企画小説


世間はこんなにも甘いものだっけ、と思ってしまう時がある。甘いと言ってしまっては語弊がある。優しいというか、それで良いのかなと自問自答を繰り返す。

あたしは外の世界に出てきて数年。それは人生の半分ぐらい、やっと半分ぐらいと考えてみるけれど、まだまだわからないこと学ぶことばっかりだ。いっぱい悩んで失敗して泣いて前に進む人生。故郷の頃もそれは一緒だったけれど、それ以上にこの人生は充実していると胸張って言えよう。


だけど、今のあたしはなんてことをしているのだろうか。

手には銀色に光るそれ。目の前にはあたしを見上げる燐の顔。ソファーに身を預けて何かを言いたげな表情で息を呑むのがわかる。


「なんで」


絞り出した声は震えていた。

あたしは燐の上に跨って見下ろす。酸素はうまく脳に回らないせいで、呼吸が浅いのは自分でもわかってる。感情的になっているはずなのに、涙は出なかった。どこか冷静な自分の頭の中、あぁこのままじゃダメだって自分に言い聞かせる。


「ねえ、なんで、知ってたんでしょ」


燐の口は固く閉ざされたまま、何を思ってるのだろうか。どんなに見つめてもその心は読めない。わかるのは真っ直ぐとあたしを見つめて目を離さないということだけ。
あたしはギリっと奥歯を噛み締めて、持っていたそれを高々に掲げた。そして振り下ろす動作をした時、


「姉さんっ!!!」


あたしでも燐でもない声が部屋に響く。
咄嗟に視線を移した時には、時すでに遅し。あたしの手にあったそれはバシンと叩かれ手放されてしまい、音を立てて床に落ちる。あたしと言えば体制を崩してしまい、燐とは逆の方向へと体が倒れて尻餅をついてしまった。


「何やってるんだっ、どうして!」


思わず目を閉じていたあたしの体を両手でがっしりと捉えて揺さぶるのはひーくんだ。緊迫した表情であたしの体を揺さぶる姿はこの光景を見てどれだけ驚いたのかが見てとれる。


「ま、ちょっ、や」
「兄さんのことが大好きなはずの姉さんがなんでこんなっ」
「待て待て一彩!落ち着けって!」
「兄さん!落ち着いてられるわけ」
「名前の目が回ってるから落ち着けって!」


ひーくんの行動を静止に入ってくれた燐の慌てた声も耳に入って来るけど、それを視界にちゃんと入れることはできなかった。燐の言葉の通りあたしは思いっきり体を揺さぶられて頭がぐわんぐわんとさせられたことにより目が回ってしまったからだ。燐の静止があって始めて、ひーくんは少しだけ心に落ち着きを取り戻したのか、ここでやっと動きをやめてくれる。


「大丈夫か、名前」
「う、ん…」


燐に支えられて、少しだけまだクラクラする頭を抑える。まだ本調子ではないけれど、揺さぶられていた時と比較すれば全然マシだ。


「ごめん、姉さん…でも、僕」
「うん、だいじょ、ぶ。ごめんね、驚かせちゃって、」
「ったく、タイミング悪いんだか良いんだか」


ひーくんは困惑しながらもあたしと燐の顔を交互に見つめる。燐もこれには苦笑いしかない。


「はぁ…本当はまだなんだけどな」


燐と顔を見合わせて燐が一つため息を吐くと決心する。あたしは燐が決めたならそれに従うまでだ。どうせ、ここまで見られて今更だし、変に隠すよりマシだろう。


「今度、名前と主演のドラマが決まってな、その練習してたんだよ」
「主演…?兄さんと姉さんが?!」
「そう、まだ発表前だから内密に、なんだけどね」


あたしは人差し指を立ててシーッとひーくんに言い聞かせれば、ひーくんは口を押さえて「ウム!」と頷く。相変わらず素直で可愛い。
そう、燐が言ってくれたように、今回ご縁があってあたしと燐がダブル主演となる映画が決まった。つい先日、役者の顔合わせがあったばっかり。撮影も始まってもいるけれど、情報解禁はもう少し後だ。なので、このことは内密にしなければならない。


「内容がお互いがスパイって役でね、しかも対峙しなきゃいけない役で」
「その練習してたところに一彩、お前が来たってワケ」


ひーくんは驚いていた。それもそのはず、言葉の通りあたしたちがやるのはスパイアクション系のもので、元々運動神経の良い燐と燐やひーくんほどではないながらも、故郷で培った運動力が評価されてあたしが抜擢されたという。それは嬉しいこと、評価されて選ばれたのは喜ばしい。だけど、役がらが普段やらないものである上に、台本を読み進めていけば、なんとあたしが燐の役を狙うシーンがあり、目を見開いた。役とは言え、燐に…最初はそう思ったが、あたしも燐もプロなのだ。それを気にしてる場合ではない。せっかくご縁があって、選ばれた今回の仕事をしっかりとやり遂げることを目標に掲げて全力を尽くすことを決める。
そのために、燐と二人で練習をしていたら、一番タイミング的に良くないところでひーくんが来てしまって先ほどの展開に繋がったのだ。


「ごめんなさい、僕はまたいけないことをしてしまったんだね…」
「ううん、本来ならひーくんの反応は正しいから気にしないで」


完全に勘違いで大ごとにしてしまったことにひーくんはシュンとする。別に悪くないのに、今回のことはタイミングが悪かったし事情が事情だから本当に仕方のないこと。


「ったく、名前が俺っちのこと殺そうとするワケねぇっしょ」


燐もまたそれはわかっているからこそだろう。あえてあたしを抱き寄せて、わざとらしくひーくんに見せつけるように少し大きめの声で呟いた。


「ウム!そうだよね、兄さんも姉さんもお互いのことが大好きだからね!」


けど、ひーくんは素直に受け止めて真っ直ぐな瞳で素直にあたしたちのことを言葉で表すもんだから、燐の方が多分恥ずかしくなったんだろう。喉のあたりから何とも言えない声を漏らして、顔を隠すようにギュッとあたしの体に抱きついてくる。


「兄さんは本当に姉さん大好きだね」
「うん、そうだね」
「っお前らなぁ…」


燐の照れの中から絞り出した声がすぐそばから聞こえる。ふと見上げれば頬が赤い燐と目が合った。


「あたしも燐が大好きだから一緒」


結局この後、練習はお開きとなった。ちなみにあたしが使っていたのはドラマティカで借りてきた小道具のナイフであり、実際には人に刺せない仕組みになっている。
今日という日から撮影がある程度進んだ頃、情報は解禁となり世間はCrazy:Bの天城燐音とニューディの姫である名字名前がダブル主演の映画の撮影が行われていると話題に。しかもその内容がスパイアクション、命を狙う描写も!?といろんなところでひっきりなしに取り上げられてしまうことになるのを今のあたしたちはまだ知らない。


- ナノ -