企画小説 | ナノ


重い扉を開けた途端、鼻を擽る香りに気が緩めば理性が崩れそうになる。無意識ながらギリっと奥歯を噛み締めて、後ろ手で扉をしっかりと閉めてカチャリ、と鍵がかかる音が耳に届く。


部屋の中へ歩み進めば、部屋のど真ん中に大きな山が現れる。その山はぐしゃぐしゃに積まれた衣類でできていて、俺が普段着ているものからローブやマフラーとありとあらゆるものがそこにある。好き勝手に出された上にぐしゃぐしゃにされて本来なら怒りを憶えてもおかしくないはず、だけど俺はその光景を見て小さく息を吐く。


なるべく気持ちが起伏しないように心を無にしてその服の山を見つめながら歩み寄る。その時、服の山が少しだけ動いたのは多分気のせいではないだろう。手を伸ばして服を掻き分ける。



「名前」




途中、呟いた言葉に反応して「ミャア」と微かに鳴き声がしたのを聞き逃さなかった。声をしたところを手探りで探せば衣類ではない熱をこもったものが指に触れ、力を入れすぎないように気をつけながらも、ゆっくりと引き抜く。




衣類の山から姿を現したのは真っ黒い一匹の猫。ぐったりと横たわり、目を閉じているけれど呼吸が早いせいで体が早いリズムで上下している。



「待たせたな」



さっき名前を呼んだ時は俺の声に反応してくれたのに、今目の前にしても反応がないのは多分余裕がないのだろう。具合が悪そうな様子を目の前にして、俺自身も体の異変を感じ始め、今も自然と汗が噴き出てくる。



うっすらと開いた目蓋。その奥でゆらゆらと揺れながらも俺を熱のこもった瞳と目が合った。









初めて目を合わせた時も、再び目を合わせた時もこんな風になるなんて思ってなかったのにな。









「あなたはだあれ?」
「おれのこと、しらないの?」
「?うん」


その視線に俺の体がドクンと一度だけ大きく鳴った。たった一回だけだったこともあり、小さいながら気に留めるわけでもなく、むしろ気のせいだと都合のいいように自己解釈。そんなことよりも今向けられている視線の方が気になり、意識は完全に目の前のことへ。俺自身を初めて見るからだろう、半信半疑の色を浮かべていたのを憶えている。

ブラック家もシリウス・ブラックという存在も知らないという女の子。

純粋に好奇な気持ちでしかないその瞳は、俺のことを知らなければ名前を打ち明けたってふーんとしか言わず、全てにおいて俺にとっては新鮮な気持ちを与えてくれる奴だった。





こんなにも揺さぶられた出会いだって、結局はひと時の思い出。


腐った実家で気づけば埋もれて行った記憶。



ブラック家、

純血、


そして第二次性が俺はアルファと発覚する。


俺自身驚きはしなかったことだけれど、これにより更に周りの目は厳しいものになった。ブラック家、純血、アルファ性。身内からは重圧、周りからは俺に被せられたブランドへの欲、いろんな足枷が俺にのしかかった。だからこそ、ホグワーツへの入学とそこで出会った友達は本当に嬉しい出会いだった。

ジェームズ、リーマス、ピーター。

嬉しい出会いは友だけじゃない、


「シリウス」


いつだって媚びずに俺を見てくれる女、それが名前だ。


「リリーもリーマスもいないから、此処教えて欲しいんだけど」
「仕方ねぇな、見せてみろよ」
「ありがとう、シリウス」



外国育ちの東洋人、魔法族家系ではあってもマグル界で生活をしていたという名前。だから、ブラック家も純血も俺の育った中であった概念が何一つない名前は俺が俺らしくいられる数少ない居場所。




リーマスが月に一度姿を隠すように、名前も数ヶ月に一度、全く姿が見せない時があった。名前は家の用事で実家に帰っていると言うし、現に名前の実家は東洋にある日本。遠く離れた地であるからして、1週間ほどいなくなっても不自然ではなかった。



「シリウス、名前帰ってきてるのかい?」
「んな訳ねぇだろ。まだ戻るのは先のはずだ」
「おかしいな」



ジェームズがクシャクシャの髪を更に掻く。うーんと唸りながら、古びた羊皮紙、基、忍びの地図を眺めながらベッドの脇を行き来する。俺からしてみれば今の質問の方がおかしいわ、なんて呟く、まあ口にはしないけれど。


「忍びの地図には名前があるんだよね」


言葉の意味を飲み込む前に手渡された忍びの地図。ほら、ここにさ。とジェームズが指差す箇所には確かに名前の名前があった。じっと動かずそこに佇む名前の名前に俺は違和感を覚える。



確かにアイツは日本に帰ると俺に言った。

いつもみたいに戻るのは多分1週間ぐらい後だろうと言って、ホグワーツを後にしたのは一昨日のこと。向こうに行って戻ってくるまでの手段はマグルの飛行機を使うと言っていたから、日数的に今ここにいるはずがない。だからと言って忍びの地図に間違いはない。つまり、浮上するのは名前が何かしらの理由で嘘をついていると言うことだった。


ジェームズに透明マントを借りて、忍びの地図と共に名前のいる場所へと向かう。


基本、意図していたって来る場所ではないホグワーツの端の端。生徒たちが来たところで何もする場所がないからこそ、ここに近づくに連れて人とすれ違う人数は徐々に減り、気づけば目的の場所まですんなりと到着してしまった。念の為に持ってきた透明マントは完全お荷物状態。忍びの地図を作る際にここに扉があったのを覚えているが、いざ来てみれば扉の形は一見壁のように目立たないようにカモフラージュされていたことにまた違和感を感じる。だってここはたまに勝手に使わせてもらっている空き部屋だった場所。その中に名前の名前は確かにあった。







「…名前」


気づいたら、声に出していた。

透明マントを被り、侵入した部屋の中は前に入った時といろんなものが変わっていた。

部屋に置かれたテーブルには飲み物や空のコップ、簡単な食べ物が置かれており、数冊の本が積み重なっている。そして二人ぐらいが座ることのできるソファー。どれも最後に来た時にはないものばかり、妙な生活感のある家具に違和感を覚えつつ、部屋の傍にあるシングルベッドを視界に捉える。


床には無造作に脱ぎ散らかした衣類。ベッドの上でぐったりと寝そべる名前の姿。浅い呼吸を繰り返して上下する体、額には汗が滲んでいて頬も紅潮していて、まるで熱があるように見えた。

なのに、名前は布団に包まずぶかぶかなシャツ一枚着ているだけ。


熱があるのであれば寒くて布団に包まりそうなものなのに、名前の様子がただの熱ではないことを悟る。



「…だ、れ」



うっすらと開いた瞳。ぼんやりと宙を見つめる名前は無意識ながらに俺の気配に気づいたんだろう。あいにく、この部屋には名前しかいないため、咎める人もいない今、俺は透明マントを脱いで自ら姿を現した。



「しりう、す」



名前は少しだけ目を見開くもすぐに状況を飲み込んだようで唇をキュッと結ぶ。少しだけ、沈黙を経て俺の名前を呟いて、紅潮した頬に潤んだ瞳、熱のこもった呼吸を肩で繰り返しながら、舌足らずな滑舌で「帰って」と呟いた。



「名前」
「おねが、かえ、って」




ごくりとした音を耳にしたと自覚してから、自分が無意識に生唾を飲み込んでいたことに気づく。

ゆっくりと深く息を吐き出して、平常心をなるべく保ちながら俺は確信を得て呟く。




「…オメガだったのか…」





机に置かれた空のコップには、水でもジュースでもない何か薬の入った形跡があった。多分中身は抑制剤だろう。名前がいつもいなくなる周期はほぼ三ヶ月に一回、夏休みと冬休みは実家に帰ってしまうからわからないけれど、そこを除いたってあと二回、ホグワーツにいる間にいなくなることがある。その期間はだいたい一週間。日本に飛行機で帰ると言えば、別に何もおかしくない期間だから普通なら気づかないちょうどいい話だ。



今だって熱った紅潮した頬もその息苦しそうな呼吸もただ熱に魘されている訳ではないと辻褄が合う。



「、おねが、い」



ベッドに横たわったまま、シーツをギュッと握りしめる手に力がこもる。名前の瞳に気づけば涙が溜まっていて、重力に逆らえずにツゥ…と流れていきながら、再び呟く。


帰って、と。










周りはアルファばっかりだった。

ブラック系は純血主義、アルファが当たり前。マグルも混血もオメガがまずいることがない世界。第二次性だって正直、何を指し示すんだと思っていた。ジェームズやリーマスたちに関しては第二次性にこだわりが逆になかったおかげで俺自身が悠々と過ごせていた理由でもある。


だから、名前の第二次性だって気にしてなかったし、考えていなかった。


あの時の名前を見るまでは。


あの日の出来事がふと脳裏に浮かぶ中、衣類の山の中から出した黒猫の首筋に顔を埋め思いっきり息を吸い込んだ。


部屋に充満した甘ったるい匂いよりも更に濃い匂いが体内に入ってきて気分が上々し脳が酔いしれていく。




「しりうす、」



手の中にいた黒猫は本来の姿に戻り、名前があの日と同じ潤んだ瞳に紅潮した表情で俺を見上げる。サイズの合わない俺のシャツを羽織った姿で、他には何も身につけていない。首に腕を回して、物乞いするように自ら自分の唇を押し付けてくる、こういう積極的な態度はこういう時にしか見られないことの一つだ。



「んっ、」
「っ、…名前、なんで猫になってたんだよ…」
「だって、いっぱい、っシリウスの匂いがするから、っ、中に入れるんだもんッ」
「小さくなってると、探すの大変だってのに…、しっかしすげぇ上手に巣作りしてるわ」
「ふふっ、シリウスが褒めてくれた」



嬉しそうに頬を綻ばせる名前。言葉ではそう言っていても意識はもう次のこと。早く早くと言わんばかりに俺の履いていたスラックスに手をかけるもんだから、その手首を掴んで次は俺から口を塞ぐ。



「これからいっぱいやるからな」



名前のフェロモンが更に濃くなっちまったが、良いだろう。この部屋には誰も来ない。そう、これから時間はたっぷりあるんだから。



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -