小さな世話焼き



※燐音視点
※幼少期


稽古を終えて家に戻った瞬間、優希の何とも言えない声が耳に入ってくる。悲鳴までは行かず、しかし何か悶絶のような、のたうつような、声にならない声が確かにした。


「うっ、ぅッ、ッぐ」


優希が座り込む後ろ姿を見つけて、歩み寄れば俺の存在に気づいたらしく、声をかけるより前にパッと顔が上がる。声が潤み、泣くまでは行かずとも、その目は湿っぽく、うるうるさせていた。一体何があったのか、初見では理解できなかったが、すぐにその理由も把握することができた。



「う〜ッ」
「りッ、…うッ、ひーくッ」
「に〜!」


優希の腕の中で、やっと自分の手足で動き回るようになった一彩が俺に気づいて、手を伸ばしてくる。キラキラとした瞳で、まだ何もわからない純粋無垢な一彩。稽古を終えたあとで正直疲れもあるのだけれど、一彩の顔を見るとそんな疲れもどっかに行ってしまうものだ。しかし、


「一彩…、また優希のこと噛んだのか…?」
「あ〜ッ!にー!」
「りッ…う〜ッ」


一彩を抱える優希の腕に赤い痕が見受けられる。そこについた光る水滴はおそらく一彩の唾液だろう。生まれてから、這いつくばって動けるようになった一彩は最近優希をよく噛むようになった。母上いわく歯が生える時期のようで、むず痒く何かに噛みつきたいんだろうとのこと。何故か一彩は優希だけに噛み付く。他といえば、自分が着てる衣服や布を口に含んで、がぶがぶとしてるぐらい。


「優希、大丈夫か…?」
「ッう、んッ…」


だからこうやって一彩に噛みつかれては、毎回痛みに耐えて涙ぐむ優希が日常茶飯事となっている。優希も一彩に悪気がないことは承知の上で、幸いといえば一彩の歯がまだ生えていないという事。歯がなければ、まだ歯茎なので痛みのレベルが違う。


と、言っても、一彩は一彩で容赦なく噛み付くから、痛いことには変わりないのだが…。



「ほら、一彩おいで」
「ッ、やぁっ!」
「優希、良いのか…?」
「ん…」


一彩に噛まれたばかりだというのに、優希は一彩を基本離さない。今も一彩を代わりに抱っこしてあげようとしても、優希がそれを毎回嫌がってギュッと抱き抱える。いいのか、と尋ねれば静かに肯定しながら一彩を更に密着させた。



「ひーくん、めっ…」
「うー?」
「んんんんん」


一彩と目線を合わせてダメという優希だが、もちろん一彩にはその言葉の意味は伝わるわけでもなく。一彩はさっきの悪気のない行動すら気にも留めず、優希の言葉を不思議そうに聞いている。わかっていたが伝わらない言葉をもどかしく思ってなのか、優希は一彩を抱きしめて己の頭をうりうりと擦り付けた。



「なんで、ひーくん、いっつも噛むのかな…」
「母上が歯が生えてこようとしてむず痒いんだろうって言ってた」
「でも噛まれるの優希だけ…」
「優希が怒らないお姉ちゃんだから甘えてるんだよ」
「おねえちゃん…」


何もわからず優希の裾を口に含んで涎まみれにしている一彩。がぶがぶとしてる姿は、兄の贔屓目なしにしても可愛らしいものだ。優希にとってもそれは同じなのだろう、だからこそ毎回可愛がろうとしても噛まれることが堪えるらしく、しょんぼりする優希を横目に感じたことを口にすれば、俺の言ったことを思いもしなかったのか。優希は、おねえちゃんと言う言葉を噛み締めるように小さく呟く。その表情は、先ほどまでしょんぼりしていた雰囲気がまるでなかったかのように、心なしか嬉しそうに見えるのは気のせいではないだろう。


「ひーくん好き〜っ」


優希はまた一彩をギュッと抱きしめた。可愛い弟を愛でる可愛い許嫁の姿に俺まで笑顔にしてくれる。


しかしそんなこともつゆ知らず、一気に顔の距離が近づいた優希の頬に一彩がまた噛み付いて、優希が痛みで驚きの声を上げるまであともう少し。

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