人魚の恋




階段に背を向けて蹲っているあたしの耳に届いた天城先輩の声。久々に自分に向けられている先輩の声は覇気がないし、言われた言葉は理解できなさそうな言葉だった。



「優希ちゃん、どうしたんだよ」



さっきよりも近い距離で聞こえてくる先輩の声。多分、あたしのすぐそばにいるんだろう。蹲ってるから、先輩の姿は確認できないけれど何となくそうだろうなってのがわかる。普段、先輩の前で露骨に喜怒哀楽を表現したことがなかったから、戸惑ってるような声。たまにどう言う意味でかはわからないけれど、ため息とかも耳に入る。



「なぁ、なんで逃げたの」



先輩からすればそうだよね、訳がわからないはずだ。



「…俺のこと、イヤ…?」


先輩を見て逃げ出したら、全力拒否だと思われても仕方ない。あたしの中で燻る感情が黒くドロッと溢れ出て、それが爆発しないように蹲った状態でギュッと自分の制服を掴んだ。




「忘れらンねェヤツか…」



薄ら笑ったような力ない声。先輩からすれば、忘れられない男がいるのに付き纏われて迷惑していたから、改めて追っかけられて迷惑爆発とでも解釈されてるかも。


あぁ、それも嫌だ、嫌、だなんて、


自分はなんてわがままなんだろう。




「…先輩はなんであたしなんですか」




あたしはわがままだ、




「なんで、先輩があたしを好きになるんですか…、あたしじゃ先輩と一緒にいたって不幸になるだけなのに」



そう、理解していたはずなのに、



「あたしだけが先輩を好きだったら、先輩が他の人を好きだったらどれだけ良かったんだろうって思うのに」



天城先輩はどう捉えただろうか。



「あたしは燐と一緒にいても、幸せにしてあげられない…」



あたしが忘れちゃいけない記憶。


小さい頃よりも前、

生まれる前の、

前世の記憶、


生まれ変わっても自分の罪を忘れるなと言うかのようにこびり付いたこの記憶。


だから、あたしはあなたを忘れちゃいけないし、



「なのに、なんであたしをまた選ぶんですか…




あたしがどんなにあなたにまた恋をしても一緒になってはいけないというのに。



やっと上げた視野がとらえたのは目を見開いた燐音先輩の顔だった。



あぁ、あたしはまたあなたを不幸にしてしまう。








あたしには生前の記憶、所謂前世の記憶というものがあった。どのぐらい前の時代かはわからない。ただわかるのは、まだ自然と共に過ごす時代でそれなりに不自由なく過ごしていたこと。

そんなあたしにはすごく大切で大好きな人がいた。


毎日が楽しくて、幸せでずっと一緒にいれると思ってた。


だけど、ある日そんな日常も一転。


誰が言い始めたんだろうか、よく思っていなかった誰かの意見かもしれない。


訳もわからないうちに、嵌められたことだけは理解できたあたしは、あなたが非難されないように、と初めて嘘をついた。大丈夫だと。大丈夫だなんて確信も根拠もなかったのに。


そこからは案の定、ありもしないことを言い被せられて殺されたのが前世での人生。


今世になって、最初こそ記憶ははっきりとしてなくてボヤボヤとたまに夢に見る程度だった。だけど、あなたに会ってそれが明確なものになって頑なに塞がれていた記憶の蓋が開いてしまい、全てを思い出す。



「…優希ちゃん」



先輩の声が耳に届く。今、先輩がどんな顔をしてるのかもわからない。あたしの目からは溢れた気持ちと一緒にボロボロと流れ出る涙のせいで視界がぼやけているから。制服の袖で拭いても拭いてもそれは止まることなく溢れ出る。


あたしの中の前世のあたしが先輩と目が合う度に声をかけてもらえる度に嬉しさと苦しさの入り混じったような感情が胸に込み上げる。



「先輩もあたしも違うのに…」



そう、先輩は前世の彼ではない、

あたしも前世の自分ではない、

なのに心の中にはあなたに会えて嬉しい、生きていることが嬉しい、愛おしい、という感情が止めどなく溢れ出てきてしまい、魂があなたを求めているのがすごく分かる。


それと同時に、魂にこびりついた最後に見たあなたの表情が忘れられない、周りから浴びせられた言葉が耳に残ってる。




「…ごめんなさい、取り乱して」




やっと落ち着いてきた頃には制服の袖はびちゃびちゃに濡れてしまったが仕方ない。このままでは目も思いっきり腫れてしまうだろうが、今そんなことを気にするよりも、いかに早くいなくなるか、先輩から距離を置くかを考えなければ。


ぐるぐると駆け巡っていた思考回路が段々と冷静になり、乱れていた呼吸も落ち着きを取り戻す。あたしが呟いた言葉だけでは訳もわからないはずだ、さすがに突然泣き出して訳もわからないこと言い出せば先輩も引くだろう。そのほうが好都合だ、これで先輩からのアプローチもなくなればそれで良い。望んでいた展開が意図せずして叶えられた形になるから、万々歳だ。



なのに、



「…せんぱい、」



何が起きてるんだろうか。



なんであたしは先輩に抱きしめられているのだろうか、今まで一度も触れてきたことがない先輩が何をどうして。答えのわからない問題をぐるぐると思い詰めていれば、さらにギュッと腕に力が込められる。



「…優希、ごめんな」



先輩は今なんと言った?頭が真っ白になる。

今まであたしのことを呼び捨てにしたことないのに、先輩は今あたしのことを名前で呼んだだけだった、はず。



「守ってやれなくてごめん」



そう言って、再びギュッと力が込められた。

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