さざ波のように
夢を見ていた気がする。なんとなく、懐かしい夢。ボーッとする頭、上半身を起こしてもはっきりとしない意識は夢のせいだと思いたい。
夢の中は楽しかった気がする、幸せだった気がする。
所詮それもはっきりとしない夢の話なんだけれど。
身支度を整えて、朝ごはんのトーストを齧りながらいつもと変わらない朝のニュース番組を眺める。最近有名なアイドルが主演をするとか、スポーツの試合結果だったり。何の驚きもない内容をぼんやりと見つめながら、少しだけ焼き過ぎたトーストを一口、また一口咀嚼する。着なれてきた制服にカスが溢れないように使っていた皿はパンのカスだらけ。残り一口まで口に含むと、手についたパンのカスを擦り合わせて落とした。
「…座の方、今日は朝から意中の人との絡みがあるでしょう」
見慣れた朝のニュースのアナウンサーが今日の星座占いを読み上げていて、その言葉にあたしは自然と眉を顰める。あまり占いを信じたくはないけれど、言われた内容が内容だ。あたしには関係ない、あたしは違うと思っていても脳裏に浮かぶ人物が意地の悪い笑みを浮かべていて気分は憂鬱。出てきたのは重いため息だった。
ショルダータイプのスクールバッグを斜めにかけて、ローファーを履き家を出た。いつものように電車に乗って見慣れた通学路を歩く。途中にあるコンビニに立ち寄って、パックの飲み物売り場で足を止める。さて、パックのミルクティーを買うかレモンティーを買うか。うーん、今の気分はレモンティーかな。そう思って黄色いパックの方に手を取り、あとはちょっとした時に食べれる小分けされたチョコと適当に選んだ菓子パンを手にする。
「まーたそんなもン食うのかよ」
「…」
「優希ちゃん、無視すんなって」
「…おはようございます、天城先輩」
レジに行こうとしたタイミングで、聞きなれた声が耳に入ってくる。なんなら、視界の端に我が校の制服が見えるが、あたしは極力視線を合わせたくなくて聞こえないフリをする。だけどこの人にそんなのは通用しない。反応しなければ反応するまで話しかけてくるしつこさを持っているから。名前も呼ばれてしまい、ここはコンビニ。店側に迷惑もかけられないため、大人しく話しかけて来た男、天城先輩に視線を移す。
「おはよ、優希ちゃん」
この人の話し方はいちいち軽い。今だって語尾にハートがありそうに思えてしまうのは、あたしの思い込みだとは思いたくない。朝からいつだって変わらない軽い口振りに胡散臭い笑みを貼り付けて、あたしの横にピッタリと立っている。
チラリと視線を少しだけ合わせて、必要最低限の挨拶を交わしたので良いだろう。あたしはそのままレジに手にしていたものを持って精算をする。何故だかわからないけれど、あたしがレジで会計を終わるまでこの人も横にいて、まるで朝から離れられないで一緒にいるカップルみたいじゃないか。
全然そんなことないというのに、勘弁してほしい。やる気のない店員もあたしたちと目線を合わせずそっけない態度でレジ打ちをしていて、これもまたフラストレーションを溜める要因となる。
「優希ちゃん、いっつも言ってるけどよ、栄養偏り過ぎっしょ」
「安いんで」
「お弁当作ればイイじゃん」
「検討します」
「そう言ってどうせ作らなそうだけどなァ」
ビニール袋を提げて、コンビニから出て学校へと足を進める。行き先は同じ故にこの人も結局あたしの横から離れない。絶対、あたしの方が歩幅的に遅いけれど、それでも可能な限り足を動かして早歩きするが、結局男女の差。余裕そうな表情で歩くのがまた面白くない。
天城燐音先輩。
あたしが通う高校の先輩だ。
学年が違えば元々の学区も違ったはずなのに、高校で何の時だったか。突然、この人に話しかけられて以来、ずっとこうやってあたしに構ってくる。飄々として掴みどころがなく、付き纏ってくるくせに、何かすごく嫌なことをすることでもないせいで、それを理由にして拒否もできない。
多分、わかってて行動している、すごくやりにくい人だ。
「俺っちは優希ちゃんの心配してンのにな」
「それはありがとうございます」
「大事な成長期なんだからよ」
「…」
「そんな顔すンなって、せっかくの可愛いお顔が台無しじゃん」
そんな顔ってどんな顔だ。先輩のいう可愛いお顔が台無しと言うならば、そんな顔をさせているのは誰のせいだ。心の中で悪態を吐くことしかできないのは、実際に口にしたところで言い負かされて終わるのが目に見えてるから。この人に言葉のやり取りで勝てる気がしないし、朝から無駄に絡みたくないと言うのが本音である。
それは再三、本人にも近い言葉で伝えたことはあるはずだし、頭のキレる先輩ならわかっているはずなのに、懲りずに飽きもせずこうやって構いに来る先輩は物好きだ。と、言うよりは本当になんなんだろうか、と疑問しかない。
「なんでコンビニにいたんですか」
「優希ちゃんが入ってくの見えたから」
「ストーカーですか」
「ちげェって」
あたしを見かけてついて来たのがストーカーじゃなければ、なんなんだろうか。ケラケラと笑うこの人が本当にわからない。
「天城、おはよ〜」
「はよ〜」
校舎が見えて来て、もう少しで校門だ。ということは、必然的に通学中の在校生の人数も増えて来て、周りには同じ制服を着た人たちが右にも左にも視界に入ってくる。中には同じ学年の見知った顔もいたりして、誰か友達はいないかなと思うけれど上手くいかないものだ。それなのに先輩と言えば、同級生との遭遇率が高いらしくコンビニを出てからここまでの間に何度か声をかけられて挨拶を繰り返している。
「…先輩」
「どうした?」
「お友達と行ってください」
誰に声をかけられても挨拶をするだけで、あたしの横から離れない先輩に痺れを切らしたのはあたしの方だった。校門をくぐる頃、後は下駄箱で靴を履き替えてお互いの教室に行くだけ。まず付き合ってもいない先輩と一緒にいる必要は何一つないわけで、だったら先輩だってお友達と一緒に行った方が楽しいだろう。例えば先輩なりにあたしに気を遣っているのならば、気にしなくていい。むしろ行ってほしいと思いながら言葉にするけど、この人はいつものように掴みどころのない笑みを浮かべてあたしを見つめる。
「俺っちは優希ちゃんといたいんだけど」
「もうすぐ下駄箱だし、どの道そこまでじゃないですか」
「だからこそ、ギリギリまでいたいじゃん?」
ここまで言われてしまったら、あたしが言える言葉は何もない。
「優希ちゃんが好きだからいーじゃん」
ここまで言われて強い拒否までできないあたしは唇を結んでこれ以上の気持ちを飲み込んだ。サラリと言ってくる“好き”という言葉。これで何度目だろうか。純粋に言われれば嬉しいはずの好意を表すこの言葉もいう人が違えばこんなにも反応に困るものはない。
何の接点もなかったはずなのに。
ある日突然話しかけてきた天城先輩。
そこから気づけば毎日のようにあたしの前に現れて、あたしの横を歩いて過ごす天城先輩。
好きだよ、という癖に一定の距離感を保って何も変化がないこの関係。もはや揶揄っているのではないか、と思えるほどだ。
いつかあたしに飽きて離れてくれることを期待してもそれは結局あたしの高望み。
「優希ちゃんだって俺といれて嬉しいっしょ?」
おかげでモヤモヤは募るばかり。
「すごいプラス思考ですね」
例え悪態をついてもこの人は動じない。むしろ、軽く受け流されて終わってしまう。
「俺っちが嬉しいんだから、優希ちゃんもおんなじっしょ」
んじゃあ、またな〜。って下駄箱でやっと先輩は行ってくれた。バイバイと手を振って去ったあと、天城先輩の背中を見つめながらあたしは考える。ほんとにそう思ってるの?だってそういう天城先輩は嬉しいと口にする癖に、たまに切ない表情を浮かべるんだから。あたしといることによってそんな顔をするなら、構わなければいいのに。
訳がわからない、先輩は今日もまたさざ波のように小さく静かにあたしの心を掻き乱していく。
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