とある日の出来事
これは、とある日の出来事。
「ニキきゅ〜ん、腹減った。メシよこせ」
「ちょっ、燐音くん…!いつも言ってるっスけど、燐音くんはタダ飯じゃないんスよ…!!!」
ES内食堂にて、エプロンをして困ったように嘆くのはただの料理人、ではなく、コズプロ所属であるユニット、 Crazy:Bの椎名ニキ。そして、ニキに対してケラケラと笑いながら当たり前のように足を組んで、早くしろ〜とテーブルを叩いて催促するのは同じくCrazy:Bの天城燐音である。
「昼メシ食ってねえから腹ペコなんだよ、腹ペコで死ぬかもしれねー」
「ん〜腹ペコで死ぬかもしれない気持ちはわかるっスけど…んんんん仕方ないッス…」
いつもの如く、燐音のワガママに折れてしまうニキは、深いため息をついて、ちょっと待っててくださいッスよ…と言いつつ厨房へと戻る。そんなニキの後ろ姿を見て、ニシシと笑う燐音はご飯が届くまでの間に、と思い自分のスマホを取り出した。
届いたメッセージの確認をすると、コズプロの副所長である七種茨やプロデューサーであるあんずなど何件か届いていた。
Crazy:Bとしての仕事依頼もリーダーである自分の元に届くため、内容は様々。急を要さないメッセージは内容だけ確認していたときだった。ふと耳馴染みのある聞き覚えのある声が耳に入ってきた。自然と視線をそちらに向ければ、食堂の入り口でどこかのスタッフであろう人に頭を下げてる女性の姿。声色的に、ここまで何か話しながら来たのか、ありがとうございます、はい、大丈夫です、などという声が聞こえてくる。
無意識的に、でも当たり前のように体が動いていた。その人に手が伸ばせば届く距離まで近づいた時には、話していた相手がちょうど背を向けて離れる時だった。彼女は相手を見送ってるのか、まだこちらには気づかない。
「優希ちゃん」
そう言いながら、後ろから腰のあたりに手を回して頭にチュッとする。すると彼女は少しだけ、びくりと体を揺らしてこちらに視線を向けた。
「燐」
びっくりしたという表情でこちらを見たあと、そっと胸を撫で下ろす。水城優希は、ニューディに所属するソロアイドルである。ただのアイドル同士であれば、これは一見スキャンダルやら何やら問題として起きてもおかしくないのでは…?と思われる行為だが、ESにいるスタッフのほとんどは今や当たり前になっている情報があった。
天城燐音と水城優希は、同郷幼馴染であるということ。
「優希、何してんの」
「打ち合わせが今終わったところ。燐は…?」
自分の頭のところにある燐音の顔を押しのけて、無表情で腰に回った腕を解く姿はもはや日常茶飯事のよう。燐音は、つれねえな〜なんて言いつつ「これからメシ、ニキが作ってんだよ」と言いつつ食堂内を親指で差した。
「そっか」
「優希、メシは?今まで打ち合わせだったんなら、まだだろ。一緒に食お」
解かれた手をそのまま気にすることなく、彼女の右手に触れて一緒に食堂へと促すように軽く引けば、逆に軽く引っ張られる、というよりは引いた手に感じる僅かな抵抗。ふと、彼女の表情を見れば、少し気まずそうに目線を泳がしている。
「えっ…と、」
彼女はまだ迷っているのか、ぎこちない。
その理由はわかっているが、燐音は気づかないふりをする。
「優希」
もう一度彼女の名前を呼んだ。
「な、一緒に食おう」
そっと耳元で囁いた。
彼女は、小さく「うん」とだけ返すだけ。その様子を見て燐音は、一瞬だけ目を細めた後に、ニッと笑みを浮かべる。
「ニキに追加で頼んでやっから、気にせず食えよ」
燐音は彼女の存在を確かめるかのように握った手に力を込めた。
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