
疑問ばかりが増えて、話が繋がらない。
どうしたものかと思っていると、荒北先輩はスマホをしまった。

「よし、メール届いたァ?」
「あ、はい!今……」

軽く震えたスマホを開くと、未登録のアドレスからメールが来ている。
それを開くと、差出人である"荒北靖友"の文字と……"ずっと気になってた"という短い一言が添えられてる。

「……えっ?」
「そういう事だからァ。」

そう言って、荒北先輩はヒラヒラと手を振って歩いて行ってしまった。
突然の事に夢なのかと疑ってしまう。
荒北先輩が、私を知っていた……?
いつも見ているだけだったのに、それすらもバレてしまっていたんだろうか。
わからないことだらけだけど、一つわかったこともある。
荒北先輩とは、これが最後じゃない。
小さな繋がりだけど、確実に進んだ一歩。
荒北先輩からの一歩……
今度は、きっと私から。

春は、もうすぐ。
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